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作成:2018/10/14
更新:2019/01/20

第二次継承権戦争 Second Succession War



 第二次継承権線戦争は、第一次継承権戦争の終結から10年も経たないうちに始まり、中心領域に残されていた最後の技術と文明を焼き尽くしました。
 数十年に渡る戦争で戦艦は絶滅し、ジャンプドライブ生産の知識は失われ、中心領域の技術レベルは21世紀水準にまで退行したと言われています。その影には、コムスターによる極秘の破壊活動もありました。
 大々的な戦争遂行能力を失った王家軍は、次の250年間、小規模な襲撃と作戦を繰り返すことになります。






第二次継承権戦争(2825年〜2863年) THE SECOND SUCCESSION WAR (2825-2863)


傭兵評価委員会 THE MERCENARY REVIEW BOARD

 コムスターのもう一つの武器は、2789年に創設された傭兵評価委員会である。コムスター・ニュースビューローと違って、傭兵評価委員会は教団の政治的ツールとしてでなく、大継承権戦争において雇用の急増した傭兵を管理する中立調停者として設立された。一部の傭兵(主に元SLDF)は誇り高く献身的であったが、多くは倫理観を欠いており、雇用主の利益よりも自分の利益のために働いた。これら部隊の相当数が、継承権戦争の初期に逃走するか寝返って、雇用者に対する信頼の欠如につながった。

 ミノル・クリタは傭兵に関する懸念をブレイク首席管理官との会合で持ち出し、傭兵の契約と任務遂行の上での態度を取り締まる登録所と行政機関の創設を示唆した。クリタは多国籍の組織を意図しており(おそらくは自分を長とする)、従って一週間後にブレイクがコムスターの権威下で傭兵評価委員会を結成すると驚いた。

 大統領はアイディアを盗まれたと感じたかもしれないが、傭兵の契約と素行を監督するのは中立組織が唯一の選択肢だったのである。それは利益が上がるものでもあった……大王家は契約の管理のためコムスターに5%の手数料を支払い、教団は支払いの預託を行って、契約の通りに基金から支払いを行う――そして必要なら保留する。誠実な傭兵もまた利益を得る。なぜなら、MRBが継承国家と同じく彼らに有利な取り計らいをしたからである。委員会による裁定は、傭兵たちに若干の手数料(もう5%)を求めたが、それはすぐに価値のある投資だと証明された。

 もちろん、傭兵雇用委員会の庇護下にない取引も行われ続けたが、ブレイクは無認可の契約は委員会に保護されないことを明確にした。

 Caveat Emptor!(リスクは買い手負担で)






恒星連邦=カペラ大連邦国前線 THE SUNS-CONFEDERATION FRONT

 リャオ=ダヴィオンの前線は、第一次継承権戦争が終わってから約6年間静かなままで、たまの襲撃はクリタ国境ほど頻繁ではなかった。イルザ・リャオ首相もポール・ダヴィオン国王も戦争に入ることをまったく望んでいなかったが、どちらも同じくらいの規模で戦争の準備をしていた。リャオ首相の恒星連邦に対する攻勢計画は、暗号名ケルト作戦であった。一方のダヴィオン国王は将軍たちにドラコ前線を任せ、同時に大連邦国への攻勢、ダオ作戦の計画策定を命じた。

 バール・リトリートへの攻撃はそのような交戦のひとつで、カペラの第11"パシェス"槍機兵団の威力襲撃が、守るシンプソン・サムライ傭兵団を直ちに圧倒した。この結果は予想外であった――槍機兵団は経験不足でいくらか消耗可能とCCAFに見なされていた――が、敵傭兵が敗走間近になっているというチャンスをリャオ家は失いたくなかった。残念ながら、カペラ部隊の未熟さが、戦闘で鍛えられたサムライの撃破完遂を妨げた。それでもなお、槍機兵団が7月4日に退却すると、サムライは崩壊した残骸となっており、1個中隊だけが可動戦力として残った。生存者たちは他の傭兵部隊、ベリンダ・イレギュラーズに加わり、ブラッディサンを結成することになる。スモレンスクでは第5リャオ防衛軍が最小限の抵抗を受け、ボオティアでは第2聖アイヴス槍機兵団が第6サハラ養成校訓練大隊を粉砕し、リャオ家はたやすい勝利を得たものの、ケルト作戦の参加部隊が大連邦国に呼び戻されると無駄になってしまった。ビーテン・カイトスでは、第3チコノフ槍機兵団がアヴァター・オブ・ペインフルデス(ブルースターイレギュラーズ)に対する残虐な強襲を仕掛け、第一次戦争以降悪い状態にあった傭兵部隊を圧倒したかに見えた。だが、傭兵連隊は全力の防衛を実施し、テーブルをひっくり返した……カペラ軍を押し返し、素早い側面強襲を繰り返して槍機兵団の一部を孤立の危機にさらしたのである。同じく、エドワーズでも、第5デネブ軽装甲機兵隊は第27シーアン竜機兵団の上陸を失敗の間際に落とし入れ、シーアン竜機兵団の第3大隊が重気圏戦闘機支援を受けて押し込んでようやく、リャオ部隊は足場を得ることが出来たのだった。

 中心的な作戦は、6月2日、幸先良く始まり、CCAFの兵士たちがディメーターを強襲して、上陸と橋頭堡確保を邪魔しようとするAFFSをたやすく片付けた。第1レッドフィールド正規隊と第25シーアン竜機兵団の両方が連隊規模の戦力で上陸し、ダミアン・ハセク指揮下の第4シルティス機兵連隊が上陸を食い止めようとしたものの、カペラ兵たちは上陸地点から躍り出た。シルティス機兵連隊は攻撃によって引き延ばされ、レッドフィールド正規隊の電撃的強襲によって補給線はズタズタにされ、ダヴィオンの陣地は包囲される危機にさらされた。ダヴィオン兵は戦闘退却を実施したが、残虐な交戦で部隊は痛めつけられ、散り散りになった。次の一週間、数個中隊が孤立し、撃破されたが、ハセクは1個強化大隊をまとめ上げ、戦闘に引きずり込もうとするCCAFを逃れるのにどうにか成功した。彼は形勢をひっくり返して、カペラの補給線に嫌がらせを行った。たとえそうしても、長期戦の見込みはなかったが、2週間に及ぶ鬼ごっこのあと、両陣営はオルビシニアの大敗について知り、数的不利にあったにも関わらず、息を吹き返したシルティス機兵連隊は敵を激しく押し返し始めた。侵攻軍の士気は動揺し、6月30日、第32アヴァロン装甲機兵隊(ダオ作戦の一環として外世界同盟国境から移動)とボールドイーグルス傭兵連隊(スクリーミングイーグルス所属)が星系内にジャンプしてくると、リャオの指揮官、ジアン・バオ大佐は兵士たちに退却を命じた。最終的にボール・ダヴィオンはハセク大佐にニューシルティス公爵位を与え、カペラ前線の指揮をとらせた。この叙勲はむしろ両刃の剣だと、新公爵はジョークを飛ばした。

 タワスでは、第3リャオ防衛軍が傭兵のベリンダ・イレギュラーズを足止めし、包囲されたチェスタートン、ディメーターへのAFFSの救援を防ごうとした。防衛の指揮はイレギュラーズのベリンダ・ウィリアムス大佐(2812年のチェスタートンの戦いの参加者)がとるはずだったが、侵攻が始まって数時間でリャオの戦闘機が彼女の降下船を撃ち落とし、大佐と幕僚を殺すと、ばらばらになりリーダーのいないダヴィオン軍は終わったかに見えた。ここで名乗りを上げたのが22歳のマギー・ロス大尉である。戦間期にダヴィオンの養成校を卒業したのだが、ロスは強靱かつ狡猾であることを証明してみせた。キャンプ・オースティンからの退去を即決したことは、兵士たちを残酷な運命から救った……カペラ侵攻軍はダヴィオンの基地に戦略核兵器を投入したのである。リャオ防衛軍と幾度か衝突したものの、ロスは部隊を保全するのに成功し、侵略者に対する高機動戦を実施した。CCAFを撃退するだけの戦力はなかったのだが、傭兵たちは敵のバランスを崩し、補給線をかき乱し、カペラの後方エリアに素早い強襲を仕掛けた。ロスの最も成功した作戦は、6月22日、戦役の3週目に行われた。彼女は直々に襲撃を率い、3隻の降下船を破壊して、カペラ軍を宇宙港周辺の厳重な防衛境界線まで後退させたのである。オルビシニアでのニュースが伝わり始めると、数日後、CCAF部隊はタワスから退却し、後にはイレギュラーズが血みどろの勝者として残された。傭兵のメック戦士31名だけが生き残り、26機のメックだけが稼働状態にあった。AFFSはロスと部下たちの勇敢さを認めてシルティス名誉勲章を授与し、イレギュラーズをAFFSの一部として再建する提案を行った。そうする代わりに、生存者たちはケルト作戦のもうひとつの生存者グループであるシンプソン・サムライに合流することを選び、強化メック大隊、ブラッディサンとなった。


公爵と傭兵 THE DUKE AND THE MERCENARY

 伝記作家は、マギー・ロスとダミアン・ハセク大佐(当時)がケルト作戦の流血の後にニューシルティスで出会い、一目惚れして、恒星連邦で最大の王朝が始まったと、我々に信じさせている。真実からはほど遠い。

 若干22歳のマーガレット・ロスは、抜け目なく聡明であり、冷淡かつよそよそしく、タワスで成果を残したにもかかわらず、リーダーの役割にはほとんど慣れていなかった。彼女はカペラ境界域と恒星連邦内の政治的複雑さについては世間知らずで、身分が低いことと地球の血統を持つことでアウトサイダー見なされた。一方のハセクは36歳であり、世俗的、カリスマ的で、経験豊かな貴族の一員であり、その血統はニューアヴァロンの創設時に遡ることが出来る。

 二人は受勲式で出会い、両者共にケルト作戦の功績で叙勲されたが、恋の火花が散るというよりは短剣のごとくにらみつけるものであった。後に書かれたハセクの日記には、初対面は「氷の女王、息をのむほど美しいが、心は雪で閉ざされている」と記されている。ロスの日誌にはハセクを「お高くとまった無作法な孔雀」としている。ハセクは有名な女たらしであり、文章に無作法な表現を入れるのはおかしくないが、これが恒星連邦で最大のロマンスに発展すると言ったら、笑われていたことだろう。ロスは部隊に戻り、少佐に昇進してブラッディサンズの副指揮官を務め、一方のハセクはカペラ境界域を統治すべく昇進した。

 ふたりはもう会うこともなかったかもしれないが、公爵の前線視察にせよ、ニューシルティスでの頻繁な計画会議にせよ、運命は二人を不自然な頻度で引き合わせた。友誼が情熱に変わったのがいつかは不明だが、ミラの大虐殺でブラッディサンが毒ガス攻撃を受けた(そして、らしくない核による報復の許可を出した)後、ハセク公爵がロスを案じた時がおそらくそうだろう。ロスは療養中いつも宮廷に顔を出し、独身の公爵がニューシルティスの社会的エリートたちとの頻繁な遊びをやめたとの噂が駆け回り始めた。

 ミラ戦のあと、公爵はブラッディサンを危険から遠ざけたようだが、傭兵部隊の大佐であるロスが短い断固たるメッセージを送ったため、2834年には前線に戻している。曰く、「私を甘やかさないで」。数週間以内に、傭兵たちは実戦に投入され、ハイスパイア、ギャリッツァン、セントアイヴスの戦役に参加した。傭兵たちは、腕前と勇敢さ、ダヴィオン家とハセク家に対する揺るがぬ忠誠により、確固とした評判を得た。2838年6月23日、ニューシルティスでロスとハセクが結婚すると、傭兵たちはシルティス機兵連隊の一員になるという提案をされた。ブラッディサンは、今回はこれを受け入れ、第4シルティス機兵連隊の第3大隊となり、ロス機兵連隊の名前で知られるようになった。ロスとハセクの息子オーランドが2839年に生まれ、娘のカサンドラが2841年に続いた。両者は両親と同じく軍に身を投じ、オーランドはメック戦士として、第二次継承権戦争の最後10年には父の幕僚の一員となり、カサンドラは衛生兵として勤務した。皮肉にも、カサンドラは2858年のロビンソン奪還で初めて実戦に参加し、若干17歳でパラレスキュー看護兵となったのだった。

 ――『恒星連邦の貴族血統』、ケストレルエディションズ刊、2972年発行


 ファーウェルでは、ダヴィオン軽近衛隊が第42打撃連隊(第12スターガード傭兵団の一部)にぶつかった。ダヴィオンのエリート部隊は傭兵を撃破出来ると予期したが、傭兵による実際的で効果的な根気強い防衛に遭遇した。傭兵指揮官、フェリックス・マンセルはダヴィオンの強襲にほとんど驚きを見せず、陣地が不安定になると、他の用意された要塞に後退し、時間と土地を交換した。チャンスがあるときは打って出て、露出したダヴィオンの陣地を攻撃し、守りの薄い補給線を襲撃した。このような襲撃のひとつで、傭兵はダヴィオンの歩兵を捕虜とし、人道的な扱いで恒星連邦を驚かせた。それはダヴィオン=リャオの前線では補給不足になっていた何かだった。9月半ばまでに、スターガードへの援軍が来ず、ダヴィオンの援軍が押し寄せていることは明らかになった。マンセルは捕虜を解放し、出発に向けて降下船の準備を始めた。彼はダヴィオン近衛隊の指揮官、ジョージナ・ハワードから直接通信があったことに驚いた。ハワードは傭兵に戦争の名誉を与え、撤退の邪魔をしないことを伝えたのだった。


