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作成:2007/02/14
更新:2020/04/05

カペラ大連邦国 Capellan Confederation







 暴君が血塗られた手を晒してやってくることはないものだ。彼らはしばしば、市民を救ってくれる、精力的な友人、善の受け皿として現れる。しかし思い出して欲しい。王者の審判はまさに圧制者の傲慢な足となるのである。結局は手を開いて受け入れた我らに責任がある。結局は我らが思い違いしたのだ。

――ミカ・リャオ首相、就任スピーチで、2530年



起源と歴史 Origins and History

 カペラ大連邦国は、敵の軍事的占領による驚異の下で一致団結し、そしてその初年度に、ふたつの敵からの強襲によって消滅するところだった。驚くべきことではないが、敵国による吸収は、カペラ人とリャオの統治者にとって最大の恐怖である。政治的な不安定がその次である……分裂した王国は弱い王国だからだ。フランコ・リャオがばらばらのカペラ国家群を統治して以来、リャオ家は一つの国家を作り上げ、維持するのに最大の努力を払ってきた。政治的な命令系統は疑問の余地がないもので、リャオ家が明白にトップに立っている。強固な内部の安定性によってのみ、この争いが耐えない宙域内にある世界は、より巨大で軍事的に強い隣人たちの注目から生き残ることができたのである。



共和国と帝国 Republic and Hegemony

 23世紀後半と24世紀前半、いわゆるカペラ国家の二大勢力は、カペラ帝国とリャオ共和国であった。24世紀の初期に、どちらが勝つか賭けるとしたら、帝国の方が選ばれたことだろう。2270年、国民投票によって作られた帝国は、惑星カペラ(大規模な図書館があり、情報の集積地であることで有名)を中心としていた。以前のカペラは、カペラ相互繁栄領域(いくつかの近隣世界にまたがる、緩い防衛、貿易協定)の中心地であった。帝国宣言は、カペラ相互繁栄領域の元所属国と、カペラから10光年以内の居住惑星に、帝国への所属資格を与えた。次の30年間、カペラ帝国はその領土を増やし、地域の商業的、文化的中心地であるとの評判を高めていった。

 リャオ共和国(当時は単一惑星のみ)は、同時期、ナンキン共同体に陥れられた経済的苦境から脱出しようともがいていた。短期間だがたちの悪い貿易摩擦で、2249年、リャオは封鎖されていたのである。封鎖の代償は繁栄の源であった近隣世界と輸出契約だった。49年の封鎖から10年以内に、リャオは債権者から債務者に転落し、いくつかの入植地は飢餓の淵にあった。この小共和国の運勢は、23世紀最後の数十年で少しずつ回復していった。その指導者が、貿易契約改正、商船艦隊再建のため、不眠不休で働いたからである。幸い、惑星経済が徐々に回復できるぐらいに、リャオの主要輸出物(家畜、食肉、穀物)の需要は高いままであった。リャオの純血馬は長い間、裕福な植民地と新興貴族階級が好む贅沢品であった。惑星の経済が徐々に復興すると共に、馬の取引が再開され、いっそうの利益がもたらされた。2305年、カペラ=至高国戦争が始まるまでに、リャオ共和国はそれ以上の拡大を考え得る程度にまで回復していた。

 カペラとサーナ至高国(暴虐的な軍事勢力、カペラ全領域を占領する大げさな計画を持っていた)の間で高まる緊張は、カペラ=至高国戦争に帰結した。カペラの最初の植民者が上陸した直後、あるサーナの船が判断を誤り、彼らを威嚇して、至高国を総領主として認めさせようとした。この初期の遭遇は、その後数十年間の、至高国とカペラ国の関係の類型となった。相互繁盛領域の創設後、サーナが抱いていた軍事的征服の夢は破れ、経済戦争に訴えた。至高国は、2270年から2282年まで、カペラ帝国に包括的な経済排斥を押しつけた。この制裁は敵国より自国に打撃を与えていることに、サーナの指導者たちが気がつくまで続いた。2280年代、2290年代を通して、帝国はますます多くの星系を加え、拡大した領土が至高国の国境に近づいていった。これが両勢力の緊張を高めた。24世紀の変わり目まで、戦争は外交手段から離れたものだった。

