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作成:2015/12/13
更新:2016/07/31

リベレーション・オブ・テラ LIBERATION OF TERRA



 2766年、辺境世界共和国のステファン・アマリスが、星間連盟第一君主リチャード・キャメロンを弑逆し、皇帝を僭称しました。人類史上最大の戦いであるアマリス内戦の始まりです。
 このとき、星間連盟防衛軍と最高司令官アレクサンドル・ケレンスキーは、地球から遠く離れた辺境での反乱鎮圧任務についており、即座の報復は難しい状況にありました。そこでケレンスキーは、辺境をぐるりと移動し、アマリスの本土である辺境世界共和国を制圧するという方策をとります。これは、辺境世界共和国の施設や補給を使って、疲弊した部隊を回復させるためでした。
 すべての準備が完了した2772年、地球解放への進撃、チーフテン作戦が始まります。






人物


星間連盟


アレクサンドル・ケレンスキー
階級/地位:第八代SLDF総司令官(2738〜2810年)、タスクフォース・コンフェデレーション指揮官
生存:2700年12月16日〜2801年6月11日

 アレクサンドル・セルゲイヴィッチ・ケレンスキーは、ニコライ・マキシモヴィッチ・ケレンスキー(モスクワの人民歴史博物館主席キュレーター)とアンナ・トロンシャン・ケレンスキー(モスクワ市行政官)のあいだに生まれた。この二人は共に、SLDFの元軍人であった。幼年期のアレクサンドルは、先天性の心臓疾患にさいなまれ、3歳のときに診断と外科的処置を受けた後でも、病気がちで病弱であった。5歳のときに心臓病から回復したにもかかわらず、平均より小柄でやせっぽちだった。彼はまた引っ込み思案で上品であり、読書好きから歴史と文学への情熱に目覚めた――どちらも両親から熱心に勧められたものだった。

 突出した学業の成績により大学を選ぶことのできたケレンスキーは、星間連盟奨学金を受けて、2718年、ターカッド大学に入学した。ここで彼は、教授を目指していた研究フェロー、未来のライラ国家主席たるマイケル・シュタイナーと出会い、友誼を結んだ(二人は終生の友となる)。卒業に先立ち、SLDFはケレンスキーにナーゲルリンク軍事養成校の2723年のクラスに入らないかと勧誘した。肉体、精神、心理テストによって、メック戦士としての才能が見つかったのだ。彼はつかの間決断に苦しんだ……家族と友人たちが、SLDFへの勤務は、彼が望んでいた国家への奉仕のまたとない機会になるであろうと指摘するまでは。

 ケレンスキーは優等でナーゲルリンクを卒業し、メック戦士のクラスで非常にいい成績を収めたことから、すぐさま火星軍事養成校のガンスリンガープログラムに受け入れられた。2724年、彼はドラコ連合の世界パリで第564軽機兵連隊のデュエリスト代表となり、第一次秘匿戦争の末期にはDCMSのメック戦士と相当数の決闘を行った。3年以内に、彼は中尉に昇進して、1個メック小隊を指揮し、リーダーシップの才を発揮して、すぐさま大尉に昇進した。2729年、彼の所属する連隊は、4年にわたるダヴィオン家・クリタ家間のダヴィオン継承権戦争(第二次秘匿戦争)に対するスムーザー作戦に参加した。最初の戦闘指揮となるロイヤルの世界において、ケレンスキーは本当に輝いた。軽機兵連隊が第2〈光の剣〉に蹂躙され、連隊の指揮幕僚が降下船の墜落で全滅するなか、ケレンスキー大尉は連隊を結集し、親部隊の第160バトルメック師団からの援軍がやってくるまで激しく戦って、クリタのエリートメック戦士を押しとどめたのである。英雄的行為と、最悪の環境下での冷静なリーダーシップによって、ケレンスキーは名誉勲章を授与され、大佐に二段飛ばしで昇進した。

 ロイヤル戦の直後、ケレンスキーは第261親衛竜機兵団独立連隊の指揮を任され、タウラス連合に配備された。ケレンスキーはすぐに新しい種類の戦争の中にいることを認識した。このときは、政治的腐敗と企業の強欲との戦いである。ここでもまた彼は名をあげた……中心領域の辺境虐待を終わらせるべく痛烈な戦いぶりを見せたからだ。彼の行動は長らく辺境の人々を食い物にしてきた政治家とビジネスマンを怒らせた。彼らは超道義的なケレンスキーを買収することができず、この大いに尊敬されている(拡大解釈すると大いに守られている)SLDF指揮官を直接動かすこともできなかった。よって彼らは政治的な仲間のところに赴いた。その一部であったカペラ首相ワレックス・リャオが、ケレンスキー大佐を新たに昇進させた首謀者だった。報道による「腐敗を撲滅する勇気あるキャンペーン」の波に乗って、31歳のケレンスキーは地球に戻り、准将として計画戦略部門に配属されたのだった。

 敵による工作のおかげで、ケレンスキーはSLDF最高司令部と星間連盟宮廷の多くから注目を浴びたが、その中でも誰より重要であったのは、第一君主ジョナサン・キャメロンの息子、サイモン・キャメロンと、SLDF総司令官レベッカ・フェトラドラルである。前者との友好によって、ケレンスキーは定期的にユニティシティへと足を運び、ここでかつてシャイだった彼が味方を得る能力を磨いた一方で、後者は若く将来有望なケレンスキーのメンターにしてアドバイザーとなった。わずか2年後に、ケレンスキーは再び昇進して、フェトラドラルの副参謀長として少将になった。ここで彼はトラブルシューターとなり、再び腐敗に狙いを定めたが、このときは遙かに壮大なスケールで行ったのだ。2736年の衛生兵スキャンダルによって彼のキャリアは終わりかけた……名声を利用してメディアで星間連盟評議会を攻撃したときのことである。評議会はケレンスキーと捜査員たちが集めた証拠に基づいて行動しなかったのだ。彼が軍法会議にかけられたりその他の処罰を受けるのを妨げたのは、世論の後押しがあったからだった。彼はフェトラドラルの副参謀長を解任され、懲戒を受けた――事実上の軽い処分だった――のだが、すぐに親衛部隊に異動となった。ここで彼は中将に昇進するまで、わずか数ヶ月勤務しただけだった。

 彼がこの地位にあったのは2年以下であった。そのあいだ、数多の上級士官たちを追い抜いてスピード昇進したにもかかわらず、衝突を回避し、純粋に多くの友人を得ていた。ジョナサン・キャメロンが2736年に死亡し、フェトラドラル将軍が引退すると、全SLDFを率いるに足る唯一の士官としてケレンスキーが推挙された。サイモン・キャメロン現第一君主は、二つ返事で同意し、批准するよう星間連盟評議会をすぐに説得した(マイケル・シュタイナー国家主席とリチャード・ダヴィオン国王の支援を受けていた。ダヴィオン国王はわずか数年前にドラコ連合とのあいだで見せた勇猛な戦いぶりを覚えていたようだ)。

 こうして、至上最も若く、最長の任期を務めることになる(そして言うまでもなく最後の)SLDF最高司令官が誕生した。就任直後から、彼は改革者としての名を確立した。腐敗との戦いを続けたのみならず、SLDFの肥大化し非効率的な官僚機構をターゲットとしたのである。だが、彼は細かいところに自分で口出しするタイプではなかった……計画の実行を幕僚に任せる一方、すべてのSLDF部隊、基地、施設を訪問するのを目標とし、訪問した兵士と士官たちの忠誠をはぐくんだのである。2751年にサイモン・キャメロンが悲劇的な死を迎えた後、星間連盟評議会はケレンスキーを第一君主リチャード・キャメロンの摂政とし、同時に最高司令官辞任を拒否した。ケレンスキーは摂政の任を見事にこなし、旧友の代わりに星間連盟政府を動かしたが、SLS〈マッケナズ・プライド〉で日常的に宇宙航路を移動し続け、第三次秘匿戦争と高まる辺境の緊張のさなかに平和を保ったのだった。むろんのこと、地球を数ヶ月にわたって離れていたことで若きリチャード・キャメロンにロールモデルを示すことができず、ステファン・アマリスがクーデターを計画・実行する道を切り開いてしまった。

 それにも関わらず、ケレンスキーは人生の後半に家族のための時間を見つけたのだった。彼は20年前に未来の妻カチューシャと出会っていたが(当時はシタデルに配属された若き幕僚だった)、二人の関係が始まったのは彼女がSLDFを除隊してからだったようだ。彼は2760年代の前半に、珍しく長い時間を何度もとって、2763年、カチューシャと結婚した。結婚式は身内だけの小規模なものだった。二人の子供に恵まれた(2764年にニコラス、2766年にアンドリュー)ケレンスキー家は、アレクサンドルの故郷モスクワで本名を隠して暮らした――この慎重な選択によって、アマリスの長きにわたる地球占領のあいだ、カチューシャと子供たちの命は守られたのである。






アーロン・ドシェヴィラー
階級/地位: SLDF副司令官、タスクフォース・サン指揮官
生存:2714年10月13日〜2801年3月15日

 恒星連邦のケストレルで生まれたアーロン・ドシェヴィラーは、ダヴィオン継承権戦争の直後に人格形成期を迎えた。SLDFが颯爽と現れ、ドラコ侵攻軍を撃破するのを見た彼はSLDFに入隊すると決意した。当初、志望していた星間連盟の軍学校から入学許可を得られなかった彼は、恒星連邦のサハラ養成校に入学し、一年過ごしたあとで、成績がずば抜けてよかったことから、アルビオン軍養成校の候補団に席を得たのである。新しい学校に入ったがゆえに、彼は一年生をもう一度繰り返さないとならなかったのだが、ドシェヴィラーはよい成績を残し、メック戦士としての資格を簡単に得た。勤務一年目が終わるまでに、彼の連隊はマーシャル・オリンピックで最高の栄養を得た。個人として二番のスコアを出した彼は中尉に昇進し、ガンスリンガー・クラスに入った。

 次の10年で、ドシェヴィラーは第320竜機兵団連隊の中隊長、大隊長に昇進し、それから第3843戦闘連隊を指揮して、第三次秘匿戦争で中心領域、辺境の支援する「盗賊」と戦い、激しい戦闘の中に身を置いた。この戦闘任務での素晴らしい戦果を鑑みて……とりわけ、困難かつストレスの溜まる海賊討伐任務の中で高い士気を保ったことから、ドシェヴィラーは准将に昇進し、地球のシタデル(最高司令本部)への転属となった。だが、それは彼の憎む参謀としての勤務であり、わずか1年で前線復帰を成し遂げた。このときは、第149バトルメック師団指揮官の補佐という立場であり、1年後に指揮官の座に上った。

 彼は第149師団の指揮官として4年間をすごし、第一君主サイモン・キャメロンの死後に起きた混乱の中で部隊を指導した。その後、地球帝国を守る3個軍団のひとつ、第XXI軍団の指揮を打診された。アレクサンドル・ケレンスキーがドシェヴィラーに本当に注目したのはこの任務の際である。両者は2736年の軍事オリンピックの後に出会い、シタデルでの任務の際に再会していた。ケレンスキーはドシェヴィラーを優れた戦術家であり、比類ないオーガナイザーにしてモチベーターだと見ていた。その上、忠実で、献身的で、非の打ち所のない人間だったのである。この瞬間から、二人の士官のキャリアはリンクし、2758年、ケレンスキーがドシェヴィラーを中将に昇進させて第1軍の指揮官とした後には、深い友情で結ばれた。わずかに2年後、ケレンスキーはドシェヴィラーを正規軍長官に昇進させ、SLDFに属する数百万の兵士、パイロット、メック戦士の訓練と士気向上の任を与えた。

 辺境が公然とした反乱を起こすと、ドシェヴィラーは最後の昇進を受けた――SLDF副司令官である。ここで彼はSLDFの戦争準備すべてに対する責を負った。辺境蜂起の間、彼はケレンスキーに続いて戦場に入り、軍を指揮・鼓舞した。この過程で、ドシェヴィラーはケレンスキーのように家族を地球に残してきていた……妻のシンシアと3人の子供、ジュリア(2749年生まれ)、ベンジャミン(2750年生まれ)、クリスティーナ(2760年生まれ)は、アマリスのエージェントたちがクーデター後にキャメロン一族を捜索していた際に、ユニティシティから引きずりだされて、殺された。年長の子供2名(共にSLDF士官)は戦死した。ロジャー・ドシェヴィラー少佐(2739年生まれ)はルーシャンで第199バトルメック師団の大半と共に死亡し、アンジェラ・ドシェヴィラー=バナチェク大佐(2738年生まれ)は第5軍が地球帝国に入った際、タリッサで死亡した。






ジョアン・ブラント
階級/地位:SLDF海軍中将、タスクフォース・コモンウェルス指揮官
生存: 2712年8月26日〜2799年3月16日

 アウトリーチの子供として、ジョアン・ブラントは途方もないスペクタクルを最前線で観戦した……マーシャル・オリンピックとこの世界で実施された数多の訓練演習、模擬戦役である。幼少期から、ドッグファイトの空に弧を描く弾丸は彼女の心を捉え、できる限り早くから操縦方法を学ぶことにしたのである。グラハム飛行学校に入学するまでに、彼女は1000時間近い飛行時間を記録し、1ダース以上の航空宇宙資格を得ており、級友たちよりもずっと先にいた。成績はかろうじて平均だったので、最初の配属先を自分で選べるクラスのトップに立つことはなかった。

 彼女は、第1RCTの一部である第75軽機連隊に配属された――これは名誉なことと考えられている。なぜなら、RCTは戦闘任務で実証された記録を持つ経験豊かなパイロットしか登用しないからだ。残念ながら、彼女のプライドとエゴはここでのキャリアを終わらせかけた。明白に並外れたパイロットだったのだが、地上支援作戦――第75のような独立連隊に配属されたパイロットにとっては日常――を価値のないものと感じたのである。彼女がSLDFに入隊したのは、敵戦闘機を撃墜する最高のパイロットになるためであり、ほとんど動かないような地上の目標に爆弾を落とすためではなかったのだ。彼女の態度は勤務成績の低下につながり、昇進を止められ、つまらない飛行任務を与えられ、初年度に第10軍内部でたらい回しにされたのだった。

 2739年、偶然の出会いが同時に彼女の飛行士としてのキャリアを終わらせかけ、高見に押し上げた。ニューオリンピアでの一日二回の輸送任務を任された彼女は、シャトルで認可されてない戦闘機動を行っていた。「ターゲット」にするのは、そのあたりにあるなんでもだ。このとき彼女は定期パトロール中の自由世界同盟の戦闘機を選んで、一連の回避機動で頑固に追跡し、シャトルのパイロットがしようとはしない急激な再突入ダイブを行った。彼女の心にあったのは、2機の目標を「撃墜」して、それから目標に向かうことだった――直後に彼女は「無謀で、危険で、無認可のスタント飛行」という2名のFWLパイロットからの報告を突きつけられ、上官からの処分が下されるまで任務を外された。3日後、彼女は軍法会議ではなく、第7艦隊の連合航空宇宙部隊指揮官ルシアン・ピーターソン海軍少将に直面した。ピーターソンはSLS〈ゴールデン・ハインド〉の艦橋から彼女の快挙を目撃しており、2名のFWL戦闘機パイロットを明白に負かしたシャトルのパイロットに会おうと決意したのだ。

 その週が終わるまでに、彼女は第7艦隊で最高のパイロットたちとの激しい模擬戦闘を繰り広げた後、SLS〈ゴールデン・ハインド〉の第711艦隊迎撃航空中隊に転属となった。ここから彼女の星は輝いていった……第三次秘匿戦争によって、彼女がどんなパイロットなのかを見せつけるチャンスが与えられ、2741年、50回の勝利を挙げ、彼女の航空中隊はこの年のSLDFで最多の海賊戦闘機撃墜を成し遂げたことから、ギアーソン飛行十字賞を獲得したのだ。2747年、彼女は海軍大佐に昇進して、73海軍航空大隊を受け持ち、3年後には海軍准将としてSLS〈アルハンゲリスク〉を指揮したのである。次の数年間、彼女は第7、第5艦隊で戦艦と戦闘機部隊の間を行き来し、2759年に第2艦隊の指揮を引き受けた。2762年、ケレンスキーは彼女を海軍司令長官に昇進させ、この職を辞したのは辺境蜂起鎮圧の際に海軍全体の指揮をとらないかと誘われたときだった。カノープス統一政体内ですべての戦闘作戦を監督した彼女は、チーフテン作戦における3つの作戦区域のひとつを任せるのに理想的な士官だった。

 戦後、彼女は夫のエリック・ピーターソン退役大佐(かつてのメンターの息子で、ディヴィッド・ピーターソン元総司令官の玄孫)とともにニューアースに引っ込み、アマリス内戦とそれ以前のSLDF(と彼女)の作戦行動をまとめる歴史的書物をいくつか執筆した。3人の子供の1人、カール・ピーターソンもまた、戦後、6名からなる家族と共に腰を落ち着けた。娘のアンドレア・ピーターソンはロックデールへの海軍強襲で負傷し、最終的に地球への最終強襲の前に傷がもとで死亡した。末っ子のデミトーリとその家族はケレンスキーのエグゾダスに同行した。






ヤノス・グレック
階級/地位:SLDF海軍中将、海軍司令部長官
生存:2705年10月19日〜2802年

 カペラ大連邦国のハイスパイアで生まれたヤノス・グレックは、子供のころに空と出会った。両親はともに、ホワイトスター・ギャラクティックの民間パイロットであり、ヤノスの子供のころの記憶は船上にいるか、父の組み立てたセイルプレーンを趣味で飛ばすというものであった。彼は高校でSLDFの航空訓練軍団に加わり、18歳の誕生日を迎えた直後、正式にSLDFに入隊した。彼はグラハム飛行学校に入学し、スムーザー作戦が始まったちょうどそのとき現役任務に入った。彼はロイヤルで第16バトルメック師団に戦闘航空哨戒を提供した。ここで彼はバトルメック部隊の若き大尉、アレクサンドルとの知己を得る。その後長く続くことになる関係の始まりである。

 2730年までに、グレックはSLS〈スキピオ〉の航空群を指揮しており、その前にはライラ共和国、自由世界同盟の国境で追撃戦隊(小艦隊)の海軍大佐として勤務していた。彼の記録は着実でまずまずという典型例であり、自分の手を動かすことで(空いた時間を使って自分のゴータをいじった)指揮下のパイロットと船員たちから敬意を勝ち取った。2745年、彼はカーヴァーVのビジネスウーマン、リディア・ヴァンスと結婚し、二人の娘、イザベルとカトリーンをもうけた。しかしながら、職業的な理由によって数ヶ月にわたって家を離れることになると(SLDFは大王家との平和をどうしても維持しようとしていた)、グレックの結婚生活は崩壊し始めた。離婚か家族かの選択を突きつけられた彼は、後者を選び、2751年に現役を退いて、ケイド艦隊学校で教職に就いた。

 十数年後――そして長年における飽食と気楽な生活でいささか体重の増した――グレックは「最後の奉公」で再び空に上がった。学術調査用の長期休暇を取り、辺境での平和維持活動を行う旧友のケレンスキーに同行したのである。ここで彼は予想以上の事態に直面することとなる……全面的な辺境暴動を直接目撃したのだ。アマリスのクーデターのニュースが届いたとき、彼はまだケレンスキーと共にいた。当初、彼は故郷に急いで戻って、リディアと子供たち(現在は十代半ば)に会おうとしたが、ケレンスキーは、アマリスが帝国中を占領し、SLDFの養成校の多数に戦略兵器が投入されたことを考えると無益であると指摘した。

 60代であるにも関わらず、グレックはSLDFでの勤務を志願し、ケレンスキーは彼を名誉昇進させかつての階級である海軍大佐で艦隊に組み入れた。ケレンスキーの幕僚として、「プロフェッサー」はすぐに同僚から敬意を勝ち取り、アポロに対するブラックバック襲撃を巧みに組織し、2年後、地球帝国の外周部を偵察する戦隊群の指揮官の一人として前線に戻った。2770年、第7艦隊を指揮した後、2772年、イグナシオ・ブレイクの病状が悪化して辞職を余儀なくされると、グレックは星間連盟海軍の指揮を受け継いだ。グレックはすぐにその価値と決意を証明し、次の数年にわたってSLDF海軍の戦略と開発(ナイキシステム含む)の多くを計画立案した。直接的に作戦を監督することは滅多になかったが、アマリスの陣地を叩くために海軍の火力と連続した爆撃任務を喜んで使ったことから、「グラインダー・グレック」の名で知られるようになった。

 SDSを巧みに回避したことで知られているのだが、彼の最も大きい挑戦は、地球強襲を計画することであった。被害は大きかったが、グレックの戦略は成功によって証明され、ケレンスキーと兵士たちが上陸し、簒奪に対する最後の戦いを開始することが可能になったのである。ケレンスキーの地球での作戦が完了するのを待つ一方で、グレックはケイドからの家族に関するニュースを探しており、ついに妻と娘が生き残ったと聞き及んだ。彼は家族を必死に探したが、事実によって打ちのめされた。リディアと娘たちは、占領を十数年間生き延びた後、キティマット市に居を構えた。不幸なことに、AEAFの戦略兵器が解放作戦の間に都市を狙い、生存者はほとんどいなかったのである。カトリーンは最終的に生きて発見されたが、父と再会する前に、父は深い鬱状態にあり、アルコールによって症状は悪化していた。2年かけて、彼女はぼろぼろになった父のリハビリに努めた。

 ケレンスキーのエグゾダスはグレックに新たな希望を与えた――戦争と喪失の記憶から逃れるチャンスである――娘と共に彼は新しい生活のために宇宙の遙か遠くへ旅だった。ペンタゴン・ワールドでの初期は、虐殺の日々の後で、大変であるが、やりがいのある仕事となった。テストの結果、グレックはSLDFからはじき出されたが、影響力は残り、惑星間輸送の大半を監督した。ケレンスキーがエデンで死ぬと、グレックは権力を追い求めた者の一員となった。ケレンスキー将軍の忠実なる支持者ではあったのだが、父を継ごうとするニコラス・ケレンスキーの宣言に反対した。新しい社会を動かすには若すぎて経験に欠けると考えたのである。彼は立候補し、それが拒否されると、自らの小さな国家を創設した。

 グレックの死因と日時は不明であるが、2802年後半のダグダ周辺の海戦である可能性が大きそうだ。カトリーン・グレックは、夫であるリカルド・マグナスと共にニコラス・ケレンスキーの亡命に同行した。息子のセルゲイはニコラスの800名に選ばれ、スノウレイヴン氏族の創設を助けたのだった。






ローレン・ヘイズ
階級/地位:少将、SLDF第151親衛バトルメック師団指揮官、コムスター装甲軍指揮官(2788年〜2815年)
生存:2731年12月27日〜2832年1月2日

 ライラ共和国とドラコ連合が共同で保有し、地球帝国によって管理される世界、エンガディンで生まれたローレン・ヘイズは、折衷主義的な子供時代を過ごした。混ざり合った国民性の中で育った彼女は、ドイツ語(ライラの母国語)、日本語(ドラコ連合の公用語)、地球標準英語を話した。このような共同管理世界の法規定では、子供が成年に達したら特定の国籍を選ぶことができたが、一部は大人になっても複数の国籍を保持した。ローレン・ヘイズは、似たような境遇で育った者たちと同じように、複数国籍を持った一人であり、多文化主義と星間連盟の忠実な支持者になった。

 運動能力と知性(学問的なものではないが)を鑑みれば、18歳の誕生日を迎えた直後、ローレンがSLDFに志願したのはたいした驚きではなく、すぐにメックの操縦とリーダーシップの才能を見せつけた。彼女は2754年に現役の任務につき、瞬く間に昇進していった。10年後、SLDFが辺境での戦争の準備をしていたそのとき、彼女は第151親衛バトルメック師団の筆頭部隊である第151親衛バトルメック連隊の副指揮官となっていた。紛争における混乱の中、第151親衛バトルメック連隊はカノープス方面作戦で打撃を受け、指揮官のレオナルド大佐がクリマリで死亡し、ローレンが連隊の指揮官代理になった。この地位は承認されることなく、代わりにチーフテン作戦の終了後のSLDF再組織において、彼女は師団の幕僚に昇進し、戦役の間、この役職にとどまった。

 2776年、地球強襲の前に、ケレンスキーは第151師団の司令官、ソー・トラッペンドルフ少将を第9軍の幕僚に据えた。トラッペンドルフは後任としてローレンを推薦し、すぐにSLDFは承認した。アマリス内戦の壮大な終幕の中で、ローレンは約8000名の兵士と支援要員を監督するという曖昧な名誉を得た。この部隊の1/3が、血塗られた戦役の中で死亡した。

 地球をかけた戦いにおいて、ローレン・ヘイズはインドで戦い、ニューデリーに向けて北進した。メキシコでは彼女の部隊がアリアーガ上陸の先陣を務めた。彼女はヒューストンを巡る戦いで重傷を負い、右腕を失った――この戦役の間、メックを操縦することができなくなったのだが、バトルマスターの復座型コクピットを使って前線から麾下の師団を指揮し続けた。戦後、彼女は腕を人工義肢に交換して、SLDFに勤務し続け、南アメリカのSLDF行政官となった。彼女の深手を負った師団は、ブエノスアイレスに駐屯した。

 その生まれが故に、星間連盟と地球帝国の忠実な支持者である彼女は、ケレンスキーと帝国内のSLDFにもっと活発に活動するよう何度もせっつき、エグゾダス計画の声高な反対者となった。彼女はケレンスキーが義務を投げ出したと信じ、エグゾダスに同行するのを拒否した。師団の大半は上官に従い、第151師団は中心領域に残りたがるSLDF兵の中心となった。これは、ケレンスキーにとって問題であった……彼はSLDFが大王家に使われるのを望まなかったのである。しかし妥協案はすぐに出た。ローレン・ヘイズは通信大臣ジェローム・ブレイクの指揮下に置いて、コムスターと呼ばれることになる組織の軍事力となったのである。

 ローレン・ヘイズはシルバー・シールド作戦の計画と実行において重要な役割を果たし、コムスターのために地球の支配権を奪い取った。公式には傭兵が実行したことになっているが、戦力2/3以上が元SLDFであり、装備は後で使うために地球にしまい込まれた。ローレン・ヘイズはコムスターの小規模な軍隊の長(3040年代に公開されたコムガード軍司教の前進的な役割)を続け、2815年、80代の半ばで引退した。2819年にブレイクが死亡した後、ハーマン・シュウェップスに率いられた反乱軍がローレン・ヘイズを現役に戻そうとしたが、彼女は拒絶し、その結果、コンラッド・トヤマの粛正を生き残ったのだった。2832年、101回目の誕生日を祝った直後、彼女はやすらかな眠りについた。






ジャック・ルーカス
階級/地位:SLDF中将、第3軍指揮官
生存:2725年11月25日〜2831年12月9日

 ジョン・ピーター・ルーカスIII世、あるいはジャック(終生そう呼ばれていた)は、ジョン・ピーター・ルーカス・ジュニア司教とメリッサ・セイヤーズ・ルーカスの6人の子供のうち3人目の子供として生まれた。彼と兄弟たちは、ネオ・イエズス会司教の厳格な環境の中で育った。父親はジャックと弟を司教にしようと育てたのだが、ジャックは星間連盟防衛軍で似たような厳しさのある人生を選んだ。彼はニューアース戦闘大学の2747年のクラスをトップ10パーセントの成績で卒業したが、ライラの世界ザニアーで生まれたことから――そして帝国生まれの父がジャックと兄弟たちを帝国国民とする書類仕事にうんざりしていたことから――ルーカス軍曹は親衛連隊への配属を却下されたのだった。

 メック戦士軍曹ルーカスは代わりに第326バトルメック師団でのキャリアを始めた。知的で積極的なこの若きメック戦士は、すぐ中尉に昇進し、有能で部下を鼓舞する士官(部下をいびるのではなく責務に挑戦する)として評価を高めた。SLDFが平和だった時期、アレクサンドル・ケレンスキーの指揮下にあっても、昇進のチャンスは少なかった。パースエイシブ・フォース機動演習の際に、少佐として第4軍の作戦士官を務めていたルーカスはアーロン・ドシェヴィラー将軍の目にとまり、以降、彼のキャリアから目を離すことはなかった。

 辺境蜂起が発生すると、ルーカスは第4軍の第202バトルメック師団、第253バトルメック連隊で指揮官を務めた。彼の連隊は、暴動を鎮圧するため辺境に配備された数百の連隊の一つであり、戦闘で崩壊した連隊の一つでもあった。第202師団の場合は、経験不足と指揮官の怠慢が原因であった。師団が壊滅してから数日以内に、ルーカス大佐は旅団指揮官の地位に上がり――第202師団の生き残ったわずか10個大隊を指揮する――それからドシェヴィラー自身の手で第255親衛機械化歩兵師団指揮官に昇進した。

 辺境蜂起はSLDFと特に上級指揮官たちにとって並外れて難しい任務であると証明された――指揮官たちの多くは、SLDFを打ち負かそうとするだけでなく殺そうとするような敵と星々にまたがる戦争をする準備が単純にできていなかったのである。ケレンスキーとドシェヴィラーは、基準を満たすのに失敗した軍団や指揮官たちに対して冷酷であるとSLDF指揮官たちの大勢から見なされたが、単にSLDFには怠慢、無能である将軍たちを戦場に置いておくだけの余裕がなかっただけなのだ。

 大半の指揮官たちが30年間にわたる平和な勤務を終えて准将で退役するところ、ルーカスは1年以内に大佐から中将に大きく昇進した。2766年半ば、ドシェヴィラーはルーカスを深刻な病状に陥ったスタンガー中将と交代で第3軍指揮官に昇進させた。彼よりも10年以上長く勤務している数多の士官たちを抜き去ったのである。それにも関わらず、ルーカスは完璧に第3軍の指揮を引き継ぎ、味方にできなかったライバルたちをいらだたせ、新しい部隊に新しいエネルギーを注ぎ込んだ。

 彼の指揮下で、第3軍はSLDFで最も積極的との評価を得た――彼らは敵の損害と捕虜を増やし、より早く目標を達成した。受けた損害は当初多く見えたが、早く戦役を終えたことから、従って全体的な損害は他のSLDF軍より少なくて済んだのである。奔放な攻撃性は、第3軍の十八番となり、12年以上にわたって続いた戦争で活躍したのだった。

 その一方、戦いの日々はルーカス中将にとってタフなものとなった。彼は自分自身を有能で動じないリーダーとして作り上げ、常に前線にいるように見せた。年を経ると、彼はますますストレスと疲労を感じるようになり、身体に変調を来すようになったと同時に、共和国の残虐性は彼を麻痺させ、敵を人間以下と思わせるようになったのである。ルーカスはたびたび捕虜の虐待に目をつぶり、実際に「あのろくでなしどもを殺す」よう兵士たちを奨励したのである。こうして捕虜たちが虐殺される事件が複数回起きるという不幸な結果がもたらされたのだった。

 これらの事実に加えて、「類人猿の犯罪者を甘やかす」やその他の物議を醸す発言がますます増えたことから、ドシェヴィラーはリベレーション作戦の最終段階で部隊指揮官を交代せざるを得なかった。ルーカスは回復期休暇とされたが、地球解放の直後に退役し、イラーイに居を構え、政治分野での新たなキャリアを始めた。すぐに知事に選ばれ、有り余る名声と魅力を利用して、世界の再建を手助けした。だが、継承権戦争がやってくると、戦争というものにうんざりするようになったのである。彼は最後に自分自身を変えて、60年前に避けたはずの人生に立ち返った。

 SLDF中将(退役)、ジョン・ピーター・ルーカスIII世牧師は、イラーイとノースウィンドで主任牧師として40年過ごした後、106歳で死亡した。






辺境世界共和国 / アマリス帝国


アンティロス・レゴス
階級/地位:将軍、グリーンヘヴン・ゲシュタポ指揮官、AEAF戦略作戦部長
生存:2725年5月8日〜2777年3月24日

 歴史はアンティロス・レゴスを過去最も堕落した野蛮人になぞらえ、アドルフ・ヒトラー、チンギス・ハーンの同類とし、辺境世界共和国人が好戦的である証とする。実際には、レゴスは自由世界同盟のアビーで生まれ、歴史家がよく描くような狂ったサイコパスというより、無感情なまでに冷酷で合理的な人物であった。いずれにしても、これが彼と部下たちに恐ろしい罪を犯させたのである。彼らは戦闘の興奮の中でそれを行ったのではなく、落ち着いて考えてそうした。

 虐待された少年時代(噂によると、レゴスは13歳で父を殺した)を逃れた彼は、ギャングと対立し、2740年代までには、傭兵部隊のハドソン軍団に所属していた。この部隊は、第三次秘匿戦争で、ライラ共和国(それにSLDF)と戦っていた自由世界同盟に雇われていた。無慈悲で有能だった若きレゴスは、周囲から敬意と恐怖を同程度に受け取ったが、指揮官たちはすぐさま彼のやり方を不愉快に感じ、2747年にハドソン軍団を離れた。いくつかの契約を受けた後、2750年、彼は自分自身の運命をつかむことにした……自分の傭兵大隊、レゴス槍機兵団を立ち上げたのである。数年後、ライラの世界ノヴァラにおいて、部隊は新しい名前を得た。地元の君主のために、グリーンヘヴンに駐留していたレゴスたちは、悪意に満ちた独裁主義的な戦術によって、地元市長の怒りを買った。レゴスに対面した市長は、傭兵たちをヒトラーの秘密警察(ゲシュタポ)になぞらえたのである。レゴスはこの侮辱に怒ることなく、むしろ面白みを感じ、任務が終わって新しい仕事を探し始めた際、いまや連隊規模になっていた部隊にグリーンヘヴン・ゲシュタポの名前を与えたのである。

 レゴスがいつステファン・アマリスとのつきあいを始めたかは不明だが、2760年代までに、軍事顧問として辺境世界共和国の君主に仕えていた。一部の歴史家たちは、彼がアポテオシス作戦の立案に関わったとしているが、傭兵がそのような栄えある役割を演じたかは疑わしい。だが、レゴスの部隊はアポテオシス作戦の最前線に立ち、良心の呵責を持たず、暴力的な性質を持っていたことから、不正規作戦において大黒柱となったのである。彼らは数多の凶行に関与し、中でも悪名高いのは、ローマのクレメント27代教皇を殺害し(これをきっかけにカソリック教会が地球とニューアヴァロンに分かれることとなった)、ヴァティカンの数百名を処刑したことである。レゴス自身が枢機卿会の「審判」を主催し、法廷の検察役と裁判長役を務める一方、教皇が弁護を行った。レゴスは莫大な額の身代金を払えば、カソリックの組織に手をつけないと持ちかけたが、反乱によってカソリック教会の財政はすでに破綻しており、何も資源がなかったのである。レゴスは教会に有罪を下し、クレメント教皇を処刑して、部下に対して残った枢機卿と「楽しむ」よう命じた。ゲシュタポのベルナルド"オーガ"クリッチュリーや、アレクシス"サキュバス"アドリーのような堕落した人物は、想像もできないような恐怖を枢機卿とローマ市民に与えた。

 レゴスの兵士たちは、チーフテン作戦のあいだ、アマリスからの直接の委託によって帝国中でテロ攻撃を実行し、レゴスは何度か皇帝の軍事顧問を務めた。レゴスはパトリック・スコフィンズ将軍とは対立を続けた。将軍はレゴスによる無頓着な虐殺行為をアマリス帝国の汚点とみていたが、レゴスも傭兵たちもアマリスのお気に入りになり続けた。報酬として、簒奪者アマリスは彼にイタリアの支配権を与え、SLDFが到着するまでの数十年間、ゲシュタポは市民たちに恐怖を与えた。

 レゴスは星間連盟軍に対して痛烈な戦役を実行し、テロ戦術、戦略兵器の使用をためらうことはなかったが、SLDF軍全体を食い止める望みはなかった。レゴスは、2777年3月24日、フェラーラ外の最後の戦いで死亡した。噂によると、SLDF兵士によって処刑されたということである。






パトリック・スコフィンズ
階級/地位:アマリス帝国装甲軍総司令官
生存:2708年2月3日〜2781年10月9日

 パトリック・グレゴリー・スコフィンズは、辺境世界共和国の貧しい農家に、三人兄弟の二人目として生まれた。子供の頃はアウステルリッツにある実家の農場で働き、夜には母親と叔母が彼と子供たちに最低限の教育を与えた。だが、パトリックは農場での生活に満足せず、大学の試験に落ちた後、合格目指して、2年間、空いた時間を勉学に費やした。2728年、彼はついにアウステルリッツ公立大学の入学許可を得て、歴史と古典文学を学んだ。家族は財政的に支援できなかったことから(そしてそれを望んでいなかったことから)、スコフィンズは辺境世界軍(RWA)に入隊することで学費を賄った。