火を持って火を制す FIGHTING FIRE WITH FIRE

 ポール・ダヴィオンは指揮官たちに戦略兵器の使用許可を与えなかった――核化学生物兵器の使用許可は境界域の公爵たちから出たのみだった――が、前年にオービソニアとチェスタートンで示されたように、CCAFはためらうことがなかった。カペラ人はこのような兵器に利点が存在すると思っていたが、間違いはすぐに正されることになる……ポールは、見境なく投入することこそ許可しなかったものの、カペラの行動に対しては使う許可を出し、CCAFはAFFSや民間人地区に対してNBC攻撃を行うと同じやり方で返されることをすぐに学んだのである。テンではダヴィオン兵に対して化学兵器を使うと、AFFSはカペラの第一展開地点に核攻撃を行った。ミラでCCAFがダヴィオン派のブラッディサン傭兵団に化学兵器を投じると、ハセク公爵は似たような報復を許可した。このようなしっぺ返しが3〜4回繰り返されると、両陣営は自制するようになったが、通常戦は残酷なままであった。

 ――『非通常兵器』、キーストン・パブリケーションズ刊、3041年発行


 テン襲撃が有名になったのは、兵士たちの戦いぶりではなく、シーアンとニューアヴァロンのリーダーたちの決断によるものである。第1南十字星部隊による攻撃は強硬襲撃で、カペラの第7テン装甲機兵隊と第1ケンタウリ防衛軍を釘付けにするのに成功した。戦闘で鍛えられた南十字星部隊は軽メックを巧みに使ってCCAFを妨害し、ねじれた渓谷と洞窟に分散してリャオの火力を無効化した。6週間かけて南十字星部隊を戦闘に引き込むのに失敗した後、カペラの指揮官はシーアンにメッセージを送り、荒野で化学兵器を使う許可を求めた。このリクエストは認可され、12月18日、CCAFの爆撃機は数十発の化学弾頭をこの地域に落とした。バトルメックに対しての使用は限定的だったが、空気より重い毒素が渓谷と洞窟を満たし、無防備な支援人員や適切なNBC防護装備のない者たちにとっては破滅的と証明された。ダヴィオンの報復は破壊的なもので、生き残った南十字星部隊は邪魔されることなく退却した。





ドラゴンストライクス: 黒い風と赤い風 THE DRAGON STRIKES: BLACK WIND, RED WIND

 隣国の双方が気を散らしているのを見て、ジンジロー・クリタは、2830年2月19日、両国に対する攻勢に着手した。クロイ・カゼ(ブラックウィンド)はライラ共和国を狙い、アカイ・カゼ(レットウィンド)は恒星連邦に集中した。

 DCMSが哀れなライラ人に対して種々の成功を収めていた間、ジンジローはより重要な敵、恒星連邦を妨害するために兵士を送った。平和とされていた戦間期にダヴィオンとスパーリングしていたDCMSは作戦のテンポを強め、AFFSは最初ほとんど反応を示さなかった。ドラコ連合は襲撃の中にはっきりとした強襲を混ぜたが、ルツェルン、フランクリン、サハラを主要な強襲目標とした一方で、各世界を重襲撃の目標とした。これらの襲撃は、ライラ方面の作戦と同じように、混乱を振りまき、AFFSを陣地から引きずり出して、主強襲に対抗するAFFSの力を削ぐためのものだった。

 ダヴィオン兵の多くがカペラ大連邦国への作戦に巻き込まれていたことから、この強襲は第一次継承権戦争と同じくAFFSに対して破滅的になるとDCMSの多くが予期した。3月19日、深襲撃が始まってから一週間後(AFFSを引きつけるのに充分な時間と信じられていた)に発進した主力強襲部隊は、目標の世界に同時にジャンプした。ジャンプポイントの防衛はすぐに圧倒され、クリタ各艦隊は目標に向かって突進した。抵抗は様々だった。ルツェルンでは、押し寄せるダヴィオン戦闘機の群れと遭遇し、多くはDCMSを遅らせるために自殺的な暴力を見せた一方、サハラVの抵抗は短い一度きりで軽く払い落とされた……AFFSの戦闘機は星系の第三惑星上で圧倒されるまで数日間襲撃しただけだったのだ。

 地上では、DCMSの期待していた通りにはいかなかった。強襲軍の規模(それぞれの世界に3個メック連隊と10個支援連隊)に関わらず、ダヴィオンの防衛は弾力性を証明し、クリタは上陸地点から敵を追い払うのに苦労した。ISFの報告によると、各世界にはたかが1個メック連隊とわずかな支援部隊があるのみで、即座に撃破出来るとされていた。惑星の防衛はよりしっかりしたものであるとすぐに判明した。3〜4個連隊分の記章と十以上の支援連隊が各世界に存在した。3:1の優位を得るはずが、DCMSはせいぜいダヴィオン軍と同数であり、フランクリンでは明らかに数で劣っていた。

 やる気のない兵士たちだったら損切りして直ちに撤退したかもしれない(宇宙優勢を維持している)が、ドラコ連合の戦士たちにとって、それをするのは大きな不名誉だった。彼らの苦境が敵の狡猾さがもたらした不幸によるものであっても、クリタの兵士たちは龍への責務を誓っており、前進したのである。最大限の努力を払ったにもかかわらず、クリタの進撃は遅々としたものであり、補給物資が急速に消耗されると、戦役の見通しは絶望的なものとなった。連合が進め得たのはサハラVだけで、ダヴィオンに対する確固とした橋頭堡と作戦基地を確立した。2831年前半、11ヶ月の戦闘後、サハラはついに龍のものとなった。

 その一方、フランクリンとルツェルンは窮地に陥り、5月後半、両攻撃の指揮官、チョウソカベ・モトチカ大将は大統領に退却と再結集の許可を求めた。6週間後、ルシエンからの新たな命令がなかったことから――大将は来ると確信していたが――モトチカは陣地を放棄して惑星外に撤退する命令を出した。安全にジャンプポイントに戻り、ドラコ連合への旗艦を準備していた彼は、撤退要求の送信が行われていなかったことに気がついた。セップクの「招待」になるだろう帰国を続けるよりも、彼は残った4個連隊(3個メック連隊、1個通常連隊)に恒星連邦の奥深くに行くよう命じた。

 警告を受けなかったAFFSはこの方向転換への反応が遅くなり、ダハール強襲に対する準備が出来ていなかった。モトチカ大将は3個連隊を軌道上に残し、自分の部隊である第9ベンジャミン正規隊をダハールに上陸させた。対面したのは第23アヴァロン装甲機兵隊であったが、ダヴィオンの指揮官を驚かせたことに、大将は降下中に会見を求めた来た。部下たちが防衛陣地を設立する中、モトチカ大将は停戦旗を携えて静かに歩き、部隊の降伏と亡命の意思を明らかとした。

 AFFS士官たちはこれを疑った――これまでにドラコの部隊が亡命した例はなく、大将のような上級士官が亡命を求めたこともなかった――しかし、もし本気であれば、モトチカと彼の知識は計り知れないものとなる。彼らは通信を傍受して、モトチカ大将がフランクリンから退却している間に何か悪いことが起きたことを知っており、過去の記録――第一次継承権戦争の間でさえも、多用されていた戦術核兵器の使用を避けた彼は名誉ある戦士だった――から彼の誠実さを信じたのである。ダヴィオン兵は将軍と護衛の身体検査を徹底的に行った後、尋問のために移動させ、それから従順に見えるベンジャミン正規隊の武装解除に動いた。

 ドラコ連合の罠が発動し、軌道上の「空っぽ」の降下船にいた残りの兵士たちがダハールに降下して、混乱するダヴィオン軍の真上に降り立った。万力に締め付けられたアヴァロン装甲機兵隊は粉砕され、かろうじて1個大隊がいまや勢いづけられたドラコ兵の手を逃れた。AFFS指揮官はモトチカを裏切り者と非難したが、敵を安全だと思いこませるのは戦争の正統な策略であるとの返答を受けた。もしそうすれば――そしてアヴァロン装甲機兵隊を撃破すれば――フランクリンとルツェルンからの誤った退却の恥をそそぎ、故郷に戻ることが出来るとモトチカは述べた。彼の言葉は正しいと証明された……ダハールIVでの勝利のニュースを聞いて、ジンジロー・クリタはドラコ連合への帰還の許可を与えたのである。大将自身はジンジローの寛大さの恩恵を受けなかった。AFFSに投獄されている間、彼は毒のカプセルを呷り、部下たちがそれまで戦争の被害を受けていなかった工業惑星を荒らしている間に死んだのである。





交わる剣 CROSSED SWORDS

 イルザ・リャオがチェスタートンの世界群に対する強襲を失敗させ、ポール・ダヴィオンが強烈なカウンターブローを放った後、ダヴィオン家のカペラ国境は流動的なままであった。サン作戦、レイン作戦の目標の大半は、ダヴィオンの完全な支配下にあり、孤立したディメーター=チェスタートン突出部への圧力は緩和された。若干名のカペラ工作員が各世界で活動していたが、新たな主君たちはちょっとした迷惑を被るだけであった。シェーダーはすぐにもAFFSの戦争マシンの前に陥落し、リオも2830年後半に続いた。

 ダヴィオンの作戦の次の段階は、共和区主星チコノフを奪い取ることであった。チコノフは重要な政治的・工業的中枢であり、伝説的な防衛を誇っている。ダヴィオン家は強襲に必要なものをなんでも手にする必要があった。作戦の前に、AFFSは短く残虐な戦役でニューヘッセン、アレシャ、アンゴルを占領し、援軍が来ないよう隔離をもくろんだ。その間に、AFFSはシーアン、聖アイヴス共和国の各世界を目標とし、包囲されたチコノフを助ける兵士が余らないようにした。2830年8月、ダヴィオン兵の前にレッドフィールドが陥落した。防衛側の山岳要塞群はヴィクターの機動性と火力にはかなわなかったのである。2ヶ月後、シュタインズ・フォーリーも、サン作戦、レイン作戦の襲撃でいまだ動揺している間に屈服した。コレラは2831年4月、三ヶ月の戦役を経てカペラ境界域に加わり、アブルージ、バキュム、ハアッパジャルヴィは7月に恒星連邦の一部となった。ウェイ、フットフォールなどへの深襲撃は、惑星の占領こそ望み薄だったものの、リャオ軍に混乱を巻き起こした。

 ライオン作戦(より有名な名称だと第一次チコノフ戦)は、2832年4月4日、ダヴィオンの大艦隊が天底点に到着して始まった。CCAFは再充填ステーションで勇敢な防衛を実施し、まずは宇宙で、それからステーション内の通路から通路で熾烈な戦闘が行われた。2隻のCCAF戦艦が天底点におり、ダヴィオンと戦うためドッキングしていたステーションから緊急切り離しを実施し、遊兵になるのを避けた。これは天底ステーションを不安定にし、ドッキングポートに相当なダメージをもたらして、ステーションの職員たちは戦闘の最初の数時間を防衛の準備でなく秩序の回復に費やす羽目になった。カペラの気圏戦闘機部隊はAFFSの戦艦護衛用戦闘機に数で劣っていたものの、CCAFの戦艦の存在はダヴィオンの作戦に重大な脅威をもたらした。ダヴィオンの海兵隊は、リャオ艦の砲火にさらされながら、ステーションへの強襲を行った。カペラのフリゲート艦が素早い攻撃で、ダヴィオンの輸送船2隻を破壊し、それから追い払われた。CCS〈チアシン〉は後に自沈処分になるだけの損傷を戦闘で負い、乗組員たちはダヴィオンに拘束された。2隻目のCCS〈ツァオキン〉は戦役のあいだダヴィオンの脇に刺さった棘であり続けた。

 AFFSの主力強襲部隊は、訓練を積んだ機動部隊、敵を出し抜く達人である第2ケチ戦闘部隊RCTからなっていた。H・R"ホーラー"グリーア少将指揮するケチ戦闘部隊は、たいした苦労もなく――得意とする機動戦によってCCAFに有利な状況を避けることが出来た――4週間以内にチコノフのほぼ全土がAFFSの支配下に入った。あいにくにも、ダヴィオン軍最大の強みはまた弱点でもあったのである……彼らは電撃戦、陽動、その他に優れていたが、殴り合いや大要塞に向いた装備はなかったのである。アリアナ機兵連隊の残存戦力が星間連盟時代の要塞ハイクレムリンとチコグラッドのような城塞都市群に退却すると、グリーア少将は最大限の努力を払ったにもかかわらず、攻略は不可能だった。包囲された城塞からの突破は阻まれたが、ダヴィオンによる城壁突破もまたそうなった。ケチ戦闘部隊の軽間接砲が数週間にわたってハイクレムリンを叩いたが、どちらの陣営も状況を打破することはできなかった。食料とその他の消耗品が減り始めると共に要塞内の状況は着実に悪化していったが、6ヶ月後、AFFSは征服完了からはほど遠いところにいた。グリーア少将は勝利を収める決意を固めていたが、CCAFの援軍、チェスタートン予備隊が10月9日に到着するとダヴィオンの陣地が危機にさらされ、ケチ戦闘部隊は援軍というハンマーとハイクレムリンという鉄床の間に置かれた。渋々ながらAFFS兵は撤退した。

 だが、カペラの援軍は短い命であった。休息し再武装した第2ケチ戦闘部隊が7ヶ月後に帰ってきたのである。この時は第17アヴァロン装甲機兵隊と第9デネブ軽装甲機兵隊が同行した。この新たな強襲、レオパルト作戦は立て籠もった敵の対処に向いた歩兵、砲兵、航空機を伴っていた。ハイクレムリン城塞の外周部を占領したことで、攻撃チームが補給トンネルを通って要塞への浸透が可能となり、ハイクレムリンは2833年5月30日、2週間の血塗られた戦闘のあとで陥落した。さらに2週間でクラスノーダーとプスコフの抵抗が粉砕された。すなわち、チコノフの人口密集地帯、工業地区がすべてダヴィオンの手に落ちたのである。最後のCCAF兵を仕留めるのは面倒だと証明された。カペラは前年の敗北から学んでおり、機動戦略に熟達していたのである。AFFSは敵を追うために小さく分割する羽目になり、徐々に成功を収めたものの、難しい状況にあることに気がついた。