 2305年、サーナのパロス星系、ウェイ星系が、至高国からの離脱と独立を宣言した。カペラがサーナに愛情を抱いていないと知っていた離脱国家の指導者たちは、近くのセント・アンドレ、ツイツァンに駐留していたカペラの守備隊に助力を求めた。"悪の帝国"サーナと戦いたがり、問題となっている惑星の相当な金属、鉱床を手に入れるのを切望していた、カペラ帝国のポーラ・アリス長官は、至高国に対する戦争を宣言した。

 カペラ人の愛国心と技量は、残念ながら、至高国の絶対数や、海賊を使ってカペラの精鋭部隊を撤退させる巧みさにかなわなかった。自由世界同盟――至高国に対して独自の野心を抱いていた――からの援軍を受け、カペラは、2307年後半から2308年にかけて、首尾良く17個のサーナの世界を奪取、確保した。だが、市民たちの猛烈な抵抗活動で、カペラに衝撃的な死傷者数が出た。カペラの帝国政府は、大規模な緊急徴兵法案と、新兵を訓練、装備するための新たな重税で応じた。これらの厳しい法律は、帝国の隷属世界に打撃を与え、そのうち一世界がとうとう離脱することになった。

 2308年12月、惑星アルボリスが公式にカペラ帝国から撤退した。帝国第二アンドゥリエン予備艦隊がこの反乱世界に向かい、惑星リャオの近くを通過した。リャオによる予期せぬ反撃は、リャオ共和国の運勢を跳ね上げ、帝国の運勢を下げることとなる。リャオ星系に入った第二アンドゥリエン艦隊は、武装商船隊の一団が立ちふさがっているのを見た。商船艦隊指揮官エミール・フォークナー・リャオは、アルボリスがリャオ共和国の中立法の下、保護国になるのを求めていることを、カペラに通告した。カペラ艦隊はリャオ船と戦って勝ったが、勝利は代価の多いものだった。アルボリスに向かい続けるよりも、戦意を失ったカペラ指揮官は艦隊をリャオ封鎖に残し、新たな命令を求めてカペラに帰還した。この優柔不断は自由世界同盟に感銘を与えなかった。突然、彼らはカペラ同盟から手を引いたのである。自由世界同盟の軍事援助を失ったカペラ帝国は、獲得したサーナの領土維持を望むべくもなかった。

 ポーラ・アリス長官は、2309年、甘んじて膝を屈し、中立チコノフ大同盟が調停する休戦にサインした。この休戦協定はカペラ帝国政府の解散を強制していた。代表は自殺し、大衆に不満を残した。戦争が終わって数ヶ月以内に、帝国の金権政治家は共和制政府に取って代わられた。カペラ共和区と改名した新政権は、言い争いと政治的停滞の蜜月期間を浪費し、その間、国家は貧しく、弱くなっていった。

 共和国は誕生からわずか10年でどん底に落ち込んだ。政治的になり、装備不足で、意気消沈したカペラ軍は、地球帝国軍がカペラに降り立つのを防げなかった。2320年から2335年まで、地元有力政治家の積極的な協力もあって、共和区の首都は地球帝国に所属した。注意すべきは、大敗における記憶改ざんの長き伝統の通り、カペラ政府はどんな書類においても地球帝国による占領を公式に認めなかったことだ。

 カペラの大衆はそう簡単に服従しなかった。自由カペラ秘密抵抗運動(民間の活動家と不満を持った軍人の影の組織)は、抗議デモから、爆弾を使った地球帝国職員の暗殺まで、あらゆる戦術を用い、地球帝国軍を初年度から容赦なく悩ませた。最終的に、ゲリラ戦役は高額の駐留費用を押しつけた。一人一人殺されてしまう場所に部隊を拘泥させておくよりも、帝国の指導者ジェームズ・マッケナはカペラをカペラ人の好きなようにさせた。2335年に帝国がいなくなってから、暴動と無関心が収まるまでの30年以上、共和区政府はたどたどしく進んだ。