 スコフィンズには、軍隊でのキャリアを追求する意思はなかった。彼の夢は農場を逃れて、それまでになかった機会を求めることだったからだ。辺境世界軍での軍役は、彼にそれまでなかったなにかを与えた――それは目的意識である。スコフィンズの兵役が終わりに近づくと、ステファン・アマリスが辺境世界共和国の大統領となり、国家を未来へと向ける準備を始めた――その未来の中で辺境世界軍は重要な役割を果たすことになる。RWAは拡大するべきであり、そのためには才能ある情熱的なリーダーが必要だった。スコフィンズは、契約年数の延長と引き替えに、士官訓練学校への任命を受けた。彼は訓練士官を務め、最終的に訓練中隊指揮官となり、RWAでの任期延長を選ぶと少佐に昇進した。それは彼が求めていたキャリアではなかったが、実際に彼は辺境世界共和国の若い新世代(大半が彼自身と同じように生まれが不利だった)に教育を施したのである。

 次の10年間で、スコフィンズは拡大するRWAの中で速やかに出世していき、大隊指揮官、連隊指揮官に続き、辺境世界の将軍職についた。ステファン・アマリス自身がスコフィンズの制服に新しい記章を留め――士官団の忠誠心を高めるために大統領はよくそうした――アポロの辺境世界軍司令部に歓迎したのである。ここで、彼はRWAの作戦参謀部で何度か監督役を務め、戦争計画を練り、RWAの訓練演習とプログラムを作り上げた。彼はまた大統領と自由に面会可能であった。なぜなら、アマリスはスコフィンズに敬意と賞賛を感じていたからであり、RWAを真の軍事力に変えるアイディアを熱心に聞くからだった。

 両者は共に、辺境世界共和国が長年にわたって中心領域、特にキャメロンの星間連盟に食い物にされていると信じていた。スコフィンズは疑問の余地なく信じていた……辺境世界共和国および全辺境に対する犯罪の罰をキャメロンと星間連盟に与えるべきであると。即座にアマリスはスコフィンズを中将に昇進させ、かつての農民を計画立案者たちの輪に入れたのである。スコフィンズはシークレットアーミーを結成して訓練するという秘密の任務を喜んだ――辺境中からやってきた、教育を受けておらず恵まれぬ境遇にあった彼のような平民1万人を教育し、啓蒙する機会に恵まれたのである。その任務が完了すると、彼は戦略家としての役割を果たし、アポテオシス作戦の軍事面を立案して、辺境世界クリプテイア、帝国保安軍(HSF)、政策教理局(OPD)と共に調整を行った。不愉快で不名誉な戦術を使うことから、彼はこれらの部局を嫌悪していたが、重要な役割を果たしていることから我慢した。

 アマリスは、その後アポテオシス作戦に参加することになるRWAの指揮をスコフィンズに託した。このポストを得ることによって、やがてアマリス帝国装甲軍(AEAF)になる別の軍事部隊の指揮をとることにもなった。この仕事の最中に、スコフィンズは反乱で使う戦略と戦術を開発した。その一方、SLDFの粘り強い抵抗にどう対処するか、戦時捕虜をどう扱うかに、きわめて厳格な指導を行った――これらはすべて、ケレンスキーによる指示とよく似通ったものだった。スコフィンズはアマリスの信奉者だったが、名誉を持つ規律ある戦士でもあり、地球帝国や星間連盟の市民に対して恨みは持ってなかったのである――あくまでその指導者たちだけだ。

 「皇帝」アマリスは、よくスコフィンズを迂回して、OPDに残忍きわまりない命令を実行させたが、スコフィンズは無知でも愚かでもなかった。アマリス帝国の他の上級士官たちと同じように、スコフィンズは裁判にかけられ、人道に対する罪で有罪宣告を受け、2781年10月9日、絞首刑となった。残されたのは、彼の妻と、3人の孫であった……長男はSLDFの辺境世界共和国侵攻で死亡し、次男は共和国の捕虜収容所でもう2年を過ごした。






コムスター


ジェローム・ブレイク
階級/地位:星間連盟通信大臣(2780年〜2819年)/コムスター主席管理官(2788年〜2819年)
生存:2739年1月11日〜2819年5月15日

 地球の北アメリカにあるグレートレイク行政管区で生まれ育ったジェローム・ブレイクは、非凡な知性と機械への適応を見せた。6歳にして彼は高校生向けの授業を受け、12歳までにはランブレヒト大学で工学の学位を得ていた。2755年、彼は16歳で卒業し、超空間数学と応用物理学を専攻していたことから自然と星間連盟の通信局でのキャリアに入った。ここで彼はオリバーのHPGステーションの主席技術運用官の地位に上がった。

 ブレイクは自由世界同盟で休暇を取っており(いつものように仕事しながらの休暇)、よってアマリスのクーデターとそれに続くHPG職員の粛正を逃れることができた。この若き科学者にして管理者は即座にSLDFでの勤務を志願した――ケレンスキーがHPGシステム(とくに地球近隣の破壊されたかアマリスの手に落ちた最上級通信回路ステーション)を維持する助けを切望していたのだ。これらの第一回路A級ステーションは、星間通信の経路を生み出し維持するのに重要であった。よって、ブレイクと志願者たちは、アマリスの手中にないこれらステーションだけを使ったシステムを考案して、稼働させねばならなかった。この冒険的な事業が成功したことによって、アマリスが帝国を支配していたにもかかわらず、SLDFと大王家の両方が通信を維持することができたのである。そしてブレイクがケレンスキー将軍と王家君主たちの注意を集めることにもなった。

 SLDFが帝国内を進むに従って、技術者たちの技量は限界まで試された……クーデターやチーフテン作戦で損害を負ったシステムを復旧し維持せねばならなかったのだ。メディアはブレイクと彼のチームを、帝国の廃墟を探索するカリスマ的な冒険者として描いたが、実際には、その多くが通信を復旧するという挑戦で成長していった技術者たちであり、軍事は関係がなかった。ブレイク自身は人付き合いが苦手で遠慮がちだが、それにも関わらずHPG修理チームの長となり、SLDF通信ネットワークの事実上の管理者となった。彼にとっては前線の後ろで仕事をすると収まりがよかったのだが、戦いに遭遇することとなった。最も有名なのは、ディーロンのA級ステーションを修理していたときのことである。AEAFの逆襲でチームの多くが殺され、ブレイクも負傷したが、ステーションは稼働再開したのだった。

 SLDFの衛生兵たちは〈マッケナ・プライド〉上でブレイクを治療し、ケレンスキーは回復中の科学者を幾度も訪問した。両名は、哲学、政治、科学的な問題について幅広く話し合い、ブレイクはケレンスキー将軍と友誼を結ぶようになった。二人とも多くの点で見解の相違を持っていた――ブレイクはやるべきことに対して冷静だった一方、ケレンスキーは名誉と情熱を持って決断した――が、星間連盟と帝国の存続を求め、戦争の恐怖から民衆を守ることを望んでいた。

 2779年後半、ブレイクは地球のHPG群を復旧するという大がかりな任務に取りかかった――パラノイアだったアマリスはHPGが電子戦のアクセスポイントとして使えることから、SLDFがニューアースを奪った後、これを破壊してしまったのだ。ユニティシティのHPGは大破しており、地球の他の施設も同様であった。ヒルトンヘッドのキャッスルブライアンの上にある建設中の施設群だけがサルベージ可能だった。クーデター以来最初の星間連盟評議会が開催されたとき、彼はヒルトンヘッドで働いており、何が起きたのかほとんど知らなかった。王家君主たちは意見を対立させたが、最上級通信回路が失われ、通信が難しくなり、だれかがHPGネットワークの監督と維持をせねばならないことには同意した。ニコレッタ・カルデロンはこの仕事の候補者は一人しかいないと発言した。SLDFによる戦役中に尽力したジェローム・ブレイクである。ケレンスキーは同意し、2日間の審議の後、ブレイクは星間連盟の通信省大臣として認められた。これは評議会が合意したわずか3つの事柄のうちの1つであった。

 ケレンスキーは権力の奪取を考慮に入れず望まなかったことから、放棄された帝国内の関係各局はブレイク大臣に目を注ぐようになった。最初は新しい役所の権威を受け入れたくなかったブレイクは、これを帝国の人々を救う唯一の道だと思うようになっていった。帝国を再生させようという彼の奮闘は、民衆の心に残り、選出されることこそなかったものの、事実上の地球帝国総裁として見られるようになったのだった。不幸にも、救援活動が失敗する中で、最高評議会は支援を拒否し、ブレイクに評議会が再生するまで必要と思うことをするよう通達した――そして中央政府を持たない崩壊した帝国は、通信省とSLDFの努力にもかかわらず、生き延びるのが精一杯だった。

 2783年後半、ケレンスキーはエグゾダス計画を呆然とするブレイクに話した。怒り狂ったブレイク首相は、SLDFが出て行ったら救援活動は停滞し、大王家による帝国への侵入は加速すると指摘した。両者は解決方法を探すのに苦労したが、2784年前半、それを見つけた。全SLDFがケレンスキーとの出発を望んでいたわけではなく、ケレンスキーは拒否した兵士の指揮官たちに、ブレイク首相に忠誠を誓うよう説得したのだ。通信省は多数の師団を保ち、ブレイクが望んだように、帝国の世界での秩序を守ることが可能となる。

 この計画は上手くいかないことがすぐに判明した。王家は戦争の準備を進め、ケレンスキーのエグゾダスによって水門が開き、帝国外周部の占領は加速していき、帝国を守るという望みは消えていった。ブレイクは王家君主から通信省の中立性を守る合意を勝ち取り、コムスターの信用状を国際的な交流の主な手段として使った。個人的にブレイクは帝国の支配権を得る計画を続けたが、2788年前半、一つの目標を達成するために帝国を放棄した。2788年6月27日、コムスターはシルバーシード作戦で地球の独立SLDFと王家兵を撃破し、地球の支配権を奪い取った。王家君主たちはブレイクの行動に激怒したが(特に2787年の通信協定がコムスターの中立性を尊重させていたので)、第一次継承権戦争になる紛争を遂行中であったことから、だれもブレイクの乗っ取りに対抗しなかった。

 次の数年間、ブレイクはコムスターをビジネスとして作り直した。彼の財政的な見識によって、2802年までに、コムスターは莫大な負債を返済し――通信省は帝国中での救援活動の資金を得るため数兆を借りていた――事業から利益を得ることができた。ブレイクの冷徹な企業的決断は第一回路にとって座りのいいものとならないことがあった――利益を生み出すだろう世界で復旧を行い、辺境はほとんど無視した――のだが、彼の選択は冷酷でありながらも成功したのだ。彼は人格の中でさらに鋼鉄の一面を見せて、部外者がコムスターの技術に触れるのを禁じ、コムスターの秘密を守るための組織、ROMを作り出した。ROMは、いまや技術を死活的に追い求める大王家の諜報部に対する反スパイ部隊になり、コムスター局員の忠誠心を確保する警察部隊になった。コムスターはコンラッド・トヤマの治世まで神秘主義的な虚飾をまとうことがなかったが、組織の構造と政策の多くはブレイクの手によるものである。

 晩年、ブレイクは健康問題に苦しんだ(ディーロンでの怪我に関係する発作を含む)。2819年5月、第一回路の会議の際に彼は病気に陥ったが、当初はたいした問題ではないと考えられていた……とりわけワーカホリックの首位者はすぐに回復したようだったので。4日後の5月15日、彼は再び倒れて、病状(珍しい遺伝性疾患)は最悪と判明した。この日、彼は第一回路の訪問を受けて過ごし、最後の一人はコンラッド・トヤマだった。トヤマといる間に、ブレイクは意識不明に陥り、もう目覚めることはなかった。ブレイクの遺言によると、遺灰を星間連盟の議場に撒くことになっていたが、新しいコムスター首位者に就任したトヤマは、これを覆し、ブレイクの遺体を保存してヒルトンヘッドの展示場に安置された。これはブレイクを神格化し、コムスターを技術宗教組織に再編成する第一歩だった。これは最終的にワード・オブ・ブレイクと聖戦につながる。










地球の血塗られた聖夜 BLOODY YULE ON TERRA

 2766年の12月27日の朝、0900時直前、厚い雪のブランケットを通って、ステファン・アマリスはとうとう王宮に入った。このときの彼には、アポテオシス作戦の序盤が地球帝国中で成功しているかどうかわからず、地球星系そのものが確保できているかすらもわからなかった。唯一、彼が知っているのは、地球のHPG(ジュネーブの主要ステーションと、タコマのSLDF司令部、星間連盟宮廷専門のステーション)が確保されていることと、地球にいる麾下の兵士たちが演習場で「演習中」であることだけだった。アマリスはすべてが上手くいってると単純に信頼せねばならなかった。

 彼は、第一君主リチャード・キャメロンの私室に入った。伴っていたのは少数のボディーガード、そしてキャメロンへのクリスマス・ギフトだけだった――それは数分後にアマリスがキャメロンを撃ち殺すことになるレーザーピストルだ。


シタデル陥落 Fall of the Citadel

 フォート・キャメロン……シタデルの名前で知られるユニティシティの駐屯基地にしてSLDF司令本部は、クーデターの最初の数分間で破壊された。ロイヤルブラックウォッチ連隊の大多数と援軍の戦闘機大隊は核兵器の爆風で殲滅され、数十隻の軍事・政府降下船もまた同じく破壊されるか、大きなダメージを受けた。シタデルの巨大な30階建ての黒い柱は爆風で揺れたが、崩壊することはなかった――辺境世界人による核攻撃は、宇宙港を使用不能とし、ユニティシティの防衛部隊を撃破した一方で、要塞それ自体は複数の戦術的核攻撃、軌道上からの爆撃に耐えるよう設計されていたのだ。

 シタデルの要員たちは、それにもかかわらず揺さぶられ、設備や壁に叩きつけられるか、飛んできた破片が刺さって、大勢が死亡した。数秒後、何度かの爆発がシタデル内部を揺るがした。SLDF総司令部は辺境世界からの「増援」が入っていない軍事施設のひとつだったが、アマリスの地球「訪問」に対する警備活動を統制するため、RWA士官の小規模な一団が入るのを許されていた。これら士官のうち4名が持ち込んだ自殺爆弾を起爆させ、レーガンSDS統制本部と諜報融合本部(国内の情報収集活動のすべてを統制する)に損害を与えた。そのあいだ、SLDFの幕僚長であり地球帝国内での再先任士官であるトモヒロ・ムスイベス中将が、辺境世界共和国のエレーナ・クロサータ少将に毒のペンで突き刺されて死亡していたが、その前に相手に致命傷を負わせたのだった。

 混乱の中、SLDFの指揮情報本部(CIC、地球のSLDF司令本部)で上番していた中で最先任のRJエメドル少将は、崩壊したものをかき集め始めた。核攻撃によって通信システムの大半が一時的に不通となったが、シタデルの自動閉鎖システムにスイッチが入った。地球にいた他部隊との通信が回復し、緊急警報を受け取ると、地球が攻撃を受けているのは明白となり、すぐに辺境世界共和国の仕業と判明した。アマリスの侵略に抵抗するため、エメドル少将とSLDFはできうる限りのことをしたが、できることはほとんどなく、ユニティシティの星間連盟軍はすぐに圧倒された。

 エメドル少将は招集と優先脱出を命じた――シタデル内部で勤務している数千名のSLDF要員を一人残らず武装させ、数十名の上級将軍(三つ星)と中心的な幕僚たちを地球から脱出させるのである。たまに練習していたのだが、もちろん同時に行われたことはなく、これら「最後の奮闘」はどちらも完全には上手くいかなかった……シタデルの幕僚たちはすでに圧倒されており、命令は混乱を追加しただけだったのだ。それにもかかわらず、管理行政部長のハリナ・イドコ将軍は、CICにたどり着いた最初の上級将軍となり、これら命令を確認した。シタデル最下層のマグレブ(リニアモーターカー)はSLDF最高司令部を首都から輸送する準備をしており、ピュージェット湾の下のトンネルを通ってフォート・マッケナに達し、それから50キロメートル南のマウントベーカーにたどり着いた。

 そのあいだ、シタデル内部、フォートキャメロンへの核攻撃を生き延びたSLDF工兵たちは、自動的に行動に移って、宇宙港の誘導路と滑走路の破片を片付け、一時的に穴をふさいだ――工兵の多くが放射線による確実な死に直面したのだが。彼らの犠牲は報われた……ユニティシティ、フォート・マッケナでSLDFの抵抗に集中していた辺境世界の航空カバーと地上部隊は、核の荒野と考えていた箇所で行われていたことを完全に無視したのである。23機の戦闘機と7隻の強襲船がシタデルの地下ハンガーから離陸すると同時に、42機のバトルメックが地上に発進した――その多くを操縦していたのが、SLDFの上級幕僚たちである。彼らは司令本部に機体を持ち込み、腕を維持していたのだ。

 この新しい――そして完全に不意を突いた――逆襲によって、アマリス兵たちは混乱に陥った。最初の数分間で、装備と技量に優れるSLDFパイロットが辺境世界の2個航空中隊を撃墜し、即座にピュージェット湾の航空優勢を確保し、辺境世界人を守勢に追いやった。シタデルのメック大隊はできうる限りに強みを使って、二重メック小隊編成でユニティシティに流れ込み、王宮にたどり着いて、第一君主(どういう状況かいまだ不明であった)を救おうと、発見した辺境世界のメックと戦車をすべて破壊した。

 これによって、第4アマリス竜機兵団の生存者ほぼ全員がユニティシティと残ったフォート・キャメロンに直接入り、優勢を得たのだが、星間連盟側戦闘機に簡単に狙われることにもなった。シタデルの堅い守りもあって、エメドル少将はSLDF上級指導部の大半を退去させることが可能となり、同時にアマリス侵攻の全体図を描き上げた。そして、地球のSLDFがアマリスの「増援」部隊に数で負け、かなわないことが明らかになると、情報部の人員はシタデルの「消毒」を始めた――共和国軍に使われるかもしれない物資をすべて破壊したのである。

 シタデル防衛軍の勇敢な行為によって、地球のSLDFは必要だった貴重な時間を与えられ、最も重要な士官たちを一部マウントベーカーに退避させ、シタデルと包囲されたフォート・マッケナ(第9アマリス竜機兵団の強襲を受けていた)から非戦闘員が続いた。フォート・マッケナでの争いがあまりに激しいものになると、エメドル少将はマグレブのトンネルを封鎖し、水没させるように命じて、数百名のSLDF兵士たちと共に立てこもり、アマリス兵たちが最終的にシタデルを破壊するまで、できる限り指揮しようとした。

 そうなる前に、生き残ったマウントベーカー・キャッスル・ブライアンのSLDF最高司令部はリスクが高く議論の種になる決断(後に地球人たちは馬鹿にした)を下した……9名の最高司令部メンバーのうち7名を脱出させようとしたのである。ピュージェット湾上空で空戦が続くなか、彼らはマウントベーカー施設群の中に隠されたドロップパッドからそれぞれ別に打ち上げられた(まだ軌道上にいるSLDF戦艦と、北アメリカにいる生き残った戦闘機からの支援を求めた)。空戦の中で2隻が落とされた(補給部長アスラン・リーベック中将を乗せた3隻目は大破してカナダ中央部に不時着した)。軌道上にあがった4隻のうち、さらに2隻が戦艦にドッキングした後に破壊された。最後の士官2名、セルゲイ・アラウージョ中将(軍法務部長)、キム・ヒョン・ソク中将(人事部長)は地球を脱出した。親衛部長タマーラン・スティファンソン中将と地球の生き残った士官たちは、生き残ったSLDF隊員に対して(シタデルを通し)命令を下した。「いかなる犠牲を払っても、簒奪者ステファン・アマリスと部下の邪悪な殺人鬼たちに抵抗せよ」(アマリスに対し「簒奪者」が使われたのはこれが最初である)

 共和国軍の前に、ユニティシティとフォート・マッケナが陥落するのは時間の問題であった。抵抗をやめなければ第一君主リチャード・キャメロンを処刑するとステファン・アマリス自身がメッセージを流すと、防衛部隊の多くが降伏した。だが、降伏したものたちは長生きできなかった……多くが地球帝国と新たな指導者への「犯罪で」直ちに処刑された一方、そうされなかった者は撃たれる前に星間連盟の旗を降ろしてアマリスの旗に変えるよう強要され、自分の墓穴を掘らされたことすらあったのである。

 シタデル自体は丸一日持ちこたえた。数十回に及ぶ地上強襲と1度の核攻撃に耐え抜いて、共和国戦艦戦隊が1時間にわたって軌道上から砲撃の雨を降らせるとついに倒壊し、フォート・キャメロンの残骸はクレーターとなったのだった(その過程で放射性の粉じんが大量に地球の大気にばらまかれ、ピュージェット湾地区、カスケード山脈を超えて北アメリカ高地までの地域に放射線警報が出たのだった)。しかしながら、マウントベーカーはしばらくのあいだアマリスの脇腹に突きつけられたとげであり続けたのである。


攻撃と反攻 Attack and Counter

 1700地球標準時、人類の故郷の他部分は、星間連盟首都と同じような混乱に陥っていたが、たいていの場合は同じくらい血塗られたものとなったわけではない。共和国の兵士と潜入工作員たちは、地球中で行動を起こし、素早くできる限り無血で戦力を奪うために、軍事、政府の施設を狙った。地球のSLDF基地のすべてで、共和国人は殺人のために爆弾と化学・生物学物質を投入し、星間連盟のメック戦士、兵士、パイロットをできる限り制圧した。SLDF隊員数万人が最初のわずか数分間で死亡した。テロ攻撃だけでSLDFの脅威を排除できなかった場合は、共和国軍が基地や施設を急襲して、道行くものを無差別にすべて破壊した。すべての主要都市でもまた、共和国軍――たいていは歩兵分隊群で、ことによると装甲車両1両、あるいは珍しいがバトルメックに支援されていた――が、クーデターに干渉するかもしれない警察やSLDF予備を分断する重要地点に陣取った。アマリス軍は政府の建物(地球帝国と地元の両方)を占拠し、同調しない政府指導者たちを人質にとり脅迫するか、実際に暴力を使って服従させた。

 共和国人と地球の防衛部隊(SLDF兵に、警察、予備、一般大衆のグループ含む)との戦闘が、惑星中の都市や村落で勃発した。最大の軍事行動は、SLDF最大の基地と地球帝国首都ジュネーブを中心に発生した。ジュネーブでは、親衛第1スイス機兵連隊が、第85アマリス機兵連隊と第17アマリス軍団相手に、数時間、熾烈な戦闘を繰り広げ、アマリス軍をジュネーブのSLDF基地に入れなかった。最終的に、第1スイスは2隻のSLDF艦に軌道攻撃を要請し、帝国首都を奪うように命令されていた共和国の2個連隊に大きな損害を与えた。傭兵のグリーンヘブン・ゲシュタポと第2ファイア軍団からの分隊が到着したことにより、ついにアマリス側は第1スイスを追い落とし、地球帝国の政府施設群を奪い取ったのである。

 地球にあった20のキャッスルブライアンもまた主目標となり、16がその日のうちに陥落した。大半はガス攻撃、爆破攻撃で要塞の中に駐屯している戦闘員の多くが無力化された後、簡単に摘み取られた。非戦闘員は逃走するか、混乱するか、共和国の強襲に圧倒された。マウントベーカーに加え、4つのキャッスルブライアン(ケニヤのマガディ、ブラジルのマナウス、日本のタカヤマ、ニュージーランドのホワイトクリフ)が特に重要となった……バックアップの宇宙防衛システム司令センターがあったからである。共和国の攻撃部隊が核攻撃、精密な軌道爆撃、内部での破壊工作の組み合わせで、4つすべてを排除した。

 マウントベーカーがアマリスの脇のとげであったように、ネパールのカトマンズ、ブリティッシュ島のサンドハースト、ロシアのスベルドロフスクもまたそうなった。核攻撃と軌道爆撃はカトマンズにほとんどダメージを与えることができず、メックと山岳歩兵それぞれ1個大隊ずつが残った。これらのSLDF兵士とメック戦士たちはアジア中で共和国軍を悩ませた。サンドハーストのキャッスルブライアンは、王立サンドハースト軍事学校の訓練生と職員たちに強化され、数週間にわたって共和国人を拘束したが、ブリティッシュ島は狭かったことから、アマリス軍の指揮官たちが援軍を集中させると、移動できる場所はほとんどなくなってしまった。スベルドロフスクは制圧されるまで12発以上の核攻撃を必要としたが、守備隊はトンネル、バンカー内で撃破されるよりもロシアの広い大地に溶け込んで抵抗を続けることを選んだ。

 地球にあった20のキャッスルブライアンはたしかに初日における地上戦の中心になったのだが、アマリスの共謀者と共和国の侵攻軍が地球の大都市と管区を占領しに動くと、数千とは言わずとも数百の小規模な抵抗拠点が惑星の地表に出現した。地球中の基地やオフィスに配属された数万人のSLDF隊員――大半は非戦闘員――が、簒奪軍に対し武器を取り、さらに多くの予備、退役SLDF隊員、加えて無数の警察官、市民も続いたのである。軍事拠点、大規模な警察署の大半がすでに守りを固めるか、そうでなければ無力化されるなかで、即席の防衛部隊は、共和国の侵攻軍とその仲間を攻撃するのに地元のクラブ、学校、あるいは住居を使って組織した。だが、対メック、対装甲用の重火器を持たなかった彼らは、孤立した辺境世界人のグループを攻撃したり、もう少し大規模な敵戦力を待ち伏せするくらいしかできなかった。それでも、経験と工夫を組み合わせることによって、地球上の組織化されない防衛部隊は、最初の数日で、どうにか2個以上の装甲・メック連隊を無力化するか破壊して見せた。

 同じく、アマリス兵たちはすべてのSLDF養成校と訓練基地を狙った一方で、私立の軍事学校に関しては多数を見逃していたのである。南カリフォルニアのシタデル、トリポリの北アフリカ養成校、南京の人民連合集団大学などの学校(忠誠の長い歴史を持つ)は、候補生の集団を学園の保有するメックや戦車で武装させ、戦場に送り出した。平定されたと思われていた地域に、これらの(未熟だが)強力な戦力が突如として現れると、共和国侵攻軍はさらに混乱し、抵抗を納めるためすでに無理を強いられていた気圏戦闘機中隊が呼び出された。地球軌道上とユニティシティなど主要目標の周辺での重要な戦闘から、死活的に必要とされていた気圏戦闘機支援が引き抜かれた。地球帝国の忠誠派は、一撃離脱攻撃を行って、ついに共和国の戦闘機がやってきたときには、田舎の方に逃げ去っていた。



古き女王の最期 LAST STAND OF THE GRAND OLD QUEEN

 TAS〈ドレッドノート〉はおそらく人類史上最も有名な戦艦である……少なくとも人類が宇宙への植民を始めてからは。拡大と政治的な動乱の時代に建造された〈ドレッドノート〉と姉妹艦は、地球の権力を星々に広げるために設計された。だが、そうする前に、ジェームズ・マッケナ提督はまさにこの船に乗って、腐敗した近親相姦的な地球同盟の構造を壊し、代わりに地球帝国を作り上げたのである。

 人類が建造したまさに最初の戦艦である〈ドレッドノート〉は、他のすべての戦艦のひな形となった。そして、マッケナ提督の旗艦として――少なくとも、最初のブラックライオン級戦闘巡洋艦(マッケナ自身の手で設計された、同名の現代艦の先祖)が登場するまで――〈ドレッドノート〉は宇宙中にその力を誇示し、数十の強情な惑星を地球の覇権の下に戻したのである。THS〈ドレッドノート〉(むろんのこと地球帝国創設後に改名された)は、2世紀半以上にわたって祖国に仕え、他のどの戦艦よりも大きくの従軍勲章と撃破記録を獲得した。同時に〈ドレッドノート〉はどの帝国戦艦よりも多くの損傷を負い、数多の戦闘で航行不能の損傷を負った。〈戦い〉の時代には、シレーネ近くの戦いで、大破したドラコ連合の戦闘機が〈ドレッドノート〉の左舷着艦ベイにカミカゼ突撃し、ほとんど破滅的な火災が発生した。就役中、〈ドレッドノート〉は約40年間ドックで過ごし、戦闘でのダメージを修理して、就役寿命を延ばした。

 2571年に星間連盟が結成されるまでに、7隻の〈ドレッドノート〉級のうち3隻が失われるかスクラップされた一方で、残った4隻は休息に寿命の終わりに近づいていた。2550〜60年代にかけて、3隻が最後の改修を受けて、星間連盟憲章が調印されたときには〈ドレッドノート〉だけが残っていた……星間連盟防衛軍最高司令官シャンドラ・ノラフ=キャメロンは、〈ドレッドノート〉の最後の改修を注視すると決断し、残った4隻を予備艦隊に移した。

 姉妹艦のうち3隻は再統合戦争の際に現役復帰して、いくらかの功績を挙げて、それから2602年に完全退役したが、SLS〈ドレッドノート〉はルナ航空宇宙星間博物館の母体となった。ルナ地表に広がる博物館施設群の上空軌道に浮かぶ〈ドレッドノート〉は、博物館の作品と軍事的な展示品が奇妙に交錯する空間となった。貨物室の多くが、宇宙開発史上の重要な遺産を並べる展示室に改装された一方、〈ドレッドノート〉はSLDFの名簿に残り、SLDF隊員が乗組員となった――通常は引退する前の最後の勤務であり、艦長は常に退役するSLDFの海軍准将であった。〈ドレッドノート〉の乗組員たちは、船を最高の状態に保ったが、数多の戦傷は訪れた誰にとっても明白であった。〈ドレッドノート〉は、特別なショー、歴史イベントの際に飛行する年代物の各種戦闘機、宇宙船のデモンストレーション航空大隊を支援しさえした。

 アマリスが地球を攻撃すると、侵略者たちはルナにのみ注意を向け、月面の最大のSLDF基地2つを核兵器で破壊した。だが、彼らは単なる博物館の収蔵品と考えて〈ドレッドノート〉を完全に無視した。マーティン・カスティージョ海軍准将は、ルナで最初の核爆発を探知するとすぐ、乗組員たちに戦闘配備につくよう命令したが、燃料と弾薬が限られていたことから、地球をかけた戦いを支援することができなかった。〈ドレッドノート〉は、月面基地の生存者とルナの混乱から逃れようとする民間人の難民を乗せて、再補給のため軌道上のトランキリティー基地に移動してドッキングし、地球上空での戦闘が終結するのを数時間眺めていた。

 カスティージョ海軍准将は戦闘が始まってから約18時間後に軌道を離れ、数十隻の民間降下船を地球から木星に護衛し、再武装のためディープレンジ・ガンナリーステーションに泊まって、パイレーツポイントを使い地球からジャンプアウトした――民間船から移した数千人の乗客を運んでいた。〈ドレッドノート〉は星系から星系を飛び回り、辺境世界共和国の戦力を測定するためにぎりぎりのところから監視し、それから守りの薄いジャンプポイントを叩いて共和国の侵攻軍を殲滅した。さらに重要なのは、できる限り多くの民間船を脱出させることができたことだった。

 これは3週間近く続き、およそ30隻の航宙艦と60隻以上の降下船からなる民間艦隊が集まった。カスティージョ海軍准将の「艦隊」がワイアットにたどり着くまでに、彼らの幸運は尽きていた。共和国の重戦艦戦隊に待ち伏せされた〈ドレッドノート〉は、それでもなおエンジン、ジャンプドライブ、砲塔のほとんどを失うまで30分間近く激しい砲撃に耐えた。カスティージョ海軍准将は自沈命令を出したようで、弾薬庫が同時に爆発した。〈ドレッドノート〉の生存者はだれもいなかったが、星系の端から見ていた民間艦隊は、ついにライラ宙域にジャンプして、アマリスの無慈悲さと〈ドレッドノート〉乗組員の勇敢さの逸話をもたらしたのだった。









地球帝国征服 Conquering the Hegemony


カーヴァーVの海兵たち THE MARINES OF CARVER V

 カーヴァーVは地球帝国にとって中程度に重要な世界であり、人口は1億人程度であったが、水の豊富な惑星だったことから食糧供給の要所であった。地球帝国の初期には、カペラ・ゾーンとの危険な国境に位置していたことから、当然、強固に要塞化されたのだった。この国境は、後に押し戻されるのだが、カーヴァーVは守りを固められたままだった。なぜなら、まっとうな大陸がなかったことから、キャッスル・ブライアンを作れなかったからだ。地球帝国(それ以前は地球同盟)の技術者たちは、島の全土を要塞化し、事実上の要塞とした。これらの広大な要塞網は、星間連盟時代、さらに拡大し、近代化された。カーヴァーVは、SLDFのエリートCAAN(機兵、装甲、航空、海軍)連隊の、本拠地・訓練センターとなったのである。

 駐屯部隊の大半は辺境への配備で移動していったのだが、カーヴァーVはSLDFの「ブートキャンプ」、上級専門課程校、それからもちろんCAANスクールを持つ重要な訓練センターのままであり、毎年、数千名のCAAN等級兵士が卒業した。これらはすべて最大の島であるクアンティコ周辺に存在した(要塞も同名)。

 共和国の戦力が最初にこの世界に配備されたとき、ごく一部だけがクアンティコに入ることを許された――主力気圏戦闘機中隊群と事務担当者。カーヴァーVに分遣された残りは、惑星中の小規模な野営地に分散した。

 12月27日の作戦開始時刻、すでにカーヴァーVのHPG基地を確保していた辺境世界共和国軍は攻撃を実施した。奇襲なくしてはクアンティコを破壊することも占領することもできなかった辺境世界共和国の将軍ノリコ・ミルトン=ディヴィスは、核兵器を持ってして、SLDFの要塞と兵力を破壊しようとした。だが、クアンティコにいる航空中隊は核兵器を搭載することができなかった――なぜなら、通常の処理として、ソール・ファン・デコルク将軍(この世界の最上級士官にして、SLDFの全CAAN部隊の指揮官)は、共和国人に核兵器をすべてクアンティコの武器庫に収めるよう命令していたからである。ミルトン=ディヴィス将軍は、クアンティコを攻撃するため離れた島にいる航空中隊に頼らねばならなかった。核攻撃するまでに、クアンティコの戦闘機が離陸し、SLDFの注意を引くことを望んでいた。

 そうなることはなく、カーヴァーVの宇宙交通管制局(STC)は警報を出した……多数の共和国戦闘機がクアンティコに向かう亜軌道弾道コースに入るのと同時に、クアンティコの気圏戦闘機ほぼ全機が土壇場で訓練飛行プランを提出したのである。STC局長のコージ・イチョー大佐はクアンティコの共和国戦闘機に駐機を命じ、SLDFの戦闘機をスクランブルさせ、ファン・デコルク将軍と共に警報を出した。数分以内に、クアンティコのわずかな共和国メックは離陸を試みる味方の戦闘機を守ろうとした。SLDFの保安部隊は同じやり方でもって応じた……ウォーミングアップしていた星間連盟のCAAN戦闘機が戦いに加わり、同じ飛行場にいた敵をできるだけ片付けるため、エネルギー兵器を撃ちまくった――この戦術はCAANの戦闘機パイロットに教えられていたものだったが、実際に使う機会は珍しかった。

 若干の共和国航空中隊がどうにか発進に成功したものの、戦友たちの大半は地上で破壊された。一方、星間連盟パイロットたち(前進基地で攻撃されながら離陸、着陸、再補給するという訓練を受けていた)の多くが発進し、共和国の戦闘機(たった今離陸した機と、軌道上からクアンティコめがけて降りてくる機の両方)と交戦可能であった。核兵器を搭載した共和国の戦闘機一握りが、迎撃機のスクリーンを突破し、ミサイルを発射した。だが、この攻撃は統制がとれていないので、辺境世界共和国のパイロットたちは、最も価値のある目標でなく、与えられた目標にのみ注視した。4発の弾頭が起爆し、インフラ、大規模な防衛砲台数基、ベラキュー市の一部にダメージを与えたが、クアンティコのSLDF基地の大半は無傷のまま残された。

 共和国による最初の攻撃は失敗に終わり、クアンティコと防衛軍は丸ごと残された。SLDFのファン・デコルク将軍は、CAANの3個連隊(CAAN基準を目指す兵士たちをCAANの古参訓練担当教官が指揮する訓練部隊)に対し、島の内外で共和国人を全員抹殺するように命じた。その一方、共和国のミルトン=ディヴィスは、ラインハルト諸島とこの世界の首都コルチェなどカーヴァーVの残りを統合した。