 分散した作戦を支援するために、AFFSは数多の補給庫を用意したが、惑星上のCCAFは弱体化していると見積もって、それぞれ軽い守りを配置したのみであった。これは正しい推計だったかもしれないが、カペラ戦闘部隊の高速で軽量な戦力が、6月13日、パイレーツポイントを通って星系内に到着するところまでは考慮に入れてなかった。地元のレジスタンス・セルと協調して攻撃を行ったカペラ戦闘部隊は、ケチ戦闘部隊の補給庫の多くを破壊した。これだけではAFFSの問題とはならなかったかもしれないが、MIIOはグリーア少将に重量のあるカペラ部隊がチコノフに向かっていると警告したのである。麾下の3個連隊がカペラの強襲に直面するリスクを冒すか、部隊が完全なまま尻尾を巻いて逃げるか、二者択一を迫られたグリーア少将は不名誉な選択肢を選んだ。グリーア少将は国王から公に罵られ、ニューシルティスで2834年末まで食堂係をやらされたのだった。


チコグラッドの城壁 THE WALLS OF TIKOGRAD

 カペラ前線に要塞がなかったことは、チコノフの首都チコグラッドの巨大な城壁のように、多くの問題をAFFSにもたらした。カザンのうねる平原に位置するチコグラッドは、二重の城壁に囲まれていた。低い外側の壁は住宅地区を取り囲み、高い方のシタデルウォールが内側の行政地区、住宅地区、工業地区(アースワークス工場含む)を一周する。

 外側の壁は外見だけのものに過ぎない――加えて継承権戦争の勃発以来着実に人口が増えていることで外に貧民街が成長している――が、歩兵と装甲車両に対して確固とした障害を提供する。それはバトルメックが登場する前、チコノフ大同盟の時代に作られたものだからだ。バトルメックに対してはそれほど効果的でないのだが、半千年紀近い築年数にもかかわらず、外側の城塞群はいまだに強力で敵があらかじめ設定されたキリングゾーンに導くのを助ける。

 内側の壁、シタデルウォールは120メートルの高さがあり、決意に満ちたジャンプ可能なバトルメックに対しても効果を実証済みである。重装甲で砲塔が配置されている城壁は、都市と価値の高い工場を占領しようとする者に対して、ほとんど突破不能な障害となっている。戦術核兵器(価値の高い工場を傷つける)の不足により、空爆、砲撃、包囲戦以外の選択肢はほとんどないのであった。シタデルウォールの屋上には強力な対空防衛網が並び、航空攻撃を妨害する一方、都市内の倉庫群――および自然帯水層――は包囲戦を難しい選択肢とする。

 継承権戦争ではチコノフと都市群を奪い取ろうとする数多の試みがなされ、チコグラッドは第二次チコノフ戦で一時的にAFFSに奪取されたものの(CCAFの戦術ミスによる)、この城塞都市は侵攻に対する拠り所として機能してきたのである。外側の都市は第三次チコノフ戦で略奪された後に再建された……プリフェクトホールの廃墟だけが、都市を守った者たちの勇敢さを示すために記念として残されている。チコグラッドは継承権戦争の間、各継承国家が投げかけてきたすべてに対して、弾力性を証明してきた……第四次継承権戦争のラット作戦までは。3028年、南十字星部隊の強襲が最終的に成功し、防衛を突破して、恒星連邦のためにチコノフを得たのである。

 ――『フォートレス・チコノフ』、バスティオンプレス刊、3042年発行


 ピューマ作戦、第三次チコノフ戦は、2834年4月、第3デネブ軽装甲機兵隊のジェシカ・バスナー少将の指揮下で開始された。AFFSの戦闘計画では、第3デネブと傭兵のケルガワ・ブラッドランサーズが上陸して主目標を奪う一方、重量のある後続部隊、第2ダヴィオン近衛隊がリャオによる惑星奪還の試みを撃退する。作戦の第一段階は上手く運んだ。第3デネブはほとんど抵抗に遭遇せず、最初の3週間で目標の大半を確保した。チコグラッドなど少数の民間工業地区は残ったが、どう見てもチコノフはダヴィオンの支配下にあった。第2ダヴィオン近衛隊の到着に先立ち、第3デネブは塹壕に籠もって、カペラのゲリラに対して警察活動を実施した。公には勇敢に振る舞ったものの、バスナー少将はチコノフでの立場に懸念を示していた……報告によるとCCAFは逆襲に備えて集結中であったが、ダヴィオン近衛隊はまだ到着してなかったのである。数日が過ぎ、数週間が過ぎ、まだ援軍は到着していなかった。カペラの襲撃部隊が星系を探査し、戦闘部隊の気圏戦闘機に撃退されたが、これはCCAFが共和区主星をどれだけ熱心に見ているかを示していた。

 7月、ニュースが届き、バスナー少将の血を凍らせた。数年間静かにしていたDCMSが連合=連邦国境の各種目標を激しく叩いたのである。第2ダヴィオン近衛隊の作戦基地であるサニラックは目標の一つであり、近衛隊はクリタ軍と激しい戦闘に巻き込まれた。第3デネブ軽装甲機兵隊が救援を受けられる見込みはなくなった。

 AFFS最高司令部は、この価値があり、脆弱な世界をどうするのが一番いいかを決めるため、何度も会議を行った。一つ目のオプションは第3デネブをチコノフに置いたままとし、他の援軍が送られるまで持ちこたえるというものだった。だが、これだと第3デネブはカペラの重逆襲に晒され、持ちこたえるかもしれないが、リスクは重大であった。もうひとつのオプションはハイクレムリンのような主要要塞群に退却するというものだが、こうすると部隊の長所である速度と機動性が無効化されてしまう。不承不承ながら、国王は三番目のオプションに落ち着いた。第3デネブを守ることを選び、バスナー少将に退却命令を出したのである。この決断は遅すぎた。ノースウィンド・ハイランダーズのマコーマック機兵連隊が軌道上の哨戒線を突破し、上陸を始めたのである。ダヴィオン軍は迎撃に緊急出動し、よって傭兵隊がリャオの逆襲の矢面に立った。次の3日間、AFFSは戦闘退却を実施し、第3デネブは秩序正しく退却したが、ブラッドランサーズが犠牲となりほぼ全滅した。AFFSは3028年まで2世紀にわたってチコノフを襲撃し続けた。第四次継承権戦争になってようやくAFFSは攻撃に成功し、チコノフを獲得したのだった。

 ライオン、レオパルト、ピューマ作戦はチコノフを主眼に置いたものであるが、ダヴィオンは20個以上の世界を得ていた。ライオン作戦における二次的な作戦の大半はチコノフの孤立化を狙ったもので、ダヴィオンはチコノフ包囲を支援するためチコノフ、サーナ共和区の各世界を攻撃した。当初、これらの攻撃はカペラ最高司令部の注意を分散するのに成功し、ハイクレムリン救援は妨げられた。残念ながら4つの世界を狙った兵士たちは長期戦用の装備を持っておらず、2832年夏までに、諦める以外の選択肢はなくなった。そうしてチコノフに使える戦力が解放され、第2ケチ戦闘部隊は退却することになったのである。


アンドゥリエン攻防戦 THE BATTLES FOR ANDURIEN

 アンドゥリエンは〈戦い〉の時代の縮図であるとされる。隣り合う2つの国があまりに長い間ひとつの世界を奪い、諍いの理由は歴史の中にほとんど消えていった。リャオ家との和平と引き換えにアルバート・マーリックがこの世界を進んで手放すのが、星間連盟の下に人類が集うというイアン・キャメロンの計画の中心であった。牧歌的とされる時代においても、各国の根源的な緊張は残り、マーリックはアンドゥリエンがなかったというのにアンドゥリエン公国を残し続けて、第一次継承権戦争が勃発するとすぐに待ち望んだ世界を取り戻そうとしたのである。FWLMは2790年に成功し、半世紀にわたって、アンドゥリエンはマーリック家のリムワード防衛の基礎を形成した。

 自由世界同盟が(コムスターの)排除命令の下に置かれると、リャオ家はこの宝石を奪還する機会を捉えた。当初、CCAFはFWLMに放棄された世界の占領に心を奪われており、アンドゥリエンに対して本気になることはなかったが、2837年8月と2838年1月に襲撃を行った。2838年、通信の禁令が解かれるとの噂が流れると、リャオ家は惑星アンドゥリエンを奪還するために全力を傾けた。

 生き残ったCCAFアンドゥリエン軽機兵隊の全軍……第1、第4、第7連隊が強襲のために終結し、第1シーアン竜機兵団、第2リャオ防衛軍が支援した。彼らはアンドゥリエンの防衛が万全だと知っていた。第1、第2アンドゥリエン防衛軍団と第9アトレウス竜機兵団の本拠地であり、同盟の残った戦艦全4隻がいたのである。容易な戦いにはならないだろうが、ローレライ・リャオ首相はアンドゥリエン奪還こそが大連邦国の新領土を固めることになると信じていたのである。

 アンドゥリエンのジャンプポイントを巡る戦いは予想通りの血塗られたものとなり、侵攻軍がマーリックの固定防衛を沈黙させる前に高い代償をもたらした。この作戦で気圏戦闘機40機以上と強襲降下船6隻が失われたものの、兵員輸送船の損失は最小限であった。参加したリャオ戦艦2隻のうちCCS〈カールザン〉はそれなりの損傷を負い、ゼニスポイントで修理を受けるあいだ、主力艦隊は星系内を進んだ。上陸作戦は最初スムーズに行き、2個連隊が攻撃を受けることなく上陸したが、アトレウス級戦艦FWLS〈マジェスティック〉、ソーヤル級重巡洋艦〈クンバー〉、護衛降下船が到着すると、作戦は混乱に落とされた。熾烈な海戦が低軌道で発生し、リャオ軍の1/5が破壊された。生き残った者たちは混乱した殴り合いの中、惑星に向かっていった。CCS〈カールザン〉とCCS〈チェンドゥ〉はこの衝突の中で沈み、FWLS〈マジェスティック〉もそうなった。艦の残骸はアンドゥリエンに出入りする船にとっての難所となり、2843年、最終的に大気圏に突入して燃え尽きた。

 惑星上でも似たような混乱があった。2個連隊は無事に上陸したが、残りはあちこちに散らばり、リャオ兵はFWLMによる組織的で断固とした抵抗に直面した。いわゆる第五次アンドゥリエン戦争は9週間にわたって続いたが、CCAFは首都ジョジョケンから200kmのところにまで近づくことが出来ず、12月29日、撤収命令が下された。

 リャオがアンドゥリエンで死んだとマーリックが考えたとしても、すぐに思い直したことだろう。休息と再武装の三ヶ月後、FWLMがカペラFの作戦に対抗できない状態であることが明らかになると、CCAFは戻ってきた。通信禁令措置が解かれたにもかかわらず、諜報が示すところではアンドゥリエンの防衛部隊は損害を取り戻すのに必要な補給の10パーセントしか受けとっていなかったのである。第六次アンドゥリエン戦は2039年の3月から10月まで続き、リャオ兵はジョジョケンの外周部までたどり着き、マーリックの頑固な抵抗によって止められた。8月に第3マーリック国民軍、第5オリエント装甲機兵隊が到着すると、戦闘は膠着状態に陥り、2ヶ月におよぶスパーリングの後、CCAFは退却した。

 2840年夏の襲撃が「コムスター戦争」時におけるリャオ家の最後の強襲となった。大隊規模の戦力のみだったこの襲撃は本気でマーリックの占領に挑んだわけではなかったが、メックの生産工場にダメージを与えるのに成功し、首相は控えめな成功と見なした。



 「我らには、マーリック総帥の指導を変えさせようと理由が確かにある。しかし、いま変えさせたら、どのような利益があるのか、そして明日はカペラ大連邦国の共和区として目を覚ますのか? 誰が我らの不平を聞くのだろうか?」

 ――マーレン・レディスロー議員、アトレウス国会議事録、2842年1月



ホーリーシュラウド作戦 OPERATION HOLY SHROUD

 コムスター教団の首位者レイモンド・カルポフは、技術というものに畏敬の念を抱いており、コムスターだけが星間連盟の知識を扱う道徳的権威と権利を持つと信じていた。彼は大王家が失われた技術を取り戻そうとするのに――あるいは復興した技術を維持するのに――反対し、この議題を支持するよう第一回路を説得した。これに反対したのが、ROM司教ミシェル・デュプレアスであった。彼女は第一回路が決断した後でさえも、大王家に対するあからさまな攻撃はブレイクの意思に対する反逆であると異を唱え続け、もっと狡猾なやり方がふさわしいとした。カルポフは彼女に辞職を求め、破門すると脅迫した。デュプレアスは辞職し、ROMのみならずコムスターからも離れた。一ヶ月以内に彼女は死亡した。「交通事故」で殺されたのである。後継者であるジャニス・レイドローの仕業であると多くが信じている。

 レイドローは結社勅令3056号を発動した。これはROMを拡大し、血塗られた側面を制定するもので、後にホーリーシュラウド作戦の名で知られることとなる。ホーリーシュラウド作戦の下、ROM工作員たちは大王家の技術研究に対する多方面攻撃を行い、研究所を破壊し、科学者たちを殺した。2839〜2844年のあいだに300人以上の科学者たちが殺されたが、レイドローはデュプレアスの警告を心に留めており、事件がコムスターにつながらないのを確実とした。ほとんどが近隣国か内部の過激派の犯行に見せかけており、第一次継承権戦争終結後からコムスターが煽ろうとしてきた緊張と不安定が増していったのだった。コムスター戦争中にHPG施設についていくらかの知見を得たマーリック家は特にホーリーシュラウドで激しい打撃を受けた。自由世界同盟のHPG研究のすべてが5年の作戦で破壊され、科学者の多くが殺害された。ホーリーシュラウドは表立ってない脅威もまた目標とした……SLDFが残していった基地と倉庫であった。ROMのチームがこれら施設の噂を追いかけ、破壊するか中身を地球(あるいは、後に明らかになったところでは、「ファイブワールド」のひとつ)で保管するために持ち去った。

 ホーリーシュラウド作戦は公式には2845年に終わったが、そこに込められた原則は氏族侵攻までコムスターの作戦ドクトリンの一部として続いた。我らが知る通り、3028年のヘルムの戦いや第四次継承権戦争中のニューアヴァロンNAIS施設への攻撃は、双方共に大王家が先進技術を入手するのを食い止めるために行われたコムスターの作戦であった。3030年代になってようやくコムスターは勅令3056号を完全に放棄し、魔神は魔法のランプから這い出たのである。