 同時期、リャオ共和国は着実に勢力と威信を伸ばしていった。2310年から2320年の間に、四つの惑星、チューリッヒ、アルデバラン、ジェノア、ガン・シン、が先陣を切ったアルボリスに続いた。2356年までに、改名リャオ公国は大規模な素晴らしい商船海兵隊を持つに至った。リャオ艦隊の大軍をもってして、共和国はカペラ共和区に取って代わってこの地域の経済大国となり、後者を犠牲に、前者は豊かになった。2360年代までに、リャオ公国はカペラの最強国家にして、外国の見えざる脅威に対し各国をまとめ上げる能力を持つ唯一の存在となった。



大連邦国の誕生 Birth of the Confederation

 各カペラ国家は、二つの方面で軍事行動の可能性に直面していた。ジェームス・マッケナは2335年までにカペラ地区で11個の星系を獲得していた。当然ながら、残ったカペラの勢力は、その後の10年でマッケナが表面上、外交にシフトしたのを信用しなかった。本拠地の近くでは、若き恒星連邦がカペラの混乱を、帝国建設の完全な大義名分と見ていた。2357年、連邦共和国大統領ルナール・ダヴィオンは、サーナの世界ベルを占領するため、兵士を派遣した。この軍事行動は国境紛争を誘発し、次の15年間、燃え上がっては消えていった。2366年、カペラ共和区が明白に崩壊しかけると、ルナールはこの国を併合するチャンスと見た。共和区政府の崩壊を引き合いに出し、彼は「平和維持軍」を送り、「適当な政権が選ばれるまで」カペラを占領すると宣言した。この薄いベールで覆われた吸収の脅威は、カペラ国家群をパニックに陥れた。フランコ・リャオが汎カペラ連合組織(リャオ公爵がトップになる)を呼びかけた時、つまらないケチを付けたがるものはほとんどいなかった。フランコ公爵は、2366年6月にカペラ大連邦国の創設を宣言し、彼自身を首相とした。

 強固な防衛が重要だとわかっていたフランコ首相は、大連邦国所属国家の軍事指揮官10名を任命し、新たに名を付けられた共和区内での全面的な権力を与えた。これら実質的な軍政官たちは、来るべき戦闘に備え、すぐさま軍隊を立ち上げ、訓練を施した。2367年7月、恒星連邦の軍勢がカペラから1パーセク以内のところにいると、幼年期の大連邦国の耳に入った。フランコ首相は大急ぎで全10共和区から集めたエリート部隊を編成し、その間に時間稼ぎのため、恒星連邦の指揮官との交渉を開始した。忍び寄る侵攻はカペラ大連邦国に対する炎の洗礼となる。フランコの大胆なギャンブルが上手く行った時だけ、この若き王国は生き残るだろう。

 交渉は始まってから三週間もしないうちに決裂した。首相は、カペラ近くの宙域、侵攻軍にはわからない地点に軍隊を結集させ、恒星連邦の部隊が無防備な大連邦国の首都に降下するのを待った。恒星連邦はエサに食らいついた。24時間以内に、サーナ、聖アイヴス海軍の分隊と、リャオの武装商船員が、大規模な7時間の交戦で、敵の輸送艦と補給船を破壊した。寄せ集めの大連邦海軍の実力を証明した首相は、敵に即座の無条件降伏を要求した。恒星連邦の指揮官は拒否した。数分後、大連邦国の海軍は、カペラの首都を破壊するために降り立った。占領軍の男女と共に、2000名の大連邦国市民が命を落とした。カペラの犠牲は、外国の占領に対する断固たる抵抗の姿勢を証明していた。抵抗の姿勢を見せる最後の手段で、ルナール・ダヴィオンは大連邦国の承認を拒否した。しかし、息子のテチエン・ダヴィオンが、2371年に後を継いだ直後にそれを行った。