 ミルトン=ディヴィスは新年が明けたあとにクアンティコに向かったが、圧倒できるような戦力を持たず、島に簡単に近づくことができなかったことから、援軍がやってくるまでSLDFの防衛を調査するくらいしかなかった。援軍は4月にやってきた。6年におよぶカーヴァーVの支配権をかけた戦いが始まった。


ディーロン要塞 FORTRESS DIERON

 すべての大規模な軍事作戦にはしゃっくりのような部分があり、ステファン・アマリスのアポテオシス作戦にとって、それはディーロンで起きた。この惑星における、全共和国軍を指揮するトールスティン・ユーカイ将軍は、彼のもとに届いた命令を誤解したか、不完全ないし間違った命令を受け取った。いずれにしても、共和国戦艦のアーグル・トッホ艦長とイローラン・ガーシル艦長は、迅速かつ効率的にジャンプポイント2つを制圧した。両ポイントからの救難信号が地球標準時1815に届いても、ユーカイ将軍はまだ皇帝からの最終的な「決行」命令を待っているところだった。

 地上のユーカイ将軍と麾下の指揮官たちは、ディーロンのジャンプポイントで共和国の海軍が動いたとの報告を聞くとすぐに、兵士たちに目標を即座に占領、破壊するよう命令した。当然、アニーカ・テルマン少将(ディーロンのSLDF指揮官)とパオロ・ヴァレラス知事もまた救難信号を聞いており、即座に緊急事態を発した。テルマン少将は惑星上の4つのキャッスルブライアンを解放して、アマリスの占領から逃げ出したい者たちを受け入れた一方、ヴァレラス知事は平和なやり方でできる限り抵抗するよう部下たちに呼びかけた。その一方、ヴァレラス知事はHPGを通して範囲内のすべての世界に救難信号を発した……50光年以内にあるすべてのHPGがアマリスの支配下にあったことから、緊急の求めはだれにも届かなかった。

 テルマン少将の部下たちはできる限りのことをやったが、ディーロンにいた戦闘部隊は少なく、共和国人に対して足止め的な抵抗しかできなかった。SLDFは共和国人がディーロンの首都とフォート・ハリック・キャッスルブライアン内の第14軍司令部を即座に占領するのを妨げたが、一時的に共和国の前進を止めることができただけだった――しかし、テルマン少将がキャッスルブライアンを閉じるのには充分だった。

 ユーカイ将軍はSLDFに対して比較的単純な戦役を遂行した。ディーロンの指導者の多くが数万の市民と共にキャッスルブライアンに退去した一方、ディーロンには約24億人の民衆がおり、生き残ったSLDF正規軍兵士たちが4つの要塞内部に閉じ込められてしまったのである。選び抜かれた核攻撃、通常攻撃によって、主要通信網が簡単に破壊され、惑星通信ネットワークの大半とSDSシステムのコントロールから切り離されたのである(もっとも、テルマン少将は通常型SDS司令センターの破壊を命じており、共和国人がシステムを使えないようにしたのだが)。アマリスシンパの協力を受け、ユーカイ将軍は簡単にこの惑星の支配権を得て、操り人形を惑星指導者の座につけた。

 テルマン少将とディーロンのキャッスルブライアン4つは、ユーカイ将軍に対するとげとなり、同じく数万のSLDF隊員(退役者、予備役、前線から戻った者たち)が武器を取って征服者たちと戦った。ディーロンでの抵抗は、地球帝国内で最も危険な作戦のひとつとなった。ユーカイ将軍は大きな失敗を犯した――アポテオシスの計画に従うことができず、さらにキャッスルブライアンを減じることができず(占領することも破壊することもできなかった)、SDSを得ることができなかった。HPG基地を奪うことにもまた失敗した(それ以上の惑星からの通信を妨げるために、送信装置を破壊してしまったのである)。1月10日、ユーカイ将軍の後任が到着した。ユーカイ将軍は1月28日の朝、個人的にアマリスに報告を行った……無能を理由として正午に処刑された。


ニュー・ダラス NEW DALLAS

 ニュー・ダラスの民衆は、惑星知事にしてSLDF退役中将であるタイタス・クレイに従い、第一君主が駐屯させた辺境世界共和国人を歓迎することも信用することもなかった。彼らはまたリチャード・キャメロンと帝国中に広がる「ごますり屋」を大声で批判していた。共和国の駐屯部隊が公式に到着する前から、クレイはこの世界の強力な志願市民軍を動かし、ニューダラスにある3つのキャッスルブライアンと、数多のSLDF基地に入れた。カルロス・カタガ少将(この世界の最上級士官)は、さらにニューダラスを故郷と呼ぶ大勢の予備役を招集し、この世界の数多の基地と施設で追加の任務に就けた――大多数がこれに従った。

 従って、クレイ知事もカタガ少将も、辺境世界共和国の「増援」をニューダラスに配置する必要はないと地球に報告した。ともかく兵士たちが到着し始めると、両者は上官に対しやかましく不平を言ったが無視された。それにもかかわらず、共和国の指揮官、ヴィクトリア・ベンブダウ中将はカタガにケレンスキー将軍のサインが入った命令書を渡した。それは辺境世界共和国人がキャッスルブライアン内で配置につくことを求めていた。カタガとクレイは双方共に笑って、基地の一番外側の片隅だけを明け渡したのだった。ベンブダウが抗議すると、知事公館からの武装護衛が彼女につき、降下船は拘留され、共和国に対する着陸クリアランスは取り消された。

 ベンブダウは、パトリック・スコフィンズ将軍と帝国内の全共和国部隊、そしてアマリス自身に異議をぶつけた。SLDF最高司令部にこの問題を持ち込みたがる辺境世界人はおらず、その代わりに、できる限りの施設を押さえ、「代替的な緊急手段」を計画するように命じた。

 共和国人は辺鄙な基地に腰を据えたが、緊急事態、特に増加する辺境独立派によるテロリスト攻撃に対処するのはだいたいにおいて妨げられた。カタガ将軍は、必要な警備を行うため、単純にSLDFの新兵中隊群を模擬野戦訓練から外して配備し、いずれ辺境で遭遇するであろうまさにその状況に置いたのである。そのあいだ、共和国人たちは訓練射撃場に入れただけで、ニューダラスの監視部隊の厳重な管理下にあった。

 反乱までの数ヶ月間、アマリスのエージェントたちはテロ攻撃をさらに引き起こしたが、ニューダラスの市民軍・警察からさらなる圧力を受けただけであり、いかなる活動も抑えられた。その直接的な結果として、彼らはアマリスの傭兵2個大隊がニューダラスに潜入しようとしたのを発見し(テロリストとして投獄し、武器を押収した)、調査によってもう少しでテロ攻撃の本物の黒幕を暴くところだった。アポテオシス作戦が暴露されるのを妨げたのは、クーデターそのものであった。

 共和国人によるニューダラスへの攻撃は、その最初の最初からまったく異なるものとなった。他の世界の戦友たちと違って、多数の爆弾・ブービートラップを仕掛けられなかった彼らは、直接攻撃するのを余儀なくされたのだ。HPGへの極秘強襲が無残な失敗に終わると、ベンブダウはHPGステーションを破壊するように命令した。そして、ニューダラスの軍隊、インフラへの攻撃が同じように失敗すると、彼女は兵士たちを引き上げさせ、アマリスの意思をこの世界に強いるべく軌道上の共和国重戦艦小艦隊を呼び出した。残念ながら、ニューダラスの惑星SDSはいまだSLDFの支配下にあったのである……次の6時間で、数十機のドローンが8隻の辺境世界船に立ち向かった一方、カタガ将軍が地上部隊を率いて数で劣る共和国軍と戦った。戦いが終わると、SLDFは共和国人を負かしていたが、損害は大きいものだった。

 クレイ知事は報復に備えて非常事態を宣言し、その報復は11日後にやってきた。ジャンプポイントは共和国の手に残されおり、ここからSDS部隊をコントロールした。SDSのドローン船は、ニューダラスの両ジャンプポイントに到着した辺境世界の戦艦30隻による艦隊を戦力増強した。この艦隊はニューダラスに到着し、1月14日、守るSLDF側の残ったSDSドローンを破壊した。辺境世界のオットー・イドウ海軍中将は、惑星の防衛部隊に24時間の猶予を与え、ステファン・アマリス皇帝に降伏して服従するよう通告した。クレイとカタガは、戦闘機中隊群に侵略軍との交戦、撃破を命じることで、答えた。だが、数と火力で劣っていたSLDFの戦闘機は、共和国軍に対して数時間しか持たなかった。返答期限が過ぎると、イドウ海軍中将は砲撃命令を下した……共和国の戦艦は基地から基地へと砲撃を行い、それぞれを倒壊させ、惑星の防衛軍の大部分をゆっくりとだが着実に抹殺していった。

 イドウ海軍中将は1月31日に爆撃を停止し、そのときまでに追加の共和国地上軍が占領を始めるために到着していた。ニューダラスの組織だった軍隊はシステマチックに破壊されたものの、この世界は抵抗活動の温床となった……特にクレイ知事を逮捕し、模擬裁判の後で公開処刑してからは。


サビック SABIK

 アマリスによるクーデターの以前、サビックの世界は豊富な鉱物資源と厳しい自然環境でのみ知られていた。数少ない住人たち(大半は5年から10年の高額な契約で来ていた)は、ほとんどが鉱業への支援を専門にしていた。唯一の例外は、SLDFの難地形テストセンター(HTTC)と特殊武装サービス訓練センター(SASTC)の職員であり、前者はすべての種類の軍事車両を試験・評価し、後者はSLDFで最精鋭の奇襲部隊員の訓練を完了させるところだった。

 辺境世界共和国人がやってきた際、SLDF特殊作戦部長、コージ・タラスコ将軍は休日で兵士たちを訪問しているところだった。共和国がこの世界のキャッスルブライアンとSASTCを核攻撃したことに、彼らは驚かされた。双方の施設に深刻な損害が出たが、地下の兵舎・ハンガーを破壊するのには失敗した。タラスコ将軍自身がSLDFの逆襲を計画、指揮して、わずか数日でこの世界における共和国の脅威を排除したのだが、その前に共和国はサビックの倉庫にあった鉱物資源の大半を地球に送っていたのである。

 共和国人は最後の一人が撤退する前に、HPGステーションを破壊していった。さらに重要なのは、この星系から航宙艦をすべて持っていき、見張りの船を数隻だけ残していったことだ――これによって帝国からこの世界は簡単に切り離されたのである。比較的少数の星間連盟エリート兵を抹殺するために、追加の兵隊や戦艦を送り込むことはなくなった。タラスコと工作員たちは、惑星の地表に相当数の降下船(将軍の強襲船含む)を持っていたが、この星系を脱出する方法がなかったことから、HPGをどうにか修理するか、SLDFの援軍がやってくのを待つしかなかった。


来たるべきものに備える Preparing for the Inevitable

 ステファン・アマリスは病的に自己中心的で自己陶酔的なサイコパスだったかもしれないが、ケレンスキー将軍が辺境での戦争を終わらせて、占領された地球帝国に目を向けるのは時間の問題だとわかっていた。アマリスが帝国内で立ち上げた忠実な兵士からなる30個師団は、単なる飾り以上のものではなかった。帝国を守るには……特に地球を守るのに重要なのは、宇宙防衛システムだった。しかしながら、アマリス軍はSDSを6セット確保していたに過ぎなかった。

 SDSコントロールシステム開発の中心になったのはズベンエルゲヌビのウルソップ・ロボティクスであるとの情報を得て、アマリスは小躍りした。数千人に及ぶ、忠実な共和国のオフィサーたちが、3年にわたり、ズベンエルゲヌビでSDS操作の訓練を受けた。数ヶ月の激しい訓練の後、アマリスの技術者たちは2年をかけて既存のSDS(地球にある最先端のレーガンシステム含む)すべてを稼働状態とした。ズベンエルゲヌビのパルチザンたちは何度か訓練を止めようとして、一度などは訓練施設の火災で40名の共和国訓練生を殺し、100名以上を負傷させるという大戦果を上げた。地元の共和国指揮官ヴァーゴ・ブーケンヤ大佐はウルソップ・ロボティクスのスタッフ300名を処刑することで応じ、事実上、訓練プロセスを終わらせた(パルチザンによる攻撃は続き、ブーケンヤは共和国人が殺されるごとに、5名の研究員、技術労働者を殺すことで応じた。これはブーケンヤ自身と幕僚全員が3名のパルチザン・スナイパーに射殺されるまで2年間続いた)。このときまでに、共和国人は外部の訓練教官を必要としなくなっていた。

 各種SDSの起動は、アマリス帝国の防衛計画にとって重要なリンクであった。戦艦300隻からなるアマリス艦隊は半分以上に減っていた。損害の大部分は、宇宙防衛システム(たいてい腕の立つSLDFの乗組員たちに支援された)にやられたものである。アマリスは帝国の造船所に対し、SDSドローンと星系防衛ステーションの生産に集中するよう命じた。アマリスの占領のあいだ、造船された戦艦の船体は20隻以下だったが、その一方で多数のドローンと約50基の大型ステーションが作られた。

 皇帝アマリスにとっては、これだけでは不十分であった……特にケレンスキーが辺境世界共和国にSLDF全軍を差し向けて、母国からの支援が事実上なくなってからは。彼は、急速に拡大するOPDに対し、どんな手を使ってでもHAFの戦列を埋めるよう命令を出した。10年が終わるまでに、数万の望まぬ帝国市民が強制的に徴兵された。大半が通常の歩兵連隊に入り、比較的少数の忠実な士官とOPD隊員に指揮、監督された。2年以内に、アマリスは30個師団分の定員を満たした(平均2個歩兵旅団が各師団に配備された)。

 こうして帝国の防衛を拡大しながら、さらにアマリスは帝国内のおびただしい大学、研究機関の支配を固めた……特にアマリスが皇帝の座に登った後、生産力が急減してから。彼は軍事研究プロジェクトのすべてを地球に移転するところから始めた。たとえプロジェクトのスケジュールや成否に悪い影響が出てもだ。

 そのときまでに、OPDは、帝国内の学術研究機関からの反対の声が増していることを報告していた。脅迫と逮捕によって、一部は排除されたが、残虐さを増すアマリスの統治への反対が収まったわけではなかった。HSFは、大規模な反対運動が行われた学校の学術部門をすべて閉鎖し、「最悪」な者を扇動の罪で投獄した。代わりにOPDは、大学の教育者の認定を行い、すべての大学が「教義として適切な」カリキュラムを持っているかを保証する新しい部門を立ち上げた。OPDとHSFは帝国の占領中に数百の大学を閉鎖し、その過程で数千人の学者を投獄したようだ。


秘密艦隊 THE SECRET FLEET

 レジスタンスの闘士たちも、辺境世界共和国の忠誠派も、大半が知らなかったことであるが、SLDF海軍は帝国内に小規模だが強力な戦力を残していた。相当数の戦艦と軍事航宙艦が共和国人による最初の攻撃を逃れ、そのうち一部は民間船を一緒に連れてきていた。蜂の巣から蜂の巣へとジャンプし、脱したばかりの絶望的な戦闘の真ん中に突っ込んでしまうこともあったが、大多数は深辺境にジャンプしたのである。SLDFは相当数の中継ステーションと再補給ポイントを帝国の無人星系に維持していた。生き残った少数の提督がこれらの船をまとめはじめ、臨時の小艦隊に組織し、近くの帝国星系の外辺部にジャンプさせ、単純に情報を収集した。HPGネットワークから完全にカットされた彼らは、アマリスによる侵攻の規模を知る方法はなかった。

 1月が終わるまで、アマリスが帝国の新しい総裁であると宣言した時期に、SLS〈ハリコフ〉がこれらのポイントのひとつに到着し、ここはすぐに「フリーダム・ステーション」の名前で知られるようになった。乗っていたのは、SLDF最高司令部の2名、セルゲイ・アラウージョ将軍(軍法務部長)とキム・ヒョン・ソク将軍(人事部長)である。彼らはヴィンチェンツォ・マクティアナン海軍中将(海軍司令部副部長)、海軍准将、先任の海軍大佐たちと会合を持ち、今後どうするかについて話し合った。使える船が比較的少なかったことから、アマリス艦隊に立ち向かうのは望み薄だった。だが、何が起きたかと、アマリス軍の配置を思い描くことはできたのである。共和国艦隊を襲撃し、悩ませ、レジスタンス・セルや生き残ったSLDF部隊と可能な限り連絡することもできた。その一方で、彼らはふたつの大きな任務を負った……できる限りの民間人を帝国外に護衛することと、ケレンスキー将軍に報告することだ。

 使用可能な約30隻の戦艦(一握りのバグ=アイ偵察艦含む)を持つこのいわゆる「秘密艦隊」は情報収集に集中した――数少ない例外は、単独で行動するアマリス戦艦、小規模な降下船部隊を待ち伏せするためにジャンプインし、それからジャンプアウトできた場合である。この秘密艦隊は、占領されてから最初の数ヶ月で13隻の辺境世界主力艦を破壊し、1ダース以上に損害を与えた。ぞさから共和国人は戦術を変えたのである。最終的にアマリスは、深辺境に入って秘密艦隊を探し出し破壊するよう、ハンターキラー小艦隊に命じた。

 2度の交戦でSLDFの主力艦2隻と数千名の貴重な船員が犠牲になった後、秘密艦隊は妨害戦役をやめて、情報収集に集中した。最終的に彼らは宇宙の2つのランダムなポイントに展開地点を結集した。すぐにここは、フリーダム・ステーション(地球のリムワード)、リバティ・ステーション(地球のコアワード)と呼ばれるようになった。アマリスの船がこれらのポイントを見つけるには、1兆回に1回のラッキージャンプが必要であった。数多の民間航宙艦、降下船がこれらのポイントにいる秘密艦隊に加わり、情報収集任務を手助けした。

 最終的に、秘密艦隊はケレンスキー将軍から追加の命令を受け取った。SLDFが戻ってきてアマリスの占領を終わらせるまでに、帝国の自由の戦士たちをできる限り支援することである。これらの支援は、主に補給物資と装備を下ろすという形で実施された。秘密艦隊の戦艦が時折ハイリスクなジャンプを占領された世界のパイレーツポイントに実施して貨物を下ろし、それからジャンプアウトして、少なからず帝国内で休息に拡大していた密輸入文化を単純に利用した。高額の賄賂によって、降下船にいっぱいの兵器と補給物資をいかなる世界にも送り込むことが可能となり、各世界では、シンパのドック労働者がコンテナに入った装備を下ろして、レジスタンスのセルに届けるトラックに載せたのである(あるいはこれらの補給コンボイをひとつひとつ奪っていった)。

 この形で4年以上、秘密艦隊は運用され、ケレンスキーは情報収集船と護衛艦の小艦隊を送り込み始めた。2771年末までに、マクティアナン海軍中将はキーホール作戦(最初の侵攻で目標にされた帝国の星系すべてをシステマチックに監視する)を組織し、発動した。








辺境世界方面戦役 The Rim Worlds Campaign


キャンプ・アンバー CAMP AMBER

 辺境世界共和国の防衛の現実は、ほとんどお笑いぐさであった。わずか1ダースの正規連隊が、およそ40個の市民軍部隊と惑星駐留軍、準軍事警察に支援されていただけだったのである。総計で、50個連隊以上が、SLDFの2500個連隊に直面することとなり、どのような末路を迎えるかについて幻想が生まれることはなかった。市民軍の大半はどこかに消えていったが、正規連隊はもう少し持ちこたえた。政治士官たち(ケレンスキーはロシア語でザムポリットと呼んだ)が脱走者とその家族に報復をすると脅した結果である。だが、場合によっては、政治士官たちは彼らが約束していた以上のことをされた……兵士たちが反乱を起こして、圧制者たる政治士官たちに恐ろしい罰を与えたからだ。

 辺境世界共和国での会戦はほとんどなく、あったとしても決定的なワンサイドとなった。その代わり、アマリス軍は一体となって防衛陣地(主にRWAが建設したものであるが、2755年にSLDFが放棄したものもあった)での抵抗を行った。RWA陣地は比較的容易に攻略できると判明し、特殊部隊による浸透からバトルメックの戦闘降下まで、基地強襲作戦が行われた。だが、SLDFの要塞は打ち砕くのが難しかった。SLDFによって建築された基地は20を数え、9月半ば、ドシェヴィラー軍が第三波でアードヴィン管区に入った際に、最初のひとつに遭遇した。コンパス座(Circinus)に位置していたその要塞は、共和国のリムワード方面防衛の要であり、SLDF、ライラ共和国、自由世界同盟に重大な脅威を与えていた。キャンプ・アンバーは北部のエゾ・デザート地下深くに埋められており、アクセスポイントは重要塞化されていた。この出入り口はたいてい偽装されていたが、そもそもこの施設を最初に建設した組織に対してはほとんど意味がなかった。当初、SLDFの占領軍は民間の人口密集地帯と工業地区に集中した。この世界に来てから1週間後、SLDFはバトルメック戦力による散発的な攻撃を受けていることに気がついた。この敵部隊は一撃を見舞っては、空気の中に消えていくかのようだった。第23アマリス猟騎兵隊(Amaris Chasseurs)と特定されたこの襲撃部隊は、キャンプアンバーにまで追跡された。事前準備報告書によると、キャンプアンバーは放棄されているとされており、よってSLDFが占領することはなかったのである。

 悔しがる第9軍指揮官ティエリ・ドハイフは、第108ジャンプ歩兵師団と第275バトルメック師団(アルタイル師団)に、守備部隊を殲滅し、施設を奪取するよう命じた。SLDFと守る辺境世界共和国軍の間には20倍以上の戦力差があったというのに、キャンプアンバーの掃討には約6週間かかった。最初のアプローチは目を引かぬものであったが、出入り口につながる巨大な耐爆ドアをこじ開けようとすると、狙撃手と隠し砲塔がSLDFに向けて撃ち始めた。これらの攻撃はすぐに制圧され、兵士たちは施設に侵入できるようになった。だが、キャンプアンバー内の通路は迷宮がごときものとなっていたことから、第23アマリス猟騎兵隊は一連の戦闘退却が可能となり、施設群奥深くの二次、三次防衛陣地に下がっていったのである。最終的にSLDFの数がものを言うことになった……とくに、共和国の1個中隊が愚かにも包囲突破しようとして、SLDF1個連隊にまっすぐ突っ込んでからは。10月25日、施設群は確保され、コンパス座占領は完了した。


味方か? 敵か? FRIENDS? ENEMIES?

 それほどやる気のない兵士の反応は、2767年後半から2768年前半にかけて、SLDFを惑わし続けた。兵士の多くは、単純に武器を置いて、SLDFを招待し、非アマリスな共和国人であることを宣言した。政治士官だけがアマリスへの忠誠心を保っていたが、それでもなお、兵士たちの多くが逃げだして、民衆を虐待するという役割を隠そうとして、脅迫を受けた者たちに追い詰められるだけの結果に終わったのである。RWAが政治士官に乱暴な正義を執行する前に、SLDFが介入せねばならないことが多々あった。

 残念ながら、降伏のすべてが本当というわけではなかった。第二波のパーシステンスにおいて、RWAの1個中隊が降伏し、第57機械化歩兵師団の分隊に拘留された。しかしながら、これら「友好的な」部隊のデブリーフィングが始まると、ベルトに隠された爆薬が起爆し、23名のSLDF兵士、情報幕僚を殺したのである。その後、辺境世界共和国の兵士全員が、注意して取り扱われ、武器の所持がチェックされ、SLDFの潜在的な標的から遠ざけられた。強制的に信頼が失われたことで、共和国の占領はかなり遅れた。その後、発見された破壊工作員は一握りであったが、パーシステンスで示された危機は残っており、よってSLDFは安全で確実なやり方を続けた。

 SLDFに立ち向かった正規連隊は少なかったが、不正規活動、古くからの辺境のゲリラは顕著に増加した。驚くことに、これら事件の多くはSLDFに直接向かうものでなく、残ったわずかな辺境世界共和国軍に対するものだった。アマリス一族の下で長きにわたって違法とされてきた辺境共和国軍(RRA)は、2740年代に再び姿を現し、大勢のシンパがアマリスの経費で訓練された結果として、50年代、60年代、急速に拡大していた。地球でのクーデターのニュースが届くと、大半が反旗を翻して、アマリス派に対する低強度紛争を始め、SLDFはたいてい見物人となった。RRAは共和国政府の高官、軍人に関する正確な情報を提供したが、それは個人的な復讐としての情報提供だった。SLICはすぐに額面通り情報を受け取らないことを学んだ。アマリス派もまたSLDFに流入する情報を操作しようとして、アマリス派セルの容疑者が実はRRAだったというケースが何度かあった。

 SLDFに対する攻撃はスナイパーや即席爆弾によるものが主だったが、散発的なものであり簡単に対処することができて、再統合戦争における共和国の抵抗とはほど遠いものだった。2768年の半ばにエレウォンで起きたある事件により、SLDFは警戒を緩めることがなかった。エレウォンが平定されてから3ヶ月後、SLDFの駐屯部隊は日常的な仕事に落ち着き、通常の生活が戻ったかのように見えた。8月17日、ケレンスキー将軍がエレウォンのフォート・メリマックを訪問したときのことである。盗まれたケータリング・トラックが基地の正面ゲートを突破しようとした。この計画は失敗した……ゲートの衛兵が対車両爆弾の防衛システムを作動させ、ドライバーを射殺したからだ。数トン分のアンモニウム爆弾が積まれていると予想したSLDFの爆発物処理班が車両に近づいたところ、発見したのは、起爆可能な状態にある50キロトンの核兵器だった。フォート・シンプソンが再び繰り返される間際だったのである。ドライバーは、デッドマンズスイッチをつけていたが、クラッシュで肉体が破壊されたことから、起爆に失敗していた。まったくの偶然によって、基地の大部分は破壊を免れ、ケレンスキーの命が救われたのだった。



黒猫が幸運を招く? BLACK CATS BRING GOOD LUCK?

 惑星エンガディンは第18軍にとって問題の種となり、第287バトルメック師団(トブルク師団)と第206親衛機械化歩兵師団(ブラジルの民主主義者)は断固たる決意を固めた不正規兵に遭遇することとなった。この敵はまるで幽霊のようで、脆弱なSLDFのパトロールを素早く攻撃し、自動車爆弾を起爆させ、民間人とSLDFに大きな被害をもたらした。6週間以上に渡って、この攻撃はエスカレートし、敵が化学兵器を持っており、SLDFの部隊への「華々しい」攻撃を計画しているとの諜報上の噂が出回りはじめた。化学兵器という性質上、真実味あったことから、噂が出回るのを止めることはできず、SLDFは誇大妄想となり始めた。ゲリラと共謀しているとして、民間人が脅されて投獄される事件も起きた。事態はコントロール不能な水準に陥る寸前であった。

 それから、一晩、ゲリラの攻撃が止まった。市民に広まった噂によると、超極秘の特殊作戦チームが一晩でテロリストを片付けたというのだ。SLDF指揮官、ガブリエル・モラーノ中将は、エンガディンでそのようなチームが活動しているなどと聞いてなかった。地元民が「死の夜」と呼ぶ襲撃から二日後、目を覚ましたモラーノ中将はベッドサイドのテーブルに箱と黒いオリガミの猫が置いてあるのを発見した。箱の中(ブービートラップでないと確認された)にはテロリスト・セルのリーダーの首が入っていた。

 モラーノは最高司令部にこの事件を報告し、一件はすぐケレンスキー将軍の耳に入った。特殊部隊チームの腕前は彼を驚かせなかったが、出所は驚かせた。ミノル・クリタがアマリスに協力してるのなら、ドラコ連合のエリートであるネコガミの暗殺者たちがなぜ辺境世界共和国と戦うSLDFの作戦を支援しているのかが疑問となったのである。

 ――フィオナ・ライス=キャンベル著『隠された協議』より、ラーネ・パブリッシング、3026年発行



ハイ・アンド・ロー HIGH AND LOW

 フォート・メリマック攻撃から一ヶ月もしないうちに、核兵器にまつわるもうひとつの事件が起きた……今度はSLDFが引き起こしたものである。ボーヴェのフォート・ソールズベリーは、第17アマリス竜機兵団の一部が砦として使っており、RWRの抵抗におけるもうひとつの難所になっていた。モンベアトリス山の地下に位置し、入り口は山肌に埋め込まれた砲塔に守られていたことから、この基地を奪還するのは損害の大きい難行であった。最初に行われたメック強襲は簡単に撃退され、間接砲・航空支援のあった二度目は少しまし程度のものであった。この施設を作り上げた星間連盟の工兵たちは、山を狡猾に使って火力を連動させる一方、敵が固定砲台を攻撃するには近づいての強襲しかないようにしていた。数個特殊部隊チームが砲台を破壊しようとした。一部は作動不能となったが、大半が残って、大規模な損失なしにSLDFが強襲するの不可能なままであった。

 最終的にドシェヴィラー将軍は兵士を山から引き下がらせ、核兵器を積んだ戦闘機を1機派遣した。山の西斜面は爆風によって破壊され、据え付け砲台もそうなった。驚くべきことに、爆風の直撃から守られていた正面ドアは無傷のまま残った。ドシェヴィラーは核兵器をもう1発使うべきか熟慮したが、共和国の世界への損害を最小限に抑えるという厳格な取り決めがあり、核兵器による死の灰はこの政策に触れるものであった。代わりに、彼は軌道火力支援チームを使って、この要塞を瓦解させることにした。2日間にわたって、戦艦の分遣艦隊がレーザーと砲弾を要塞に撃ち込み、終わるまでに山と山に守られていた基地を廃墟に変えた。

 他の要塞も同じように核攻撃と軌道爆撃でたたきのめされた。守りの堅い基地に対しては、それが数少ない有効な戦略だったのである。しかしながら、ケレンスキーはできることなら要塞を破壊したくはなかった……内部に入って、アマリスが守備隊を支援するため思いやり深く残していった備蓄物資を手に入れたかったのだ。ミルヴァノのキャンプ・シエナは、二週間にわたってSLDFと戦っていた武装勢力によって破壊された。武装勢力は基地の原子炉を起爆して自殺し、SLDF歩兵の2個連隊を道連れにしたのだ。これが辺境世界共和国方面作戦で最大の人命損失である。2769年が終わり、共和国の占領が完了するまでに、11の基地が完全に稼働する形でSLDFの手に落ち、修理と再武装ができる安全な拠点を得られたのだった。もう3箇所が利用可能だったが、撤退したRWAによって軽視されていた。

 おそらく、SLDFにとって最も重要だったのは、海軍が占領した3つの施設(1つは2767年夏に、2つは2768年前半に)である。軌道港湾施設の入手はSLDFにとって重大だった。共和国には十数の港湾施設があったが、SLDFの戦艦を取り扱える能力を持つものは3箇所だけなのだ。ライラ共和国の施設のいくつか(アラリオンが有名)も使用できた一方で、使用するのは政治的に繊細かつ保安上のリスクがあった。集結した海軍部隊の中には移動式修理プラットフォームがいくつかあったが、その船の修理能力は限られたものであり、唯一の解決手段はドライドック施設だけなのだ。辺境世界共和国のドライドックはふたつが知られており(27世紀にさかのぼるタデオの兵器プログラムの遺物)、もうひとつは「音信不通」だった。この3つ目、キャメロットコマンドは、SLDFがダークネビュラ(アポロとヴォータンの間)に建設した施設であり、たどり着くのは宇宙航法上の挑戦であることから、共和国に占領されることはなかった。海軍攻撃部隊は、2767年9月、この基地にジャンプし、施設確保のため海兵を降下させる前に近辺の掃討を行った。海軍の工兵たちが直後に続き、10月前半、この複合施設はぼろぼろになったケレンスキー艦隊向けの操業を開始した。キャメロットコマンドの収容能力は限られていたので、2768年前半、SLDFは辺境世界共和国の造船所に同時強襲を仕掛けた。

 スターズエンドの複合施設はかつてSLDFの艦隊基地であったが、いまやRWA海軍の中枢と化していた。この星系に共和国の戦艦は残ってなかったが、相当数の戦闘機が存在しており、SLS〈マウントバッテン〉率いる星間連盟海軍の分艦隊は挑戦的な戦闘に直面した。修理ガントリーと自動工場は防衛側の共和国に破壊された。飛行不能となったSLDFの戦闘機が施設に衝突し、タンクのいくつかが破裂するとヘリウム貯蔵施設は失われた。14時間の血塗られた衝突の後、〈マウントバッテン〉のCAGは施設を確保したと報告した。

 エリンの民間施設は一見してスターズエンドより守りが薄く、占領するのは簡単になるはずだった。残念ながら、海軍分艦隊の到着がほとんど奇襲となった艦隊基地と違って、エリンの造船所は事前の警告を受けており、占領される前に爆薬を埋め込んでいた。施設の約60パーセントが破壊され、SLDFの爆発物処理チームとイージス級SLS〈バンボロー〉乗組員の素早い行動によって残りが救われた。軌道維持ドライブを破壊され軌道から落ちていく造船所ステーションを〈バンボロー〉が自力で押して、軌道を保ったのである。異常な機動で造船所ステーションと〈バンボロー〉の両方が多大な損傷を負ったが、ケレンスキー将軍はこの行動を賞賛した。

 これら3つの施設があってなお、星間連盟海軍を維持するのは難題であり、帝国への強襲を準備している間に、ケレンスキーは艦隊を運用するため「極秘」施設をいくつかを建設する許可を出した。これらのうち大半は歴史の中に消えていったが、オデッサ星系外部のひとつは聖戦の間にブレイクが主要施設として使用し、近年悪名高くなったガブリエル遺跡である。


アポロの反乱 APOLLO RISING

 ケレンスキーは共和国主星アポロに対する強襲を辺境世界共和国戦役の始まりであると考えたが、アポロを直接攻撃するのは、全体的な利益に乏しく、得られる利益よりも労力が必要であるという結論に達した。そうする代わりに、ケレンスキーは首都を孤立させ、アポロからのHPGメッセージをブロックして(SLDFが許したものをのぞく)、摂政モハメド・セリムをいらだたせることを選んだ。アポロ星系のジャンプポイント(共和国に対する強襲の第二波で占領していた)を奪い、パイレーツポイントが使われないように星系をパトロールすることとに加えて、通信を遮断したことで摂政とRWAは孤立した。その結果、国家と軍隊は舵を失い、SLDFの餌食となったのである。共和国内において、捕虜となってない有能なRWA指揮官はほとんどいなかった。大半はアマリスの地球師団に組み入れられており、状況の悪化によって兵士の多くが降伏したがっていた。これに加えて、政治的な指示がなくなったことで、反体制グループが大手を振り、共和国中の多数の世界を占領したのである。分断戦略はアポロにも同じ結果をもたらしたが、流血なしにとはいかなかった。

 約1年にわたって、アポロは外部の宇宙から切り離された。その間に政治的な緊張感は高まり始めた。2768年にくすぶった状況は10月後半に沸騰し、セリム首相に対する民衆の暴動が発生したのである。最初に惑星上の忠誠派連隊(第832アマリス竜機兵団、第6アマリス槍機兵団含む)が蜂起に対処し、抗議を暴力的に抑えた。だが、すぐに、RWA内での緊張もまた明らかとなり、最初は個人が、次にメック小隊の全体が、そして中隊が自国民を撃つのを拒否したのである。両連隊は内輪もめで崩壊し、SLDFの監視役は星間連盟の助けを求める声を聞き始めた。

 ケレンスキーは数ヶ月にわたって計画を延期したが、比較的元気な第11軍からなる遠征軍をアポロに派遣して橋頭堡を確保し、それから第20軍の陣頭に立って強襲に参加した。到着したSLDFには形だけの抵抗しかなされなかった。市民軍部隊は勇敢であるがむなしい立て続けの阻止作戦を行った。唯一のまっとうな抵抗は、市民軍の撤退した2つの要塞で発生した(アマリスの命令で数年前に建設され、帝国のキャッスルブライアンを模したもの)。理論的には、市民軍はこれらの城塞で長期間持ちこたえることができたかもしれないが、戦力が少なかったことと施設になれてなかったことで、決然たる第331親衛バトルメック師団(ジェームズ・マクイヴディ指揮)のいいカモとなり、3日で両基地が占領されたのだった。

 辺境世界の兵士の多くが到着したSLDFに離脱し、その中には未来のノヴァキャット指導者でその後ケレンスキーの情報幕僚となるフィリップ・ドラモンドがおり、RWAと共和国にかんする情報を提供した。さらなる兵士たちが戦線を越えてSLDFの野営地に入り、戦時捕虜たちはすぐに星間連盟防衛軍にとっての大きな頭痛の種となった。