 カルポフがブレイクを崇拝しコムスターを神権政体に変えて、技術の守護者としての教団の足場を崩したことは、カルポフの改革に対するこの上ない皮肉である。彼は科学を信仰に変え、理解を協議に変え、星間連盟最後の砦であるはずのコムスターはすぐに中心領域の他国よりも多少よい教育が受けられる程度になり、仕組みを理解することなく決まり切った手順によって設備を動かすようになったのだった。光の中で、ホーリーシュラウドはもうひとつのより不吉な側面を引き受けている。それは、すぐすねる子供が誰かに手柄を横取りされないか恐れているのと同じそれなのである。

 ――『ターニングポイント』、テラプレス刊、3097年発行



ヒンダーズの戦争(2841〜2848年) HINDERS’S WAR: NEW CALEDONIA (2841-2848)

 ニューカレドニアで抵抗を行っていた第4親衛隊は、数ヶ月もすれば救援が来ると予期していたのだが、ライラ共和国内の政治的・軍事的状況は彼らを支援するオプションを制限するものであった。第4親衛隊は孤立し、ほとんど資源も支援もなしで長期の戦役を強いられた。第4親衛隊が独力で戦ったといのは人気のある伝説である……勇敢な戦士たちの小規模な集団が強大な敵に立ち向かったのである。実際には、第24ヨーク正規隊、6個惑星市民軍連隊(4個歩兵連隊、2個装甲連隊)という形での支援があった。この紛争の後半において、ヒンダーズ大佐は民衆から支援を受けるべく偵察員を送り、市民軍の追加2個連隊を立ち上げた。

 第4親衛隊とクリタ軍の最初の衝突は、首都レドフェフでなく、アヴェスタ市で発生した。ここは農産物の輸送拠点として知られる丘の上の町で、ヨーク正規隊第3大隊1個中隊の活動拠点でもあった。ドラコ連合の部隊、第4〈光の剣〉連隊の1個大隊がノースアンバーランド平原に上陸した(補給線を確保するのに港湾施設が必要だったのだ)が、LCAF――と地元の民衆――はことが簡単に運ぶのをよしとしなかった。急遽作られた要塞群がDCMSの装甲部隊を阻害し、指揮官のフガイ・クリタは歩兵とメックに頼るのを余儀なくされた。最初のクリタの強襲は5月27日にやってきた。メック部隊がスターリング川を渡る橋頭堡を確保し、歩兵はゴムボートと水陸両用車両で後に続いた。彼らはシュタイナー兵からの砲撃の雨あられに遭遇した。シュタイナーは数で劣っていたものの、メックの重量で上回っていた。ライラの気圏戦闘機が壊滅的な破壊をもたらし、相当数の輸送船を沈め、橋頭堡に集っていたクリタ軍を叩いた。クリタの数的優勢により撤退せざるを得なくなるまで、ヨーク正規隊はさらに11日間持ちこたえた。DCMSには宇宙港があり、補給と援軍が惑星に到着し始めた。LCAFは空襲によってクリタの陣地への嫌がらせを続けたが、6月の第二週までにクリタの防空網が整備され、このような攻撃はリスクを伴うものになった。

 レドフェフの南では、第4親衛隊の第1、第3大隊が到着したばかりの第7ラサルハグ正規隊と直面した。マイケル・ヒンダーズ少佐(大佐の弟)の指揮の下、第2大隊は平原に出て機動妨害部隊の役割を果たした。ラサルハグ正規隊は〈光の剣〉連隊ほど熟達していなかったが、それにも関わらず、彼らの重メックはシュタイナー軍と戦いうるものであった。当初、両者の衝突は決定的なものとならず、シュタイナーの火力と弾力性が、ラサルハグ正規隊の数と勢いを迎え撃った。ヒンダーズ少佐の部下たちは航空攻撃の混乱を利用し、襲撃の効果が最大になるタイミングを狙った。数週間にわたる直接強襲の後、DCMSは戦術を変更し側面攻撃によってシュタイナーの陣地を弱体化させようとした。それはいくらかの成功を収め、防衛側部隊の一部を撤退させたが、都市への入り口はいまだに死地であった。

 そのあいだ、ヨーク正規隊は〈光の剣〉連隊に対して後衛を行い、拘束し続けようとしたが、DCMSの経験と兵力は損害の大きかったヨーク正規隊にはこたえるもので、すぐにも星系外に脱した。

 7月22日、第4〈光の剣〉の支隊と数個通常連隊がニューバーウィックのラサルハグ隊と合流し、パワーバランスは侵攻側に傾いた。それでもなお、ヒンダーズ大佐は都市を諦める気にはならず、防衛を続けた……彼は弟の第2大隊を送り込み、クリタ戦線の妨害を行い、都市が包囲されるのを防ごうとした。それにも関わらず、ドラコ連合は包囲を狭め、8月後半までに都市が血の海となり、補給物資が枯渇すると、ヒンダーズ大佐は撤退命令を出し、部下たちと崩壊したヨーク正規隊の生存者をレッドキャッスル(70年前に辺境世界共和国の侵略を受けた元SLDFの施設)で合流させた。

 ヒンダーズ大佐はレッドキャッスルを守り抜こうとしたが、ドラコ連合の援軍が到着して、大規模な攻撃を仕掛け、ニューカレドニアがドラコ連合海軍によって孤立化されたとのニュースが届くと、望みは急速に潰えた。それにも関わらず、第4親衛隊は17ヶ月にわたって施設を守り、放棄したのは2843年1月になってからだった。彼らがドラコ連合軍を撃退できたのは、地域の航空優勢をとったおかげだった。ライラ戦闘機の2個航空大隊は、クムラ北部の山岳とヘブリディーン海の環礁地帯にある基地から、ほとんど損害を受けることなく活動した。だが、2842年10月、DCMSは両基地に対する軌道降下を仕掛け、山岳地下のトンネル・洞窟と島の飛行場で3日に及ぶ血塗られた戦闘を行った。ヒンダーズ大佐は、LCAFが最大限の努力で基地を隠していたにもかかわらず、DCMSが軌道偵察によって基地を発見したものと考えたが、クムラ山の生存者たちは攻撃してきた特殊部隊兵たちが基地の図面を持っており、重要な防衛陣地について知っていたと信じていた。ヒンダーズ大佐は部下たちの中にスパイがいることを疑い始めた。

 レッドキャッスルの放棄を余儀なくされた第4親衛隊はオールダムに隠れ家を探したが、DCMSがすでに迫りつつあることに気づいたのみだった。レイトとキャルヴァイ・ショールズへの移動もまた妨害された。侵略者と正面から戦うのは勝ち目がなかったことから、ヒンダーズ大佐は部下たちに分散して、地下に潜るよう命令した。第4親衛隊は侵攻以来募っていた不正規兵たちと共にゲリラ戦を仕掛けることになる。次の5年間は、両陣営にとって厳しいものとなったが、特に惑星の市民は約40000人の損害を被った。〈光の剣〉もラサルハグ正規隊も非対称戦の訓練を積んでおらず、装備もなかった。よってLCAFのゲリラ戦は彼らの戦力と士気を損なっていった。

 ヒンダーズ大佐は2843年後半にLCAFとの直接的コンタクトを失ったが、2844年後半まで散発的な連絡が続いた。このとき、メリッサ・ニンとクラウディウス・シュタイナーの国家主席就任に絡む混乱の中で、ライラの政治・軍事機構は麻痺していたのである。第4親衛隊は本当に孤立したので、ヒンダーズ大佐はすべてを賭けることにし、クリタ占領軍に対する大規模な軍事作戦に踏み切った。第4〈光の剣〉はローテーションで惑星外に移動しており、市民の暴動に対処する装備を持った第6ラサルハグ正規隊が配置されていた。ヒンダーズ大佐はこの新参者に対して作戦を行ったのである。攻撃は最初うまくいって、いくつかの決定的勝利を得たが、2864年前半までに奇襲要素は消滅し、損害が大きくなり始めた。ラサルハグ正規隊はレジスタンスの基地に対して反襲撃を仕掛け、LCAF兵士と補給の多くを捕らえた。2847年末までに、レジスタンスは崩壊したが、ヒンダーズ大佐と最後の兵士たちが捕まるまでにもう7ヶ月かかったのだった。

 フガイ・クリタはヒンダーズ大佐との面会を行った――痩せた大佐の横に、身なりの良いふくよかなDCMS将軍が立つという光景であった。フガイは鼻で笑い、ライラ兵士の戦いぶりと世界を守るのに失敗したことを馬鹿にした(7年も守ったのだが。これは継承権戦争における最も激しい抵抗活動のひとつであった)。フガイは工作員がLCAFの最新情報を提供し続けていたと主張し、フェアな戦いではなかったことに対するちょっとした後悔を認めた。謝罪の提案として、フガイはヒンダーズ大佐に部隊を破壊したスパイを殺すチャンスを申し出た。

 ヒンダーズ大佐はこれに飛びつき、レドフェフの郊外にある臨時のアリーナに移送された。ここにぼろぼろのサンダーボルトが2機待っていた。彼の敵はすでにサンダーボルトに乗っており、フガイと部下たちは自分たちのマシンに乗ってアリーナの周囲に並んでいた。ヒンダーズ大佐とスパイは長引く殴り合いを始めた。最終的にヒンダーズ大佐が勝ったが、核融合エンジンに亀裂が入ったことから、致死量の放射線を受けていた。それにもかかわらず、彼は裏切り者を負かしたことに満足していた。彼は敵メックのコクピットを開き、そこに弟マイケルの死体があるのを見て戦慄した。恐怖が落ち着き、怒りの慟哭が通信機にこだまするのを待って、フガイは大佐を処刑した。

 マイケル・ヒンダーズが本当にクリタのスパイであったのか、それとも単にフガイ・クリタによる病んだジョークだったのかは明らかになっていない。だが、兄弟に降りかかった残虐な恐怖はこの戦争のターニングポイントとなった。フガイはこの戦いを収めたバトルROMの映像を、ブラッドスポーツ愛好家として知られるクラウディウス・シュタイナーに送り付けた。この恐怖は狂った国家主席にさえ恐怖を与え、彼は行動を起こすことになる。プレイング・マンティス作戦がフガイと父のヨグチを目標とし、大統領への攻撃は継承権戦争における最も長く語り継がれる事件のひとつとなったのであった。

 ――『第二次継承権戦争の英雄』、シルティスミリタリープレス刊、3002年発行



第五次ヘスペラス攻防戦(2838年8月) THE FIFTH BATTLE OF HESPERUS (AUGUST 2838)

 ザブ・クリタの治世が短く終わったことから、新大統領ヨグチは、確固とした評判を確立して、最高司令部に軍事的な資格があると納得させる必要があると確信した。ショパン作戦の際にヘスペラスII攻撃が悲惨な結果に終わった後、ヨグチ・クリタは本気でこの世界を奪い取ると誓い、2個メック連隊、5個通常連隊、戦艦3隻を作戦に投入した。大規模なDCMS軍は手際よくシュタイナーの軌道防衛を押し通り、山深い惑星に降下を始めた。抵抗は最小限だった。駐屯部隊の大半はマーリック方面に離れており、ライラ兵は経験が不足し装備が貧弱だった。その結果、最初のDCMSの強襲は効果的で血塗られたものとなり、新兵の防衛部隊をデフヘスの工場設に追いやった。

 だが、工場施設は難攻不落であり、外周部の稜堡と砲台は極めて効果的な障害であると証明された。上陸から二週間以内に、DCMSは惑星の大半を支配したが、連合の指揮官たちは最後の報償を手にできなかった。施設への突破攻撃は跳ね返され、DCMSがこの世界を確実に手にしていた一方で、ヘスペラスはスカイア連邦の奥深くにあり、援軍を送るのは難しかった。LCAF軍が逆襲に動く中、ヨグチはこの世界を放棄することにしたが、強襲は失敗したものの、DCMSは精神を取り戻した。大統領はヘスペラスを確保する強力な攻勢を計画するという課題を最高司令部に与えた(第六次〜八次ヘスペラス戦)が、それを見ることなくこの世を去ったのだった。



パンドラの箱を閉じる CLOSING PANDORA’S BOX

 第一次継承権戦争は、星間連盟によって封じ込められていた数世紀分のフラストレーションを解き放ち、表面上は政治的な目的を持つ紛争だったが、実際は各大王家が暴力で隣国を屈服させようとするものであった。宇宙港のバーの酔っ払いのように、そこには技巧などなかった……彼らは単に敵を傷つけ、やり返される前に排除することを望んでいた。従って政治、経済、人口の中心地は人気のある目標となり、数十億の人々が軍事的理由ではなく単に範囲内にいたというだけで死亡した。直接的な目標にされなかった惑星ですらも、第一次継承権戦争の恐怖を逃れることは出来なかった。経済は非常に複雑に絡み合っており、ひとつの世界で工場が失われると、重要な物資の供給が途絶えることから、別の世界で経済の崩壊が引き起こされる。別のケースでは、いくつかの世界が居住不可能になったというものがある。それは敵に燃えがらになるまで核攻撃されたわけでも、化学生物攻撃されたわけでもなく、重要な部品が故障し、交換不可能となったからだ。このような世界は維持できなくなるが、第一次継承権戦争時に輸送艦隊がシステマチックに虐殺されたことで避難がほとんど不可能になり、たとえ可能でも富裕層と政治的に強力な者たちに限られ、残った民衆はゆっくりとした苦しい終焉を強いられるのである。たとえば、自由世界同盟のロッシャーズでは大気製造装置の修理能力が失われ、タウラス連合のウーギの民衆は星系の太陽光線遮蔽装置がダメージを受けた後に死滅した。

 ボディブロウを受けたことで、各継承国家はさらなる戦略核兵器の投入を思いとどまったが、第二次継承権戦争の序盤には使用が続けられた。かつてのように無差別かつ無分別に投じられることはなかった――時折は例外があった――が、通常の軍事力が失敗した時に使われる戦術的なツールとなったのである。2840年代までに、このスタイルの戦争すら下火となり、ドラコ連合の強硬派の軍事政権も使用を差し控えるようになった。静かに、戦略核兵器の大半が武器庫に戻り、厳重なセキュリティの下に置かれた。それらの脅威は第二次継承権戦争を通じて残ったが、滅多に用いられることはなかった。第三次継承権戦争までに、大王家間の暗黙の合意によって核兵器は事実上禁止となったが、重大な脅威が持ち上がった時のために武器庫を放棄することはなかった。そうしてかなりの貯蔵物は残ったが、ワード・オブ・ブレイクの聖戦が勃発した時にはほとんど忘れられていたのだった。