 恒星連邦に対する大連邦国の粗暴な勝利は、初期のごくわずかな戦勝のひとつだった。2366年から2369年まで、自由世界同盟はカペラ国境の星系、ベレンソン、ジオン、シロー、ハサッド、アンドゥリエンを奪った。これらの世界は次の20年で幾度も持ち主の手を変え、その後、両者の消耗が2390年代の非公式な一時休戦を促した。停戦は2398年まで続いた。この時、カーナス・リャオ首相が、水の豊富なアンドゥリエン星系を巡る戦争の一度目を開始したのである。この強襲は、後に〈戦いの時代〉として知られることになる野蛮な紛争の時代の幕を切って落とした。アンドゥリエン奪還のもくろみは失敗に終わったのだが、これらの惑星は、大連邦国と自由世界同盟の間の歴史上、苦々しい争いの要点であり続けたのである。

 〈戦いの時代〉の最も酷い時期は始まってから20年以内に終わり、2412年、アレス条約への署名がなされた。アレイシャ・リャオ首相が発案したこの条約は、大量殺戮兵器(同年、ティンタヴェルの民衆を虐殺したようなもの)の使用を禁じた。損害の範囲を意図的に戦闘員のみとすることで、アレス条約はショッキングな民間人の死者数を減らす。しかしながら、戦争のコストを安くすることで、彼らはより戦争を受け入れやすいものとした――この結果は起草者を唖然とさせた。だが、この時、中心領域各勢力による条約署名は、カペラ大連邦国の新たな始まりの象徴となったように見えた。アレス会議は、リャオ家の庇護の下、カペラ首相によって書かれた歴史的文章に批准するため、大連邦国の世界で開催された。〈戦いの時代〉最悪の暴挙は過去に追いやられ、ここしばらくの損害と不確実性は、来るべき輝かしい未来に取って代わった。大連邦国は複数の外敵による攻撃を生き延びた。次の世紀は、この奮闘する国家に平和と繁栄をもたらすように見えた。次の強敵が内部から現れるとは誰も予想していなかったのである。



一族の分裂 A House Divided

 2415年、アレイシャ・リャオの死後、首相の座はアーデン・バクスターに渡った。長官(Prefectorate)として知られる諮問委員会の有力者である。リャオ家とつながりのない最初の首相であるバクスターの治世は、災厄的なものだったが故に、次の世代のリャオ家への忠誠心は強いものとなった。暗殺者の銃弾に倒れるまでたった10年の在職だったが、アーデン・バクスターは大連邦国を破壊しかけた――彼がそれを熱望し、汗水垂らして働いた結果である。

 バクスターはアリス家(カペラ=至高国戦争後までカペラ帝国の指導者だった)と縁故があった。共和区の時代、アリス一族は出来る限りのあらゆる手段を駆使して権力を回復し、共和区政府を打倒するか、あるいは奪い取ることを決意した。この政府が、2366年、腐敗、外国の干渉、国内の社会不安の中で崩壊した時、産業長官ウォーレン・アリスは支配権を奪う準備を行った。だが、フランコ・リャオ公爵に出し抜かれた。公爵のカペラ来訪と、カペラ大連邦国を結成するという大胆な提案は、アリスが申し入れられたものよりも、遙かに指導者層の支持を得た。特に、リャオがアリス派の世界に貿易禁止措置をちらつかせた時は。新大連邦国政府内で首相代理の地位を提供されたウォーレン・アリスはそれを拒否した。それに対し、フランコ公爵は平和を乱すものとして彼を逮捕した。アリス家はその一撃から権力を取り戻せず、支援者たちもそのようになった。このうちの一人が、アーデン・バクスターの父親、哀れな末路を迎えたウォーレン・アリスの強固な支持者である。ジェフリー・バクスターは、打ちひしがれ、破滅した男として、2378年に死んだ。その息子に、打ち砕かれた夢の遺産と、リャオとそれにまつわる全てへの病理学的憎悪が残されたのだった。