 たった1週間の戦闘の後、ケレンスキーの軍は首都に到達し、予想していた熾烈な市街戦に巻き込まれることはなく、町がパーティーの雰囲気なのを見たのである。10月29日の夜、反体制派が摂政の王宮に押し入り、もがくセリムを広場に引きずり出して、議場でのぞんざいな裁判の後、交通標識に首を吊した。

 ケレンスキーが暴徒の正義に目をつぶると、群衆は到着したSLDFを征服者ではなく解放者として歓迎し、アマリス王朝による支配の終わりに喝采を送った。この歓喜は、共和国が最終的にどういう運命を迎えるか不確かだったことから恐怖の色彩を帯びていた。SLDFは共和国の存続を許すだろうか? それとも地図から消し飛ばすだろうか? 彼らの運命はケレンスキーの手にゆだねられており、多数のグループが将軍の寵愛を買おうとし始めた。








帝国への帰還 Return to the Hegemony


リバイバル THE REVIVAL

 ケレンスキーは帝国解放作戦への支持を集めようとする間、アマリスとの戦争の準備をアーロン・ドシェヴィラー将軍(次席司令官にして腹心)に託した。4年におよぶ辺境での激しい戦闘の後で、SLDFは人員、装備双方の面で重い損害を被っていた。星間連盟が可能とした膨大な兵站網を使って、SLDFは損失を和らげ補充する準備を行っていた一方、アマリスのクーデターによって必要だった支援の大部分から切り離されていた。

 ケレンスキーは手持ちの分と輸送した分の補給物資と補充兵だけを使って反乱した辺境国家との戦争を手早く終わらせ、それから辺境世界共和国に向かった。ここで彼の軍隊はだいたいにおいて「地元に寄生」し、戦闘と再建のために必要な物資を奪い取った。アポロ陥落後、ドシェヴィラー将軍は辺境世界共和国(すでに戦争で踏み荒らされていた)が生産した工業物資のほとんどすべてを酷使して、SLDFの再建と再武装を支援した。同時に彼らは大規模な基地を共和国の各地に建設して、新たな志願者を訓練し、現実的な機動演習で既存部隊の技量を保った……これらの演習は、特に帝国中に散在する100以上のキャッスルブライアンを強襲し占領するのを想定した。共和国の造船所が、修理と改装の必要なSLDFの戦艦、降下船、航宙艦でいっぱいになった後、SLDFはダーク・ネビュラ奥深くの修理ヤードを利用した。ダーク・ネビュラは誰の目に晒されることなく特定の船を修理できる秘密の場所であり、SDSに守られた星系への攻撃をシミュレートする艦隊の機動を行うことができた。

 これらの訓練施設は、5つの中心領域所属国でいまだ稼働中の正規軍初期訓練基地(それぞれがSLDF軍事管区司令部に付随する)10箇所とあわせて、SLDFに着実な志願兵の流入をもたらした。10の管区募兵訓練基地と3つの非帝国SLDF養成校は門を閉ざしておらず、SLDF志願兵の訓練をやめてなかった一方、志願兵を訓練施設に運ぶ船がなかったことから、志願者は微々たるものになっていた。しかし、SLDFの輸送部と民間の海運企業が志願兵の移動にかなりのスペースを割いたため、志願兵は洪水のようにあふれた。SLDFが新たな戦場指揮官を確保できるように、すべての訓練基地にはミニ士官学校が設営され、最初の訓練が終わった後、素質ある志願兵に追加のリーダーシップ訓練を与えた――こういった訓練はすべて大幅に短縮され、帝国の解放に必要な人員を確保した。

 同時に、SLDFはこの200年以上で滅多になかった事態に遭遇することになる……5大王家軍の現役軍人が「脱走」してきたのである。まず、ほんの一部の王家兵士たちがSLDF基地にやってきて、志願を行った。しかし、ケレンスキーが支援を求める運動を始めると、無許可離隊した王家兵士たちが毎週数千人到着し、そのうち一部はメック、戦闘機、戦車を持ってきたのである。中隊、大隊のほぼすべてが脱走を成し遂げたケースも少数あり、同じく多数の降下船、2隻の戦艦(双方共にドラコ連合の戦艦)すらもやってきた。

 5大王家の君主たちは、当然のことながら、これを推奨せず、兵士たちの減少を防ぐためにできることを何でもした。離脱を押しとどめるために、SLDF基地の近くに大規模な部隊を展開し、捕まえた者に重い刑罰を科した。だが、兵士の大量出血を止めることはできなかった……特に数百隻の民間降下船、航宙艦が志願して、あちこちの義勇兵を密輸してからは。最初、SLDFはこれらの訓練済みの兵士たちを既存の部隊内の穴を埋めるのに使ったが、流入する志願者たちがさらに増えていくと、ケレンスキーは義勇兵軍団の結成を決め、国籍ごとに連隊、旅団を組織した。生まれが共通していることから、そう多くの再訓練は必要とならなかった。ケレンスキーが帝国の解放を始めるまでに、12個義勇兵旅団(36個連隊)が存在し、毎週さらなる志願兵が到着した。

 一方、SLDFはいまだ物資を死活的に必要としていた――補充用のマシン、修理用パーツ、弾薬、その他の消耗品である。いまだ星間連盟の管理下にあった少数の大規模な製造業者ができる限り生産を強化しており(将来的に有利な契約価格を約束された)、その一方で、SLDFは物資の補給を助けるため外部の業者多数と契約し、代わりにかつては門外不出だった技術を提供した。

 しかし、これだけでは十分でなかった。ケレンスキーの命令により、ドシェヴィラーはSLDFの1/4近くにSLDFと星間連盟の基地から戦争の遂行を支援できるような備品をすべてはぎ取るように命じた。戦争に直接的に使えないようなものは、中心領域企業によって生産された長年の非軍事物資(長期契約により星間連盟政府に配送されたか、単純に備蓄されていたもの)と共に倉庫に入れられ、追加の武器弾薬を購入するために捨て値で売却されるか物々交換された。

 一部のケースでは、SLDFは必要な物資を大王家から単純に奪い取った。ハルステッド・ステーションとサダルバリに大規模な補給庫があると知った後、ケレンスキーは特にクリタ家を襲撃の対象とした。SLDFの船は大量のクリタの武器、弾薬、物資を積んで離陸し、メディアは長年にわたる星間連盟への納税不足を取り立てたのだとはやし立てた。クリタ大統領は報道の中でケレンスキーを容赦なく攻撃したが、最終的にSLDFがドラコ連合からアマリス帝国への襲撃や攻撃を妨げただけだった(根強い噂によると、これらの補給庫は大統領からケレンスキーへの追加の支援であり、同じく2隻の戦艦の「離脱」もそうなのだが、証拠となる記録は存在しない)。この戦争の後半において、ケレンスキーは自由世界同盟のイリアン、カリダサ、オリエントの大規模な補給庫を奪う命令も出した。ケニヨン・マーリック総帥が協力を拒否し続けていることへの報復である。



充分でなし NOT ENOUGH

 (ケレンスキー将軍と私の)両名は、本日、AdCom(総務部)から、(辺境戦役における)最後の報告を受け取った。110個師団と61個独立連隊が消滅した。これらの部隊だけで150万人以上が死傷し、他に損害の大きい27個師団と5個独立連隊を解散せねばならなかった。それに加えて、1個師団丸ごとと5個連隊が、脱走によって打撃を受けた。

 アレックスは脱走という単語を使うのが好きでなかった。「AWOL(無許可離隊)」の表現を好むが、要するに裏切り者なのである。そして、我が軍は(辺境の)反乱軍を相手に兵士を失いすぎた。公的には、この1個師団と5個連隊は脱走によって失われた唯一の部隊ということになっているが、真実はさらに悪いものである。実数は不明ながら、一部の連隊では平均で最大10〜20パーセントの脱走者による「損害」があり、最大では半数にもなるかもしれない。

 明日、私たちは難しい決断をいくつもこなさねばならない。我が軍はせいぜい50%パーセントの戦力にある部隊を多く抱えていた。これは我々が定めた最低限の戦力レベルである。最低でも8個師団と多数の連隊を切り刻む必要があると私は見ている。そして、おそらくもう6個軍団の司令部もそうなるだろう。そんなことはしたくないのだが、問題は彼らが戦闘可能な状態にないということであり、まだ戦える他の部隊に人材を移さねばならないのだ。彼らを名簿から外したくはないので、実際は、彼らの一部を訓練、事務組織へと転換することになるかもしれない。それは意味論でしかないが、辺境であまりに多くの優れた部隊を失っており、生き残ったものを単純に処分することはできないのだ。生きて戻ってきた全員が収まるべき場所を必要としている……たとえそれが、いくつかの部隊を書類上残すことになってもだ。

 今後のためにそれで充分というわけではない。だが、最低限、兵士を動かしはじめ、訓練を再開することができる。これに、ブートキャンプから来る新兵を加えたら、ちょうど充分ということにならねばならない。

 ――アーロン・ドシェヴィラー将軍の個人的な日記、2770年1月11日



けしてあきらめることなかれ NEVER GIVE UP

 アポロ陥落後、ケレンスキーはSLDF全軍を故国に向けるには数年がかかることを知った。そして、彼と軍が帝国で遭遇するであろう抵抗に関して、知識がほとんどないことも知った。そこで、ケレンスキーはふたつの大規模な作戦を組織した。双方共に、帝国侵攻作戦を計画するのに必要な情報をケレンスキーと計画立案者に与えるものであり、残虐なアマリスの占領に直面している帝国市民たちにいくらかの希望と救援を与えるものであった。

 一つ目は、帝国を監視するキーホール作戦。100隻以上のバグ=アイ電子諜報戦艦、数百隻のエリント降下船を地球帝国に送り込んだケレンスキーは、ヴィンチェンツォ・マクティアナン提督(帝国国境内で活動する最先任海軍指揮官にして、いわゆる秘密艦隊の指揮官)に情報収集作戦の拡大を任せた。ケレンスキーはアマリス艦隊についてと地上部隊の配備についてを知りたがっており、同じくらいに重要なのは帝国内の状況であった。使える船の増えたマクティアナン提督は、少数の重要な世界にのみ集中していたこれまでより多くの世界で活動ができるようになった。同時に、潜入工作員たちと各レジスタンスのリーダーたちは、地上から価値あるヒューミントを提供した。

 キーホール作戦がものの数ヶ月で暴いたのは、最初に考えられていたよりもさらに悲惨な状況であった。すべての世界がアマリスの手で多大な被害を受け、一部は急速に人が住めないようになっていった。ケレンスキー、ドシェヴィラー、全上級幕僚は、まだ帝国に侵攻できないにしても、何かしらせねばならないことに同意した。

 従って、ドシェヴィラー将軍の指揮下で、イントルーダー作戦がはじまった。ドシェヴィラー将軍は、生き残った5個連隊戦闘団(RCT)を作戦に投入し、占領された帝国への偵察襲撃実施を命じた。非業の運命を遂げた第34親衛バトルメック師団と同じ轍を踏まなかった彼らは、SDS防衛システムを避けて、安全に近づけるとわかっている世界から攻撃を始めた。最初に、彼らは孤立した共和国の基地、部隊に数回の攻撃を見舞い、市民と特にレジスタンスの戦士たちが必要としていた物資をできる限りもたらした。初期の成功に勇気づけられ、そしてドシェヴィラーが提供した追加の独立連隊の支援を受け、彼らはすぐさま作戦を拡大し、民間の運送を隠れ蓑に使って、毎週いくつかの星系を叩いた。目標は、アマリスの防衛の調査、共和国の作戦と移動を妨害することだった。

 この限られた戦役のわずか数週間前、ミノル・クリタ大統領がSLDFをドラコ連合から追い出し、第3RCT、エリダニ軽機隊は、数十年来の本拠地を離れねばならなかった。第3RCTは1年近く遊牧民となり、4つの星間連盟所属国家の星系から襲撃を行ったが、主に活動したのは自由世界同盟からだった。だが、2771年5月のタリッサ襲撃は災厄となった……都市アミティに降下した後、第19打撃連隊の隊員たちは3個共和国連隊のただ中にいることに気がついたのである。2時間後、軽機隊内部にいたアマリス工作員の犠牲となり、第19連隊は消滅した。

 第19打撃連隊は、チーフテン作戦――SLDFによる地球帝国侵攻作戦――の準備段階における唯一の損害ではなかったが、ケレンスキーの兵士、乗員、パイロット、メック戦士にとってかけ声となったのである。「第19連隊の復讐をせよ」が戦車は戦闘車両の側面に貼られるようになった一方、このスローガンは数百のバリエーションを生み出した――多くはクーデターの最中に帝国内にいた部隊、帝国戦役中に失われた部隊の死んだ友人や愛する者に置き換えたものだった――最終的にこれらはミサイルや爆弾、弾薬に書かれて、アマリス軍に対する戦闘に費やされた。

 ドシェヴィラーはイントルーダー作戦に投じる部隊を刻々と増やし、帝国への侵攻を開始する準備ができるまでに、5個師団相当(15個混合旅団)が襲撃を行った。数年前の辺境戦役よりも、死傷率は遙かに大きかったにもかかわらず、負傷者、戦死者、捕虜の代わりとなる志願兵に事欠くことはなかった。そして、長年にわたる激しい実戦の後で、休息と回復のためにケレンスキーが彼らを初期の侵攻軍から外して予備とすると、隊員の大半が即座に(ゲリラ戦以上のことができる)前線部隊への転属を求めた。ケレンスキーはすぐに命令を取り消し、各連隊(多くが半分以下の戦力だった)を第一波に入れた。ここで彼らはパスファインダー役を務め、アマリス軍との戦いに戦友たちを導いた。



ハレルヤ HALLELUJAH

 ちくしょう、あいつらを見て喜んじまったなんて!

 つまり、こういうことだ。俺は除隊するまで、30年間、SLDFに勤務していて、最後の20年は地球RCT所属だった。俺たちはベストだった。俺たちにはそれがわかってたし、肩で風を切って歩いていた。誰だって同じようなことをしていたが、俺たちはいろんな旅団のいろんなメックヘッドどもを怒らせてきたわけだ。俺はそんな最悪の問題児たちの一員だった。ずっと、ずっとな。当時は気づかなかったんだが、目立っていたのかもしれない。第138竜機兵団(第1RCT麾下の連隊)の指揮官がフラッシュマンから出てきて、「おまえら、糞を持ってきてやったぞ、パイル」と叫んだんだ――パイルというのは俺の古いネックネームだった。俺たちは延々とにらみあった。それから過去最大のベアハッグをしてやったね。この援軍と言えるものを受け取ってからが、本当に長かった。

 この時点で、俺と仲間たちは4年もの糞長い時間をかけて戦い続けていた。俺にとっての始まりは、アマリスの間抜けどもがうちのドアをノックして、ピストルを突きつけて、俺を逮捕しようとしたときだった。奴らはしようとしたんだ。そして失敗した。それから、この古いグループ……メックヘッド、戦車野郎、事務屋どもは、一緒になってクズどもを殴って回った。連中は俺たちを探してさまよった。チャンスがあるときは、俺たちは何人か歩兵を生かしたまま残していった――ちょっとした恐怖を広めてやるには、やつらを使うのが手っ取り早いだろ? だが士官は殺した。HSF(帝国保安軍)と裏切りどももそうした。俺たちの射撃の腕はよかった……「タンゴ」ことピン・デュシャンほどじゃなかったが、あの女は狙撃手としての訓練を受けていたんだ。俺たちはコンボイを叩いて、200個の輸送コンテナを吹っ飛ばしてやった。数年間の地獄をやつらに味あわせてやったんだ。

 だが、俺らはやられることにもなった。最初はフェラン(都市名)周辺を動き回って、武器弾薬を盗んで、間抜けどもを殺すのは簡単だった。だが、奴らは賢くなって、夜中に山を移動するのさえも難しくなった。その時まで、俺たちは惑星チスホームがどれだけ小さいかに気づいてなかったんだ。奴らは俺たちを何度かハメさえしやがって、半分以上が殺されて、皆殺しにされかけたことだってあった。俺たちがロープの終わりに近づいていたとき、第138竜機兵団が空から降ってきた。やつらがどうやって宇宙パトロールを全部やり過ごしたのかはわからないが、ともかくそれをやってのけて、俺たちがあの頃やったたみたいに強引に降下した。やつらは地元の守備隊を叩いて、回収品の選択権を俺たちによこして、物資のパレットをいくつか下ろしていった。俺たちが長期間活動するのに充分な量があった。

 最高のニュースは、ケレンスキーが糞デブ野郎を捕まえるために、ついにやってきたってことだ。俺たちは間抜けどもをもう1年忙しくさせ、それから侵攻軍がやってきた。おい、俺たちは第138(竜機兵団連隊)の第2(大隊)が上陸する前に、アマリスの将軍1人と大佐2人を捕まえさえしたんだぜ。その次に、俺はこれまでで最高のいまいましい光景を目撃した。1個師団が丸ごと上陸するのを見たのはこれが最後だった。涙を流したりはしなかったぜ。このときのために俺はやってきた、こんなにいまいましいほど長く。それだけの――それだけの時間だった。

 2日後、俺は制服に戻り、新しいウルバリーンIIに乗った。俺が第1RCTに加わったのはこのときだけだ。俺は地球RCTのほうが上だってことを知らせるのをやめたわけじゃない。守るべき伝統があった。

 ――ヒューストン"パイル"シイタカ曹長、SLDF(退役)『彼らの言葉から: 謀略屋アマリスを倒す』アブラハム・タランティーノ編、ドラゴン・テクノロジー・メディア、2781年




チーフテン作戦 OPERATION CHIEFTAIN

星間連盟防衛軍・戦闘序列
指揮官: アレクサンドル・ケレンスキー大将
全戦力: 80個メック師団 & 215個歩兵師団、233個連隊

 タスクフォース・コモンウェルス
 指揮官: ジョアン・ブラント海軍中将
 全戦力: 27個メック師団 & 73個歩兵師団、101個連隊

 タスクフォース・コンフェデレーション
 指揮官: アレクサンドル・ケレンスキー大将
 全戦力: 27個メック師団 & 65個歩兵師団、69個連隊

 タスクフォース・サン
 指揮官: アーロン・ドシェヴィラー中将
 全戦力: 26個メック師団 & 77個歩兵師団、63個連隊


アマリス帝国軍・戦闘序列
指揮官: パトリック・スコフィンズ将軍
全戦力: 41個師団



ローンスター争奪戦 The Battle for Lone Star

 7個師団を持つ第20軍集団の中で最強たる第44軍団は、管区主星のローンスター解放を単独で任された。ローンスターは、帝国の基準から見て人口はそこそこだが、重要な農業世界であり、無秩序な工業地区が多数あった。クーデターを起こした際、アマリスは共和国人と傭兵を混ぜた完全な1個旅団をここに駐屯させていた。この旅団は、非道にも元のSLDF防衛部隊と市民軍を爆破テロと化学兵器攻撃で掃討し、生存者たちを素早く容赦のない攻撃で撃破した。その一方、核攻撃と海兵隊の強襲の組み合わせによって、星系の宇宙防衛システム(SDS)を無力化した。残った大部分は、アマリス軍が奪い取って再起動したのだった。

 素早い攻撃によって、ローンスターの支配権は固く共和国の手に握られた。民間への付随被害がほとんどなかったことから、ローンスターの市民たちは当初共和国人に用心深く対処し、アマリスの占領に敵対を始めたのは、新皇帝の高圧的な指導と気まぐれな性格を経験してからだった。そのときまでには、侵略者たちを追い出すのは遅すぎるものとなっていた。小規模な抵抗セルが結成され、共和国人に対する限られたパルチザン運動を実施した。共和国は最終的に、2個強化パトリオット連隊で守備隊を拡充した――大半は徴兵にとられた者たちで、比較的少数の志願者によって増強された。

 2772年7月、SLDFがついに戻ってきた。70隻のSLDF攻撃艦隊がローンスターのSDSを排除する役割を課された。これは、近隣のヌサカン争奪戦とあわせて、完全な規模のSDSに対する最初の戦いとなった……結果はブラント海軍中将とケレンスキー将軍が恐れていたよりもひどいものとなった(顛末は、星系の外辺部で活動する6隻の星間連盟情報収集船によって記録され、後で研究されることになる)。囮艦戦隊が主力艦隊に先駆けて両ジャンプポイントに到着して、ドローン艦隊と交戦し、深宇宙に転身して、ドローンをつり出そうとした。キャスパーは大部分が持ち場を守り、小型艦数隻のみを送り出して囮艦を追わせた。

 陽動が上手くいかないのがはっきりすると、ヴィチョー・ンナマニ海軍中将は、天頂点に集結してSDSと交戦するよう連合機動艦隊(第8、第13艦隊の分隊からなる)に命じた。囮戦隊の双方(陽動が失敗したときに天頂点にジャンプした天底点側の囮戦隊含む)は、艦隊の主力と共に、ほとんど同時に攻撃を仕掛け、62隻のドローン戦艦、2基の防衛ステーション、多数の小型ドローン戦闘機、強襲船に相対した。ンナマニ海軍中将は距離をとり、ドローン艦隊の大部分が突っ込んで来るのを待ち構えた。星間連盟の戦艦はやってきたドローンの数隻を狙い撃ちにして、同じく護衛の2隻を破壊することができた。本当の乱戦が始まったのはそこからである。それは再統合戦争以来、二番目に大規模な海戦となった(これより大きいのは同時に攻撃されたヌサカン星系の戦いだけだった)が、SDSの精度によってこれまでのどの戦いよりも被害の大きいものとなった。キャスパーはまずSLDFの重駆逐艦、巡洋艦を狙い、危険だがいくらか脆弱な船を効率的に排除するため砲火を集中させ、チャンスなら護衛艦を狙い、一発たりとも無駄にすることはなかった。そのあいだ、小型のドローン船は分散して、固まったSLDF戦闘機大隊を撃退し、致命傷を負ったSLDFの船を完全に終わらせた。

 ンナマニ海軍中将の艦隊は似たような戦術を採用したが、戦艦の大火力によって、より素早くキャスパー船を排除することができた。1時間以上かけて、ンナマニ海軍中将の艦隊はドローン艦隊を撃破したのだが、損害は1/3を越えていた。10時間後、艦隊の海兵隊が2基の防衛ステーションを占領し(完全に確保するには数日間がかかった)、残りの侵攻艦隊が星系内に到着した。

 第44軍団の護衛小艦隊で戦力強化したンナマニ海軍中将は、連合艦隊をローンスターに進ませた。この星間連盟艦隊は、惑星に来てから2日で別のドローン艦隊に迎撃された――天底点を守っていた戦力の2/3である。ドローンは高G加速を実施し、惑星ローンスターのキャスパー多数と合流し、ンナマニ海軍中将の大規模な艦隊(降下船200隻以上、戦艦約60隻)を迎撃した。またもキャスパーは星間連盟艦隊の真ん中につっこみ、今度は兵員輸送船に砲火を集中させた。ほんの数分間の戦闘で、第138機械化師団がほとんど消滅すると同時に、他の3個侵攻師団はまばたきする間にそれぞれ大隊を完全に失った。その一方で、SLDF戦艦群は、降下船200隻と第44軍団の気圏戦闘機数百機以上の火力に強化され、即座にドローン艦隊を圧倒、撃破してのけたのだった。

 推定40隻のキャスパーからなる1個艦隊がいまだ彼らの前に立ちふさがっていた。それに加えて、3基の防衛ステーションと防衛用の船艇、惑星を基地にする共和国の気圏戦闘機中隊群があった。この艦隊に直接突っ込むよりも、ンナマニ海軍中将はまず衛星ベスパに目を向け、艦隊の海兵隊と正規軍歩兵に大規模な鉱業居住区を占拠させた。第44軍団の大半が一時的に上陸し、そのあいだンナマニ海軍中将は航空母艦、強襲船の支援を受けて、ドローン艦隊と交戦するために移動した。圧倒というほどでないにせよ、数で勝っていた星間連盟艦隊はドローンと3日に及ぶかくれんぼを行い、だいたいにおいてステーションの近くに固まって防御的なスタンスをとり、打って出るときを待った。

 ついに攻撃を仕掛けたとき、ンナマニ海軍中将はドローン艦隊の大部分をふたつの戦域に引き寄せ、ひとつのステーションに全戦力を集中させた。もう一度、キャスパーと小型ドローン船は星間連盟を非常に効果的に狙いを定めた……このときは、ンナマニ海軍中将の旗艦SLS〈ケリビュス〉を選び出し、戦闘が始まってすぐに撃沈して、海軍中将を殺したのである。ノエキ・ギアーソン海軍少将が、マッケナ級SLS〈ソヴリン・ジャスティス〉から星間連盟艦隊の指揮を引き継ぎ、ドローン艦隊と防衛ステーション2基の排除を指揮する一方、海兵たちが3基目のステーションを占拠した。

 第44軍団を指揮するウォルター・シグルドソン少将は、7月25日、ついに兵士たちを上陸させたが、地上の砲台と共和国の戦闘機からの壊滅的な砲撃を受けた。短い戦いによって、シグルドソン少将の軍団はシュワルツホフ(港湾、宇宙港含む)の支配権を得た……シュワルツホフはこの世界の工業地区、人口密集地帯からは幾分離れているのだが、第44軍に安全と思われる足場(キャッスルブライアンから100キロメートル離れていた)を与えたのである。

 ほとんどすぐに、共和国人は強力な航空強襲で応じ、SLDFの戦闘機中隊群と強襲船にぶつかった。だが、共和国の戦闘機数機が突破に成功し、戻る前に3発の核兵器を発射した。この核攻撃で少数の降下船が破壊され、数十隻が損傷し、数万人が死んで、シュワルツホフは廃墟となった。シグルドソン少将は、ローンスター争奪戦がまだ始まってもないのに5個旅団近くがすでに失われ、これが最後の損害にならないことに気づいて、軍団から予備の2個師団を呼んだ。

 その一方、SLDF航空宇宙部隊は、敵の航空部隊を探して排除する任務を受けた。援軍を待っていた間、シグルドソン少将は、レジスタンスセルと民間当局から収集した部分的な情報を使って、計画を練り上げた。まず共和国の航空基地をすべて破壊して、それからそのほかの重要な施設と敵部隊を狙うのである。

 シグルドソン少将の気圏戦闘機中隊群と軌道上を巡る戦艦は、2ヶ月に渡り数百に及ぶ共和国の目標への正確な攻撃を実施した。それにはキャッスルブライアンの入り口と掩蔽壕も含まれていた。この世界の戦力はたいしたことがないと感じると、シグルドソン少将は地上戦を始め、各キャッスルブライアンを孤立化させ、残った敵部隊と交戦した。不幸にも共和国人は焦土戦を始め、ローンスターの民衆と農地に化学、生物、放射線、核兵器(多くが急造品)を大量投入した。シグルドソン少将の兵士たちは、難民たちが逃げられるような安全地帯を多数作り出し、民間人を支援するために大勢の人員を投入したが、最高の防衛は共和国人に対して迅速に圧倒的な攻撃を仕掛けることであり、加えて民間人の中に紛れたアマリスの工作員多数を特定し抹消することであった。

 最終的にローンスター争奪戦は、迅速な戦役にも簡単な戦役にもならなくなった。2772年後半から2773年前半にかけて、ほとんどすべての都市が大量破壊兵器類の攻撃を受けた――多くが複数回の攻撃にさらされた――同時にこの世界の農業生産物の大半も失われ(家畜の75パーセント以上を含む)、おそらく農地の半分が使えなくなった。この世界の重工業地帯もまたほとんどたたきのめされ、残った工場は生き残った市民たちを助けるのに専念した。

 第44軍団は、上陸から約19ヶ月後の2774年2月に最後のキャッスルブライアンを排除した。戦争の間、そして戦争のあと、ローンスターの民衆はほとんどがこの世界を放棄した。ローンスターは第一次継承権戦争のどこかの段階で星図から姿を消した……クリタ家とシュタイナー家の戦いで、この世界に残されていたわずかな価値あるものがすべて破壊されたのである。








首の縄を締める TIGHTENING THE NOOSE



過去の中の未来 FUTURE IN THE PAST

 13年間に渡り中心領域と辺境で行われた総力戦によって、星間連盟防衛軍は疑いようもなく打撃を受けた……アマリスのクーデター後、財源を失ったのに加え、供給業者の大半から切り離されたのである。反乱を起こした辺境国家との戦争を遂行しているあいだ、文字通り寒い外へと放り出され、補給の予備が急速に減少するという状況において、ケレンスキー将軍はすぐに辺境との和平を結び、辺境世界共和国に注意を向けた。ここで彼は帝国を解放するまで陸軍と艦隊を長期間動かすのに足る大規模な工業生産能力を求めた。

 しかしながら、辺境世界共和国だけがケレンスキーの目を向けた唯一の供給源ではなかった。中心領域中の軍需産業、特にかつては軽んじられていた業者、過去に取引を拒否されたた業者は、SLDFに製品を披露するチャンスに飛びついた。だが、SLDFはその歴史上で初めてひとつの重要な事項について考慮せねばならなかった……経済である。かつては無尽蔵に見えた資金源と最先端への追求は、安さと単純さと操作のしやすさに変わった。

 よって、ケレンスキーにできる限り最高の装備を売ろうとしていた「二流」の防衛メーカーは、再び軒並みの拒絶を受けることになった。多くが努力をあきらめたが、いくらかは「エコノミー」モデルと呼ばれたものをSLDFにもたらした。それらは、市民軍や警備会社、その他の予算を気にする団体向けに設計され売り出されたバトルメック、戦車、航空機である。ブラックジャック、ヴァルカンなどの象徴的なバトルメックが戦争を通して活躍した一方で、エンフォーサー、グラスホッパー、クイックドロウなどの機種はすべて同じ動きから出てきたものだった。

 残念ながら、二流の製造業者に頼ったことと、試験過程が短くなったことで、予期せぬ結果がもたらされることがよくあった(SLDFの入札プロセス内で働いたことのない者にとっては少なくとも予期せぬものだった)。ゼネラルモータースのような少数の大企業はSLDFとのビジネスを続けたが、二流の供給業者の使用を拡大したことで、クオリティコントロールが低下し、標準でない部品が使われ、新装備の多くが日常的に故障することとなったのである。現代ではこれを「クイックセル効果」と冗談めかして呼ぶが、アマリス内戦の際には生きるか死ぬかの問題だったのである。

 この時期、SLDFの整備士と技術者たちは、直ちにゴミ漁り、回収、応急修理の技を学んだ。問題の起きたマシンを整備本部に運んだり、修理のために工場に戻すという贅沢を失ったSLDFの兵站部門は、できる限り多くのマシンをできる限り長時間稼働させねばならず、数年前にはスクラップヤードに直行していた装備の残骸から、使用できる戦闘車両をつぎはぎででっち上げねばならなかった。

 星間連盟防衛軍にとって、これまでとはまったく異なる時期だったのである。

 ――ラン・フェルスナー准将著『兵站こそが鍵』アヴァロン軍事四季報、3002年



再始動 GET THE SHOW ON THE ROAD

 2年以上にわたる激しい戦いのあと(その前には8年におよぶ辺境の戦争があった)、星間連盟防衛軍は兵站的な理由以上に休みを必要としていた。SLDF隊員たちの大多数にとって、帝国での戦役の本質は、アマリスの圧政から故郷を解放するために文字通り戦うというものだった。大勢の戦友を失うという直接的な悪影響があった上に、毎日のように民間の被害を目の当たりにし、さらには簒奪者のエージェントが引き起こした新たな残虐行為の報告が届いた。

 SLDFの鍛え上げられた古参兵たちが肉体的、感情的に疲れ果てていたというのは控えめな表現になる。兵士たちが単純に歩いてどこかに去って行くことで、毎日のように脱走率が向上する一方、長年におよぶ激しい戦闘と、SLDFの平均年齢が増加していることによって、より多くの負傷者たちが病院や診療所で長期にわたる治療を受けることになった(負傷者の中には、いかなる肉体的な犠牲を払ってでも迅速に部隊へと帰りたがる者たちがいるのと同じくらい、義務を果たしたがらない者たちがいた)。そして、治療された者たちの中で、肉体的、精神的に任務に不適合であると宣言される者も増えたのである。

 よって、ケレンスキーは2774年の後半、新たな侵攻を止める命令を下した。それは明確に、陸軍と艦隊にしばしの休養を与えるのと同時に、兵站家たちが前線への連絡線を短くする時間を与えるためだった。ケレンスキーは、待機中の部隊にローテンションする命令も出して、まだ戦ってる部隊がいくらか休めるようにした。

 この一時的な停止が終わったのは2月、アマリスが十数の世界から戦力を引き上げていたのをケレンスキーが知ったときのことである。だが、恐るべき宇宙防衛システムを破る重要な鍵が明らかになると、SLDFという眠れる虎は咆吼と共に目を覚まし、止まることはなかったのである。

 ケレンスキー自身は、2775年、最初の大規模な作戦に参加した。ニューホームへの総攻撃である。3個のタスクフォースが帝国の外周国境から着実に進んでいくというこれまでのやり方から見ると、ニューホームは予想しづらい目標だった――ケレンスキーがここを選んだ理由の一つである。SLDFは1年以上新しい目標を狙っておらず、なによりケレンスキーが望んだのは、帝国の奥深くにある守りの堅い世界を攻撃し、アマリスと部下の将軍たちにメッセージを送ることだった……星間連盟防衛軍の手が及ばぬ目標などどこにもないのだ。

 ニューホームは2775年に目標とされた多数の星系のひとつであり、SDSに守られた4つの世界の1つであった。


ニューホーム New Home

 ニューホーム攻撃は、準備万端であるのと同時に、経験に裏打ちされた戦いであった。ケレンスキーの戦略家たちは、アマリスと将軍たちの自信を揺るがすであろう帝国中枢奥深くの5星系を特定した――このうちSDSに守られていたのは2つだけだった。作戦概要パッケージのそれぞれには、詳細な情報分析と作戦計画が添えられていた。SDSを打ち負かすのは難しいことから、ケレンスキーはニューホームとカフ(SDSに守られた星系)を攻略可能な目標だと本気で考えていなかった……プロジェクト・ナイキのブレイクスルーがあるまでは。SDSへの対抗装置を得るとすぐに、ケレンスキーはアッカエフ=キャメロン海軍中将と第4艦隊に先導を任せ、リード・カレン中将の第24軍集団(第5連隊戦闘団と、第3、第6、第8義勇兵旅団で増強)が地上強襲の責務を負った。2月、ニューホームの侵攻軍がブラウンズビルに集結する一方、プロジェクト・ナイキのチームがプロトタイプのSDS対抗装置を25隻の戦艦に急いで搭載した。

 ケレンスキー将軍とヤノス・グレック提督が侵攻艦隊に同行したが、計画段階で加わることはなく、直接的に作戦を指揮を執ることもなかった。実際のところ、ケレンスキーの戦艦小艦隊は、第4艦隊の先陣と共に到着したが、交戦距離から離れたところにジャンプして敵の逃走を阻止するか、退却の援護をするという支援的な役割のみを果たした。

 海軍強襲が始まったのは、2775年3月29日だった。アッカエフ=キャメロン海軍中将は100隻以上の戦艦(半数近くは第4艦隊に一時的に配備されたもの)と共にニューホームに近いパイレーツポイントへとジャンプインした。到着してすぐに、SDSのドローン船は攻撃を開始したが、完全な効率性で行動しているのではないことが数分以内に判明し、連携をとっていないことがすぐさま明らかになった。同じく、SDSの地上・軌道砲台は、船を狙うのが難しいという徴候を見せた。これはこれまでになかったことである。ニューホームを守る53隻のドローン戦艦は、45分以内にすべてが破壊されるか、無力化され、破壊されたSLDFの戦艦は4隻だった。

 プロジェクト・ナイキを装備した船はすべてが戦闘中に様々な問題を被った。一番ましな場合でも、双方向通信帯域への妨害電波を発信するため、主センサーと艦内外の通信機能の大半を失った。最悪な場合は、深刻な干渉と電力の消耗でシステムがエラーを起こし、3隻の戦艦――ヴィンセント級コルベット2隻とイージス級巡洋艦1隻――が宇宙で動作停止した(両ヴィンセントは戦闘中に破壊され、イージスは構造が大きく損傷して、以降、輸送船団の護衛を務めることになる)。

 最初のSLDF地上戦力――第1、第5RCTと第241義勇兵師団(臨時)等々は、パイレーツポイントを通って到着し、最初の戦いが終わってから12時間以内に上陸した。

 その一方で、ニューホームの安全が確保されてから30分後、アッカエフ=キャメロン海軍中将は天底ジャンプポイントに向かい、80隻以上のL-Fバッテリー装備戦艦がジャンプした。天底点を守るアマリス艦は第4艦隊がジャンプインするわずか数分前に、ニューホーム星系が攻撃を受けているとの報告を受け取っていた。SDSドローンはただちに反応したが、AEAF側の戦艦4隻、航宙艦6隻、降下船少数は行動に移る準備ができていなかった。その一方で、天底点にいた秘密艦隊の航宙艦3隻と降下船7隻は、第4艦隊が姿を現すとすぐに準備した。