プレイング・マンティス作戦 OPERATION PRAYING MANTIS

 クラウディウス・シュタイナーは、(彼らがもたらす栄光と虐殺は別として)LCAFの作戦に興味を示さなかったが、フガイ・クリタがニューカレドニアで第4親衛隊を撃破し、捕虜となったライラ士官たちのビデオを送って挑発すると、クラウディウスでさえも行動に移ったのである。彼はLICに対し、フガイ・クリタとヨグチ大統領に対する作戦の実行を命じた。

 大統領に対する攻撃はプレイング・マンティス作戦と名付けられ、今では伝説のディープカバーエージェント、スノウファイアが関与した。この作戦には数多の謎と偽情報がつきまとっているが、成功したことについてはよく知られている。2850年12月12日、スノウファイアは大統領を斬殺し、第4親衛隊の記章を死体の上に置いてから自害した。この攻撃は、即座にドラコ連合の反応を引き起こした。新大統領、ミヨギ・クリタはヘスペラスIIへの攻撃を命令した(第八次ヘスペラス争奪戦)が、聖戦の直前に発見された証拠によると、この作戦の責任はLICにのみあるわけではないことが示唆されている。自由世界同盟のSAFE情報局がプレイングマンティス作戦をいくらか助けたようなのだ。ライラに責任を負わせて、FWLMによる国境沿いの強襲からライラ軍部・諜報部の気をそらしたのである。

 LICのフガイ・クリタ暗殺はそれほどうまくいかなかった。フガイは重傷を負い、7ヶ月昏睡状態にあったが、LICのエージェントたちは撃退された。昏睡状態にあったことから、フガイは父の後を継ぐことなく、叔父が継いだ。フガイは2852年に前線復帰し、残った人生をライラ国への復讐に費やした。彼は2860年クレラーで戦死した。彼の弟、タラギ(父が暗殺したときわずか20歳だった)が2890年、DCMSとISFの長い内戦が終わった後にミヨギの後継者となった。

 ――『トリガーズ』、ロビンソンプレス刊、3103年発行



ティショミンゴ: 近すぎるがそれでもまだ遠い TISHOMINGO: SO CLOSE AND YET SO FAR

 2849年、ダヴィオンのティショミンゴに対する攻勢は、ピーター・ダヴィオン上級元帥がAFFS最高司令官となって以来指揮してきた作戦とほとんど変わらないものだった。MIIOの報告によると、ティショミンゴには第4〈光の剣〉連隊が駐屯しており、かなりのISFがいたことから、作戦に参加した戦力はほかの強襲よりも大規模なものだった。ダヴィオンの4個バトルメック連隊と16個支援連隊がティショミンゴに上陸して、狂信的な防衛部隊を撃退し、一ヶ月強で惑星の支配権を得た。侵攻部隊の大半は他の任務に回され、平定と防衛には1個メック連隊と6個通常連隊が残された。地元の抵抗はダヴィオン情報部が予想していたよりも大きかったが、駐屯部隊の手に余るほどではなかった。

 彼らがこの時点で知らなかったのは、ヨグチ・クリタ大統領が直々に抵抗活動を監督していたことにある。彼は2月に第4〈光の剣〉とともに到着し、ダヴィオンの強襲によって閉じ込められてしまったのである。ピーターがこれに早く気づいていたら、ドラコ連合の指導者が獄につながれるまでは、惑星上のAFFSの戦力が減らされることはなかったろうが、この諜報の失敗により大統領は自由を得たのである。ISFの工作員、コードネーム・カゲ(日本語のシャドウ)に扮装したヨグチは、ダヴィオンの占領に対する効果的な抵抗を実施し、2849年8月になってようやく国王と上級元帥はカゲの正体を知ったのである。兵士たちは即座にティショミンゴへと戻されたが、カゲの正体を明かしたリークは大統領が生きていることを妹のロウィーナ(ルシエンで摂政を務めていた)に知らせることにもなったのである。兄を救出するため、大統領代理は4個連隊を送り、ヨグチが脱出できるだけダヴィオンを押しとどめた。もし、このとき大統領がダヴィオンの手に落ちていたら、マイケルが模索していた両国間の政治的協定は大いにありえたかもしれない。そうはならず、戦士にして大統領の狡猾さに関する逸話と、憎きダヴィオンに対する成功によって、龍の決意は高められたのだった。彼が主星に帰った最初の夜に、暗殺者スノウファイアの剣にかかって死んだことは、伝説をさらに強いものとするのみだった。ISFを通じてすでに強くなっていたロウィーナの影響力は拡大し始め、ドラコ連合内の政治情勢はますます不穏なものとなった。

 ――『影の戦争の起源』、ペシュトプレス刊、3128年発行



ハイランダーの埋葬 HIGHLANDER BURIAL

 ダヴィオンはリャオ=クリタ薄層への拡大を行ったことで、ドラコ連合に集中するだけでなく、カペラ大連邦国との直接的な紛争に戻ることとなった。ローレリ・リャオに奪われた世界はダヴィオンの目標であり、また国王と上級元帥はリャオの日和見主義を罰さずにはいられなかった。ダヴィオンは争点になってる世界を攻撃することはなく、大連邦国にとって失われたら打撃になる世界を選んだ。

 ノースウィンド。2768年、大連邦国に占領され、傭兵6個連隊の本拠地となっているこの惑星は、リャオの元地球帝国地域防衛のくさびであった。ノースウィンド・ハイランダーズ部隊の大半は大連邦国中で働いており、ノースウィンド自体にはいつも1〜2個連隊が残ってるだけであった。ダヴィオンの情報によると、スチュアートハイランダーズと第3カーニーハイランダーズが惑星上にいて、後者は大規模な修理と改装の最中だったことから、AFFS最高司令部はノースウィンドに向かう決断を下した。この作戦は繊細なものにはならなかった……ダヴィオン強襲近衛隊がAFFSのバトルメック4個連隊の先鋒に立ったのである。ハイランダーズは大きな数的劣勢に立たされ、第3カーニーが定数を満たしていなかったことから、結果は疑うべくもなかった。

 最初の衝突は通常のジャンプポイントで発生した。巨体のダヴィオン戦艦2隻に同行したAFFSの戦闘機と降下船が素早く発進し、ハイランダーズの航宙艦を無力化、拿捕しようとした。この部分で彼らはほとんど失敗した――チャージ不足でジャンプできなかった航宙艦2隻のみが行動不能となった――のだが、AFFSの戦闘機は残りの艦隊(巨大なモノリス級〈スピリット・オブ・エジンバラ〉、スターロード級〈クイーン・アン〉など)を追い払った。戦艦はす自らの獲物に襲いかかった。CCAFは戦艦3隻をこの星系に置いていたのだが、これら小型の艦には勝ち目がなかった。そのうち1隻、CCS〈メイチョウ〉は轟沈し、残った2隻はシーアンに逃げ帰った。この喪失によって、氏族侵攻後のサン=ツー・リャオの時代まで、大連邦国海軍の野望は潰えたのだった。

 近宇宙を確保すると、AFFSは巨大な衛星グラスゴーに足場を確保し、それからノースウィンド自体への上陸を開始した。ダヴィオンの上陸はニューラナークのケアンゴームズ山脈山麓で行われ、強襲近衛隊とパートナーの第33アヴァロン装甲機兵隊が、スチュアート・ハイランダーズの調査をはねのけた。強襲近衛隊がハイランダーズを激しく押す一方で、アヴァロン装甲機兵隊がカペラ陣地の側面を突いて、撤退に追い込んだ。ダヴィオン側の1個連隊、ブルスター・イレギュラーズの第21辺境世界連隊が離脱して、クロマーティ・シティ(現在のタラ)を強襲した。第21は守る第3カーニーを叩き、中央行政庁舎地区(地元ではキャッスルと呼ばれている元SLDF施設群含む)を確保した。第3カーニーの残存戦力は都市から退却して、スチュアート・ハイランダーズと合流しようとしたが、ダヴィオンの3個連隊に挟まれて粉砕されたのみであった。1個中隊だけが死地を脱してスチュアート・ハイランダーズと合流し、彼らの陣地は少しだけましな状況だったのを知った。ハイランダーズにとってはあいにくにも、AFFSは彼らをケアンゴームズ山脈の南山脚に囲い入れ、ここで狭い渓谷はダヴィオンの数的優位を無効化したが、逃げる道もなかった。最終的に数と重量が勝ち、ダヴィオンが勝者となったのである。

 両ハイランダー連隊は滅び去り、わずかな生存者たちは惑星外の収容所へと送られた。ダヴィオンが兵士たちと民間人に残虐行為を行ったという誇張された話が、すぐにも大連邦国内のハイランダー連隊に伝わった。ハイランダーズの隊員たちは、ダヴィオン侵攻軍を罰するため、即座にノースウィンドに戻って集団強襲を仕掛けることを求めたが、リャオ首相は拒否し、彼らの怒りをダヴィオン、マーリックとの戦闘にぶつけることを選んだ。それが大連邦国のためになる。ハイランダーズはそれに従い、第四次継承権戦争で故郷に帰還するまでダヴィオン家に対する憎しみを抱き続けた。

 ――『継承権戦争の傭兵』Vol. VII、ゴールデンタイガープレス刊、3089年発行



第六次、第七次、第八次ヘスペラス戦 THE SIXTH, SEVENTH, AND EIGHTH BATTLES OF HESPERUS

 数ヶ月にわたって続いた、2853年のクリタによるヘスペラスII強襲は、第二次継承権戦争におけるライラ共和国の重要な瞬間だったとよく言及される。この強襲をヨグチ大統領が殺されたことの報復だとする説は人気があるが、作戦の規模と幅の広い攻勢から考えると、計画に長い年月をかけた可能性が高い。3052年のルシエンの戦い後に見つかった文章が示唆するところでは、ヨグチ自身がティショミンゴで罠にかかる前にヘスペラス攻撃の土台を作り、ティショミンゴから脱出したことで2853〜2854年の攻勢が作戦に移されたということになっている。大統領の死後、DCMS最高司令部は計画を調整したが、龍の名誉を満たすためにこの攻撃が重要になったからそうしたというだけである。こうした経緯により、シュタイナー兵への同情が見られることはなくなった……ミヨギ新大統領は彼らをブラクミン(あるいはエタ、「穢れた」階級)であると宣言し、従って非人道的に扱ったのである。戦時捕虜を虐待するようになったのは、名誉勅令(Dictum Honorium)による敵兵士殺害(戦闘中であれ降伏後であれ)の布告と歩調を合わせることになった。

 2853年4月9日に始まったヘスペラスII強襲は、共和国にノックアウトの一発を叩き込むのを意図しており、とどまることを知らない軍隊がシュタイナー家の士気と戦争遂行能力を粉砕する予定になっていた。六ヶ月以内に終わると予期されていたこの戦役は、ライラ国家を降伏に追い込み、DCMSは全兵力を真の敵である恒星連邦に向けられるようになるはずだった。ライラ兵はすでにメグレス周辺へのマーリックの新攻勢と交戦していたことから、抵抗はほとんどないと予期されていた。強襲の最初は主に海戦であった……強襲降下船、気圏戦闘機、ドラコ戦艦艦隊の生き残りが軌道防衛を撃破し、LCAFの援軍を防ぐために惑星を封鎖する。作戦のこの段階は問題なく進み、大規模なDCA小艦隊群がライラの哨戒線を突破した。この再充填ステーションと軌道近くの小競り合いで、艦船40隻以上と戦闘機100機以上が失われた。DCAは1ダース以下の降下船を失い(歩兵輸送船は損害なし)、戦闘機の損失は20機以下だった。クリタ軍が軌道を完全に支配すると、ヘスペラスに送られたLCAFの偵察隊、援軍はすべてドラコ戦艦の哨戒線に阻止された。

 当初、ドラコ連合は強引に上陸せず、次の20週間を惑星封鎖に費やし、防衛しているライラ3個連隊を弱体化させた。DCMSはライラの陣地に一連の電撃的襲撃と航空攻撃を仕掛け、反応を強要し、貴重な物資を浪費させた。8月後半までに、LCAFの陣地は絶望的な状況となり、士気は揺らぎ、連合軍の指揮官ススム・フジワラ大将はこれを作戦の最後の段階を始めるサインと見た。8個連隊が大規模な上陸作戦を始め、橋頭堡と要塞群を確立した。ライラの砦から遠く離れた上陸は、南ウィットマン大陸の人口が薄い地域で行われた。これによってドラコ兵は陣地を確保し、LCAFはさらなる資源を使ってクリタの占領と戦うことを強いられた。9月中に、DCMSは惑星の統治地域を拡大し、残忍な交戦の連続でライラ防衛軍をゆっくりと倒していった。クリタ家は前線から兵士をローテーションする余裕があったが、シュタイナー家はそうではなかった。10月後半までに、第10スカイア特戦隊と第9アークトゥルス防衛軍は崩壊し、LCAFのほぼ全防衛部隊が征服された。ついに防衛機能を失ったデフヘス工場群に動いたDCMSは勝利を味わうことができるはずだった。

 洞窟内の施設から突如として数十機のシュタイナーメックが出現し、降伏を拒否してクリタ兵を愕然とさせた。ドラコ連合の指揮官は、この大隊規模の寄せ集め(労働者と老人が乗る塗装されてないメックからなる)は、鍛えられた連合の兵士に勝つ見込みはないと考えた。この「最後の戦力」(アイヴァー・ブリューワー男爵指揮)は、その残忍さと決意によってDCMSを驚かせた。この臨時部隊は、奇襲効果によって戦力を倍増させ、クリタの経験豊かな戦士たちを倒し始めたが、最初こそ強襲にたじろいだもののDCMSの応射はすさまじい代償を与えた。この大隊はすみやかに撃退され、DCMSは工場に向かって押し返した。