 秘密艦隊が共和国の有人艦に集中した一方、第4艦隊はSDSネットワークを切り離していった。ここでもまた、第4艦隊の数的優位とプロジェクト・ナイキの対抗装置が直ちにSDS艦と司令ステーションを最低限の損害で圧倒したが、最初の強襲の教訓から、アッカエフ=キャメロン海軍中将はナイキ船の使い方を修正していた。天底点の戦闘に投入できた16隻のナイキ戦艦のうち、8隻だけが対抗装置を稼働させ、それぞれに1隻ずつバックアップをつけた(ナイキ船のうちすべてが最初の戦闘では実戦投入され、それぞれがジャミングによって船載システムに深刻なエラーを出していた)。このバックアップは、「アクティブ」な主力が使えなくなるか、アッカエフ=キャメロン海軍中将が特定の区域で追加のジャミングを求めたときだけ、対抗装置を動かしたのだった。

 このとき、ナイキ船の1隻――旧式のローラIII――だけが多数のSDS船に狙われて使用不能となった(SDSのAIがこの船を主目標と定めた。1年以内に修理されて現役復帰)。秘密艦隊の乗組員たちはそのあいだにAEAFの航宙艦6隻のうち5隻を拿捕し(降下船2隻も一緒に)、第4艦隊の戦闘機、強襲船が戦艦を無力化するだけ長く注意を引きつけた。

 アッカエフ=キャメロン海軍中将は、直後、第24軍集団の残り(ブラウンズビルの天頂ポイントで辛抱強く待っていた)を率いるカレン中将に、ニューホームへのジャンプは「危険なし」とした。艦隊の残りに護衛されて第24軍集団が到着し、ニューホームへの8日の加速を開始した――それは第1RCT、第5RCT、第241義勇兵師団からなる先陣がニューホームの大気圏内に入る数時間前であった。

 この前衛部隊はスピナ・プラネッティア大陸の南方に上陸し、SDSの地上砲台のそれぞれを狙い、4月8日に第24軍集団の残りが惑星降下する道を確保した。キーホール作戦のニューホーム監視で得られた情報に基づき、カレン将軍は少なくとも1個師団がAEAF兵士が強化陣地にこもっていることを予期した……実際のところ、ニューホームには、最近雇われた傭兵の1個連隊や強制徴募の2個パトリオット部隊など、1個旅団以上の追加戦力があった。この世界には、さらに大規模な軍事施設があった(ただしキャッスルブライアンはない)のだが、地元の指揮官たちは侵攻に対して世界を守るよりも孤立地域での裏切りや政治的な内輪もめに遭遇したのである。

 カレン中将の主力が上陸するまでに――SLDFの先陣が地に足を付けてから1週間後――アマリス軍は最初の上陸に抵抗するため展開を始めたところに過ぎなかった。この時点までに、最初の攻撃部隊と交戦したのは、共和国の気圏戦闘機、通常型戦闘機だけだった。第24軍集団の全体(そしてもちろん第4艦隊)が到着すると、SLDFは素早く航空優勢を確保し、すべての共和国部隊のほぼ真上に直接降下できるようになった。数日以内に、ニューホームのAEAFの「最精鋭」と思われる部隊は壊滅し、他のほとんどすべての大隊、連隊が包囲され、上手のSLDF部隊と交戦した。

 ケレンスキー将軍は、カレン中将が惑星に上陸して、アッカエフ=キャメロン海軍中将が最後のSDSドローン艦隊を排除するまで、ニューホームにとどまった。この三度目になる最後の海戦で、第4艦隊は6隻のナイキ対抗装置艦をシステム故障で失ったが、結末はそれまでの二度の交戦とたいして変わらないものだった――SDSドローンは全滅し、グレック提督とプロジェクトナイキのエンジニアたちは未来の作戦に備えてシステムと戦術を改良するのに必要な情報を得たのである。アッカエフ=キャメロン海軍中将は、4月半ば、第4艦隊を(特にナイキ船を)修理と改装のために撤退させ、次の任務を受けるのに備えた。

 ニューホームをかけた戦役は実質的に数週間しか続かなかった……カレン将軍はAEAFの防衛軍すべてが壊滅するか拘束されたと報告した。6週間におよぶ戦闘で、第24軍集団が被った損害はこの戦争で最も少ないものであり、共和国のWMD攻撃もわずかだった。SLDFはこの戦争の間、テロリスト攻撃を受けることになるが、第24軍集団は夏の終わりまでには共和国ゲリラの最も暴力的なグループを終わらせて、事実上解放され、6月までに襲撃を実行し、新しい侵攻を支援できるくらいになった。


ノースウィンド Northwind

 ノースウィンド……キャメロンの確固たる支持者であり、強力な傭兵部隊ノースウィンド・ハイランダーズに守られているこの世界は、クーデター以来、戦いが続いていた。クーデターの際、共和国人は惑星上のハイランダーズを狙い、帝国中のSLDFに対してのものと同じやり方で望んだが、一部成功しただけだった。ニューダラスのように、共和国人はクーデターの前からノースウィンドの民衆による全面的な敵意と嘲笑に直面したが、ノースウィンドではニューダラスの最初の攻撃よりも遙かに大きい成功を収めた。簒奪軍は3個ハイランダー連隊を初日に撃破し、生存者たちを逃亡生活に追いやったのである……最初の週が終わるまでに、この世界は、完全にではないが、事実上アマリスの支配下に入った。

 ハイランダーズは完全にノースウィンドの地元民で構成されていたことから、アマリスは自然と抵抗を受けた。数千人に及ぶ元ハイランダー、SLDFの隊員、クーデターで殺された者たちの家族は、すぐにレジスタンスグループを結成した。これは間違いなく帝国内で最も結束した惑星規模の抵抗であった。アマリスが民衆を屈服させるために、次から次へと軍隊を送り込んでもなお、この高度に工業化され、完全に自給自足できるノースウィンドの民衆たちは、抵抗を続けた――純粋に志願兵からなる1個パトリオット大隊が立ち上げられるところまで。最初は秘密艦隊、そして最終的にケレンスキーのSLDFからの支援を受け、惑星の民衆から自由に資源を受け取ったレジスタンスは、人員と装備が豊富であったが、常にしつこく攻撃を受けていた。

 第3軍が星系内に到着するとすぐに、ノースウィンド・カヴェナンター(抵抗運動は自分たちをそう呼び始めていた)は、招集できた男、女、子供の全員でアマリス政府、占領軍を激しく攻撃した。AEAFは、圧倒されこそしなかったものの、戦いに巻き込まれ、占領政府の高官が攻撃されたこととあわせて、4月12日に上陸したSLDF第69軍団に対して効果的な対応ができなかった。

 これによって、共和国部隊の大半は、SLDFの大軍に直面しても、ノースウィンド・キャッスルブライアンに退却できなくなった。攻撃開始から数日後、アマリス兵は第69軍団と惑星上で最大の都市いくつか(カヴェナンターの支援に対する報復と思われる)に対して核攻撃を実施していたが、備蓄された戦略兵器の入手経路を失ったのである。

 アマリス軍は民間人を盾に使って、できる限り移動し、攻撃を行ったが、市民、特にカヴェナンターのさらなる怒りを買っただけだった。6月が終わるまでに、この世界におけるアマリスの統治は崩壊したが、カヴェナンターの犠牲は甚大なもので、6月中に事実上反アマリス戦役を終えた。キャッスルブライアンはもっと長く脅威として残り続け、他の世界から運ばれてきたパトリオット大隊群が立てこもった。第69軍団はゆっくりと着実にノースウィンド・キャッスルブライアンを攻略し、新年を迎えるまでには作戦完了の報告を行った。


カーヴァーV Carver V

 帝国の惑星のほとんどで、民衆は何らかの形でアマリスのクーデターに抵抗し、ニューダラスやサビクのような有名なところでは、強力な占領軍に対して粘り強い戦闘を実施した。だが、カーヴァーVの戦いほど凶暴性や持続性を持っていたものは他にない。

 CAAN連隊群と特殊な訓練プログラムの本拠地であるカーヴァーVは、クーデターの前、地球帝国で最も強力な駐屯部隊を持つ世界のひとつだった。理由の大部分は、毎年、CAAN訓練校に毎年合格する新兵と古参兵がいるからだ。さらに、この惑星は海洋に覆われており、小さな島がある――最大のものはCAAN軍団の重要塞化された本部に変わっていた。

 これらの事実があるにも関わらず、アマリスの将軍たちはカーヴァーVがいかに難しい目標かに気づかなかった。クーデターから数ヶ月後、重要塞化されたクアンティコ島を占領するか破壊するのに失敗した後、共和国人はこの世界の他の部分(少なくとも残った諸島)を占領するに甘んじ、それからクアンティコのSLDFに怒りを向けた。AEAFの戦艦が軌道上にいてなお、アマリス軍はクアンティコ島上空の航空優勢を確保できなかった。それは、多数の地対軌道移動砲台と、きわめて強力な航空部隊が基地にあったからである。戦力で大きく劣っていたにもかかわらず、カーヴァーVの海兵たちは敗北を受け入れなかった。いわゆる秘密艦隊が占領の最初の数年間、カーヴァーVに補給を落とし続け、ケレンスキーがイントルーダー作戦(第3RCTのような英雄的な部隊のおかげで海兵たちはカーヴァーでの戦闘を続けられた)の不足を補った。

 SLDFがヘックナー(カーヴァーVから短いジャンプ1回)を陥落させると、ケレンスキーはこの惑星の防衛軍にさらなる支援を送ったが、他の脅威に集中していたことから侵攻軍を送り込むことはできなかった。その代わりに彼は、最後の一人に至るまで戦友たちへの救援を志願した古参組織、第3RCTを派遣したのだった。2773年後半に第20軍から離れた第3RCTは、ドラコ連合方面から占領された帝国を横切ってジャンプして、惑星降下し、カーヴァーの戦力低下していたが毅然とした防衛軍の数を増加させた。

 2年後、ケレンスキーはとうとうカーヴァーに救援を送ることができた。彼はふたつの理由から、第24軍集団の全戦力をニューホームに送った――第一にニューホームの占領を完全にするため、第二にアマリスが支配する帝国の奥深くを攻撃するSLDFに強力な部隊を与えるためである。第24軍集団の次の目標はカーヴァーVだった。

 6月4日、第53軍団は軌道上に入り、翌日、上陸を始め、弱体化した共和国の駐屯部隊を見つけ出した。駐屯部隊は、ゲリラ攻撃と、空と海からのCAANの攻撃で長年にわたり執拗に苦しめられていたのである。夏が終わるまでに、バーウィズ・ルウェル中将(生き残った大元のカーヴァー防衛部隊の最上級士官)はこの世界が解放されたことをケレンスキー将軍に報告した。


キルボーン Killbourn

 数世紀に及ぶテラフォーミングのおかげで鉱業世界キルボーンは着実に工業大国へと変貌を遂げ、人口に関してはこの数十年間で増え始めた。地球帝国政府はここに戦略資源予備を置き、必然的に2つのキャッスルブライアンを建造することになった。クーデター後、アマリスはこの世界への注目を強め、帝国中の資源不足を埋め合わせるために戦略予備を消費していった。それからずっと後の8月、第50軍団が攻撃を仕掛けた。

 AEAFの1個旅団がこの世界に駐屯していたが、2個連隊はたいがいが気まぐれなパトリオット部隊であり、戦力は実際のところ半数以下だった。他の守りが薄い世界と同じように、アマリス派の傭兵と政府高官たちの大半はキルボーンから逃げようとしたが、反応が遅く、軌道上で第50軍団の上陸部隊に迎撃された。共和国はこの遭遇で降下船を2隻失った――傭兵ブラックホース機銃兵隊のメック1個中隊と数百名のアマリス派などが乗っていた――その一方で、他の船は素早く惑星上へと戻った。

 忠実な共和国人は、もちろんのこと、逃げ出した防衛部隊に好意を持っておらず、即座に対立が発生し、第50軍団はこれを利用した。ブラックホース機銃兵隊はやれるだけの戦役を実施し、SLDFの前進を可能な限り緩めるため大気発生装置とその他の重要なインフラを狙った。だが、パトリオット連隊群は、傭兵が引き上げようとする前に、限られた大量破壊兵器の備蓄を得ており、ブラックホース機銃兵隊を破壊するために2発の核を投じた。彼らは星間連盟に投降して、キルボーンの戦いを終わらせたのだった。


ロックデール Lockdale

 SLDFが戦わねばならなかった戦役の中で、ロックデール侵攻が最もタフなもののひとつだったかもしれないことに疑念を抱く者はいない。この重工業化された世界は地球帝国ロックデール州の政治的中枢であり、通信と交易のハブでもあった。クーデター以前、その重要性を鑑みて、星間連盟はロックデールを5つのキャッスルブライアン(加えて多数の小規模な要塞)と宇宙防衛システムで要塞化した。地球をのぞくと、ここは帝国で最も要塞化された惑星のひとつだったのである。

 ロックデールのSDSを切り開くため、アーロン・ドシェヴィラー中将が求めた人材は、ヌーサカンとニューホームで海軍強襲を成功させた提督、マリーナ・アッカエフ=キャメロン海軍中将をおいて他になかった。彼女がいれば、ジャック・ルーカス中将と指揮下の第3軍(ドシェヴィラーの最も成功した地上部隊)は、困難を打ち砕くことができるだろう。6ヶ月に及ぶ改装と改良を受けて、アッカエフ=キャメロン海軍中将の第4艦隊はニューホームの戦いの際よりもよい状態にあった。

 提督は9月11日ロックデールに入り、ロックデールから2日離れたジャンプポイントに艦隊をジャンプインさせた。26時間後、彼女は最初のSDS部隊と遭遇した。この部隊はロックデールに接近する第4艦隊を追いかけて、妨害しようとしていた。数と火力で優位を持っていたアッカエフ=キャメロンは、SDSの追跡をだいたいにおいて無視し、艦隊全体を援護するためにナイキ船を配置に付けた。ロックデール上空において、SDS小艦隊はSLDF第4艦隊をおびき寄せて、SDSの地上砲台の砲撃が届くところで戦闘を行おうとした。そうはならず、アッカエフ=キャメロンはまず軌道上の防衛ステーションとそのほかの軍事宇宙航行に目を向け、ついにSDSのドローンを引き寄せるのに成功したのである。

 大海戦が始まってすぐに判明したのは、SDSのAIはナイキ船が一番の脅威になると学習しておらず、アマリスの戦略家たちも無人艦システムに再プログラムしてないことだった。ナイキ搭載の対抗装置はニューホーム、ディーロンと同じくらい有効に作動したが、ドローン船はだいたいにおいて統制された攻撃をできなかった一方、各船は脆弱で損害を負った目標としてナイキ戦艦に狙いを定めた。通常の戦術として、第4艦隊は戦闘のはじめに一部のナイキ船だけを稼働させており、よってこれらの船は激しい損害を受けた――5隻が撃沈された――第4艦隊は開戦のあいだ、そしてその後の地上SDS砲台爆撃、その他防衛爆撃のあいだ、SDS対抗装置を保ち続けた。

 ロックデール上空の勝利を固めた直後、アッカエフ=キャメロンは予備(第3軍の護衛艦隊と航空大隊群の大半を含む)をパイレーツポイントに呼び出し、大規模な降下船の直衛部隊を展開した。この部隊はまるで惑星ロックデールを侵攻する軍のように見えた。数時間後、ドローン船の大半がロックデールに高速で移動中と、キーホール作戦の船、星系内の聴音哨が報告した。天頂、天底点からのSDS艦隊の大半がロックデールに集中した。まさにアッカエフ=キャメロン海軍中将が望んでいたことを、共和国の指揮官が命令したのだ。

 戦闘は三日後の10月16日に始まった。4つの艦隊――アッカエフ=キャメロンの第4艦隊、その援軍、2個のドローン部隊――が軌道のすぐ外で遭遇したのである。このとき、アッカエフ=キャメロンはナイキ船に別のやり方でジャミングするように指示していた。この単純な対抗措置によって、再びドローン船は混乱したのである。偽ロックデール侵攻軍の助けを借りて、アッカエフ=キャメロン海軍中将は再び大規模なドローン艦隊を打ち破ったが、深刻な被害なしにとはいかえった。もう1ダースのナイキ船が破壊されるか、大きいダメージを被り、さらに多くの戦艦もまたそうなった。

 アッカエフ=キャメロン海軍中将は艦隊を分割して、船の大多数(最も損害の激しい艦を含む)を惑星ロックデールの近くに置いた一方、ふたつの通常ジャンプポイントの共和国人とSDSを片付けるためにエルス・カイネロ海軍少将指揮下の小規模な戦力を送った。カイネロ海軍少将は大規模な民間造船所のある天底点から初めた。カイネロ海軍少将のタスクフォース4.5は造船所を確保し(その前に共和国人が深刻なダメージを与えていたが)、SDSを排除してから天頂点にジャンプして確保した。

 アッカエフ=キャメロン海軍中将は指揮下にある戦艦と戦闘機にロックデールの地対軌道SDS砲台とできる限りのアマリス基地を狙わせて、そのあいだ第3軍の輸送艦隊が星系内に到着し、惑星へと進んだ。9月25日、ジャック・ルーカス中将は第33軍団、第66軍団の先頭に立って上陸した。このときまでに、ロックデールの共和国師団は要塞、特に都市へと全面的に撤退した。

 ロックデール争奪戦は、それから、大規模な地上包囲戦、破滅的な都市強襲……軍事よりも民間の被害が大きいものとなった。最初、アマリス軍はロックデールの民衆を盾に使ってSLDFと戦おうとしたが、この受け身の戦略でルーカス中将の軍隊を押しとどめることはできなかった。SLDFは数的優勢と完全な制空権を使って突き進み続けたのである。アマリスの防衛部隊が、首都クランフォード、クリムゾンスプリングス、ファイアビック(両都市は重工業化されていて、交通の要所だった)で核弾頭を起爆させて、できるだけ多くのSLDF兵士を殺そうとした後でさえも、ルーカス将軍の兵士たちは激しく、素早く応じたのである。2776年2月末までに、アマリス軍はだいたいにおいて大都市から押し出され、都市の大部分は戦闘とAEAFの核兵器、その他の武器使用によって廃墟と化したのだった。以降、この戦役は、防衛陣地を破って、立てこもった敵兵を掃討するというものに変わった。

 ロックデール戦役はもう1年間を要した。このあいだに、アマリスの工作員たちが化学生物物質を解き放って、水源や耕作地を汚染した。SLDFは防護装備を持っておりこれらの兵器による影響はほとんどなかった。また、ローテーションのスケジュールによって、SLDF隊員が数ヶ月以上この世界にいることはなかった。しかし、その一方で、民衆や環境が影響を被らなかったということはなく、ロックデールは急速に人の住める世界ではなくなっていった。第3軍の大半は6月にこの世界から引き上げて地球侵攻に参加し、アマリスの脅威を根絶するために一握りの兵士だけが残された。








鋼鉄の輪 RING OF STEEL


炎上 ON FIRE

 地球そのものをのぞけば、カフは地球帝国でもっとも価値のある世界であった。最初期に植民化された世界であり、広大な耕作可能地を持ち、その他の重要な資源があり、全中心領域で最も人口の多い世界のひとつだった。これらの事実と、地球への近さを鑑みて、カフは要塞群に守られ、4つのキャッスルブライアンとSDS一基がその仕上げとなった――アマリスはこれらすべてをクーデター時に易々と奪い取っていた。

 だが、アマリスのカフ征服は流血なしでなく、たやすいものでもなかった。訓練されたばかりのSLDF兵5個大隊が最初に戦闘を実施し、アマリス兵はこれをすぐに制圧できず、民間人を直接的に目標とした後で、惑星中にまたがる抵抗運動が始まった。クーデター直後に、「巨大生物隔離システム」がオフにされたことは、カフ住人に対して行われた行動の第一歩に過ぎなかった。六ヶ月以内に、アマリスのエージェントたちは抵抗運動を支援していると疑われた人々を集めて、政治犯収容所に収監した。ミシャ・コンファロニエーリ女公が不満を持った市民の手で殺されて以降、HSF局員はランダムに市民を逮捕し始め、抵抗を公に支援したとして道ばたで民衆を処刑しさえした。

 秘密艦隊は占領中とチーフテン作戦の初期ににできる限りの支援を提供したが、SDSが存在することから、こういった支援はだいたいにおいてこの世界に密輸出入できるものに限られた。その一方、カフは工業惑星だった。カフ中のレジスタンス・セルは必要なものをたかるか、借りるか盗むかして、荒野へと消えていった。共和国人が荒野に入ることはまれであった……なぜなら、この世界の原生生物である「恐竜」――地球では全滅した巨大なトカゲのような種族に対処せねばならないからだ。

 7月26日、SLDFの第4、第5艦隊がカフ星系に入り、それぞれ天頂、天低点を狙った。タロー・マルクグラーフ海軍中将が海軍全体の指揮をとった(マリナ・アッカエフ=キャメロン海軍中将は、地球強襲に備えて、第4艦隊の一時的な指揮権をロバート・エッベンズ海軍少将に与えた)。先の交戦と同じく、SLDFの宙兵とSDSのロボットAIの双方が戦術を進歩させ続けていたが、共和国重戦艦2個小艦隊を加えてもなお、SLDFがこの星系に持ち込んだ重量そのものを克服することはできなかったのである。星間連盟の2個艦隊は素早く敵を撃破し、惑星カフを取り巻くパイレーツポイントにジャンプした。それはSLDFが星系内に到着したとの報告があってからわずか数分後のことだった。当然、AEAFは素早く反応して、SLDF艦隊を撃退することなどできなかった。

 第3軍と援軍の第240臨時軍団(第24軍集団所属の第53軍団、第71軍団から1個師団ずつと、1個臨時師団で構成される――この第2400臨時師団は、第1RCT、第5RCT、第10義勇兵旅団からなる。第4、第5艦隊と一緒にジャンプした)が、数時間後に到着し、一週間かけて惑星へと進んだ。そのあいだ、第4、第5艦隊はシステマチックにSDS砲台とAEAF基地を爆撃していった。第2400臨時師団は惑星上に下ろされ、重要な要塞の外に構えた共和国部隊と交戦し、足止めした。よって、2個艦隊は軌道上から、あるいは連合した航空団によって、敵を殲滅することができたのだった。

 AEAFは他の世界よりもさらに残虐な対応を行った。第10義勇兵旅団は核攻撃の連続で壊滅し、惑星首都のニューブルネルは第3軍が上陸すらする前に放射性のがれきの山と化した。2個SLDF艦隊はできうる限りの報復を行い、軌道上と上空から知られている共和国の拠点を叩いた。残念ながら、星間連盟防衛軍は民間の目標を避けたところ(少なくともアマリス軍がいるという絶対的な確信があって、殲滅するか大打撃を与えられるという高い可能性がない限りは)、AEAFはそのような制限をかけなかったのである。

 第3軍が上陸するまで、第240臨時軍団はすでに戦力低下した残骸に過ぎないものとなっていた。首都ニューブルネルと志願兵旅団が破壊された後、2個RCTは直接的な交戦ではなく偵察に集中し、第3軍のために降下地点を維持した。だが、共和国軍はRCTをしつこく追い回し、自殺的攻撃とその他の戦術で攻撃した――これらはまだこの世界に残っている少数の頑固なアマリス支持者によるものか、家族を脅されて強制的にやらされた市民によるものだった。AEAFは核兵器、生物兵器、化学兵器を大量に保有しており、喜んでそれを使った――特に民間の目標に対して。

 第3軍がカフの3大陸すべてに上陸したが、戦力の大半は人口密集地帯のブルネル大陸に集中していた。第3軍は包囲を行い、AEAFの基地・要塞の多くを分断し、立て籠もったアマリス兵(死ぬまで戦うことを望んでいた)を駆逐する時間と兵士を節約するため、できうる限り倒壊させた。それにもかかわらず、アマリスのエージェントたちが惑星を完全に支配していたのである。特に問題を引き起こしたのは、大勢のHSF、OPD工作員が民衆に紛れ込み、カフの市民を脅迫してSLDFへの攻撃を続けさせたことだった。

 カフ攻防戦は、それから、第3軍の関わった戦役で最も損害が大きく、難しいものとなった。カフのレジスタンス運動は、アマリスの隠れたエージェントを暴くのに大きく貢献し、特に無数のテロ攻撃を失敗に追い込んだが、AEAFの大量破壊兵器攻撃を察知し、妨害するのは、第3軍と第5艦隊の責務であった――この任務は完全に成功することがなかった。(第4艦隊はニューアース侵攻を支援するためにカフ星系を離脱しており、その後、帝国内でまだ活動しているAEAF戦艦分艦隊を狩り始めた)

 数ヶ月以内に、戦闘はキャッスルブライアンをのぞいてほぼ終わっていたが、かつて地球帝国の宝石だった惑星は荒野として残された。大規模な工業都市のすべてが廃墟となり、小規模な工業都市のほとんども同じであった。緑豊かな大自然はWMD攻撃で人の住めない地域となり、カフ原産の動植物多数が絶滅した。共和国人は、当然ながら、命を持って代償を支払った――捕らえられたアマリス指揮官は、その罪からたいていSLDF隊員によって即座に処刑された――しかし損害はすでに受けてしまっていたのである。そして回復までには数世紀を要することになる。








地球星系 THE TERRAN SYSTEM

 2776年秋までに、帝国の全体が解放されていたが、SLDFはかつての幻影のような存在となっていた。星間連盟正規軍と海軍のうち65パーセントが現在の戦役中に壊滅するか解散し、最後の挑戦――最も困難な挑戦――が残された。地球を開放するのだ。SLDFは中心領域で最大・最強の軍隊として残ったが、ケレンスキーは勝利をつかむために数に頼むことはできなかった。ジョナサン・キャメロンのおかげで地球の防衛はあまりに強すぎるものであった。さらに、ケレンスキーはSLDFの全軍を使うことができなかった。なぜなら、帝国を攻撃的すぎる王家軍から守る必要があり、多くの世界で実行中の救援活動で軍事支援が必要であったからだ。

 残った戦力のうち約10パーセントを駐屯部隊、救援活動の支援として残し(総計で、4個バトルメック師団、13個歩兵師団、19個独立連隊)、星間連盟軍の大多数は、最後の軍事的衝突へむけての準備を始めた。152個師団、独立連隊100個以上が強襲に参加し(総計で1500個連隊以下)、アマリス帝国60個師団と直面することになる。3対1の戦力差は攻撃側に有利であるが、SLDFがまず最初に克服せねばならないのは地球の軌道上防衛であり、それは他の帝国世界よりも桁違いに大規模かつ複雑であった。

 他で使われていたよりも進んだモデルのM5キャスパー無人戦艦300隻以上がこの星系をパトロールし、それぞれ独立した行動が可能なだけではなく、指揮管制衛星のネットワーク(大規模な冗長性がある)を通して連携することもできた。各艦と衛星のHPG通信によって、いかなる驚異に対してもほぼ即座に反応ことが可能となっている。小規模なドローン(降下船サイズのM3とMk39ヴォイドシーカー無人戦闘機シリーズ)は地球の防衛にさらなる奥行きを追加した。加えて、多数のM9パヴィス防衛衛星が、地球星系の居住惑星3つの軌道を周回しており、それぞれの惑星には地上防衛設備もあった。地球の防衛は特に壮大なものだった。120基のSDS砲台が7つの大陸に分散し、地上機動砲台、潜水艦兵器プラットフォームまであった一方、ルナの表側の施設と基地は、地球に近づく者に危険な十字砲火を浴びせる場所に作られていた。上陸を成功させるには、キャスパーとこれら固定防衛を克服する必要があった。

 秘密艦隊のバグアイとプエブロがケレンスキーに地球の情報を提供し続けた……太陽系の近接限界を越えてカイパーベルトの奥深くにジャンプし、星系内の船と通信を監視したのである。太陽からおよそ30天文単位離れたここからでさえも、アマリス軍は驚異であり続けた……全自動のキャスパーが遠く離れたところまでパトロールしており(ベルター市民に対する長期に渡る恐怖作戦の一環)、ロボット戦艦の1隻が秘密艦隊の監視船に出くわす可能性は捨てきれなかった。SLDFが他の星系で遭遇した無人艦の群れと違って、これらの単独で活動する無人艦は電磁気信号の雲に包まれてなかった。これらは、連携して活動する必要がなく、指揮統制本部から数光時間離れていた。単独行動することで、軍事的なプラットフォームとしては戦力が落ちる――1隻なら簡単に圧倒できる――のだが、それでもまだ危険だった。偵察任務において、カイパーベルト内に紛れ込んでいた休眠中のキャスパーと出くわし、かろうじて逃れたという報告がいくつか上がった。消えた偵察艦も存在し、これらのステルス・リバイアサンによって失われたと信じられている。

 2776年に行われた地球星系監視により、興味深いパターンが見え始めた。7月4日、ニューアースに報告を送ったSLS〈ペイトン・ランドルフ〉は、キャスパーの移動にかなりの連携が見られるが、移動に際して通信ノイズが少ないことを報告していた。それはSLDFのアーカイブに記されていることであった。地球のレーガン防衛ネットワークの各艦は、離れた指揮統制ハブとHPGを使って通信するなど、他で使われている姉妹艦より新型で、賢く、行動的だった。これらの通信システムは、人の住んでいる宙域より遠く離れたところで活動する無人艦が使用するものだが、SLDFのナイキ計画への対抗策として、アマリスの技術者たちがいつでも超光速通信を使えるように改良したのではないかとの仮説がSLDF内で上がった。もしそうなら、攻撃するSLDF艦隊はニラサキで見つかった地球のドローンへの対抗策を使えないことになる。それは1cm進むごとにSLDFの血が失われる2774年の悪夢に戻ることを意味していた。


バービカン作戦 OPERATION BARBICAN

 J時間(ジャンプ時間)きっかりに、32隻の船は地球星系にジャンプした。12隻が監視船であり、メインのジャンプポイントより充分に離れているが、何が起きるか観測しニューアースのケレンスキーに報告できるほど近いところに姿を現した。他の20隻はケイドで改造された船であり、すべて老朽化した民間輸送船であった。これらの船には自動操縦装置が搭載されており、無人のまま地球にジャンプした。生き残れないだろうことが予想されていたが、それは壮大な戦略にとって重要なところではなかった。これらの船は移動兵器プラットフォームとして機能し、SLDFの強襲の第一陣を運んでいた……装甲を強化し、爆薬を満載した自動操縦の降下船60隻である。

 これらのカミカゼ船はひとつの役割を持っていた。各ジャンプポイントの5つの戦闘ステーションと交戦し、破壊することである。この作戦(バービカン作戦と命名)のこのフェーズは、地球攻撃にとって生命線だった。戦闘ステーションの砲台は、到着から60秒以内に友軍の識別コードを発信しなかった船、敵対的な行動をとったとシステムが判断した船のすべてを攻撃することになっていた。SLDFのドローンはその両方であり、到着してから15秒足らずで砲撃を受けた。軽装甲の航宙艦はほとんど即座に撃沈されたが、すでに降下船を切り離していた。人間の乗組員を乗せているときよりも遙かに早い加速と大きく強化された装甲によって、戦闘ステーションからの砲火の嵐をしのいだ降下船は、ターゲットに突進した。ステーションの要員たちは、この脅威に対処するための時間が90秒以下しかなく、60パーセントの降下船を破壊したのだが、あまりにも多くが残ったのである。10基のステーションに少なくとも1隻(1基のとあるステーションには6隻)のカミカゼが突入し、起爆した。装備していたのは通常型の爆薬だったのだが(ケレンスキーはバービカン作戦で核兵器を使わないようグレック海軍中将に言い含めた。アマリスに核兵器を使う口実を与えてしまうかもしれないからだ)、それにもかかわらず、効果はすさまじいものだった。自動操縦艦はスピードと重量と装甲によってステーションの外壁を貫通し、隔壁の内側に爆風が行き交った。

 ジャンプから5分以内に、ケレンスキーのもとにニュースが届いた。戦闘ステーションのうち6基が破壊され、残った4基は大打撃を受けてまともな抵抗はできそうもなかった。ケレンスキーは、たとえそのような弱体化した抵抗にであっても輸送艦をぶつけることを望まず、とどめを刺すために戦艦の1個小艦隊を送り込んだ。リベレーション作戦で最初の人を乗せた戦闘要員となったこれらの艦が、ステーションを砲撃し、構造部分を燃やした。

 だが、そのとき、ジャンプポイントを守る二番目の正体不明の戦力が動いたのである。騎兵の足止めをする小さな金属片から名前をとったキャルトロップ・コンステレーション(まきびし)は、ジャンプポイントの外周部に集まった小惑星の星団であり、戦闘ステーションが破壊されたあと、埋め込まれた爆薬によって破壊された。その結果はジャンプポイントに投じられたデブリの雨あられであった。それは到着するSLDFの船に直撃することはなさそうだが、かなりの航法的な危険を与えるものだった。バービカン作戦によって生まれたデブリ、到着のペースを組み合わせて考えると、事故の確率は劇的に高まった。通常はジャンプポイントが広いことと、往来のベクターが異なることによって、航宙艦の衝突確率はほぼゼロ(100万回に1回と言われている)だが、地球のジャンプポイントへの強襲においては危険の増加と通行量によって500回に1回となってしまったのだ。この確率はSLDFにとってよくないものだった。

 932隻の航宙艦と戦艦が、駐屯していた8つの世界から出発し、18隻が故障によってジャンプ失敗し、元の星系に残された――たいていは気密が破れたか、危険のない機関停止であった。1ダースがジャンプを完了したが、ジャンプによるものかあるいは星系内のデブリに衝突することでダメージを受けた。1隻だけが失われた……ヴォルガ級輸送艦SLS〈リチャードソン〉とヴィンセント級コルベットSLS〈ミシシッピ・クイーン〉が同じ空間に到着し、互いに食い込んだ。〈ミシシッピ・クイーン〉の舳先が〈リチャードソン〉の船尾に実体化したのである。結果として起きた爆発でコルベットは航行不能となり、輸送艦を破壊したが、〈リチャードソン〉艦長の機転によって降下船の分艦隊は脱出に成功した。

 各ジャンプポイントに、5分ごとに4個小艦隊が到着し、全艦が地球星系に到着するのに90分強を要した。星系内を進む準備をするのにもう3時間かかったので、2個の強力な艦隊がついに進み始めたのは、J時間から5時間後だった。海軍指揮官グレック海軍中将が天頂の機動艦隊を直々に指揮し、ジョアン・ブラント海軍中将が天底の戦闘群を率いた。


ガントレットを走り抜ける RUNNING THE GAUNTLET

 地球に向かって加速する2個の艦隊はひとつの目標を胸に秘めていた……故郷に兵士たちを上陸させるのだ。他は二の次であり、すべての戦艦、降下船、戦闘機は、もし必要とされるなら、目的を達成するために自己を犠牲とすることが理解されていた。降下船と積み荷である貴重な人的資源が問題のすべてだったのである。

 艦隊の陣形はこれを認識させるものである。中心にいるのは輸送艦で、最も目立つのは数十隻のポチョムキン級兵員輸送巡洋艦(各艦が25隻の降下船を搭載する)とヴォルガ級運搬船であるが、各種の小型輸送船、多数の独立降下船もまた存在した。この中核の周囲には、対戦艦、対戦闘機防衛が同心円状に層をなしており、戦艦は射界を組み合わせる補完的なグループに配置された。正規小艦隊、阻止小艦隊が一番外に位置し、護衛小艦隊、火力支援小艦隊が内部の防衛を形成する。追撃小艦隊、偵察小艦隊は、機動予備となる。戦闘機、強襲降下船は戦艦の間を飛び回って追加の守りを与えるが、M5キャスパーに対する有効性は限られたものになりそうだった。各艦隊の外では、監視の戦艦グループがドローンの接近を早期警戒するが、艦隊が地球に近づくと、キャスパーは数を増し、攻撃的になったことから、これらの監視は後退した……ドローンにとってあまりに魅力的かつあまりに簡単な獲物だったからだ。両艦隊にはNIKEを装備した船が混ざっていた。このシステムの有効性は疑問であったが、いくらかの助けになるのではないかという希望は残っていた。

 ジャンプポイントを出てからの最初48時間は、SLDFにとってさほど波乱のないものであった。1隻か2隻のM5が防衛を調査した(おそらくSLDFの組織と戦術を調査するもの。他の星系で兄弟機が同じことをした)が、たいていにおいてドローンは艦隊を追いかけるだけだった。SLDFはロボット・ストーカーを撃退しようとしたが効果はなかった。速度と機動性を持つドローンを戦闘に引き込むのはほとんど不可能であったのと同時に、知性と海軍戦術データの大規模なアーカイブを持つ彼らを無謀な交戦に誘い込むのも同様にありえそうもなかった。

 1隻のドローン、あるいはドローンの小グループでさえも、SLDF艦隊にほとんど脅威を与えなかった一方で、ケレンスキーと幕僚たちは数百隻のドローンが星系内にいることを知っており、特に地球の玄関を守るルナの向こう側には密集していた。ここのドローン艦隊は、数十隻からなると見込まれた――数百隻の可能性もあった。これほど密集した敵は、SLDFの直衛部隊を圧倒できる力を持っており、輸送艦にとって重大なリスクであった……とくに、接近する艦隊の片一方に集中できる場合は。SLDFは敵の数を減らし、活動を妨害する必要があった。


レオニダス機動艦隊 Task Force Leonidas

 この任務はレオニダス機動艦隊の40隻に与えられた。部隊名はスパルタの王の名前から来ており、小規模な兵士たちの一団がテルモピュライでクセルクセス率いるペルシャの大軍を押しとどめ、効果的な防衛で時間を稼ぎ、最終的に勝利に導いたのである。機動艦隊の兵士たちは一切の幻想を抱いていなかった――これは自殺任務である――しかし彼らの犠牲は、輸送船が生き残って地球に上陸する唯一の方法だったのである。ケレンスキーは乗務員たち全員に手を引く機会を与えたが、総勢8000名のうちそうしたのは30名以下だった。1月26日、作戦決行を命じたケレンスキーは、作戦執行命令に個人的なメッセージを付け加えた。「兄弟、姉妹たちよ、星間連盟の希望は君たちと共にある。君たちの勇気は忘れられることはない。幸運と祝福を」

 ニューアースで待っていたこの艦隊は、太陽と火星の安定したL1ゾーン内のパイレーツポイント、火星から太陽方向に100万キロメートルの位置にジャンプし、即座に火星軌道のドローン若干数と交戦した。星間連盟で最高の技術を装備してなお、40隻の戦艦はキャスパーの群れに立ち向かうという気力をくじかれるような任務に直面した。ジャンプポイント突破と違って、ケレンスキーはキャスパーとの戦いで核兵器を使う許可を出しており、機動艦隊の持っていった艦載級ミサイルの多くがTNT250〜650キロトンの弾頭を装備していた。

 2隻、3隻のキャスパーに対する当初の交戦は、手札を明かさぬよう核兵器の使用を差し控えていたにもかかわらず、機動艦隊の思うようになった。数時間以内に、ロボット艦の数は激増し、戦闘が始まってから3時間目、30隻以上のドローンと交戦していたSLDF機動艦隊は核兵器を解き放った。ロボット艦に対する効果は破滅的なものであった――16隻が直ちに破壊され、かなりが無力化された。SLDFは、ドローンが後退して新兵器の衝撃を確かめると予想したが、そうはならず、M5キャスパーは攻撃を仕掛け、核兵器を放った船に集中した。SLDFで最初に失われたのは、コングレス級SLS〈エウロパ〉であり、血の狂乱の中で大群の犠牲となった。他の数隻も深刻な打撃を受けた。しかしながら、40隻のキャスパーが破壊されるか、無力となったことから、差し引きで受け入れられるものであった。

 次の3時間にわたって、ドローンは妨害攻撃を行い、たいては2隻の戦艦が艦隊に突進しては掃射を行った。SLDF艦に戦略兵器を使わせようと危険を冒しているようだったが、核弾頭の供給が少なかったことから艦長たちは使用を差し控えた。消耗戦が始まり、レオニダスの戦果はゆっくり増えていったが、犠牲もまた積み上げられていった。交戦が始まってから10時間後、約50隻のドローンが作戦不能となり、SLDF艦の犠牲は6隻であった。そして、SLDFの戦力を測ったキャスパーは再び一斉攻撃を仕掛けた。SLDFは最初の攻撃をもろに食らった――最初の一時間の戦闘でSLDF船の8隻が終わりを迎え、ドローンは4隻だけだった――のだが、次の12時間以上で損害の比率はSLDFの側に戻った。星間連盟は21隻を失ったが、75隻のドローン戦艦が忘却の彼方に消えていった。

 ドローンは再結集のために後退し、次の8時間でSLDFは損傷の回復を行った。故障から2隻の戦艦が放棄され、乗組員たちは救難ボートに移ったが、残った船は戦果を増やし、無力化された1ダースのM5キャスパーを片付けた。この静けさは続かなかった。まるでSLDF艦隊が倒れる寸前だと感じたかのように、約60隻のドローンがとどめを刺そうと攻撃したのである。タスクフォース最後の8時間は血塗られた乱戦となり、ドローンとSLDF艦はわずか数キロメートルの位置にいた。何回か、運命を察したキャスパーがSLDFの船に体当たりし、SLDFも終わりが近づくと同じことをした。40時間に及ぶ戦闘で、残ったSLDF戦艦は6隻だけで、核装備のミサイルとオートキャノンの弾薬は使い果たされた。それでも彼らは戦闘を辞めず、レーザーとPPCを使ってドローンに最後の代償を支払わせようとした。戦闘開始から42時間後、タスクフォース最後の船、SLS〈ソヴィエトスキー・ソユーズ〉がキャスパーに屈した。タスクフォース・レオニダスの犠牲により、ドローン106隻、地球星系に配備されていた40パーセントが破壊されたのだった。


ザ・ガントレット The Gauntlet

 およそ150隻のキャスパーが星系内に残っており、その大半がSLDF艦隊にぶつかるべく集結していた。ジャンプポイントからSLDF艦隊を追いかけていたキャスパーは一撃離脱攻撃を続けて、SLDFの護衛を切り崩し、時折は輸送艦を仕留めた。このプレッシャーは地球に接近する最後の48時間にわたって続き、着実に損害を増やしていった。ケレンスキー軍はドローンへの攻撃を再開し、注意を引きつける哨戒用の船を送り込んだ。数隻がキャスパーの前に撃沈したが、単独のロボット船が戦いに引き込まれる一方で、どちらかの艦隊に集中することはなかった。それはケレンスキーとグレックが最も恐怖していたことだった――150隻のドローンが400隻の戦艦・輸送船と戦えば血の池となるが、それぞれが75隻のドローンの強襲を受けるのなら、兵士のほとんど全員が安全に上陸する見通しが残る。

 艦隊は地球接近の最後の24時間が一番危険であることを知っていた。減速機動を行い、動きが鈍くなる重要な瞬間であり、その一方でドローン(機動の限界は船体が耐えられるまで)は邪魔されずに行動できる。グレック海軍中将、ブラント海軍中将は、輸送船をできる限り守るため、直衛部隊の厚みを増すよう命令を出した。すべての船はジャンプポイントから出発して以来、総員配置についていたが、36時間の減速の間、全艦が戦闘配置につき、砲手は砲座に入り、戦闘機は発進の準備をし、ダメージコントロールチームはスタンバイした。食堂とレクリエーション区域は閉鎖され――キッチン担当たちは各配置にサンドウィッチを運んだ――重要でない動きは切り詰められた。すべてのディスプレイには「固守」のメッセージが表示され、警告なしに危険な高G機動が起こるかもしれないことを警告した。この最大の警戒態勢は丸一日続いた。そして、地球まで12時間のところ、乗組員たちが24時間以上眠っておらず、減速機動が終わる最も重要なところで、キャスパーが急襲した。

 ドローンの応答は非対称的だった。100隻のM5がグレック海軍中将の天頂艦隊に向かい、その一方、60隻以下がブラント海軍中将の天底艦隊に進路を向けた。それはSLDFが望んでいたほど理想的ではなかったが、恐れていたほど悪くもなかった。ドローンがこのように行動した正確な根拠は不明だが、戦闘後の分析で提唱されたのは、小規模なドローン部隊が足止めを行い、2個のSLDF艦隊が分断されているあいだに、大規模なドローン部隊が天頂艦隊を痛めつけるというものであった。

 両SLDF艦隊は戦闘機と強襲降下船を発進させ、戦艦の直衛よりも向こうに出して、キャスパーが輸送船を脅かすほどに近づく前に強襲を鈍らせようとした。それまでの交戦では、M5ドローンが戦闘機に対しては上手く対処できないことが示されていた――艦載級ミサイルで対戦闘機防衛を行っていた――よって、SLDFは似たような結果になるのを望んだのである。星間連盟にとっては残念なことに、天頂艦隊に近づくM5には100隻以上の小型機種M3と700機以上のMk39ヴォイドシーカー無人戦闘機が混ざっており、双方共に小規模な機体に対しては致命的なまでに有効だったのである。似たような船が天底艦隊に向けて加速するキャスパーにも同行していた。

 SLDFとドローン軍は輸送船から1000キロメートルのところで衝突し、数千機のSLDF戦闘機が、数百機のヴォイドシーカー、M3との危険なドッグファイトに巻き込まれた。ドローンは電光石火で反応し、無人艦にしかできない機動を実施し、僚艦と完璧なハーモニーで行動した。SLDFは数で勝っており、順応性と予測不可能性の組み合わせが頻繁にドローンを混乱させた。数百におよぶ爆発がひらめき、戦闘機かドローンかが終わりを迎えた。

 相当な数のキャスパーが戦闘機の強襲で轟沈したが、80隻以上が突破してSLDF戦艦の哨戒部隊と交戦した。ここで、防衛の奥行きとSLDFの決意がロボット船に大打撃を与えた。各M5は第一防衛ラインを通り抜け、戦艦の第二(そして第三)障壁にぶつかり、たびたび防衛層のあいだで危険な十字砲火に捕らわれた。だが、数と攻撃性がドローンに味方した。ひとつの目標を選び出す能力によって、防衛戦を突破することが可能になったのだ。SLDFが最善を尽くしたにもかかわらず、輸送船はダメージを受け、M5が火力に屈する前に、大勢の兵士たちが死亡した。この最悪の時間の中で、SLDFの一部が気概を見せて有名になった……破壊されたSLDF艦が船体を使って脆弱な輸送船の盾となり、ドローンに体当たりを敢行したこともあった。船と自らの命を犠牲にして大義に準じたのである。

 グレックの天頂タスクフォースは「ザ・ガントレット」の最初の数時間で損失の矢面に立った。7個師団の一部を運んでいた15隻の輸送船と、100隻の戦艦、600機の戦闘機を失ったのだが、キャスパーの損害も同じくひどいものだった。戦闘が始まってから最初の6時間で約75パーセントが消滅し、数が減って集団としての連携が怪しくなるに従い、隙が大きくなっていたのである。

 ブラントのタスクフォースは天頂点よりも少ないM5に直面したが、ドローン戦闘機、降下船はさらに多かった。甘い考えはすぐに捨て去られた――戦闘機の群れは直衛するSLDF戦闘機をたたきのめし、小型のM3でさえもSLDF艦に対して有効なパックハンターであると証明されたのである。この艦隊の哨戒部隊、外部に配置された戦力は恐ろしい打撃を受けたが、同心円状の防衛は嵐に耐え抜き、突破して輸送機を妨害できたM5は一握りだった。破壊された輸送船は5隻のみであり、そのうち2度は充分な警告がなされ、降下船が貴重な積み荷である兵士と共に脱出することができた。

 この衝突は数時間にわたって続き、SLDFの戦艦と戦闘機の損害は共に続いたが、地上部隊の出血は減っていき、それから止まった。ケレンスキーと幕僚たちは安堵のため息をついたのである。地球まで2時間となり、艦隊が機動侵入作戦を始めたころには、ドローンは力を追加果たしていたが、星間連盟艦隊には新たな試練が待っていた。

 地球への突入で、SLDFの戦艦196隻と輸送船72隻が犠牲となり、18個師団が降下船の中で死亡した。SLDFは約10万人の兵士を失い、そしてこの作戦で最も危険な箇所がまだ残っていた。彼らは地球の軌道と地上の防衛をかき分け進んで、地上に足を付けねばならなかった。ケレンスキーは代償が大きくなると予想した。








地球上陸 THE LANDINGS

 「もうひとたびかの突破口へ、諸君、もうひとたびだ」
 ――ウィリアム・シェイクスピア作『ヘンリー五世』第3幕、1598年

 「私を信じてほしい。アマリスはかき集めた全兵士を降下地点に投入することだろう。我らの勇気をくじき、自分の身を守るために、肉の壁を築くことだろう。彼が成功することはない」
 ――ジェームズ・マクイヴディ将軍による、地球上陸に先んじて行われた第331師団の兵士たちへの演説

 SDSのドローン船を追い散らしてなお、SLDFは地球が猛烈な防衛を持っていると知っていた。それは兵士たちが上陸するチャンスを得る前に、艦隊を切り刻むにたるものである。100以上の宇宙防衛施設が惑星中にちらばり、さらに多くの対空砲台、要塞があった。これらをすべて片付けるのは自殺に他ならず、よってケレンスキーの計画は防衛の一部分のみに集中することを求めた――グリニッジ子午線の東の北半球である。これらの防衛だけを制圧すればいいわけではなかった(軌道力学によって低軌道に入った船は砲台の射程に入る)のだが、無菌化されたエリアがあれば降下船が安全に移動し、耐熱コクーンに入ったメックが比較的安全に降下できるのだ。

 2777年1月30日、地球標準時03:00、艦隊が地表から数千キロメートルのところで機動侵入作戦を開始すると、艦隊から数百の戦闘機、爆撃降下船、強襲シャトルが離れた。その大半が地上攻撃任務を課されていたが、約1/3が逆襲に対する直衛を担当した。まず最初に、彼らは地球を取り囲む戦闘衛星の輪をくぐりぬける必要があったが、自動化された武器とドローン戦闘機掩体が地球侵攻に対する最後の防衛戦だった。戦艦と降下船がこの施設に艦載級ミサイルを発射し、数百機の戦闘機がミサイルの跡を追って目標に迫った。彼らが受けた損害は、その後の強襲で受けることになるものの前触れであるが、攻撃によって攻撃衛星が輸送船と地上攻撃戦闘機を狙うのは妨げたられた。おそろしい消耗戦は報われ始めた……戦闘衛星とドローンは爆煙の中で死んでいき、降下船のくぐり抜けることのできる回廊が開かれたのである。戦闘衛星と交戦してから2時間後、移動する船にとっての脅威は戦闘で発生した地球を回るデブリとなった。ありがたいことに、ケレンスキーの最大の恐怖――アマリスが地球の軌道上にデブリをばらまき運行を危険とする――は実現しなかった。SLDF艦隊をできる限り足止めするため、ジャンプポイントでデブリをばらまいたにもかかわらず、アマリスは地球を宇宙のゴミで封じ込めるのを望まなかったのである。

 一隻目が軌道上の防衛を通り抜けても緊張が解かれることはなかった。数分以内に、彼らは地上のSDSシステムと交戦し、レーザー、ミサイル、粒子ビームの雨あられが、戦闘機と降下船の雲に突き刺さった。ジョナサン・キャメロンが意図したのは、地上のSDS基地が軌道上の施設と連携し、予言していた侵略者の群れを粉砕する金槌と金床になることだった。それを使ったのは侵略者の側であったものの、ケレンスキーの兵士たちの一部が犠牲となって戦闘衛星を中和したことによって意図していた効果は大幅に削減されたのである。戦闘機は回避行動をとって、SDS施設にダイブすることが可能となり、ここで二番目の脅威に直面した。

 アマリスの戦闘機中隊群が蠅のように離陸して、目標に近づいてくるSLDFの爆撃機を追った。護衛の戦闘機とAEAFの迎撃機のあいだでドッグファイトが発生し、星間連盟の腕と決意がアマリス側指揮官の投入した兵数に匹敵した。SLDFのパイロットは大きな戦果を上げたが、犠牲は大きかった。上陸の際に1000機以上のSLDF戦闘機が失われたが、アマリスはほぼ4倍を失った。

 ガントレットを生き残った戦闘機と爆撃機は最後の挑戦に直面した。各施設の対空防衛砲台である。ここで使われた戦術は幅広いものだった。ある攻撃ではスピードが要となり、ある攻撃では地形を使って目標に接近した。またある攻撃では遠距離からミサイルと爆弾を投じた。どの方法も犠牲が大きいと証明されたが、最も成功したのは――少なくとも生き残れたのは――急降下爆撃だった。急勾配で近づくことによって、最大数の爆弾と砲弾が目標に命中するのが確実となったが、戦闘機が対空砲火から逃れる可能性は最小限になった。

 強襲が始まってから一時間後、ケレンスキーはSLS〈マッケナ・プライド〉の艦橋に入った。もし、上陸が撃退されるか、数を減らされれば、リベレーション作戦は深刻な危機に置かれる。これは地上に充分な数の兵士を送り込む唯一のチャンスだった――一部の兵士たちはすでに地球上に降りているところだった――最後の一撃として、ケレンスキーは数個火力支援小艦隊に、低軌道に入って、SDS基地を爆撃するよう命じた。最初の船が低軌道に入るためエンジンを吹かし始めたとき、攻撃のニュースが広まり始めた……第一波は粉砕されたが、充分な数の爆撃機が目標に到達したのだ。地球への道は切り開かれ、降下船はすでに降下中であり、対空砲を交わす必要すらなかった。

 SLDFの戦闘機のうち40パーセント近くが、リベレーション作戦の上陸段階で失われた(パイロットの損失はやや少なく、25パーセント前後)。それは虐殺であったが、彼らの犠牲は無駄にならなかった。32個師団、約15万人の兵士と14000機のバトルメックが上陸した。彼らが生き残ったのは、だいたいにおいて戦闘機乗りたちの奮闘のおかげである。生き残った戦闘機は軌道まで戻って、再武装し、それから争いに戻っていった。大半は複数回出撃して、地球の防衛をさらに弱体化させるか、上陸する降下船の護衛を務めた。SLS〈ホワイトクラウド〉の1個航空中隊が48時間で14回の出撃を続けた……パイロットたちは決意と戦闘薬の組み合わせで戦闘継続を可能としたのである。彼らは2月2日の早くにとうとう前線を離れることになった。着艦時のパイロットのミスによってゴータの1機が破壊され、ベイ3の防止装置が一時間以上にわたって使用不能になった後でのことである。

 目標にされたヨーロッパ、アジアの施設30箇所のうち、24箇所が戦闘機と特殊部隊によって使用不能となり、5箇所が大きく力を失った。上陸から6時間で、ユーラシアのSDS砲台たった1箇所(ヒマラヤの高地のクーンブ)だけが完全に作動する形で残された。すぐにそこは、本来なら攻撃すべき戦艦からの砲撃によって除去された唯一のSDS施設となった。ジャイプールの上陸を守るために、SLS〈ハイデルベルク〉がレーザーとオートキャノンを浴びせたのである。


モスクワの戦い THE BATTLE FOR MOSCOW

 第15軍集団は、ロシア、ウクライナ管区の重要な工業地帯を確保するため、モスクワとキエフへの上陸を任された。第11軍は、モスクワの西150kmにある町、ガガーリン近くに上陸した。耐熱コクーンに入ったパスファインダー部隊が軌道上から降下する一方、戦闘機がアマリスの航空防衛網に対処し、損害を被ったものの、定められた降下地点を確保するのに成功した。(アマリス帝国軍)第9パトリオット師団の偵察兵は簡単な調査を行い、モジャイスクの西に引き返した。そこは、965年前にナポレオンがロシア軍と戦った古戦場ボロジノの近くだった。当初、アマリスの観測機による上空偵察は妨害されなかったが、輸送船に乗せられていた対空防衛システムが到着したことによって偵察活動は止められることになった。

 モスクワ上陸の先陣は、第146親衛バトルメック師団(ジョージSパットン師団)だった。彼らは先導者としての役割を果たし、他部隊の上陸を妨害するようなモスクワからの逆襲に対する警戒部隊の役割を果たした。そのような強襲はやってこず、都市とSLDF軍の中間にいた若干のパトリオット部隊が、ヴォリショロフースカヤ、ノヴォスパスキーの基地に向かって撤退した。他のアマリス防衛部隊、第33アマリス竜機兵団(公式には1個メック連隊だが、充分な支援連隊群、市民軍に援護されており、SLDFは戦力不足の1個師団とした)はSLDFによる調査を妨害し、ドロコホヴォとクビンカで待ち伏せを仕掛ける一方、いくつかの場所にブービートップを残した。第33アマリス竜機兵団は、第11軍の全軍を相手に持ちこたえる希望がないとわかっていたが、意図を持っていた。妨害作戦は時間を稼ぐためのものであり、1月31日の朝早く、戦闘工兵たちがルザとクラスノゴルスクの間のモスクワ川にかかる17の橋を破壊したのである。

 破壊工作がSLDFにとって大きな障害になったのはこのときが初めてであった。進撃の主軸は南モスクワに向かわざるを得なかったが、1月はたいてい厳しく、川の多くが凍っている時期だった。重量級の機体は渡河に苦労したが、歩兵と軽装甲の機体はほとんど影響を受けなかった。モスクワ強襲を監督すべく、前日の夜に到着したケレンスキーは、第80親衛ジャンプ歩兵師団のジャンプ可能なメックに対して、川を渡り対岸を確保するよう命令し、その一方、重量級の機体が川を渡れるように戦闘工兵に浮き橋の架橋を命じた。予想されていた通り、アマリス竜機兵団は橋頭堡になる部隊への妨害攻撃を実施したが、渡河する第146師団の先陣を撃破するという望みはすぐに砕かれた……砲撃、航空支援によって、AEAF部隊は援護の外に出るのが危険となり、都市へと撤退していったのだ。

 第331師団(北アメリカ師団)は急いで渡河し、第129機械化歩兵師団の支援を受けながら、モスクワの北を移動した。彼らはコロリョフのM8高速道路にできる限り非常線を張ったが、完全な包囲とは言えなかった。その一方、第295バトルメック師団が都市の南でまったく同じ作戦を完了させ、M8自動車道を封鎖した。この不完全な都市の包囲は、ケレンスキーの戦略に置いて意図的な部分であった。彼は辺境世界兵が逃げるのを望んだのである。もしそうしなかったら、都市での戦闘は破滅的なものとなったであろう。

 2月11日、第146師団は第11機械化歩兵師団の支援を受けてモスクワに押し入りはじめた。抵抗は散発的なものであり、ブービートラップと狙撃手の待ち伏せ程度のものであった。SLDFは都市の外環自動車道を通り過ぎ、西側の郊外に入った。ここで占領の恐怖が明らかになり始めた……民衆は行政と治安部隊による虐待を受けていたのである。このうち一部はネグレクト――整備不良による電力不足と衛生状況の悪化――によるものだったが、大半は純然たる暴力によるものだった。チーフテン作戦が始まって以来、治安部隊は従わない者たちに対する恐慌的な態度を強め、SLDFが地球星系に到着すると、クリプテイアと第33アマリス竜機兵団は反体制の者たちを捕らえて公開処刑にした。公園と広場の多くが納骨堂となり、それを見つけたSLDF兵士たちは怒りをかき立てられた。SLDFは慈悲を与えることがなく、求めることもなかった。

 帝国のパトリオット部隊は、怒り狂った第146師団に対して投入するには不足しており、たいていは形ばかりの交戦の後に退却して、モスクワの広大な地域をSLDFに明け渡した。第33アマリス竜機兵団は気骨を見せて、効果的な足止め作戦を実施し、時には逆襲を行うことさえあった。最も重要な衝突の一つは、SLDFがノーヴォアンドレヴスキー橋の占領に動いた際に発生した。共和国の1個大隊が前進する星間連盟軍の側面に突っ込むと、チコノフ通りが熾烈な戦場と化した。数時間にわたって、前進は危険な行為となったが、援軍が到着したことで、アマリス軍を押し戻すことができた……もっとも、この地域の大半は廃墟と化してしまったのだが。安全に横断できるようになるとSLDFは前進を続け、2月15日の早い時間帯に、アルバート管区、ヤキマンカ管区にたどり着いた。

 いまや、内側の環状道路内に入り込み、クレムリンに近づくSLDF兵たちは、より深刻な抵抗を予期したが、ちょっとした衝突があった一方で、妨害は気乗りしないものであった。2月16日、第9パトリオット師団の上級士官たちがケレンスキーとの面会を求めた。案内された士官たちは、ボロトナヤ広場に設置されていたケレンスキー将軍の司令本部で30分間過ごした。司令本部を出ると、彼らは第9パトリオット師団の降伏を宣言した。第33アマリス竜機兵団は降伏せず、ケレンスキーが意図的に残した包囲の穴を通ってモスクワの東からの脱出を試みた。第146師団はアマリス竜機兵団が行くに任せたが、アマリス竜機兵団はモスクワの東の平原においてフライパンを抜け出て炎の中に突っ込んだことに気づいた……2個機械化歩兵師団が東への脱出を阻止し、よってアマリス竜機兵団は怒れる8個師団に包囲されたのだ。彼らは武器の用意をし、身を投げ出すのに備えた。

 ケレンスキー自身がオリオンを駆ってこの最後の戦場に出た。複雑な感情が彼の中にあった。彼は、故郷を汚されたこと、幼少時の家を破壊されたこと、妻と子供を危機にさらされたことに対する復讐を求めていた。それは長年にわたって耐えてきたことだったのである。だが、彼は共和国人と同じレベルの残虐性、野蛮さにまで身を落とすのを拒否した。包囲されたAEAF兵は壊滅的な爆撃か、猛烈な地上強襲を予期していた。代わりに彼らが直面したのはただ静かに見つめてくる敵の姿であった。神経をいらだたせるよううな一時間の後、AEAF指揮官は降伏の意思を伝えたが、ケレンスキーは返答を拒否した。彼は立ち止まって敵を見つめ、2時間にわたって状況を考え、そしてついに降伏を受け入れた。それから彼はきびすを返してその場を離れ、非常に個人的な再会に向かった。

 それからの数ヶ月にわたって、第11軍はロシアの領土を統合し、東はウラル、西はポーランドまで勢力を拡大した。2月19日にはキエフの第17軍の一部と合流し(春の終わり頃には東ヨーロッパ軍集団、元15軍集団として、共同作戦を実施した)、2月21日にはベルリンの第10軍と合流した。2日後には、ウラル山脈を越えた偵察兵たちが、第4軍(カザフスタンのアスタナの近くに上陸)の一部と接触した。

 モスクワは確保されたが、他の都市のいくつかがSLDFにとって問題となった。サンクトペテルブルクの守備隊は当初降伏を拒否し、2週間におよぶ外交の結果、ようやく3月17に降伏したのだった。ムルマンスクとアルハンゲリスク(戦略的な港と軍事基地)は、さらなる難題となった。アルハンゲリスクは2週間に及ぶ包囲で最終的に降伏に追い込んだ一方、ムルマンスク(ヨーロッパ方面戦線で最北端の目標)は6週間持ちこたえてから崩壊して無秩序に陥り、SLDFが施設に突入するのが可能となったのだった。



最初に降り立った男 FIRST MAN DOWN

 リベレーション作戦の年史は、たいていにおいて第146親衛バトルメック師団(ジョージ・S・パットン師団)のメックが、最初に地球に降り立った兵士だとしている。大規模な部隊という意味ではこれは正しいのだが、その一時間前に地表にたどり着いていたSLDFの兵士がいた……戦略SDS砲台への地上強襲を任された特殊部隊の兵士たちである。これら作戦の一部は、SDSを停止させるため、爆撃任務の後に行われたが、空爆の成功確率が低いと見なされた目標施設もあった。

 11個チームが、敵の砲火に立ち向かって、最初の上陸を果たした。そのうち6個チームは、シャトルで上陸し、再突入と降下の間、SLDFの戦闘機中隊群に援護された。他の5個チームは、できるだけ近い軌道に入って、それから個人再突入カプセルを使って輸送機からジャンプした。後者の作戦区域は特に対空防御が激しく、強襲シャトルが生き残ることはなさそうだったのだ。一人の人間――高度39000メートルのところで耐熱コクーンから脱出し、究極のHALO(高高度降下、低高度開傘)降下を実施し、音速を越えて落ちてくる――は、発見しづらく、迎撃しづらいと見なされた。

 チームJ-11は、オーストリア=ドイツ国境のオーバーザルツベルクSDSの上にHALO降下して、この山の北斜面の森に降り立ち、地球に降り立った最初のSLDF兵となった。彼らの上では、山頂の砲塔が大気圏を通過して降りてくる降下船と戦闘機にレーザーとミサイルを浴びせていた。SDS施設に近づいたチームは警報に引っかかることなく3つ目のフェンスを突破したが、4つ目をくぐってる間に2門の自動砲台が起動した。チームのうち2名が殺され、山の中枢に最後の強襲を仕掛けるのは6名のみとなった。いまや武器と罠のガントレットとなった400メートルのアクセストンネルが彼らを待っており、たぐいまれな努力によりどうにかコントロール室に入って、砲台を無効化なしえたのである。幸運にも、基地の防衛はチームに有利なように作用した――このSDS施設の防衛を任されたアマリス帝国の歩兵たちは、SLDF兵士たちがアクセストンネルを閉鎖したときに、数を重きに置かなかったのである。J-11の生き残った隊員2名は、山頂の展望台(豪華な元茶屋)に逃れ、救出を待った。

 ――ケイン・グラハム=キャンベル著『オペレーターとオペレーション』ドネガル・プレス発行、3025年



ロンドンとサンドハースト LONDON AND SANDHURST

 ヨーロッパの3つ目のキャッスルブライアンは、ロンドンの西、サンドハースト・アカデミーに所在する。要塞、貯蔵庫としての役割に加えて、サンドハースト・キャッスルは戦略司令本部であり、ギュンター・ジュリアンス将軍(アマリス軍のヨーロッパ地区司令官)の作戦基地であった。他の上陸作戦は、民間の中枢を狙ったもので、キャッスルは二番目の目標だったが、第15軍の目はサンドハーストをたしかに捉えていた。ロンドンの4つの宇宙港は戦略目標として占領された。そのうち2箇所――民間港のヒースローとノースホルトの軍事基地――は、キャッスルから30キロメートル以内だった。英仏海峡トンネルもまた占領された。そのほかの目標すべては、キャッスルを奪い取るか破壊するまで二の次だった。

 この目標の重要性は、作戦に関わった兵士の数に表れていた。第15軍は13個師団を持っており、3個師団が英仏海峡トンネル、パ=ド=カレー、低地諸国を占領してもなお、サンドハーストのタスクフォースはベルリンとルールを任された部隊よりも二倍の規模があったのである。先陣は第341親衛バトルメック師団(ブラックプリンス師団)であったが、第326バトルメック師団(マントイフェル師団)と第81バトルメック師団(デビルズ・オブ・デビルズロック)が独立タスクフォースの先頭に立った。

 リスクをとらず、注意深く安全に降下地点を確保したヨーロッパ他方面での上陸と違って、ドミトリー・バリオス中将とケレンスキーはサンドハースト強襲を「獣ののどに食らいつく」ものにすると決めた。第341師団と同行者たちは、サンドハースト・アカデミーに直接降下し、防衛部隊を圧倒しようとした。そのあいだ、第81戦闘団がアカデミーから100km西の平原に上陸して、重要な軍事基地と生物正規研究施設を確保し、同時に第326バトルメック師団が宇宙港を占領する。

 1月30日、耐熱コクーンに入ったメック4個連隊がサンドハーストに降下し、アマリスの戦闘機、対空設備からの砲弾をしのいだ。損害は軽いものだった――撃墜されたのは2個中隊以下だった――が、1個大隊以上が降下の間に分散し、意図していないところに降り立った。残った3個連隊の暴力と決意がほとんど勝負を決めた。第7アマリス機兵連隊は大きな損害を受けて、アカデミーの主要施設から退却した。臨時本部が練兵場とローワーレイクの間に作られたが、アマリス兵は瞬く間に結集し、第5帝国パトリオットの支援を受けて、破滅的な逆襲を実行した。キャッスルの固定砲台からの砲撃を受けたSLDFは後退を余儀なくされた。SLDFは戦線を保つためにアッパーレイク周辺の陣地から退却したが、すぐに包囲され、蹂躙される重大な危機に直面した。

 星間連盟メックの第二陣がタイミングよく到着し、アカデミーの正門、射撃練習場の近くに降下して、ここから逆襲の勢いを弱めることができた。数の面でSLDF有利になると、状況はひっくり返った。初日が終わるまでに、第7アマリス機兵連隊と第5パトリオットは、ブライアンキャッシュ(アカデミーの北部、東にキングスライド、西にウィンザーライド)へと続く二つのゲート周辺にタイトな防御線に入ることを余儀なくされた。2月4日までに、SLDFの2個タスクフォースがサンドハーストで合流すると、これらの陣地は放棄され、アマリス軍はフォートレスの傘の下に逃げ込んだ。

 宇宙港の占領を任されていた三番目のタスクフォースは、予期せぬ方向からの攻撃に晒された。2個のアマリス派部隊、バーニングタイガース傭兵部隊と第17アマリス槍機兵団がロンドンにおり、到着したSLDF部隊に襲いかかったのである。軽い抵抗を予想していた第326バトルメック師団は後退したが、兵士たちが続々と上陸するに従い、数の重さがSLDFに味方して、逆襲をもたらした。第17アマリス槍機兵団がグレートウェストロードを下って、激しい後衛戦を仕掛けるあいだ、バーニングタイガースはロンドン中央に二番目の防衛陣地を築いた。自身と都市に住む数百万の住人が危険にさらされてると気づいたSLDFはガネスバリーで追撃をやめて、ウェストウェイ沿いとテムズ・バレーを臨むハムステッドヒース、アレクサンドラパークに観測所を設けた。

 キャッスルブライアンへの強襲は大虐殺となり、両陣営に多大な損害が出た。SLDFのほうが被害が大きく、2個師団(第63機械化歩兵師団、第7ジャンプ歩兵師団)が激しく痛めつけられると、ケレンスキーは前線から下がるように命じた。両部隊は最終的に解散となった。アマリス兵は消耗戦に勝てないとわかっていたが、代価を著しく大きくすることはできたのである。数日が経ち、数週間が経ち、2月後半になっても、キャッスルは陥落の間際にはなかった。SLDFは通信アレイと遠隔トランスミッターを破壊し、サンドハーストからヨーロッパの防衛戦を統制できないようにしたが、立てこもってるアマリス兵を排除することはできなかった。

 ついに、3月11日、SLDFは戦術を変えた。彼らはゲートの正面から後退したが、防衛部隊のすべての希望は消え失せた……上空のSLS〈ウェルズリー〉から砲撃が突き刺さったのだ。1時間にわたる爆撃で、ウィンザーライド側のゲート施設はがれきに変わった。一見して、この攻撃は逆効果に見えた――巨大な耐爆ドアが大量のがれきに覆われて通るどころではなくなった――のだが、綿密な調査によって配線口がいくつかあらわになっているのが発見された。横幅1メートルしかなかったのだが、施設の奥深くに入ることが可能となった。小規模な特殊部隊チームがキャッスルの防衛外周部に浸透し、発電設備と残ったゲートに爆薬を仕掛けた。キングスライド側のドアが破られ、停電で内部のシステムが混乱すると、アマリスの防衛は崩壊した。48時間以内に外部区画は星間連盟の手に落ちたが、内側の区画(この要塞は4層のリング状の防衛からなっており一番外だけが破られた状態)は占領に9週間を要したのだった。アマリスの指揮官、ジュリアンス将軍はSLDFに捕まるよりはと自殺を選び、要塞のメモリーコアを消去して、星間連盟の求めていた情報が渡らないようにした。サンドハーストの作戦において、総計5万人以上の人命が失われ、キャッスルブライアンは大きな打撃を受けた(コムスターはこの施設を復旧することになるが、3090年代になっても、SLS〈ウェルズリー〉の爆撃の痕跡が養成校の校庭に残されている)。

 3月中、ロンドンではSLDFの観測部隊とアマリス兵のあいだで散発的な衝突があったが、どちらも優位に立つことはなかった。SLDFはイーリング・コモンの西、クイーン・エリザベスII公園の東に宿営地を設営して、あらゆる突破の試みを食い止めた。サンドハースト攻防戦が荒れ狂う中、SLDFはロンドンの状況を解決したがっているようには見えなかった。最終的に、4月15日、バーニングタイガース傭兵団が脱出をはかり、バタシーで川を渡って、線路沿いに南西へと走ることでSLDFの哨戒を交わそうとした。彼らは発見され、キングストン・アポン・テムズ近くで会戦が発生した。打撃を受けた傭兵たちはリッチモンドパークを通って後退し、パットニー橋に入った。