 ヘスペラスの包囲中、LCAFは手をこまねいていたわけではなかった。封鎖を突破する試みが繰り返され、たいていはクリタの哨戒艦に撃破された。ごく少数の度胸がある者たちがパイレーツポイントを通って到着し、軌道近くに向かったが、守る戦闘機、降下船、戦艦の殻を割ることが出来なかった。8月前半、LCAFは資源の浪費をやめる決断を下し(星系の外縁部に監視船数隻を配置したが)、難局を打破する別の道を探し求めた。

 それは三頭政治のメンバーであるヘンリー・ドカリドレから出てきた……頭の上に解決手段が浮かんでいると指摘したのである。古びた戦闘巡洋艦LCS〈インヴィンシブル〉はターカッド近くの天頂ジャンプポイントで配置を守っていた。モスボール状態だったが、この戦艦はまだ稼働するのだ。乗員を揃えるのは難題であった……大型艦の経験があるライラの宇宙飛行士たちはすでに引退しており、彼ら白髪のベテランたちが呼び戻され、他の船やライラ海軍養成校からの乗組員がそこに加わった。この寄せ集めたちは9月中と10月の前半に訓練を行い、10月の半ばにはクリタの封鎖を突破する作戦を実施するのに充分だと見なされた。次の4週間で、この古い船はヘスペラスIIの近くにジャンプし、援軍の艦によって戦力が強化された。

 〈インヴィンシブル〉がヘスペラスにジャンプしたのは10月25日のことで、「最後の戦力」がDCMS兵と交戦した直後のことだった。それまでやってきた敵艦をいたぶってきたDCAの船は、サメの前のミノウのように逃げ惑った。DCAの戦艦2隻、ヴィジラント級DCS〈ヴィルム〉とバロン級DCS〈エド〉は稼働不能となったが、クリタの戦艦4隻と気圏戦闘機・降下船の群れが残った。残ったDCAに妨害を受けたが、ライラの戦艦はヘスペラスIIに最大戦速で加速した。このきつい加速に若い乗組員は苦しみ、ベテランたちは言うまでもなかった。クリタ艦は〈インヴィンシブル〉に全神経を傾けるなか、ライラの救援艦隊はドラコ連合の戦線を押し通り、「最後の戦力」が崩壊したちょうどそのときに上陸作戦を開始した。志願兵たちは工場群の中に逃げ去り、クリタ兵(ライラが大陸半分向こうに到着したことにぼんやり気づいていただけだった)は目標を完了する準備を行った。

 それから空がかき混ぜられ、レーザー砲が軌道から突き刺さった。いまだDCA小艦隊(大半が生き残らなかった)の残りと交戦中だったLCS〈インヴィンシブル〉は、大気圏ギリギリを飛んで、連合の陣地を撃ったのである。天からの砲撃で数百名が死亡し、生き残ったのはすでにDefHesの施設内に入っていた者たちだった。DCMS兵は、突然の援軍の到着に勇気づけられた「最後の戦力」というハンマーと、〈インヴィンシブル〉の砲撃の雨という金床の間に囚われたのである。クリタ軍の大半は犠牲となったが、その前にDefHesの生産ラインの一つに大きな損傷を与えていた。

 戦闘は3週間、LCAFの援軍がDefHes工場群から押し出すまで続いた。11月半ば、大統領は作戦を失敗と見なし、残った戦力に撤退を命じた。龍は作戦に関わったメック、車両、輸送船のうち半分と、残った6隻の戦艦すべてを失った。ライラにとってはあいにくにも、〈インヴィンシブル〉もターカッドに戻る途中のミスジャンプでその仲間に入った。この巨大船は2世紀にわたって行方不明となり、3067年、聖戦が勃発した際に再び姿を見せたのだった。

 共和国は安堵のため息をついた……シュタイナー家はクリタの死の一撃を交わして、DefHesへの損害は1年以内に修理出来るものだった。だが、犠牲は大きいものだった。90パーセント以上の装備と、人員の70パーセント以上が失われ、第10スカイア特戦隊と第9アークトゥルス防衛軍は再建するには損害が大きすぎると見なされ、生存者は他部隊に転属となった。「最後の戦力」の戦士40名のうち、5名だけが戦闘終結時に生き残ったが、志願者たち全員の勇気が認められていた。この寄せ集め部隊は、ドラゴンスレイヤーズリボンを授与され、志願者全員と〈インヴィンシブル〉の乗組員は「名誉ある行方不明」の名簿に載せられた。ブリューワー男爵は共和国名誉勲章を授与され、ヘスペラス公爵に昇爵した。ヘスペラスIIの人民はスカイア名誉勲章を授与され、ひとつの惑星が受勲した唯一の例となった。


新しい最古の職業

 星間連盟の時代、国軍でない軍事部隊は疑いの目で見られ、存在こそしていたものの大半は小規模で地元の警備任務に限られていた。アマリスのクーデターとその後、数多の軍事部隊が崩壊し、生き残りの多くは最も高い値を付けたものにサービスを売ることを選んだ。中心領域に残った相当数の元SLDF部隊が継承国家に加わるより似たような傭兵の道を選び、第一次継承権戦争の開始時点では比較的数が少なかったが、継承国家の作戦にとって重要となり、コムスターが業務を規制するようになった。2789年、コムスターは傭兵審査委員会を立ち上げた。

 第一次、第二次継承権戦争は継承国家の軍隊に打撃を与え、生産能力が大幅に減少するのに伴い、各政府は民間契約業者を雇って戦力を強化するようになった。第二次継承権戦争が終わるまでに、傭兵部隊は少数の部隊があるというのではなく、継承国家の軍隊のうち20%を占めるようになった。

 ――『継承権戦争の傭兵たち』第一巻、ゴールデンタイガープレス刊、3089年発行






最後の一息(2860〜2863年) THE LAST GASPS (2860 - 2863)

 大王家の軍隊すべてが大規模な疲労の色を見せ始め、崩壊の間際にあったものの、2860年代前半に、不安定な停戦へとなだれ込む前の最後の鬨の声が上がった。クリタ家はライラ共和国への襲撃を続け、サハリンとクレラーを占領した一方、シュタイナーは最近のマーリックによる攻勢への逆襲を行い、2860年後半、メグレズを奪還した。同年、マーリックも傭兵を使いデュドネを叩いて攻撃を続けた。

 恒星連邦=ドラコ連合の前線は停滞し、どちらも侵攻・解放任務のために大規模な作戦をしたがらなかった。彼らは襲撃と逆襲撃のパターンに陥り、そのあいだ傷をなめて未来の作戦に備えた。カペラ大連邦国はそれほど幸運でなく、マイケル・ダヴィオン国王はリャオの世界に対する激しい作戦を命じた。ウィンターガーデン作戦である。この決断は恒星連邦の攻勢の破壊力を証明しかけたが、またも運命が介入した。

 ピーター・ダヴィオン最上級元帥が強襲の指揮を直接とり、アサラとレッドフィールドの間の世界に注視した。目標になった世界の多くが、第二次継承権戦争の初期にAFFSの襲撃を受けていたが、今回は惑星を奪って、我が物にするのが意図されていた。あいにくながら、CCAFは継承権戦争の厳しさの中で教訓を学んでおり、また領土が縮んだのもあって戦争の初期よりも危機に対して素早く反応することが可能となったのである。リャオの防衛計画、ジェイドキャッスル作戦は、ダヴィオン軍にとってうれしくない驚きとなり、最上級元帥にとっては特にそうだった。キャマルへの上陸作戦の際、ピーター・ダヴィオンの乗った降下船は撃ち落とされ、生き残ったものの、数十年前に学んだ逃走・脱出の教訓をうまく活かさねばならなかったのである。

 指揮官を失ってたじろぐAFFS兵は、息を吹き返したCCAFに叩かれた。リー、ベル、アオシアに対する攻勢は放棄され、他の強襲は遅れた。さらにダヴィオン最高司令部に衝撃を与えたのは、リャオ軍が10月半ばにダニエルズとアルシオーネを奪還したことである。この戦術的逆襲によって、作戦のリムワード端が危機にさらされた。2つの世界を奪還するため、ダヴィオン家は強襲作戦用だった兵士たちを投入せざるを得なくなり、それは2861年の半ばに果たされたのだった。

 カペラにとっては残念なことに、彼らの幸運は続かず、国家指導者の危機を味わうことになった。2860年10月19日、逆襲が成功したと聞いてから1日もしないうちに、ローレリ・リャオ首相は発作を起こし、11日後にこの世を去った。彼女の虚弱で無能な弟、デインマーが新たな首相となり、キャマルの放棄を命じた。ジェイドキャッスルは大連邦国を救ったかもしれないが、2861年7月5日、メリッサ・ダヴィオン大佐(マイケル国王の長女)率いる勇敢なセントアイヴス襲撃が、首相を殺すあと一歩のところまで迫り、ダヴィオン強襲近衛隊による宮殿破壊をかろうじて逃れたのである。リャオはすぐさまニューアヴァロンに使者を送り、交渉条件を求めた。リャオの反応に驚いたが、運がどれほどまで通じるか見たかったマイケル・ダヴィオンは、攻勢を終える条件は第一次・第二次継承権戦争の際に恒星連邦が奪った惑星(ウィンターガーデン作戦の16個だけでなく)が公式に恒星連邦の一部になったことをシーアン政府が承認することとした。2862年1月、デインマー・リャオは受け入れ、どの点から見てもカペラ大連邦国と恒星連邦の間の第二次継承権戦争は終結した。デインマーが降伏の屈辱に長く耐えることはなかった。第三次継承権戦争の前夜、彼は辞職して22歳の息子オットーに席を譲り、一年後、自ら死を選んだのであった。

 政治的なクーデターであったが、ウィンターガーデン作戦の帰結は、恒星連邦にとって最初考えられていたよりもあまり有益ではなかった。この作戦で得た世界の多くはよく言っても生産性がなく、作戦からわずか18ヶ月後には経済の崩壊と強制移住の組み合わせによって、6の世界が公式に放棄された。AFFSはこれらの世界が使われないことを確実にするため監視し続け、キーやラカドンのような一部は展開地点として使われた。だが、第三次継承権戦争までには、大半が失われ、忘れられたのである。

 同じく2861年、軍事主義的なジェラルド・マーリックの死によって、シュタイナー=マーリック前線の停戦の希望が生まれ、後継者のフィリッパは外交的な解決を模索するようになった。戦闘は続けられ、メグレズは2862年に再び所有者を変え、破壊されたイリオンはFWLMによって解放された。そのあいだ、両陣営は互いの工業地区を襲撃した。2863年、事実上の停戦が執行され(公式に条約が結ばれることはなかった)、またマーリック総帥はカペラ国境での活動をやめる命令を軍に出したのである。

 ドラコ連合の戦争は、大げさな言動ではなく、むしろ安堵のため息と共に終わった。士気と規律の崩壊はDCMSの土台を崩す恐れがあり、大統領は将軍たちの要請を受けて、2862年10月19日、攻勢作戦の終結を命じた。2863年末までに、隣国との戦闘は終了した。

 第二次継承権戦争最後の大きな交戦は、3個連隊(第3ドネガル防衛軍、ステルス、第23ヨーク正規隊)によるサハリン奪還であった。LCAF最高司令部はDCMSが消極的に動いたのを利用しようとしたが、守備隊はそれでも粘り強く戦い、撃破される前にライラ軍に相当なダメージを与えた。ヨーク正規隊は戦力の半分を失い、戦闘可能になるまで12年の再建を要し、その後の第三次継承権戦争で悲劇に見舞われた。ステルスもまた大きな損害を被ったが、再建されることはなく、部隊は解散し、生存者たちは惑星ツリーラインに領地を授与された。この惑星は指揮官の名前を取って、ウィンフィールドと改名された。








破壊の遺産 LEGACY OF DESTRUCTION


敗者たち THE LOSERS

 第一次継承権戦争と同じように、第二次は戦闘員がもうこれ以上戦えなくなったときになって止まった。そこに勝者はなく、数多の敗者がいた。宇宙の国境はどこも少しだけ動いたが、戦前(そしてエグゾダス前)とたいした違いはなかった。軍隊はそれを支える経済インフラと一緒に縮小し、補充用の装備を生産する能力は消滅した。技術の損失に伴い、不安定だった多くの世界が崩壊し、放棄されるか、歴史から忘れられた。

 リャオ家は疑いようもなく最悪の犠牲を払った。コムスターの通信停止の際に、自由世界同盟からかなりの領土を得たものの、戦争が終わるまでにCCAFが保持できたのは5つのみで、さらに13を失った(ほとどがアンドゥリエン公国のものだった)。この前線は悪く見えるが、恒星連邦の国境は災害だった。初期に利益を得ようとしたものの、戦争が終わるまでにリャオ軍は新しい世界を占領できず、ダヴィオン家のシステマチックな強襲の前に40以上を失った。あわせて、カペラ大連邦国は51を失ったのである。

 マーリック家は他に領地を失った唯一の国となったが、多く(FWLM最高司令部含む)を驚かせた通り、世界を2つ手放しただけだった。LCAFとCCAの手による初期の敗北の規模を考えると、レコンキスタにかけた労力は大変なものだったようで、資源がなかったにも関わらずFWLMは力を取り戻したのである。

 シュタイナー家は第二次継承権戦争のスタート時と同じ惑星数で戦争を終えた……例外は戦争中に「死んだ」世界である。だが、現実はもっと複雑なものだった。共和国はドラコ連合相手に純損失を出した(大半はタマラー協定)が、スカイア沿いの国境で小規模な領土を得て、自由世界同盟からは限られた領土を得た。

 クリタ家は両前線の勝ち負けの複雑なパターンの中で、合計13個の世界を得た。大きかったのはライラ前線で、19個を得て、9個を失った。恒星連邦に対しては、14個の世界を得たが、特に連合=大連邦国の軸で11個を失った。だが、連合はロビンソンを手にしており、ダヴィオンにとっては我慢がならなかった。