 逃亡を試みたことで、予期せぬ結果がもたらされた。傭兵と第17アマリス槍機兵団のあいだで緊張が高まり、正規兵たちは傭兵を臆病だと糾弾した。5月2日、この緊張はふたつの部隊のぶつかり合いにまで発展した。ロンドン中心部の公園がこのミニチュア内戦の戦場となり、メイフェア、ケンジントン、ナイツブリッジ、ベルグラビアの豪邸が破壊された。イーリング、ストラットフォード、ハムステッドにいたSLDF師団はこの衝突を見ていたが、即座に介入することはなかった。5月5日、彼らはついに戦いに加わり、たいしたことのない抵抗に直面して、疲れ果てた敵兵を武装解除した。重要な交戦は2度だけだった……第17アマリス槍機兵団がテムズ南を突破しようとして第326師団に止められ、エレファント、キャッスル周辺で激しい市街戦が起きた。ハイバリー地区の破壊されたスポーツスタジアムで野営していた傭兵を武装解除しようとすると、ホロウェイロード沿いでやっかいな戦いが発生し、最終的にハイゲートウッズの衝突でタイガースの最後のメックが破壊された。

 ロンドンから離れ、英仏海峡トンネル占領作戦は時計のように進んでいた……英国側、フランス側の両駅が戦いなしに占拠されたのである。爆薬がトンネルに仕掛けられていたが、SLDFの強襲スピードが爆破を妨げ、戦闘工兵たちが骨身を惜しまず作業した後、4本のトンネルすべてが交通可能となったのである。こうして、兵士と補給を迅速にブリテン島から大陸に動かせるようになり、フランス北部、ベルギー、オランダでの作戦を急拡大できたのだった。第15軍からの兵士たちはすぐにベルリン、パリのタスクフォースと緊密に連携した。イギリス諸島の残り部分は躊躇なく星間連盟を受け入れ、ロンドン市民よりも通りでパトロールする兵士たちに敵意を向けることはなかった。


ナポリとイタリア NAPLES AND ITALY

 イタリア方面戦線は第6軍が戦い、イベリア半島と似たような展開になった。ブギーマンはそこら中におり、作戦を通しての犠牲は大きいものだった。ナポリ北部への最初の上陸はスムーズに進行し、カプアに第6軍の本部が設営された。ナポリ(2604年のヴェスヴィオ火山噴火後、全面的に再建された)への南進は、無益であると証明された。平原部の小都市と周辺の地区は、簡単に陥落し、たいていは発砲すらなかったが、ナポリの中心地区は遙かに難しいものであった。

 アマリスの残忍な取り巻き、アンティロス・レゴス将軍率いる傭兵団グリーンヘイヴン・ゲシュタポは、個人的な領地としてイタリア半島を得ており、都市の多くを無政府状態のままとした。ナポリはその典型例であり、君主たるグリーヘイヴンによって派閥とギャングの抗争が奨励された。ギャングのメンバーたちの前には、傭兵部隊に入隊できるチャンスがぶら下げられた。内輪もめの中で見せる巧妙さと凶暴性は入隊試験の延長になったのである。常に残虐だったこの傭兵部隊の極端さは2770年に明らかになった……クレメント教皇を殺したのである。アマリスはこの残虐行為を容認した――ある程度好きなようにさせた――なぜなら、最も残虐な任務を実行するグリーンヘイヴンズにいつも頼ってきたからだ。

 第6軍はナポリでグリーンヘイヴン・ゲシュタポが作り出した泥沼にはまり込んだ。ある瞬間には、2つの派閥を引き離そうとして、次の瞬間には同盟が変わり両方から攻撃を受けたのである。第309親衛バトルメック師団(ブラックチャージャー師団)が第6軍の中核をなしたが、ナポリ内の暴力を止めるには無力であると気がついた。代わりにこの任務は歩兵師団群に手に落ちた――第49機械化師団(コロニー・コマンダーズ)と第12ジャンプ歩兵師団である。彼らは質と量で勝っていたにもかかわらず、秩序を取り戻すのに血の代価を払った。一週目に1000人以上のSLDF兵士が負傷し、そのうち約半数が致命傷に達して、この数は小さくなる徴候を見せなかった。装甲車両とメックを配備したら被害者数が少なくなったが、ギャングに狙われることとなったのである。SLDFの捜索・逮捕作戦もまた不評であったが、ギャングのトップを排除することで、秩序はゆっくりと戻っていった。2月27日までに、問題は著しく安定し、3個師団は北に移動し始め、A1を通ってカッシーノ、フロジノーネ、コッレフェッロを通過した。

 地形に阻まれたSLDFは、細長い隊形で進むことになり、これはアマリスにとって逃すことのできない絶好のターゲットとなった。何カ所かで、SLDF部隊は、山肌の砲塔、塹壕の車両から砲撃を受け、前進を続けるまでにこれらをすべて掃討せねばならなかった。間接砲と迫撃砲の砲弾が兵士たちに降り注ぎ、大半は通常弾だったが、時折ガス弾が混じっていた。そのうちのほとんどが催涙ガスとスモークだったのだが、化学・生物攻撃だった場合に備えて対処せねばならなかった。NBCとガスマスクが配られたが、毎日警報が出たことで、兵士たちはすぐおざなりになった。ゲシュタポはこれを利用した……3月に入って5日目、SLDF兵がフェレンティーノに向かっていたとき、傭兵はサリンとVX弾頭を使ったのである。化学物質警報が響き渡ると、兵士たちの相当数がこれをまた偽警報だと信じて、ゆっくり防護装備を付けた。そして、苦しみながら死んでいったのである。これは生存者たちが忘れることのない苦々しい教訓となった。ケレンスキーは、戦略兵器使用に対する速やかで致命的な報復を約束した――戦艦がローマ周辺のゲシュタポ陣地を叩いた――のだが、傭兵たちは逆襲に対する準備をした区域へと退却していった。フェレンティーノに化学兵器の脅威が生まれたので、戦艦は第6軍の真上に残って対砲兵砲撃を提供した。空から見下ろす目がすべての間接砲発射を監視し、数秒以内に艦載級レーザーを発射した。ここでもまた、ゲシュタポは民間のインフラを遮蔽に使い始めたが、戦艦の砲撃士官たちを躊躇させることはできなかった……照準システムは数メートル単位の精確さを持っていたのである。ひとつの建物は破壊されたかもしれないが、村はそのまま残された。生命は失われるかもしれないが、受け入れられる損失とされた。

 第6軍団の先陣は3月9日、ローマに到達し、トゥスコラーナ街道に入り始めた。クアドラロの軍宇宙港を占領したこの前衛部隊は前進司令部を設営し、それから10日間、イタリアの首都の奥深くへと突き進んでいった。ナポリと違って、SLDFは暴力とギャングの抗争に迎えられることはなかった。民衆はほとんど不自然なまでに静かであった。それはグリーンヘイヴン・ゲシュタポの首都に住み、精神異常的な気まぐれを受けてきた副作用だった。彼らは10年以上にわたって気まぐれな暴力に晒されており、比べるとSLDFによる厳格な戦役はほとんど救援活動だったのである。傭兵たちはそれほど親切ではなく、自分たちの領土の中で粘り強く戦った。市街戦があちこちで発生し、あるときは小隊規模の交戦、またあるときは大隊全体が関わった。第6軍の兵士たちは通りを奪還するごとに代償を支払った。被害は壊滅的だったが、グリーンヘイヴンの蛮行に比べるとたいしたことがなかった……2000年以上の歴史を持つモニュメントが、気まぐれによって汚損、破壊されていたのだ。

 孤立と全滅の危機にさらされた傭兵たち(SLDFはいかなる慈悲をも与える構えはなかった)は、3月19日、都市を放棄した。かつての師団規模の戦力はわずか1個連隊になっていたが、それでも第6の脇腹に刺さる棘となるに足る戦力だった。追撃部隊は逃げる傭兵を追って、北イタリア、フィレンツェ外辺部に入り、それから山を越えてイタリア北部平野に到達した。空挺部隊がついに傭兵をフェラーラの西で追い詰め、残ったメックを殲滅した。当時の噂によると、星間連盟の兵士たちは負傷したグリーンヘイヴンの兵士を処刑したと言うが、そもそも傭兵たちは降伏の呼びかけに耳を傾けなかったかもしれない――ローマで降伏しようとした傭兵の多数が爆破自殺ベストを着ていた――その一方で、冷血な殺人はSLDFの柄にあわないものだった。

 打ちのめされ、傷ついた第6軍は3月9日にヴェニスを、4月4日にミラノを解放し、それぞれで小規模な民間人の暴動に対処した。そして、4月20日、ジェノアとトリノが解放され、イタリア解放は完了した。第6軍は、5日後にフランス、スイスを託された部隊と合流し、5月5日、ドイツの部隊とミュンヘンから南下した。



売剣業と愛国者 SELLSWORDS AND PATRIOTS

 アマリスの正規兵は、クーデター以来、大半が連隊から師団に増強され、SLDFに対し最大かつ最も熟練した抵抗を示したが、2つのグループが正規兵の戦力数を大きく支えた。それは傭兵と帝国パトリオット師団である。

 傭兵は長きにわたってAEAFの軍事作戦の一部であり続け、アマリスはアポテオシス作戦を急ぐ中で数十の部隊を雇用した。一部は契約を終えるか、あるいは壊滅したが、リベレーション作戦の際にはかなりの数が残り、重要な役割を果たした。最も悪名高いのは、アマリスが地球の敵を脅し、手荒く扱うために使ったグリーンヘヴン・ゲシュタポであるが、バーニング・タイガース、ウォーリアズ・オブ・ザ・ドーン(この戦役を生き残り、地球を賭けた戦いで見せた断固たる決意から「グリム・デターミネーション」に改名して継承権戦争を通して活動した)、チームQのすべてが技量を証明し、アマリスに協力した――支払いがよい限りは。

 帝国パトリオットは、アマリスを支援するために集まった帝国市民(主に地球)を活用する新部隊として始まった。忠誠心と熱狂によって駆り立てられた初期のパトリオット師団は効果的な戦闘部隊であることを証明した。しかしながら、SLDFが地球に押し進んでくるに従い、アマリスの指揮官たちは戦力で劣っていることへの懸念を強め、さらなるパトリオット師団が作られた。志願兵は足りなかったので、これらの新部隊(第8パトリオット以降)は、徴募兵と放棄された装備を採用した。訓練と士気が欠けていたことから、これら新部隊の大半には他のアマリス部隊よりも数多くの政治士官がいた。彼らは脆弱で、拠点防衛以上の複雑な任務に耐えられず、SLDFの将軍たちは「靴下の詰め物師団」とのニックネームを与えた。しかし、ヨセフ・スターリンの言葉とされる「量は質を兼ねる」の通り、2777年1月までに、19個個がそろえられたのだった。

 ――マーヴィン・ホームズ著『ジャンピング・ザ・シャーク』テラ・プレス、3085年



北海道と九州 HOKKAIDO AND KYUSHU

 日本は、複数の大規模な兵器製造業者と高山キャッスルブライアンが所在する、SLDFの主要目標であった。第8軍、第20軍の2個軍がこの作戦を任された。当初の計画では、両者が北海道に上陸し、南に進んでいくことになっていたが、九州に戦力が集結しているとの情報が最後の最後で入って、第20軍が九州に赴くことになり、北と南からキャッスルブライアン要塞に迫るという新しい計画がもたらされた。


北海道と本州北部 Hokkaido and Northern Honshu

 北海道の原野への上陸は、予想されていた通り、邪魔されることがなかった。この作戦の初日が終わるまでに、SLDFの陣地は確保され、各師団が札幌解放のため南に突き進んだ。2月2日それは達成された。治安部隊との小規模な衝突と、それなりの規模の市民による暴動だけが、彼らの存在に対する挑戦であった。この地域で活動しているアマリスの工作員にニュースはすぐに届いたが、上陸が始まった直後に南の函館に向かっていた。第28軽機隊は追跡の急先鋒に立ち、その真後ろに第194機械化歩兵師団が続いた。函館で得た情報によると、アマリス兵たちは青函トンネルと津軽海峡大橋を通って本州に渡ろうとしていた。この追撃戦は競争となり、SLDFはアマリス軍が橋やトンネルを破壊つもりなのではないかと恐れた。第28軽機隊が近づくと、彼らの恐怖は実現された――爆発物が橋の最初の数キロメートルを崩した――のだが、トンネルは何ごともないかのように見えた。この後に起きたのが、54キロメートルに及ぶトンネルへの向こう見ずな突進であり、軽量級メックと装甲車両が破壊工作を防ぐために競争した。何カ所かで撃ち合いが発生したが、メックが押し通り、障害を除去するため歩兵と戦闘工兵たちを残していった。夜明けに、本州の北部に入った第28軽機隊は、アマリス兵がトンネルの入り口に設置した爆薬に起爆する前に最後のアマリス陣地を粉砕した。2日間にわたる骨身を惜しまぬ検査によって、残ったブービートラップは除去され、2月5日、青函トンネルはSLDFが通行可能だと宣言された。

 第8軍は南に進み、2月7日に青森を占領し、翌日は秋田を占領した。2月19日までに、進撃する兵士たちは仙台を調査し、ここで最初の重大な軍事的挑戦に直面した。地元の市民軍は、経験と装備を欠いていたにもかかわらず、偵察隊を事実上足止めした。南への進軍は3日間にわたって遅れ、そのあいだ強襲部隊は盛岡、北上、一関に移動した。市民軍は、圧倒的な敵軍に直面をしてもなお、退却を拒否して、広瀬川沿いで粘り強い防衛を実施した。この防衛は結局のところ2月23日に破られたが、市民軍は名取川沿いの第二次防衛ラインに撤退し、都市の東端、小さな宇宙港の傍らに陣取った。この防衛線を突破するのに3月1日までかかった……太白山に陣取ったSLDFの砲兵観測員が市民軍の陣地に正確な砲撃を呼んだのである。市民軍は再び撤退しようとしたが、SLDFは愛宕山の高地を占拠するのに成功しており、岩沼で挟み撃ちにした。市民軍は星間連盟の戦線を突破する、むなしくそして血塗られた試みを仕掛けたが、3月3日、ついに降伏に同意したのである。SLDFの聴取によって、市民軍(その断固たる決意によってかなりの尊敬を得ていた)は、その奮闘の理由を明かした。アマリスのプロパガンダは、戻ってきたSLDFの兵士たちを、殺しと破壊だけを求める復讐に飢えたバーバリアンのように描いていたのである。市民軍は家族を都市から逃がす時間を稼いだ――数十万人が山に逃げた――のだが、実際にはSLDFがいかに誇り高く自制しているかを経験から知った。仙台市民軍の大半は後に仮釈放され、一部はSLDF軍のガイドを務めた。第8軍は仙台を本州の中央司令本部とし、戦闘で受けた損害の復旧に着手した。4月には市民のほとんどが家に戻り、複数の地点からSLDFが南進して10日間が経っていた。

 菅原とさくらを通って南進した第316親衛バトルメック師団(リオグランデ師団)と第131バトルメック師団(ヘラクレス師団)は、4月2日、首都圏の外周部にあたる宇都宮に到着した。人口5000万人をわずかに下回る首都圏は、地球で最大の都市であり、ここを占領するのは挑戦になるはずだった。2個のアマリス部隊、第197アマリス機士隊、第71アマリス竜機兵団が、ここ関東地方にいると思われたが、都市内にいるのか、いるのならどこかは不明だった。14000平方キロメートルを捜索して、都市を占領するのは、延々と長引く作業になるはずだった。


九州と本州南部 Kyushu and Southern Honshu

 九州に敵兵が集まっているという噂は正しいと判明し、第20軍は鹿児島北部で繰り広げられている戦闘のただ中に直接降下した。SLDF上陸のニュースがやってきたとき、第5アマリス軍団は地元の市民軍と演習を行っていた。市民軍は基地に戻るよう命じられ、アマリス軍団はSLDFと戦う準備をしたが、市民軍は命令を聞かず、かつての同僚に立ち向かった。第382バトルメック師団(ウェストモーランド師団)が鹿児島湾の岸辺に上陸するまでに、地球側の両部隊は痛めつけられており、乱闘で敵と味方の区別はつかなくなっていた。霧島の宇宙港を確保し、海岸平野を見下ろす御岳に観測所を設置するため、連隊群を派遣したSLDFタスクフォースは、両軍を降参させようと叩いた。19時間にわたる残虐な戦いで、アマリス軍団は崩壊し、生き残りが金峯山の斜面に孤立して2月4日に降伏した。SLDFの介入を受ける側にいたにもかかわらず、市民軍は遙かによい状態にあり、最終的に「友軍」であると見なされ、鹿児島の港湾地区に撤退していった。

 市民軍は、第22アマリス追撃隊が九州北部の北九州にある小倉兵器庫を基地にしていることを明らかにした。足の速いSLDF連隊群が北方に派遣される一方、重量のある部隊は出水、大分、佐賀を占領した。第300竜機兵連隊は長崎(大規模な港であり、約8世紀前の第二次世界大戦で核爆撃の目標になったという忌まわしい過去を持つ)と、半島沿いの都市多数を解放した。さらに北では、アマリス追撃隊が兵器庫を離れ、本州へと渡る戦略的な用地である下関の周囲で守りを固めていた。4個師団がアマリス軍の陣地に向かう一方で、もう2個が瀬戸内海に作られたアクエリアス・アーコロジーのある東に向かった。

 下関の関門海峡での戦いは激しいものとなり、アマリスの軽師団は海峡の両側の高地に陣取って、何重かの防衛網と固定武器砲台を設置していた。数で劣っていたにもかかわらず、アマリス追撃隊は橋の南側入り口を確保しようという攻勢を何度もはねのけ、SLDFに使われないようにトンネルのいくつかを崩落させた。海底トンネルの一本が残ったが、入り口は橋の近くにあって固く守られていた。この攻防は消耗戦となり、特に歩兵が打撃を受け、数日で終わると思われていた交戦は数週間に及んだ。3月19日、SLDFが関門橋への攻撃を実施していたとき、最南端の海底鉄道トンネルを通って迂回部隊が現れた。それは破壊したとアマリス追撃隊は信じていたが、星間連盟工兵によって再掘削されたものだった。北岸のアマリス追撃隊の背後から攻撃したSLDFは、アマリス軍の司令本部を占領し、それと共に橋に仕掛けられた爆発物の起爆装置を奪い取り、最後の防衛線を攻略した。3月22日までに、巨大なコンテナ港に小規模な抵抗拠点のみが残った。

 アーコロジー(海峡の瀬戸内海側を占めていた)は、アマリス兵がいないにも関わらず、挑戦が行われた。実際、この施設に住んでいたのは数百人だけだったのだが、ドローンが数千体いたのである。これら物言わぬロボットは生産用であったが、一部は防衛用だった。ギャル・ヴラシッチ中将はこのアクエリアス・アーコロジーを迂回しようとしたが、大阪南部にある最大の宇宙港と広大な生産施設を持つアーコロジーは、SLDFにとって価値のあるものだった――そしてアマリス軍にそれを使わせたくなかった。アーコロジーに対する直接的なアプローチは、ドローンと銃座からの敵対的な反応を引き起こした。その後は、自動システムの性能を落とすため電子戦に持ち込んだが、アーコロジーに入るまでに一週間かかり、残ったセキュリティシステムをシャットダウンして、プラットフォームをSLDFが使用できるようになるまで、さらに10日を要した。アーコロジーは橋に対する作戦の後の段階で価値があると証明され、司令本部、整備場、および軌道上の船から流れ込んでくる補給物資を扱う港として機能した。

 5月上旬までに、第20軍は本州南部に入り、広島、大阪、京都、名古屋を占領した。彼らは日本アルプスを攻撃し、高山のキャッスルブライアンに向かうのに絶好の位置にいた。偵察隊は山脈の深くに入ったが、第20軍は、東の問題が解決され、第8軍が合流するまで待った。


東京 Tokyo

 東京はSLDFにとっての泥沼となり、その広さと人口密度によって油断できない戦場となった。最初の都市への進撃はたいした抵抗に遭遇しなかったが、第8軍が境で利根川を渡ろうとしたとき、第71アマリス竜機兵団の一部からの攻撃を受けた。この簒奪者の兵たちはすぐに交代したが、SLDFのメック・車両1個中隊以上を破壊した一方で、2機しか被害を出さなかったのである。白岡と春日部でのさらなる衝突は似たような流血をまねいたが、ここでSLDFはかなりの損害を与え、損失はさらに少なかった。

 東の側面部隊は牛久を抜けて、4月19日に成田宇宙港を占領した。ここを基地として使った彼らは、千葉に押し入り、東京湾の北岸に入った。地元の市民軍が妨害を仕掛けて、進撃を遅らせたが、4月23日に東部方面攻撃は足立で主力と合流したのである。江戸川区を抜けて墨田区に入った攻撃は、荒川を渡る足場を確保したが、第197アマリス機士隊に足止めされ、逆襲を受けて川の向こうまで押し戻されたのである。

 5月3日、西の側面部隊は、狭山、稲城、川崎を攻撃して、東京湾の西海岸に到達し、都市を完全に包囲した。横浜港、羽田宇宙港(湾に突き出ている)がすぐに続き、品川と目黒を通っての調査で、アマリス軍の防衛の弱点があらわとなった。北、東、西からの協調した進撃によって、ついにアマリスの防衛は圧倒され、簒奪軍は渋谷区から千代田区にかけての細長い孤立地帯に後退した。青山通りと新宿通りにかけて戦いが発生し(それぞれ北と南の側面攻撃を形成した)、信濃町への攻撃で孤立地帯は二つに分かれた――ひとつは渋谷区の代々木公園と明治神宮を中心とし、もうひとつは千代田区の皇居であった。

 徳仁公爵(日本管区の貴族指導者)を処刑すると脅したアマリス機士隊は、千代田の孤立地帯から脱出するために交渉しようとした。ケレンスキーからの直接の命令で、交渉は拒否された。アマリス兵は、最も価値のある交渉材料を処刑することはなく、徳仁の19歳の娘である名子を殺し、血まみれの死体を放り出してSLDFに回収させた。応じて、SLDFの特殊部隊が6月2日の夜中、皇居に侵入し、堀を泳ぐ間、強襲によってアマリス機士隊の目を引いた。公爵と家族をかっさらった後、特殊部隊は道を切り開いて戦い、アマリス機士隊の指揮幕僚数名を殺した。アマリス軍の指揮官、レイノー・ザーン中将も負傷者の中にいた。指導部と人質を失ったアマリス機士隊は翌日に降伏した。

 第71アマリス竜機兵団の生き残りがホールドアップする渋谷の状況はそれほど恐ろしいものではなかったが、かつて美しかった公園と名所はいまや荒廃していた。食料と弾薬の不足は防衛の足を引っ張ったが、竜機兵団は降伏しないという決意を固めていた。皇居での降伏のニュースが届くと、竜機兵団は突破を試みた。SLDFは1キロメートル北で進路をふさぎ、新宿通りは東京最後の戦場となった。

 都市を支配下に置くのにもう5週間かかったが、7月上旬、第8軍は本州にかけての進撃を再開し、ひとつの攻撃で南アルプスを通って南から長野に接近し、別の攻撃で前橋と十日町を通って日本海の新潟を占領した。








エンドゲーム ENDGAME


北アメリカ上陸(2779年1月〜2779年6月) NORTH AMERICAN LANDINGS(JANUARY 2779-JUNE 2779)

 軌道上からの情報、すでに地上にいた偵察兵からの情報、そして共和国占領軍を苦しめていた抵抗グループからの情報、そのすべてが物語っていたのは、北アメリカを解放する戦役こそ、最も難しく、血塗られたものになるということであった。簒奪者の軍隊は3つのキャッスルブライアンを維持していた(北アメリカにある4つめのキャッスルブライアン……つまりユニティシティのすぐ外に位置し、SLDFの第二司令部として稼働していたベイカー山のキャッスルブライアンは、クーデターから数ヶ月後に、繰り返される核攻撃、軌道攻撃によってほとんど破壊されていた)。彼らは他に大陸中の小規模な基地、要塞を数百あまり手にしていた。

 おびただしい防衛軍が北アメリカで活動していることを考えると、そして特にユニティシティから数百キロメートル以内をSDS砲台と要塞群が取り囲んでいることを考えると、かつての星間連盟の中心を直接的に強襲するのは不可能だった――少なくとも、限界を超える損害がSLDFにもたらされるはずだった。ケレンスキーは時間がかかる代わりに死傷者、物的損害の少ないプランを承認した。それはSLDFが二手に分かれ、アメリカ大陸の遠く外れた北と南に上陸するところから始まった。追加の上陸が行われるのは、太平洋が確保され、ヨーロッパ方面軍がGIUKギャップ(グリーンランド=アイスランド=イギリス間の海峡)を渡って、カナダのラブラドール海岸に到達してからだった。

 北部方面強襲は、1個軍集団全体がベーリング海峡を渡ることになる。アマリス軍はすでにアジアと北アメリカをつなぐリニアモーターカーの橋、海峡トンネルを破壊していた。その一方で、アマリス兵が閉じ込められることもなくこの交通路を使って移動し、虐殺をすることもできなくなった。この北部方面強襲では、空挺と海上輸送の組み合わせを用いて上陸し、大陸に足場を確保して、侵攻部隊の主力を降下船によって移動させることになった。

 すでにシベリアにいた第12軍は東に進む一方、第11軍が中央アジアから移動し、2778年10月にチュクチで合流して、ベーリング海峡横断の攻撃に備えた。それに続くのは、シベリアの荒野で訓練し、厳しい冬での戦闘に備えた第15軍集団、第20軍集団の残存戦力だった。

 そのあいだ、第21軍集団はインド亜大陸での作戦を完了させた。ここの展開地点から、侵攻部隊は降下船に乗り込み、惑星を半周する間、できる限り太平洋のSDS砲台の射線に入らないコースをとる。彼らはSDS砲台の少ないメキシコ南部に上陸する予定だった。オーストララシアでの作戦を完了させた第4軍集団は、北アメリカの西海岸に上陸することとなるが、第21軍集団が援軍を必要とするなら南に転進する。

 ヨーロッパでは、第17軍集団はアイスランドを目標都市、それらかグリーンランドにジャンプする――それぞれには最低限の駐屯部隊しかない――第22軍集団は遙かにリスクの高い大西洋横断攻撃の準備をする。しかしながら、これらの二次的な侵攻は4月までに始まらなかった。北アメリカのSLDF軍が東海岸の防衛軍の大多数を引き寄せるのをケレンスキーが望んだ際のことである。


厳しいアラスカ HARSH ALASKA

 アンカーヘッド作戦……ベーリング海峡を渡る北アメリカ侵攻作戦は、1月7日に予定されていたが、天候が悪く、特に強風が吹いて海が荒れ狂ったことから、空と海から上陸するのが一週間以上妨げられた。SLDFの偵察兵は数ヶ月前からアラスカ地区に浸透しており、年が明けた直後、一時的な待避所に避難した。1月15日、天気予報がようやく嵐の終わりを告げると、侵攻が始まった。偵察兵たちはSLDFの空挺兵が使う降下地点19箇所を指定した――マーカービーコンのうち2個がマイナス20度の酷環境で故障し、沿岸警備隊のいた5箇所からマーカーが取り外された。

 侵攻は地元時間0330時、第9ジャンプ師団、第322バトルメック師団からの1個連隊がタッチダウンすると共に始まった。支援するジャンプ可能なメックの3個大隊が、貨物船やトロール漁船のデッキに乗り込み、ベーリング海を渡った。これらの先陣部隊(アラスカのスワード半島の西岸に上陸した)は、3個気圏戦闘機連隊に支援されており、300ソーティをこなしてアマリスの戦闘機を迎撃し、侵攻部隊を海に押し出そうとする地上部隊を攻撃した。

 アマリスは1個バトルメック連隊、第88アマリス機兵連隊をこの半島に置いており、1個旅団(装甲車両・歩兵)の支援を与えた。これらの部隊は上陸から1時間以内に警戒態勢に入り、直後に移動して、0630時までに最初の交戦を行った。アマリスもまた強力な戦闘機部隊をアラスカに置いていたが、この半島には2個航空大隊だけだった。アマリスの戦闘機は全力を尽くし、地上の友軍と協力して、最初の上陸部隊のうち5個を殲滅した。だが、SLDFの航空優勢に圧倒され、アラスカの他地方から追加の戦闘機がやってきてからも、星間連盟の上陸を跳ね返すことはできなかった。

 夜明けに出発したSLDFの工兵中隊群は岸辺に到着し、アラスカの氷床と凍ったツンドラを航空機型降下船用の滑走路に変えてみせた。これによって、第11軍、第12軍の装甲車両、歩兵の大半がこの大陸に輸送された。(球形降下船の使用は除外された。なぜなら、アラスカSDSの危険があること、そして適切な降下地点がないからだった――球形降下船は理屈の上では氷や氷河の上に着陸できるが、エンジンは着陸した氷を溶かし、ランディング・ギアが沈んでまた凍ってしまうかもしれなかった)

 降下船は何百回も出撃を求められ、SDSの砲撃を避けるために波頭ぎりぎりの高度を飛んだ。最初の降下地点は1130時までに開拓されたが、半日に及ぶ離着陸のあとで大半が駄目になった――降下船の1隻が氷の滑走路にはまりこんだ。バトルメックのうち一部は降下船(大半はレパード級輸送船)で到着したが、大半は大型の海洋輸送船か、巨大な球形メック輸送降下船で輸送することになっており、双方共に、港か宇宙港を占領せねば、使うことができなかった。

 最初の2週間で、2個SLDF軍はゆっくりとアラスカでの戦力を組み立てていった。少数のメックに支援された装甲部隊が彼らの主力であった――SLDFの歩兵たちは、酷寒用の装備を持っていたが、それでもなお、危険な北極に近い環境の中で、避難所を提供する兵站車列なしに臨時の基地から遠く離れることはできなかったのである。さらに、強い嵐が予期せず吹き荒れ、上陸を一度に数時間、数日間延期させたのだった。そのあいだ、SLDFはスワード半島にごく小さな足場を維持し、アマリス兵と決まって遠距離で打ち合った。2個軍は都市ノームへと押し進んだが、航空優勢があってなお、天候、悪路、劣勢の組み合わせによって占領することができなかった。だが、彼らは東と北に拡大し、1月の最終週にアマリスがSLDF降下地点への核攻撃を命じた際に、先見の明がある動きだったことを証明した。上空援護を抜けて行われたこの4回の攻撃は、それぞれ降下地点を破壊し、数千人のSLDF兵士を殲滅した。この過程で約2ダースの降下船が破壊されるか、深刻なダメージを受けた。

 星間連盟部隊は内陸を100キロメートル以上進んで、月末までにスワード半島を突破し、さらに何カ所かの降下地点を作ることができた。その一方、半島内に残った戦力はノームに集中した。彼らはついに共和国人を都市から駆逐し、2月の2週目までに半島から追い出したが、ノームの海港は破壊され、宇宙港は廃墟になっていた。だが、宇宙港に残されたフェロクリートは球形降下船が安全に着陸できるもので、従って重メック部隊を持ってくることが可能になったのである。

 アラスカで着実に増加するSLDF戦力は、2月半ばついに動き始めた。特殊部隊と専門の山岳兵はすでにアラスカの極地防衛SDS砲台に対処しており、そのあいだ残った第11、第12軍は氷と山を通って進撃し、嵐が通り過ぎるまで数日間足止めされることがよくあった。第11軍は南東に移動し、最終的な目標は北アメリカの西海岸を下ることだった。そのあいだ、第12軍は内陸を東に進み、月末までに装甲・バトルメックの1個連隊がフェアバンクスにたどり着いた。ここの駐屯部隊はほぼ完全に驚かされることとなる――共和国の偵察機はアラスカの内陸で第12軍を発見していたが、厚い雪と吹きさらしの荒野を進む速度が(比較的)速いことを見落としていたのである。

 フェアバンクス占領はアラスカ方面戦線のターニングポイントとなり、SLDF(この大陸で移動しようと奮闘している2個軍集団)は本物の足場と北方の活動拠点を得たのである。数十隻の降下船が、(天候が許す限りは)毎日、都市を行き来し、2個軍集団の大半を都市へと輸送した……元の降下地点とフェアバンクスの間の1000キロメートルを移動した多数の中隊、大隊もまた合流した。

 第12軍が先導する中、第20軍集団はタナノー川沿いにフェアバンクスから南東へと移動し、カナダのユーコン準州にたどり着いた。そのあいだ、第12軍は凍った荒野を渡っておおむね南に進軍し、アラスカ山脈を通る小道を発見すると、第17軍が勇敢な空挺・海上強襲でアンカレッジを奪い取った一週間後、アンカレッジに到着した。この2個軍はここから前進し、パスファインダー部隊に頼ってアラスカの山々を越えた……それから重部隊は、新しい降下地点が占領されるか、作られると、降下船を使って蛙跳びのように移動した。

 3月中旬までに、2個軍集団はアラスカの海岸に沿って南西に移動し、ブリティッシュ・コロンビア州を通った。三ヶ月にわたって戦ったのは、アマリス兵というよりも地形と天候だった。実際、地球戦役で初めて、戦闘での損害より、環境から受けた死傷者のほうが多くなったのだ。



アイスマン THE ICEMAN

 ドミトーリ"氷のバート"ガトロノフ曹長は、25年のキャリアのうち半分以上をアラスカで勤務した後、SLDF予備役を退役した。アラスカで彼は第2212特殊部隊大隊に所属していた。この部隊が担当していた独特の任務は、捜索と救援である。第2212特殊部隊大隊に配属された隊員たちは、他にも仮想敵の役割も務めたり、スパイ、破壊工作を実行するのだが、その本職は敵戦線の後方に取り残されたり、離れた地域で立ち往生したSLDF隊員を捜索し、救出することなのである。現役のSDLF軍はすべてこのような部隊を最低でも1個保有している一方で、同種の予備小隊、中隊、大隊が地球帝国中にあるということは、熟練したオペレーターたちが行方不明、立ち往生した民間人をいつでも救出できることを意味していた。

 第2212の隊員である一方、ガトロノフは高山と極地を専門にしており、それゆえ地球の各大陸を訪れたことが何度かあったが、主にアラスカとシベリアの原野で活動し、毎年、行方不明になり立ち往生したアマチュア探検家を数十人救出していた。除隊後、彼は先祖代々の故郷であるシベリアに移り、クーデター後に訓練を再開して、シベリアのステップ平原に消えた。彼は電子的に追跡されるのを避けるため、それまで退役について触れ回っていなかった――これは先見の明のある行動だったと言えるだろう。なぜならHSFのエージェントたちは、このやり方で数万のSLDF元隊員を追跡し、投獄するか殺してきたからだ。

 ガトロノフは地球占領の間、シベリアのまばらな人々の中で身分を隠して暮らし、牧畜を行い、腕の立つ便利屋をして生き延びた。それにも関わらず、彼はたった一人の積極的な抵抗活動を行い、ランダムに通信線、輸送線を破壊したり、孤立した輸送車列を待ち伏せすることすらあったのである。彼は日常的に自宅から数百キロ離れて攻撃を仕掛け、ほとんどいつも単独でそれを行った。彼は攻撃の後、がれきを徹底的に漁って、必要な装備と補給を持っていき、残りを地元の抵抗戦士、民間人が発見できるようにした。HSFとAEAFの諜報サークル内で、彼は「アイスマン」としてのみ知られるようになった……文字通り雪と氷の中に消えていく姿が何度か目撃されているからだ。

 ケレンスキーが上陸するまで、彼の正体はだれも知らなかった。第2212大隊の元士官、タズ・アング准将(15年前に中尉だったころの彼をガトロノフは知っていた)がドアをノックし、アラスカ戦役の計画と実行の助力を求めた。元曹長は、来たるべき戦役に備えて、数ヶ月かけてSLDFの特殊部隊の準備を行った。彼は極地における侵入、偵察、対SDS任務の訓練を行い、ベーリング海峡を渡る先導を務めさえしたのである。アラスカ戦役のあいだ、彼は計画立案者としてSLDFに残り、偵察を率いたことと実戦参加によって、星間連盟勇武勲章、帝国勲章2個を授与され、ユニティシティ奪還後にはシベリアの小屋へと戻っていったのだった。

 ――ピーター・マーテル著『占領下の謳われぬ英雄たち』、ファースターメディア、2794年発行




ハートビート HEARTBEAT

 再統合戦争の後の時期、第一君主ニコラス・キャメロン(ベテランのメック戦士で再統合戦争に参加した)は、いかなる不測の事態にも対処できる恒星間軍隊を求めた。この指令は、その後数十年にわたるSLDFの拡大に道筋を付けることとなった。キャメロンは、特定の国でなく星間連盟にのみ忠誠を誓う軍隊を作り上げるため、最高司令官ニコラス・キノルを通して多数の変更を加えた。これら変化の多くは系統立ったものであり、たとえば政治的な任用・昇進を終わらせるために考えられた政策などだった。そのほかはだいたいにおいて表面的なものだったが、同じく重要だった。

 20年以上、SLDFの前線と後方で勤務に就き、星間連盟所属各国からの兵士たちを指揮したキャメロンは、兵士たちが単純に勲章を勝ち取るために自らの生命を投げ出すことがあると知っていた。プライドは有用な道具であり、単なる金飾りが忠実でプロフェッショナルな軍隊を作る役に立つというのなら、キャメロンは最大限にそれを利用した。

 すぐにSLDFは全隊員が獲得できる可能性のある数多の賞と勲章を導入した。戦時でも平時でも、際だった職務、勇敢さに対して与えられるものである。その一部として、ほぼすべての専門に対し、SLDFは戦闘資格記章を作り上げた……バトルメック戦闘強襲記章(BCAB)はメック戦士向けに作られたもので、戦時か、敵と戦うことになった緊急時に、軌道降下、高高度降下を実施した者が獲得できる。メック戦士の左胸に付けられた光る金属の記章(ハートらしき形状とあわせて、シルバーハートと非公式に呼ばれる)は、最初の戦闘降下で授与され、二回目以降は星などの付属物で表現される。

 シルバーハートは、再統合戦争の参加者にまでさかのぼって数千名に授与され、数十年間、SLDFメック戦士にとっての名誉であり、平時にこれを獲得することはきわめてまれだった。平和な長い世紀にこれは変わった。SLDFは演習に5回参加したメック戦士に対して、基本のブロンズ版を授与するようになったのだ。この基本記章を得るのはたしかに偉業なのだが、本来の意図を希釈化するものであった――特に多くの師団がこういった演習を年に数回、実際の戦闘を想定してない状況下で、メック戦士にこの記章をとらせるために行ったので。

 このほとんど習慣的な演習は、アレクサンドル・ケレンスキーが総司令官になると終わりを告げた。SLDFの「退屈な」平和の時代は終結し、能力と適性に見合った新しい評価の時代がやってきた。メック戦士の多くが声高に反対した一方で、彼らは水平線からやってくる嵐を見ることになり、直後、辺境と帝国の戦争でBCABの授与は記録的な数となったのだった。アマリス内戦が終わるまでに、生き残った現役SLDFメック戦士の2/3以上がこの記章を持っており、多くが複数回の降下を記録した――選ばれた少数のメック戦士は、30回以上の戦闘降下を示す記章を付けている。

 ――ジェラ・ノンス著『星間連盟防衛軍の歴史』、コムスター・アーカイブ、3022年



ユニティシティ接近(2779年6月〜2779年9月) APPROACHING UNITY CITY (JUNE 2779-SEPTEMBER 2779)

 星間連盟防衛軍はいまやユニティシティの周囲約200キロメートルを包囲していたが、ケレンスキーは大軍を要していた一方で、各軍はこの状況ではなかったら戦えなくなる状態にまで戦力が低下していたという事実があった――多くの師団が40パーセント以下の戦力となっていたのである。その一方で、アマリスの最も忠実な戦力は、生きるか死ぬかの戦闘を行っており、地形的に有利な狭い地域に集中していた。SLDFの前進をさらに複雑にしているのは、ユニティシティの南東にあるコロンビア川が雪解け水であふれていたことだった。

 ニューファンドランドから北アメリカ大陸に入った第15軍、フロリダの第1軍に続いて到着した第16軍は、双方共に前線に入って中心的な役割をこなし、第2、第19軍もまたアジアから到着していた。これによって、ケレンスキーの疲れ果てていた軍隊は、最後の攻勢の前に一息つくチャンスが与えられた。だが、終わりが近いことから、彼らは一様に反対し、ただできるだけ早く戦争が終わることを求めて攻撃を続けたのである。


バンクーバー攻防戦 BATTLE FOR VANCOUVER

 このいわゆるバンクーバー島攻防戦は、第17軍がバンクーバー島に1個連隊を送り込んだ2779年6月3日に始まった。この島は、カナダの西海岸のすぐ外、ピュージェット湾のすぐ北にあり、船を使って島々を渡ることが可能で、ジョンストーン海峡には氷が張っていなかった。SLDFの戦力は最終的に3個連隊にまで成長し、山を遮蔽に利用して南東に移動し、島の東中央海岸に橋頭堡を築いた――ここはバンクーバー島で唯一の大きな平野だった。第19軍がアジア中の集結地点から北アメリカ大陸に到着した。最初の兵士たちは、6月7日に降下船で上陸し、ヴィクトリア市を攻撃するためすぐさま南東へと急いだ。

 アマリスはヴィクトリアの内外に4個混合大隊のメック、装甲、歩兵を置いており、完全な1個旅団を大陸のほうのバンクーバー市のジョージア海峡に配置していた。不幸にも、SLDF第15軍集団、第20軍集団の残りは、まだバンクーバーの北にある山脈を通って進んでいるところで、アマリスの強力な防衛に足止めされており、バンクーバー内のアマリス兵はバンクーバー島の防衛を支援することができた。

 短い戦闘になると予想されていたものは、数ヶ月にわたる長い戦役に変わり、共和国の兵士たちは定期的に山中で陣地を移して、星間連盟がヴィクトリアを強襲するのを妨害し、サリッシュ海を渡ってワシントン地区に入りユニティシティを直接脅かすような攻撃が起きるのを防いだ。バンクーバー島は北アメリカ大陸の縮図と化した。共和国のバトルメックと戦車の混戦中隊群は、たびたび有利な陣地を準備し、狭い地形を進んでくるSLDFに砲火を集中させ、その一方、共和国の歩兵たちは山岳の高地に陣取り、間接砲射撃を要請するか、地雷やブービートラップを仕掛けた。SLDFは力ずくで進めるだけの比較的狭い平原しか確保できず、大量の共和国兵士と直面した。それと一緒に、島の南部には、防衛用の重間接砲が据え付けられていた(東のジョージア海峡にもあった。ここからバンクーバー島やカナダ西海岸を構成する山がちな諸島を進む目標を簡単に撃つことができた)。さらにアマリスは、強力な戦闘機部隊をこの地域に保有しており、ユニティシティを取り囲むどの戦場にも素早く対応が可能だった。2779年の夏が始まる時期、SLDFは攻撃を仕掛けるごとに法外な対価を支払った。

 有利な点があったにも関わらず、共和国軍は膠着状態を維持することが単純にできなかった。SLDF2個軍集団は地上から弱点を探り続ける一方、海洋からも攻撃を行い、バンクーバー島、オリンピック半島(ユニティシティの真西)でアマリスの守りの隙間を見つけようとした。オリンピック半島の海岸線は、SLDFが地球に上陸してから真っ先に共和国が追加の要塞、重砲、守備隊で強化した地域であり、防衛的な蜂の巣となっていた。ケレンスキーは本気で大規模な上陸をもくろんでいたわけでなかったが、それにも関わらず海岸線の調査を進めて、弱点を探し、防衛部隊が他の戦線に再配置されるのを妨げた。

 陸地では、第20軍集団が幅広い前線で圧力をかけていたが、困難な山岳の地形にもまた直面した。最初のカムループスの戦い(6月初旬)は膠着のまま終わり、二度目もそうだった。三度目の戦いは、6月28日に始まり、3日間で防衛部隊はアッシュクロフトやメリットの町に押し出されていき、SLDFのバトルメック、装甲車両の大きな波が追いかけた。アマリス軍はこのふたつの町とプリンストンで再結集し、再び遅延戦闘を行った。そのうちの特に成功したものでは、両陣営の人命多数が犠牲となった……第16軍がカムチンから南に押して、狭いコキーハラ渓谷を抜けようとしたときのことである。

 7月15日、フレイザー・キャニオンがSLDFというバンクーバーに向かう激流を押しとどめる最後のダムとなった。ブレイクスルーは、アマリスがバンクーバー島と同時に退却したことだった。SLDFは素早く南の逃走ルートを分断し、バンクーバー市の簒奪兵約1個師団が閉じ込められることになった。立て籠もった防衛軍を根絶するためにバンクーバーを破壊したくなかった第16、第19軍は、都市を包囲して、圧力をかけ続け、そのあいだ、第15、第20軍集団の残りが南に向かって、ベリンガムを通過し、6週間後、ピュージェット湾地区に入った。近づいたのだが、彼らはまだユニティシティにはいなかった。


コロンビアを渡る CROSSING THE COLUMBIA

 SLDFが地球に上陸した直後、アマリスの将軍たちはコロンビア川がユニティシティを取り囲む南と東の防衛障壁になると判断し、オリンピック半島の海岸線と同時に、重要な水路沿いのすべてに追加の要塞と戦闘用陣地を建設し始めた。SLDFが北カリフォルニア(そしてロッキー山脈)を突破するまでに、共和国は強力な防衛戦線を構築していた。掩蔽壕やその他の砲台は、川に近づいてくる何であれ誰であれ痛めつけることになるだろう。コロンビア川を渡る橋や地下トンネルには、すべて爆薬が仕掛けられていた。SLDFの工兵が爆薬を外さないように、共和国の防衛軍は、毎日、これらの爆薬を複数回チェックした――これは先見の明があった。なぜなら、SLDFが川にたどり着くまでに、レジスタンスのセルや特殊部隊チームが、4つの橋から爆薬を外すか、一部を外していたのである。だが、彼らの英雄的な行為にはほとんど意味がなかった。共和国は単純に爆薬を仕掛け直していたからだ。

 最初にコロンビアに達したのはSLDF第14軍だった。彼らは6月の二週目にポートランド地区に到着し、川の南の都市スプロールに対する三週間の包囲戦を始めた。共和国人はコロンビア川を北に渡って退却し、都市内外の橋を5本破壊していった。共和国軍はさらに、川を臨む丘や山に多数の兵と砲を用意しており、川の近くに集まったSLDFに砲弾を降らせ、十数回に及ぶ渡河の試みを阻止した。すぐに5個軍以上のSLDFが太平洋から到着しコロンビア川沿いに構え、はるばる北東のシェラン湖に向かった(第1軍は予備として残り、太平洋岸北西部や大陸のそのほかの場所に対応する準備を行った)。

 第10軍、第15軍は、北アメリカ大陸を西断して、ロッキー山脈を越えた後、スポケーンで合流し、ワシントン地区内にあるコロンビア川の東端に向かって南西へと進路をとった。バンクス湖がこの2個軍を足止めし、東に閉じ込めた。彼らは戦術を変えることで対応した……第10軍がグランドクーリーの町周辺の地区で駐屯部隊と交戦するあいだ、第15軍が1個旅団を湖の後ろに降下させ、背後から防衛部隊を捕まえたのである。

 数に勝る敵に直面していたのだが、共和国軍はコロンビア川の戦線を保った。今や停止したSLDFは、コロンビアの弱点を探し続けるしか選択肢がなくなった。SLDFの砲撃と機動攻撃がアマリスの防衛を弱体化させ続け、戦闘機中隊群が航空優勢をかけてほぼ1日24時間交戦を行った。6月に二度、7月に一度、SLDFはヤキマ南東の狭い地域で限定的な突破を成功させたが、どのケースでも共和国の重火砲と上流のダムの破壊によって渡河は終わった――下流で密かに建築しようとしていた渡河地点も流された。さらに、荒廃していたポートランドは、あふれる水で大きなダメージを受け、都市の1/4が地図から消えたのだった。

 第10軍が強引にコロンビア川を渡った最初の部隊となった。重間接砲と軌道砲撃の支援の下、渡河を敢行し、これによって工兵たちがヤキマの東で臨時の橋をいくつか築くことが可能となったのである。橋の一本は土台が甘かったことから(大規模な洪水の副作用)一時間で崩落したが、防衛軍を退却させるのに充分な装甲車両とメックが川を渡り、さらに橋を架けることができたのだ。アマリス軍はラトルスネーク・ヒルズにまで後退し、二番目の防衛戦線を構築したが、第10軍が第14歩兵師団と一緒に押し寄せて防衛軍を釘付けにし、第146機械化歩兵師団が南に転進してケニウィック地区を掃討する一方、第149バトルメック師団(アーウィン・ロンメル師団)はラトルスネーク・ヒルズ南の周辺に残った第IV軍団の残存戦力の先頭に立って、ヤキマ渓谷を進んだ。ヤキマは7月26日に陥落し、カスケード山脈に新たな孤立地帯が作られた――特にピュージェット湾とユニティシティにつながる主要山道には。第15軍はウェナチーの近くでついにコロンビア川を渡るのに成功し、カスケード山脈への前進を始めた一方で、第6軍はすぐにケネウィクの南を渡って、川沿い西に向かい、ポートランドを包囲する各軍にかかった圧力を緩和した。

 アマリスの防衛部隊はそれにもかかわらず、三週間、ポートランド周辺で持ちこたえ、8月20日、ついに第3軍が大胆な作戦によって膠着状態を破った。それは空挺強襲と、渡河と、太平洋岸の川からのCAAN攻撃の組み合わせたものだった。翌週にかけて、第3軍はポートランドの西を攻撃し続け、アマリスの防衛軍と新たにユニティシティから来た連隊群と戦った。この過程で、第3軍は第9、第14軍に対する圧力を緩和して渡河できるようにし、前進した。即座に北西に向かった第3軍は、アバディーン周辺の太平洋岸を片付け、ケレンスキーはユニティシティへの最後の攻勢に備えて第2軍、第19軍を上陸させることが可能となった。

 9月が始まるまでに、前進する星間連盟3個軍がセントヘレンズ山を抜けてピュージェット湾に近づく一方、第15軍はスティーヴン・パスを通り、第10軍はスノコルミー・パスを通った。9月3日、新たに上陸した第2軍は太平洋岸から東に前進し、第9機械化歩兵師団(ピュージェット湾のプライド)の2個中隊がオリンピアの西の山に登って、ピュージェット湾全体とユニティシティを見下ろそうとした。戦争の終わりは近かった。


ユニティシティ UNITY CITY

 このピュージェット湾周辺地域は、クーデター前の栄光の日々に比べると荒野であった。複数回の核攻撃と、タコマ南のマウントベーカー・キャッスルブライアンへの絶え間ない軌道爆撃のおかげで、この地域は低レベルの放射線汚染地域となっていた。放射性降下物の大半はカスケード山脈に降り、アマリスはユニティシティの除染を命じていた一方で、雪解け水は放射性物質をピュージェット湾に押し戻し、クーデター後にこの地域に残っていた人々の多くがバンクーバーかポートランド(あるいはもっと遠く)に引っ越すこととなった。オリンピア、シアトル、タコマのような比較的小さい町はゴーストタウンとなり、過去13年間で自然に返っていった。

 SLDFがユニティシティを取り囲む最後の防衛線を突破すると、共和国の防衛部隊が次々と逃げ出すか敵からの慈悲を期待して単純に降伏した。多数の降下船とその他の輸送船がユニティシティ地区から毎日のように発進した……一部は北東のカナダの原野に向かった一方、多くの降下船が逃亡を図って、軌道を突破し、星系外に逃れる降下船を探そうとした。SLDFは大半を追いかけて迎撃したが、一部は地球星系を逃れるのに成功した……波頭の低高度を飛んで太平洋の真ん中に出て、大規模な空中戦とSLDFが他の退却する船を迎撃するのを隠れ蓑に使い、突如として上昇して、深宇宙に向かったのである。

 ユニティシティの内外に残った防衛部隊は、比喩的にも字義的にも最後まで戦い抜いた。多くが死ぬまで戦うこととなり、自殺爆弾をメックや戦車にくくりつけてSLDFの隊列に突っ込んでいったのだ。ぼろぼろになり、疲れ果てた星間連盟も慈悲を与えることはなく、敵部隊の降伏を受け入れないことすらよくあった。それは降伏した敵兵士が自殺爆弾やその他のブービートラップを仕掛けているかもしれないからである――この最後の時期に、かなりのアマリス兵がこの戦術を使った。

 ケレンスキーとドシェヴィラーはオリンピアの山頂からユニティシティ戦役を見下ろしていた。クーデターから10年以上たってもタコマのマウントベーカーとフォート・マッケナに刻まれた深い傷を見ることができた。砲撃が山中の敵基地に降り注ぎ、たまの機動攻撃が敵陣地の特に難しい地点に突き刺さった。SLDFがその歩みを止めることはなかった。9月10日までに、第3軍はユニティシティの南西に到達し、第16軍はピュージェット湾を渡って、北部に進んでいた。共和国兵が命をなげうって立ちふさがり、来たるべき瞬間を数日間遅らせたが、その無意味な犠牲を持ってしても星間連盟防衛軍が最後の目標に達するのを止めることはできなかった。ケレンスキー自身が、第26親衛バトルメック師団(グラハム師団)の指揮をとり、キトサップ半島に第3軍を導いて、ユニティシティに入った。

 この攻撃はケレンスキーにとってほろ苦く感傷的なものとなった。かつて壮大だった都市に、ステファン・アマリスとその支持者たちが何をしたのかを近くで見て、彼は涙を流した。ユニティシティの残った守備隊は、何ら気にすることなく中心領域で最も文化的に重要で、建築学的に有名な建物に非難し、第26親衛バトルメック師団の砲から身を守る盾とした。図書館、博物館、劇場、政府ビルはこの攻撃で荒廃し、かつては数十万に及ぶ政府職員・高官が住んでいた巨大なビル群と邸宅もそうなった――大半はクーデターとアマリスが権力の座についてから行った複数回の粛正で空き家となっていた。

 ケレンスキー自身が、オリーブドラブのオリオンを駆ってユニティシティへの強襲を率いているとの話が共和国兵のあいだに広まると、奇妙なエネルギーが、第7アマリス竜騎兵団率いるアマリス正規兵、傭兵、パトリオット部隊の中に渦巻いた。一部は亜神と化したケレンスキーが聖なる強襲を仕掛けるのを想像しておびえ、武器を下ろして隠れた。一部はケレンスキーを殺しさえすれば戦争が終わって、皇帝が途方もない権力と富を報償に与えてくれると信じて、ケレンスキーに忍び寄るため通りに急いだ。ケレンスキーは二度アマリスの守備隊に圧倒され、二度アブサロム・トラスコット少佐率いる護衛隊が至近距離で敵を殲滅した。トラスコットの部隊が任務を続けられないほどのダメージを負うと、アントニウス・ザールマン准将はエリザベス・ヘイゼンと親衛ブラックウォッチ連隊のわずかな最後の生き残りを派遣し、ケレンスキー将軍の護衛の責務を負わせた。

 ユニティシティの戦いは3日間続き、第168バトルメック師団(シーザー・ピーター師団)の一部が北から星間連盟宮殿にたどり着いた。宮殿を大急ぎで調査した結果、ユニティシティに残っていた市民たちがSLDF諜報士官たちに語ったことが本当だったと明らかになった――ステファン・アマリスはここにはいない。だが、戦闘は続き、パトリック・スコフィンズ将軍(アマリス帝国装甲軍指揮官)は全力でユニティシティへの退却を指揮した。包囲され、他に選択肢のなくなったスコフィンズは、9月16日、直々に降伏し、残ったわずかな部下たちも同じことをした。彼と部下たちは拘留され、ケレンスキーが身の安全を保証した。SLDFの諜報士官たちは、スコフィンズと上級幕僚に対する尋問を長々と行った。

 だが、アマリスに対するこの戦争はまだ終わっていなかった。ケレンスキーと幕僚たちは、リベレーション作戦が始まる遙か前にアマリスがユニティシティから逃げていたことを知ったのである。簒奪者は、最高司令官と幕僚長を星間連盟首都に置くことで、ユニティシティから指揮しているとの幻想を保ったのである。アマリスと家族は、第4アマリス竜機兵団率いるAEAFのエリートに守られたインペリアルパレス(リチャード・キャメロンがクーデター前にカナダの荒野に建設した離宮)に住んでいたのだ。



命がけの逃走 RUN FOR YOUR LIFE

 ステファン・アマリスは地球の支配を確実にするため、脅迫、影響力の行使、賄賂を組み合わて使った。だが、支配を続けるため、賄賂を増やしてエージェントたちの忠誠心を買わねばならなかった。占領開始時にいた軍人の多くは辺境世界共和国の忠実な地元民たちであったが、簒奪者アマリスは帝国を束ねるため、そしてもちろん星間連盟防衛軍から帝国を守るために、さらなる傭兵を雇い上げた。

 傭兵部隊やパトリオット部隊(帝国市民から編成)が彼の意に反して、戦いから身を引いたり、降伏したりするのは、アマリスにとっては驚きでなかった。彼を驚かせたのは、忠実と思われていた部隊の多くが同じことを始めたことだ。長年にわたり占領からあがる利益でいい暮らしをしていた彼らは、単純に現在のライフスタイルを捨てたくなかったのである――特に指導者たちは。平均的な歩兵たちは手に入るだけの金と貴重品を持って民衆の中に消えていったところ、士官たち(特に指揮官たち)と部隊の有名人にはそのような選択肢はなかった。特に最悪の戦争犯罪に手を染めたAEAF部隊の多くにとってはそうだったのである。

 戦争の混乱の中で、特に連隊・師団全体が前線から防衛戦線強化のために地球帝国の奥深くに呼び戻される中で、一部の部隊がまるごと逃走を図った。そのような部隊はたいてい帝国内の無人星系を通ってジャンプし、5つの星間連盟所属国家にたどり着き、しばしば地元軍に捕らえられた。最悪の犯罪者たちの少数は、カペラ、恒星連邦、ライラの手でSLDFに引き渡され、他の国は装備と価値あるものを奪い取り、一部を投獄して、残りはどこかに消えていくのを許した。

 SLDFが地球に近づくと、残った共和国の兵士たちが簡単に逃げ出す機会は少なくなっていったが、それが最悪の犯罪者たちを止めることはなかった。帝国内での絶望的な問題が大きくなると、彼らが脱出しようとする可能性は上がった。1万人に及ぶ共和国の兵士、政府高官、支持者たちが、戦中、戦後の混乱の中で、単純に姿を消し行く中で、部隊が丸ごと星間連盟や所属国に捕まる(あるいは撃破される)のを実際に免れ得たケースはごく一部だった。歴史家たちはなんとか消えるのに成功した5個共和国連隊の残りを(末路と思われるものを含めて)特定した。

第23アマリス竜機兵団
 第23アマリス竜機兵団は、クーデターの際、辺境世界共和国に駐屯していた。帝国が占領され、ケレンスキーが辺境世界に向かってくると、第23は故郷の持ち場を離れて、新しい故郷と考えた帝国へと移動した。アマリスは彼らを臆病な裏切り者として、捕らえるように命令した。サマーで第19パトリオット連隊との短い砲撃戦が発生し、パトリオットはダメージを受け、第23は国家の敵とされた。彼らはできる限りの補給物資をかき集め、惑星を離れた。彼らはドラコ連合に向かったのが目撃されており、クリタ家に雇用されたと思われる。

第141アマリス竜機兵団
 火消し部隊のようなものだった第141は、クーデターの最中と後、様々な帝国世界で活動した。クーデターの際には地球におり、マウントベーカーにおけるSLDFの抵抗を終わらせることで、第4竜機兵団がピュージェット湾エリアを確保するのを助けた。その後、彼らはカフに移動して、同じくSLDFの抵抗を終わらせ、地球に戻ったのは、北アメリカ南西部の砂漠で大きくなっていた抵抗運動に対処するためであった。これらはすべてクーデターから1年以内のことである。占領の残りの期間、第141は帝国中を飛び回って、そのほかの紛争地帯やAEAF内での裏切りに対処した。チーフテン作戦がやってくると、第141連隊はSLDFの襲撃や帝国奥深くへの補給活動の妨害に集中し、SLDFがニューホームを攻撃するとすぐ地球に帰還した。アマリスへの忠誠が明らかなことを考えると、2778年のヨーロッパ方面作戦が終わりに近づいた際に第141が地球を完全に離れたのは皮肉であろう。5隻の降下船のうち、3隻がSLDFの封鎖を突破するのに成功し、星系内の端にいた2隻の航宙艦と合流した。彼らはカペラ星系の何カ所かで目撃され、実際にスピカに上陸して補給庫を襲撃し、それからリムワードへと移動を続けたようだ。スピカのあとで第141がどこに行ったのかたしかな目撃談はないが、かつてアマリスがシークレットアーミーの一部を訓練していた星図にない世界に元共和国の部隊が居を構えて、元辺境世界共和国の惑星を食い物にしているとの噂が28世紀後半から29世紀前半にかけて広まった。

第38アマリス機兵連隊
 第38アマリス機兵連隊は、クーデターの際、惑星キャスターへの攻撃を指揮した。彼らは脅迫と暴力の組み合わせによって惑星上に強力なパトリオット部隊を作り上げ、同時に新皇帝への不服従の罪で有力な政府職員、経済人を投獄した。数十万人もの有力な市民たちが投獄され、数万人がもう二度と出てこなかった――彼らが持っていた高価な品と共に。2775年の1月、地球からの帰還命令を受け取ると、第38はそうする代わりに帝国を離れた。彼らは自由世界同盟のアリエル、ジッダとクランストンに上陸し、食料と補給物資を奪ったが、それ以降、姿を現したところは確認されていない。連隊は最終的にカノープス統一政体とタウラス連合の元シークレットアーミーと接触したと思われ、少なくとも第一次継承権戦争で戦った可能性がある。

第2メキシコ軍団
 クーデターの前と後、地球それ自体が様々な面でAEAFの急速な拡大に寄与した。メキシコ軍団(後に第1メキシコ軍団と改名)は、同じ志を持った志願者と、クーデターから数ヶ月後、主にメキシコで徴募され、軍事、準軍事訓練を受けた「モラルに問題のある」人物からなる。この連隊は、第2、第3連隊と共にクーデター後に立ち上げられ、占領を通して地球星系に残り、抵抗運動を排除することに精力を傾けた。第1連隊は、SLDFがメキシコシティを占領した直後に根絶されたが、第3連隊は2780年の前半、アフリカで持ちこたえた。第2連隊は、ウィスコンシン管区のミルウォーキーとマディソンの防衛で戦力の半数以上を失い、北アメリカを通って戦闘退却を行い、コロンビア川の防衛に加わった。SLDFがコロンビアを通過したころには、3個中隊以下に減少していた第2メキシコ軍団の生存者たちは後退して、地球から退却した。彼らはカペラ大連邦国のリムワードを移動したらしく、タウラス連合にたどり着いたと思われる。

ダラボン・ダムド
 ツォリコフェンに降りかかった婦女暴行と破壊行為に大きく関与したダラボン・ダムドは、SLDFが道に立ちふさがる共和国軍すべてを粉砕するのを遠くから見ていた。この傭兵部隊はまた、SLDFが彼らの取り入れた世界(とそのSDS)以外を無視して、地球に押し進んでいくのも見ていた。ケレンスキーがSLDFのほぼ全軍を地球に投じていたあいだ、傭兵たちは損失を切り捨てて、ケレンスキーが自分たちに注意を向ける前に逃げることとした。ダラボン・ダムドは、2777年3月、ツォリコフェンを引き払い、だいたいコアワードのほうに向かい、ルートを上手く隠すためにジャンプバックして、ライラとドラコの国境線上を進み、最終的に辺境へと姿を消した。彼らは民間の警備業務で10年以上を過ごしたあと、第一次継承権戦争の最中に、ダーク・スピリットの名称でマーリック家に雇われていたと思われる。



簒奪者の砦 THE USURPER’S REDOUBT

 アマリスはどうにかインペリアルパレスの場所を隠すのに成功していた。なぜそれが出来たかと言うと、単純に、アマリス帝国政府が「訓練地点」「自然保護区」として併合したカナダ中央の人里離れた過疎地帯に所在していたからである。クーデターからわずか数年後、この地域の観光ビジネスは大部分が消滅しており、併合に対する抵抗はなかった。ルイーズ湖近くに隠されたアマリスの地所は風景に溶け込むように作られており、インペリアルパレスを守るため、自家用宇宙港と防衛装置が備え付けられていた。探しているものが何か知っている場合以外には、事実上、見つからないものであった。

 チーフテン作戦が始まる前から、インペリアルパレスにほぼ居を移していたアマリスは、遠隔から統治を行い、側近たちとは電子的に通信を行って、影武者まで使ってユニティシティにいるという幻想を作り上げた。さらに、ユニティシティに残ったAEAF部隊にボディガード部隊の配色で再塗装するように命じて、この幻想をたしかなものとした。地球侵攻が始まると、ユニティシティに住むものにとってアマリスがほとんどいないのは明白となったのだが、簒奪者の政府内・軍隊内でも宮殿の場所を知るものは限られていた。アマリスの最高司令官、パトリック・スコフィンズが、降伏したAEAF兵士を守るという紳士協定と引き替えに、アマリスの居場所をケレンスキーに伝えた。

 インペリアルパレスの所在を聞くとすぐに、ケレンスキーはドシェヴィラーが直々に戦力の組織と指揮して、インペリアルパレスを包囲、孤立化させるよう命じた。ケレンスキー自身は、要塞を占領して、簒奪者の身柄を確保するために、二番目の強襲部隊を率いた。たった数時間で計画と準備をした将軍2名は、最も成功してきた軍をライオンの口の中に投じ、その一方、最も疲弊してない2個軍を最後の攻撃に使った――ドシェヴィラーが最初の強襲に使ったのは、第3軍の第26親衛バトルメック師団(ケレンスキーとユニティシティに入る名誉も得ていた)だった。ケレンスキーは第2軍の第9機械化歩兵師団と第19軍の第328親衛バトルメック師団(ライオンハート師団)の先頭に立つこととなった。第2軍、第19軍まもた作戦に対する戦闘支援を提供し、地元の駐屯部隊が逃走を図る場合に備えて、追加の戦力を上陸させ、インペリアルパレスを取り囲む。その一方、軌道上にいるSLDFの戦艦は宮殿の周囲100キロメートルにセンサーを向ける――第15軍が数ヶ月前にカナダを西に横断した際、通過した場所からわずか数十キロメートルのところだった。ジョアン・ブラント提督は攻撃が始まったら軌道上の海軍支援を監督し、その一方、スティーブン・マッケナ大佐(リベレーション作戦の間に名を挙げた若き新鋭)が地上の強襲部隊に近接航空支援を提供する。

 スコフィンズ将軍の尋問、軌道上から撮影した画像、その他センサーのデータで得られた情報から、ふたりの将軍はこの数十年で最も単純かもしれない作戦計画を練り上げた。9月29日、現地時間0200時の直前、数十隻の降下船がピュージェット湾中の宇宙港と臨時降下地点から発進し、そのうち多数が低軌道に入って、中央カナダに位置し、インペリアルパレスと周辺に数百機のバトルメックを降下させた一方、その他の降下船はアマリスの砦から50キロメートルの範囲内に着陸した。

 ドシェヴィラーは宮殿の構内に第26師団の3個バトルメック連隊を降下させた(第3軍の全体からメック戦士とマシンを再配置することで戦力の補充を達成した)。彼は即座に宇宙港を確保し、第26師団の降下船が上陸して装甲部隊と歩兵部隊をはき出せるようにした。ドシェヴィラーの攻撃がアマリスの最もエリートかつ最も忠実な護衛部隊(第4アマリス竜機兵団指揮)に降りかかった。彼らは警戒状態にあったにもかかわらず、全軍を展開するのが遅かった。宮殿の400平方キロメートル外から近づいてくる敵と戦うために作られた砲塔とその他の防衛装置は、第26師団に対してはほとんど役立たずだった。彼らはケレンスキーが強襲部隊を降下させるまで守備隊を拘束した。

 ケレンスキーとドシェヴィラーは共にバトルメック3個旅団の先頭に立ち、敵のバトルメック3個連隊を手早く片付けた。この過程では、戦闘での損失よりも機械の故障のほうが多かった。宮殿の構内は蹂躙され、この地域を出入りする道路とリニアモーターカーのすべてにSLDF兵士がほとんど文字通り這い回っていたことから、アマリスと最も忠実な臣民たちはどこにも行くことができず、逃げ道はなかった。宮殿それ自体は、大規模な壁に囲まれた円形の庭園の中央にあり、城壁と宮殿の両方が砲塔とその他の兵器に守られていた。庭園の壁を取り囲むSLDFのバトルメック数百機からの集中砲撃によって、これらの防衛設備は片付けられ、ふたりの将軍は護衛小隊と共に宮殿の正門に突進した。ドシェヴィラーと護衛2名は宮殿自体の砲塔とトーチカに撃破された一方、ケレンスキーは正門を突破し、地下ロビーに入った。

 アマリス帝国を存続させるという最後の希望は、「悪魔ケレンスキー」を目撃した瞬間に崩れ去った――アマリスが十数年前に将軍と呼んだ男が、オリオンで宮殿の正門を押し破ったのである。宮殿内にいた衛兵たちは武器を下ろしケレンスキーに降伏し、そのケレンスキーは第26師団の歩兵を呼んで、奇襲がないか建物を掃討させた。2名の将軍と少数の護衛(ザールマン、ヘイゼン、トラスコット、ジェローム・ウィンソン大尉含む)は、アマリス護衛チームの指揮官の後に続き、宮殿の15メートルの高さの回廊を通って、皇帝のプライベートスイートに案内された。

 だらしない格好のアマリスが出てきて、宝石のちりばめられたレーザーピストルを手にしていた……それは約13年前に第一君主リチャード・キャメロンを殺したのと同じ武器だと後に判明した。彼はそれをケレンスキーのバトルメックの前に置き、降伏を表した。それからアマリスと家族たちは宮殿の前門に出て、ケレンスキーと仲間たちのバトルメックが背後に立った――この画像は数分以内に中心領域と辺境に拡散された。その直後に続いたのは、ステファン・ユーキリス・アマリスI世がケレンスキー将軍に降伏し、政府とアマリス帝国装甲軍の職員・将兵に対し星間連盟防衛軍への無条件かつ即座の降伏を命じたというトリヴィッドであった。

 引き替えに、ケレンスキーはアマリスと降伏した共和国人に対し、この戦役で使ってきたのと同じ条件を与えた……彼らはフェアに扱われ、身の安全が保証される。アマリスと家族は、裁判に召喚されるまで、第9機械化歩兵師団の守るインペリアルパレスのゲスト区画に残る。

 長きにわたった戦争はついに終わった――少なくとも、SLDFと中心領域の大半にとっては。地球と帝国内で残党が数ヶ月間抵抗を続けたが、人類の領域はため息をつき、人類史上最悪の戦争からの復興という長い道のりを歩き始めたのだった。








戦争直後 AFTERMATH

 9月19日、アマリスの隠れ家であるスターパレスが陥落したことは、簒奪者による治世の終わりを意味していたが、紛争の終わりではなかった。元辺境世界共和国兵のうち大勢が屈服せず、アマリス降伏のニュース(自身が放送しさえした)をケレンスキーによるでっち上げとするか、あるい報復を恐れた。アマリスが捕まってからの数週間で、カーニバルの雰囲気が民衆の間に広まったが、その裏では秋まで掃討作戦が続いていた(最後のアマリス兵が11月12日に武器を下ろしたが、新年にかけて衝突が続き、最後の激しい戦いは、2780年2月11日、カンザスのローレンス近くで行われた)。コムスターが地球を統治した初期の時代まで、小規模なアマリス派部隊や一人で戦う兵士たちが活動を続けているという噂が広まっていた。11月12日はヴィクトリー・デーの名で知られるようになり、首位者コンラッド・トヤマの時代まで祝われていたが、地球帝国の元世界ではすぐに忘れられた

 ケレンスキーは勝利したが、帝国は――そして特に地球は――足をふらつかせ、その経済とインフラと政府は崩壊した。1億人が死亡し、5億人が負傷して、10億人以上が家を失った。解放の喜びは困難と怒りを和らげた。アマリスに味方していた者たち(あるいはそう糾弾された者たち)は排斥され、多くのケースでは報復攻撃を受けた。窓を石で割られたり、魚の骨の図をドアに塗りつけられたりというものから、肉体的な暴力、そして殺人までがあった。自警団による攻撃で、共謀者たちは殴られ、髪を切られ、場合によってはT(traitor/裏切り者)の文字を額に焼き印された。最も過激なケースでは、被害者たちは、吊されたり、撃たれたり、死ぬまで殴られたりした。SLDFは秩序を維持しようと全力を尽くし――軍隊でなく警察軍となった――ケレンスキーは戒厳令を敷く以外に選択肢がなかった。これは短期的な解決策にしかならなかった。ケレンスキーは地球と帝国が生き残るためには、優秀な管理者が必要だと知っていた。SLDFと救援各局は、崩壊した世界のために援助物資を配ることができたが、数十億人をどうにかできるのは民間の政府だけだったのだ。




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