 ダヴィオン家は第二継承権戦争の勝者に近い存在である。ドラコ連合相手には差し引きで3つの世界(主にロビンソン突出部)を失い、地球回廊で領土を得たものの、恒星連邦はカペラ前線に襲いかかったのである。リャオ家のチェスタートン占領をはねのけたのみならず、脆弱なディメーター突出部が安全になり、国境すべてが約30光年分向こうに前進した。リャオ家から43の世界を得て、恒星連邦は差し引き40個の世界獲得で戦争を終えた。だが、これはロビンソンを失ったことで色あせ、AFFSは汚名返上することを望んでいた。

 この時期に失われたと伝えられる世界――あるいは発見された世界、書類に残されない世界――は考慮に入っていない。それぞれの政府が隠蔽したものである。これらの中で最も有名なのは、ワード・オブ・ブレイク(古くはコムスター)のいわゆる「隠されし5つ」である。このうち2つは現代に至ってもまだ発見されていない。


必然的な帰結 Inevitable Consequences

 第二次継承権戦争は2863年に集結したが、その影響は長引き、各大王家は大きな内部・外部の挑戦に直面した。航宙艦の不足により、恒星間交易を再開する努力はくじかれたものの、中には徴用した船を返還した軍もあった。

 ヨグチ・クリタの時代からクリタ宮廷には緊張が走った。妹のロウィーナが、大統領に軽視されていると感じたISFの職員と同盟を結んだのである。ロウィーナは内心で、弟のミヨギでなく自分が殺された兄の後継者になるべきだと感じていた。結局のところ、弟が戦場にいる間、彼女は摂政としてドラコ連合を率いた。第二次継承権戦争中は内部の調和が必要だったことからISFとロウィーナは抑えられたが、見せかけの平和が樹立されるとすぐに血で血を洗う戦争が始まった。影の戦争として知られるこの紛争では、ISFのロウィーナ派とミヨギ派が互いに戦った。数千人のメツケが死亡し――公式には合計1500人が死んだが、防諜と情報収集能力を混乱に落とし入れた。ロウィーナがDCMSを味方に引き入れようとすると、ようやく紛争は終わった。内部の対立で生じた災厄に近いものをごまかすため、ドラコ連合はそれしかない解決策を選んだ……戦争を再開するのである。

 影の戦争後にドラコ連合が弱体化しているのを見て取ったのは、AFFSだけでなく、ライラ共和国もだった。ISFの注意がそらされているのを利用して、クリタ領土内、特にラサルハグ管区での情報収集活動と商業活動を拡大した。外国に弱みを利用されていると気づくと、ドラコ連合は心底怒った。DCMSは恒星連邦を叩くのではなく共和国に教訓を与えることとし、2866年、一連の攻撃が第三次継承権戦争を開始させた。LCAFはこの挑戦に応じる準備が出来ていなかった。

 恒星連邦も短い一休みを再建に使った。マイケル国王は平和を望んだが、資源をAFFSの再建につぎ込んだ。ドラコ連合の国内問題を知った一定数のAFFS上級士官たちが、龍の弱みにつけ込むため、迅速な戦争の再開を提唱した。マイケルはドラコ連合への直接的な攻撃の許可を出さなかったが、MIIOが情報収集と再建の妨害を目的にした一連の作戦を実行出来るようにした。これは、マイケルの息子カールを中心にした軍事秘密結社の面々にとっては充分でなく、すぐにもクーデターの実行を考えた。カールの叔父、ピーター・ダヴィオン最上級元帥は、この指名後継者を説得し、攻撃を始めるには早すぎることを指摘した――AFFSは戦争を再開する前に休養・再武装の時間が必要なのである。ドラコ連合が共和国を攻撃すると、マイケルとピーターはその時間が来たことを知ったのだった。

 一方でカペラ大連邦国は危機に瀕していた。デインマー・リャオの首相就任は災害的であった――彼は意志が弱く神経過敏で、この方面で第二次継承権戦争を終わらせたダヴィオン家との条約など多数の早まった決断を下した。ジェイドキャッスル作戦の防衛準備はある程度の助けとなったが、戦争の可能性が現実的になりつつあるなか、デインマーが玉座から降りたり、大連邦国がデインマーの指導の下で生き残ることはなさそうに見えた。共和区知事たちの一部は首相を退かせる算段をし、CCAFの一部から支持を受けたが、そうするのは裏切りに他ならず、リスクを取りたがる者はほとんどいなかった。最終的に、首相の息子、オットーが父に提案を行った。最初、首相は権力の座から降りるのに抵抗したが、父より遙かに優秀なオットーは、権力の委譲が大連邦国の生き残る最高のチャンスになるという説得力のある言い分を並べた。デインマーは黙って従い、2866年に退位した。22歳でオットーはカペラ大連邦国の第24代首相となり、彼の計画を制定した。彼はCCAFを傭兵で強化しようと考え、強硬な契約交渉を行い、ジェイドキャッスルを「弾力的防衛」と呼ばれることになる柔軟な防衛戦略に置き換えた。これによりCCAFは敵の脅威に対し素早く効果的な対処が可能となった。


二人の士官の物語: ラージフ・サレヴァニとタラギ・クリタ

 影の戦争は、主にロウィーナ・クリタとミヨギ・クリタの対立であったが、ふたりのドラコ連合士官の関与なしに広がっていくことはなかった。ISFのラージフ・サレヴァニとDCMSのタラギ・クリタである。

 サレヴァニはクリタの愛国者であり、ドラコ連合の目に見えた宿命、中心領域を支配する宿命を信じていた。メツケの一員として、彼はISFをDCMSに隷属させるという大統領の意思に反対した局員たちを許すことがなかった。サレヴァニは同僚たちと争い、2860年代前半には組織内の不忠者たちに対する秘密の戦役を開始した。当初、ISFの指導者たちは不運に見舞われたか、あるいは他の諜報部の仕業と思ったが、ISFが自身との戦争をしていることはすぐにも明らかとなった。はっきりとした前線は存在せず、戦いは影の中で行われた。サレヴァニ率いる大統領支持者と、マルコム・カツヨリ指揮するロウィーナ派の戦いである。忠誠心がわずかに疑われた者たちですら殺されるようになると、パラノイアがエージェントの中に蔓延した。噂と当てこすりが弾や刃よりも危険なものと化したのである。

 初期の段階において、タラギ・クリタは影の戦争に直接的に関わったわけではなかった。DCMSで勤務するこの若き士官は、レイ・ヨシダ将軍の幕僚であり、クリタの名前を帯びていたにも関わらず、政治的闘争の重要人物とは見なされていなかった。ロウィーナ派の工作員がDCMSの一部を支配しようとした際、仲介に乗り出したタラギについて、まともに考えた者はいなかった。タラギはロウィーナとの会合の席を設けたが、ロウィーナは一笑に付し、おまえに差し出せるものはなにもないと言った。彼はミヨギに似たような提案をして、失うもののなかった大統領はこの若者の条件を受けた……もし彼が最高司令部を支持するのなら、DCMS内での昇進を約束したのである。彼の切り札は、膨れあがるクリタ一族の一員というだけではなかった。ヨグチ・クリタの末っ子なのである。ヨグチはタラギを母の言いなりになった陰謀家と嘲笑い、大統領は弟のミヨギを後継者に指名していた。タラギの立場は最高司令部において重大なウェイトを占め、一時間にわたる情熱的なスピーチで叔父の美徳を賞賛し、伯母の欠点を指摘すると、最高司令部の面々は大統領への支持を誓った。忠誠派がロウィーナ支持者を鎮圧する軍部を助けると、DCMSはISFに立ち向かった。数週間以内に紛争は終わり、ロウィーナの支持基盤は解体され、タラギは叔父の側近の一人となった。20年以上、彼は権力基盤を拡大し、システマチックに従兄弟たちを弱らせていった。ミヨギが2885年に暗殺されると、タラギが地位を引き継いだ。

 それでサレヴァニはどうなったのか? 不正と権力乱用の噂は2870年代、サレヴァニにつきまとった。2873年、彼は辞職し、セップクした。タラギがライバルの没落に関わってるかは証明されなかったが、そうだと広く信じられている。

 ――ヴァネッサ・リア・ノイマン、DCMS記録保管チーム、3091年



戦争再開 WAR RESUMED

 第三次継承権戦争は2866年、ROMがドラコ連合の影の戦争に関する情報をリークしたことに促されて始まったが、おそらくコムスター教団の介入がなくとも避けられないものだったろう。継承国家群は第一次、第二次戦のような残忍な数十年単位の紛争を予想していたが、現実には〈戦い〉の時代に似たものとなった。第三次継承権戦争は大きな戦役は比較的少なかったが、膨大な小規模な作戦と襲撃が発生し、160年も続いた消耗戦に発展したのである。








第二次継承権戦争の人物(2830〜2864年) WAR RESUMED


ザブ・クリタ ZABU KURITA
階級/地位: ドラコ連合大統領(2837年〜2838年)
生年: 2757年3月2日〜2838年7月23日

 クリタ一族の大半と同じように、ザブ・クリタはDCMSに入隊し、前線で勤務した。彼は優秀な行政官で指導者であることを証明してみせたが、戦略・戦術面はたいしたことがなかった。彼は最高司令部で昇進することはなく、第一次継承権戦争の後半を兵站部門のトップとして過ごした。本好きのザブにはこれがよくあっており、兄は最終的に彼を人民再建運動(PRE)の長に選んだ。

 部下たちとともに、ザブはドラコ連合の知識とインフラの維持をめざし、龍の健康を保った。それによってドラコ連合は敵と戦うことが出来たのである。彼の目標課題(ドーヴァーでのPREアカデミー創設が有名)は全面的に人気というわけではなく、DCMSとISFの権威主義者たちからの激しい抵抗に遭遇した。それでもザブは大統領の弟であり、計画を全面的に邪魔することなどはできず、ザブのアカデミーが持っていた知識はミネソタトライブで有用だと証明されたのだった。

 ジンジロー・クリタが少しずつ狂気に陥っていくのは別の問題であった。普通であれば、ザブがもっと早く権力の座についたはずだが、軍部からの強い抵抗があった。それにも関わらず、2830年代までに、病気の大統領の代わりに日々の決断を下すようになっていた。2837年前半、ジンジローがついに完全な狂気に陥ると、ザブは公式に大統領として認められた――それは軍事指導者たちにとって容認できぬものであった。

 2838年6月23日、フェデリック・コゾーマ大将が大統領に謁見し、最高司令部が指導者を信用してないと表明した――特に2839年分の軍事予算を4パーセント削減してからは。DCMSとISFの反乱に屈するよりはと、大統領は自害する道を選んだ。ザブの後を継いだのは、長男のヨグチだった。


ヨグチ・クリタ YOGUCHI KURITA
階級/地位: ドラコ連合大統領(2838年〜2850年)
生年: 2790年2月23日〜2850年12月12日

 父とは違って、ヨグチは本職の軍人であり、大統領になってからも戦場にあることを強く主張した。この望みは幾度か彼の生命を奪うところであった……最も有名な例は2849年に、ティショミンゴでAFFSが彼を罠にかけて殺そうとしかけたことである。彼のリーダーシップと勇敢さはDCMSで賞賛・尊敬され、彼はクリタに求められる美徳をすべて体現したと感じた。だが、彼は政治の分野ではそれほど熟達しておらず、ISFをDCMSに従属させようとしてISFを怒らせた。この選択は、彼の治世にとどまらず、後に禍根を残す結果となった。。妹であるロウィーナが政治的空白に踏み込んで、自分の権力基盤を作り上げた。

 ヨグチの人生に個人的な悲劇がなかったわけではなかった――彼の長男(名前は同じヨグチ)が2833年不運で死亡したのである。ヨグチは残った息子のどちらもドラコ連合にはふさわしくないと見なした。フガイは悪意に満ちた底意地の悪い社会病質者で、もう一人のタラギは病弱(メックにも気圏戦闘機にも乗れない病状だった)で母のような陰謀家だった。ヨグチはどちらも後継者にしないことを明言し、弟のミヨギを後継者として指名した。

 権利を剥奪された息子たちと妹のロウィーナが、ヨグチの殺人に関わってるのか、決して証明されることはないだろう。しかしながら、ドラコ連合内の特定の勢力、特にISFがかかわり、2850年、ライラの工作員スノウファイアによる大統領惨殺を許したということはありそうである。スノウファイアの行動は、表向き、フガイがニューカレドニアでLCAFの第4親衛隊を殲滅したことの復讐であった。


ロウィーナ・クリタ ROWEENA KURITA
階級/地位: 人民再建運動(PRE)主席
生年: 2794年11月9日〜2905年6月4日

 シリワン・マカリスター=クリタ(26世紀から27世紀にかけて3回大統領の職を務めた)が先駆者的な役割を果たしたにもかかわらず、ロウィーナ・クリタは昇進を阻むガラスの天井にぶつかった。兄ヨグチの作戦中、摂政を務めたのだが、子供たちが信頼できないとされたとき、彼女は繰り返し後継者として見過ごされたのである。その名誉は彼女でなく弟のミヨギに向かった。

 強情で知的な若き女性の中に宿ったフラストレーションは、PREの領分を越えて影響力を増すという企てにつながった。2842年、彼女はISFと同盟を結んだのである。ISF長官のマルコム・カツヨリと恋人になったと噂する者もあれば、彼女の興味は別の方向にあるとした者もあった。

 第二次継承権戦争の終結時にISFが派閥化し始めると、あるグループはロウィーナを支持し、もうひとつのグループは兄の大統領を支持した。続く影の戦争は急速にエスカレートし、DCMSが大統領の側について、ISFの内部を掃除した。

 ロウィーナは残りの人生を自宅軟禁で過ごしたが、2870年代後半、ミヨギは彼女を虜囚の身から解放することを選んだ。不注意にも、彼は別の悲劇を呼んでしまったのである。ミヨギが長い間信頼してきたタラギ・クリタは、ミヨギの息子で後継者のジョンに追いやられた。窮地に立たされたタラギは伯母に助言を求め、ロウィーナはアドバイスといまだ忠誠を誓うISFの一派に紹介した。結果はジョン・クリタの処刑と大統領の殺害で、タラギは菊の王座へと向かう道が開かれた。ロウィーナは彼女自身が龍になることはなく、その背後の権力となり、最期の日々に名状しがたい権力を振るった。


マイケル・ダヴィオン MICHAEL DAVION
階級/地位: 恒星連邦国王(2842年〜2873年)
生年: 2804年10月21日〜2873年5月17日

 学者にして、政治家で、外交官のマイケル・ダヴィオンは、父ポールの生き写しであった。エリザベス・シュタイナーのように、彼は平和を望み、国家主席の停戦案を好意的に見た。失敗したにもかかわらず、「平和国王」は恒星連邦を新たな紛争の外に置こうとし、実戦に入ろうとする最高司令部に抵抗した。2880年代、軍事秘密結社がマイケルの政策に対するクーデターを計画し、叔父のピーター・ダヴィオンに思いとどまるよう説得された。だが第三次継承権戦争に入るのに抵抗すると、似たような反応を誘発した……このときは息子のカールによるものだった。またもピーター上級元帥が状況を落ち着かせた。いよいよそのときが来ると、マイケル国王はついにドラコ連合への攻勢に着手し、ピーター・ダヴィオンの有能な指導がAFFSを前に進めた(最も有名なのはペンドラゴン作戦)。マイケルは叔父の4年近く前に死亡し、国家をうぬぼれ屋の息子、カールの手に短期間残したのだった。


ピーター・ダヴィオン PETER DAVION
階級/地位: 恒星連邦上級元帥(2843年〜2876年)
生年: 2786年6月30日〜2877年1月9日

 ポールダヴィオンの弟、ピーター公爵は本職の軍事士官であったが、国王とは違い、軍事的手腕を知性と深い戦略的思考に混ぜ合わせている。2843年、甥のマイケルによって上級元帥に任命された彼は、AFFSの数多の戦役における企画者となった。彼はまた国王に対する内部的な脅威を阻止して、有能な政治活動家であることを証明した。

 ピーターの技量はティショミンゴでヨグチ・クリタを殺しかけ、カペラ前線でデインマー・リャオの弱点をつくのを助けた。彼はマイケル国王に対して常に忠実であったが、影の戦争の後、ドラコ連合がシュタイナー家を攻撃した際には、彼でさえもマイケルに行動を促したのである。国王は叔父の助言を受け入れ、ペンタゴン作戦がAFFSの戦列復帰を布告したのである。

 ピーターは2873年に甥が死んだことを悲しんだが、大甥のカールに仕え続け、2876年前半に引退した。ピーターが死んだのは、またもカール国王が死んだのを嘆いた一年後のことであった。








テクニカルリードアウト


TDR-5L/5LS サンダーボルト TDR-5L/5LS THUNDERBOLT
重量: 65 トン
シャーシ: アースワークスTDR
パワープラント: マグナ260
巡航速度: 43 キロメートル/時
最高速度: 64 キロメートル/時
ジャンプジェット: なし
 ジャンプ能力: なし
装甲板: レイアーソン150
武装:
 ディヴァース・オプティクス・サンビーム長射程大口径レーザー 1門
 ディヴァース・オプティクスタイプ18中口径レーザー 3門
 スターフラッシュプラス小口径レーザー 2門
5L派生型
 デルタダート長距離ミサイル15(アルテミスIV FCS) 1門
 ホバーテック・ストリークSRM-2ポッド
5LS派生型
 デルタダート長距離ミサイル15 1門
 バイカル短距離ミサイルツインラック 1門
製造元: アースワークス・リミテッド
 主工場: チコノフ
通信システム: Neil 8000
照準・追尾システム: RCAインスタトラック・マークX


 サンダーボルトは2491年、中心領域の戦場に突入したが、初期型の原始的な技術はすぐにより高度なものに取って代わられた。チコノフのアースワークス工場はすぐさま生産上限に達し、生産工場はカペラの国境を越えて自由世界同盟、ライラ共和国宙域に及んだのだが、サンダーボルトは常にカペラ大連邦国のメックと見なされてきた。CCAFは強襲戦力の主柱として、タフで打撃力のあるサンダーボルトに頼り切りである。第二次継承権戦争の初期、いわゆる「ロスト・サンダーボルト」が戦場に現れた。この派生型が戦争を生き残ることはなかったが、短い生涯で大きなインパクトを残したのであった。



性能
 戦争という緊急事態によって、アースワークス社は星間連盟時代の設計仕様を変更せねばならなかった。2823年、TDR-5Lは-5SbのERPPCをER大口径レーザーに換装した。第二次継承権戦争で重要な工場が失われ、カペラは戦力を維持するために、損傷したサンダーボルトをダウングレードする戦地改修キットを出さねばならなかった(高度な部品はもう生産できなかった)。これらのキットによって、サンダーボルトはTDR-5LSの型番で公式化される派生型に改造された。2850年までに、チコノフのアースワークス工場は-5LSだけを生産し、TDR-5Lは歴史に消えていった。メック戦士たちは、-5LSの命中精度が低いミサイルと熱管理問題について不平を並べた。これらの苦情は29世紀の後半に反響し、先進のレーザーとストリークミサイルが中心領域から消えると、-5LSも-5Lと同じ歴史のスクラップの山に消えていった。



配備
 「サンダーボルトとライトニング」「サンダーボルトが地上を震わせる」「ランサーズとランサーズが戦う」といった言葉は、2828年に行われたチェスタートンの戦いを表現している。第7チコノフ槍機兵団のサンダーボルトがチェスタートンシティへの突撃を敢行すると、第4南十字星部隊のライトニング戦闘機がこのサンダーボルトを捉えた。メックの重装甲はこの嵐を受け止めたが、反撃によって航空攻撃を思いとどまらせることはできなかった。サンダーボルト中隊群が遮蔽を探そうとすると、地上攻撃はつまづいた――そして南十字星部隊の反撃が本格的に始まった。チェスタートンの「グレート・ウォー・ストーム」の中で、ダヴィオンのサンダーボルトはリャオのサンダーボルトと直面した。化学兵器の投入によって、通常戦力が戦場から退却したあと、両陣営のサンダーボルト(塗装と記章は危険な化学兵器によって剥げ落ちた)は、弾薬を使い果たすと、残虐な殴り合いの乱闘を繰り広げた。カペラの-5Lはダヴィオンの-5Sを凌駕し、南十字星部隊が崩壊の間際にあったそのとき、ダヴィオン強襲近衛隊がチェスタートンに到着した。カペラは退却を余儀なくされたが、新型サンダーボルトの価値は証明されたのだった。

 ラ・グエラ・デ・ケソ(チーズ戦争)とは、2847年に海賊がイリューシンを襲撃した後でつけられた嘲笑的な名称である。海賊には目標に関する諜報が欠けていたようだ……彼らはパストゥルの穏やかな丘陵地帯にある警備厳重な工場から戦闘用機材の入手をもくろんでいたが、実際にあったのは無数のラックで熟成されていた大量のチーズであった。惑星の防衛部隊が近づいてきたので、海賊たちは出来る限りのチーズを詰め込んで逃亡を図り、偽装されたファンデンベルグ機械工場の横を通り過ぎていった。海賊のサンダーボルトは、敵のコクピットを粉砕するの向いた強力な拳で、チーズ入りの巨大な袋を容易に運んだ。このいわゆるマエストロス・デ・ケソ(チーズの巨匠)海賊団は、強大なチーズ産業に相当なダメージを与え、チーズ産業は輸出をすべて停止することで報復を行った。辺境の海賊グループは盗人たちを追い詰め抹殺することで応じた。辺境で活動している最後のTDR-5Lは、10ヶ月後、マエストロス・デ・ケソとの最後の戦闘で破壊された。乗っていたメック戦士は惨めな襲撃の恥辱を逃れるため、わざと殺されたなどとも言われる。



著名な機体
アントワネット"ファイアブランド"ラファージ大尉: アントワネット・ラファージ大尉は、オンフロイ・ラファージ少佐の六人娘の長女であり、姉妹全員が第7アンドゥリエン軽機兵隊で勤務している。アントワネットは、第六次アンドゥリエン争奪戦でサンダーボルト1個小隊(父の大隊の第3中隊)を指揮した後、大尉に昇進した。サディ"キャッツポウ"ラ・フォンテイン大尉が、到着した第3マーリック国民軍に殺された後、彼女は一人で中隊を救った。アントワネットはパニックに陥った他2個小隊のメック戦士たち――アントワネットの鋼鉄の意志のおかげで自分の小隊員がそうなることはなかった――を集結させ、敵が大隊の戦線を突破するのを妨げたのである。彼女はリャオサンバースト武勲章を授与され、大隊指揮官として父を引き継ぐまで中隊を指揮した。








BLR-1D バトルマスター BLR-1D BATTLEMASTER
重量: 85 トン
シャーシ: ホリス・マークX
パワープラント: VOX340
巡航速度: 43 キロメートル/時
最高速度: 64 キロメートル/時
ジャンプジェット: なし
 ジャンプ能力: なし
装甲板: スターガードIV
武装:
 ドーナルPPC 1門
 マーテル中口径レーザー 4門
 スプレイブローニング・マシンガン 2門
製造元: 戦地改修
 主工場: なし
通信システム: ハートフォードコー COM 4000
照準・追尾システム: ハートフォードコー XKZ 1


 バトルマスターは歴史上最も成功した強襲バトルメックと見なされている。ホリス工業がこの「星間連盟が配備してきたなかで最大かつ最強のメック」の製造を始めた。ホリス社の生産工場群は第一次継承権戦争のさなかに破壊されてしまったが、バトルマスターの高品質によって、試練の時を生き残ることが出来た。一部の新型メックは、より巨大で、より多くの兵器を積んでいるが、バトルマスターは敵のバトルメックと戦った際の生存性で名高いのだ。バトルマスターに正面切っての戦いを挑む愚かなメック戦士はほとんどいない。最終的に、他の工場がバトルマスターを作り始めたが、大量のホリス製が数世紀にわたって現役で残っている。ダヴィオン家はバトルマスターの生産能力がなかったので、技術者たちは稼働機の寿命を延ばす道を探さねばならなかった。バトルマスターが重い損傷を負い、修理され、戦場に戻ってくるにつれ、ダヴィオン仕様の1D派生型が第二次継承権戦争の後半に姿を現し始めた。この派生型は評判が良かったことから、恒星連邦のバトルマスターほぼすべてが1Dに改造され、第三次継承権戦争の始まりまでにはありふれた存在となったのだった。



性能
 バトルマスターの重兵装は、レーザー砲群を中心に作られる。PPCがこのメックの主砲と呼ばれることもあるが、遠くから近づく時に使われるだけのものである。近距離に入ったバトルマスターは真に恐るべき存在である。レーザーがピンポイントの精度で目標を吹き飛ばすのだ。分厚い装甲がバトルマスターの頭部からつま先までを覆い、あらゆるタイプの砲撃をほとんど通さない。ダヴィオン型はSRMラックを外して、装甲と放熱器を追加し、すでに有名な耐久性をさらに増やしている。このメックは低速なことから、密集した市街地では歩兵がバトルマスターに群がることで知られている――2門のマシンガンはこの習慣を思いとどまらせる。ダヴィオン改造型は背面の中口径レーザーも取り去っているが、これについて苦情を言うメック戦士はほとんどいない。彼らは目の前の敵と戦うことを好むからだ。



配備
 第2アヴァロン装甲機兵隊は、第二次継承権戦争の初期にカペラ前線で損失を被ったことから、抜本的な再建段階へと突入した。各中隊は招集を行い、連隊に再編入されるまえに訓練へと送られた。このような訓練任務の最中、アーノルド・シンプソン大尉は、中隊を移動させている時に正体不明の襲撃部隊を探知した。この部隊、グリフ装甲機兵隊の1個中隊が、第2アヴァロンに切り込み、新兵メック戦士3人を最初の突進で倒した。シンプソン大尉は残ったメック戦士を自身の横に集め、迫り来る強襲に立ちはだかった。事態は悪化した……カペラは簡単に見極め、鈍足で経験に欠けるアヴァロン装甲機兵隊を撃破していったのである。最終的に、シンプソン大尉だけが残った。グリフ装甲機兵隊は完全な勝利と共に退却し、シンプソン機は足が遅すぎて追撃することが出来なかった。シンプソン大尉は軍事法廷にかけられ、降格処分となった。彼が現役でいられたのは、戦争という危急の事態にあったことのみによってだった。

 2845年、ある無名の海賊団がほとんどコミカルな形で消滅した。第3ダヴィオン近衛隊のアンドリュー・ステフェンズ大佐が、通常部隊の損失を補充するため、キルボーン養成校候補生の面接をしていた。海賊団が養成校の財産の襲撃を試みたのはこの瞬間であった。ステフェンズ大佐はバトルメックに乗って麾下の小隊を率い、候補生たちが負けじと追従して第3近衛隊に価値を証明するよう促した。次の4時間は、候補生の戦車小隊群、歩兵中隊群が、海賊団を強襲メックのほうに押し出したり、逃げるメック小隊を撃破したりだった。キルボーン卒業生が優秀な戦果を残したおかげで、ステフェンズ大佐は第3近衛隊の空いた穴をこの日すべて埋めた。ステフェンズ大佐のバトルマスターはほとんと傷つかなかった。海賊団は頑丈な装甲に圧倒されて、意味のある攻撃が出来なかったのだった。



著名な機体
ゾランダ・デュガン中佐: デュガン中佐は2860年、ダヴィオン強襲近衛隊第4大隊指揮官に昇進し、2861年にセイントアイヴスを強襲した際には進撃する近衛隊の右翼を担った。紅色近衛隊はデインマー・リャオを守り、断固たる強力な逆襲を実施し、ダヴィオンの前進を止めるために命をなげうった。紅色近衛隊の1個メック小隊が強襲近衛隊の指揮官、メリッサ・ダヴィオン大佐に迫ると、最初に反応したのはデュガン中佐だった。彼女は大隊指揮小隊を率いて、強襲メックによる恐るべき騎兵突撃を行った。引き換えに、彼女は戦死したが、紅色近衛隊の2人を道連れにした。その犠牲に対し彼女は恒星連邦星章、折剣旗、恒星連邦名誉勲章を死後受章した。彼女の頭部のないバトルマスターは修理され、1D型に改造され、第三次継承権戦争では姪にあたるザラ・デュガンが乗った。




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