 次の三十数年間、アーデン・バクスターは恨みを抱き続け、権力を蓄えた。2410年、過去の政治犯への恩赦の下、貴族議会入りを果たす。彼はすべてのチャンスを利用し、改心した罪人を演じながら、ゆっくりと権力基盤を築いていった。不断の努力と賄賂は、2415年、彼に長官の座を与えた。アレイシャ首相の死ぬちょうど二ヶ月前のことである。続いて、もし彼が首相になったら、古い傷が癒え、国家の団結が強いものとなるのを、バクスターは議員たちに納得させた。実際は「この忌々しいリャオの国」の崩壊を計画していたのである。

 彼の最初の目標は、リャオ家と大連邦国の力の基礎となっていた、カペラ軍であった。次の9年で、カペラ軍は削減され、リャオ寄りの有能な将軍たちが大勢首になった。2418年、バクスターは、この不安定で、ゆっくりとやせ衰えた軍隊をタウラス=リムワード戦争に巻き込ませた。大連邦国辺境にあったいくつかの小国家との3年にわたる、ひどい戦争である。タウラス国家群はアレス条約に署名したことがなく、両陣営の戦いは、軍の被害と同様、民間の犠牲者を天井知らずに積み上げた。大連邦国は最終的に二つの世界を確保した。リムワード世界と部隊の損失に見合わないものであった。

 バクスターの国内政策はそれほどうまくいかなかった。リャオ家への不信を目的とした極秘の「人民戦線」運動は、湿った爆竹のようにくすぶった。何度かは、大規模な親リャオの反対デモで、暴動鎮圧部隊が必要になった。しかしながら、首相の大連邦国に対する最大の罪は、恒星連邦との関係を修復する千載一遇の機会を熟慮の上でふいにしたことだった。この時、事態の重大さを認識していたカペラ市民はほとんどいなかったが、バクスターは強力なかつての敵との緊張緩和が行き着く先を知るほどに賢かった。従って、平和から大連邦国が得られるであろう利益の否定を選択し、今後数世紀に渡る中心領域の歴史を形成した。

 サイモン・ダヴィオンは2418年に恒星連邦の権力を奪い、50年に渡って、腐敗し、専制を増す支配を終わらせた。国家に新しい時代の到来を告げる一手段として、ダヴィオン新国王は恒星連邦とカペラの長きに渡る仲たがいを修復しようと試みた。統治期の初期に、彼は使節団を大連邦国の主星シーアンに派遣したが、バクスターは拒絶した。彼らを「合法を装う殺人者のごますり屋」と呼び、護衛たちに追い出すよう命じた。わずか数週間後、この侮辱行為に続き、彼は、国境の世界(リー、レッドフィールド、セーフポート)の引き渡しを条件に、ダヴィオン新政府を認めると申し出た。この三つの惑星は、2360年代の国境紛争の後半に陥落し、長い間、カペラ、恒星連邦の猛烈な争いの対象となっていた。恒例連邦に血であがなったものを返還する気はなかった。バクスターの法外な要求は、新たな恒星連邦=カペラ国境戦争を起こしかけ、二つの国家が友誼を結ぶチャンスを未来永劫に破壊した。

 後の大連邦国の歴史を考えると、ダヴィオンの和平工作を慎重にあしらったのは、恐ろしく卓見であるように見える。何世紀も続く敵対関係は、第四次継承権戦争で頂点に達し、大連邦国は半分に引き裂かれ、中心領域の大勢力として終焉を迎えるところだったのだ。



リャオ再興 Liao Restoration

 アーデン・バクスターに与えられた損害は、残念ながら彼の死をもっても終わらなかった。後継者スティーブン・リャオは、まったく別の理由で、破滅を招くような統治者であることが判明した。スティーブンは祖先の作った国家を再生すると決意し、まずカペラ軍から手を付けた。アーデン・バクスターによる故意の外交ミスは、大連邦国と近隣国の緊張を一挙に増大させ、複数の方面から攻撃を受ける可能性を増やした。そのような状況で、軍隊が弱いのは、実質上、侵攻を招待していた。

 新首相は、軍を刷新するのに時間を浪費せず、2430年代、40年代を通して、金のかかる訓練と再軍備プログラムを実行した。この改善の代金を支払うため、まず貴族階級から資金が吸い上げられ、次にカペラ社会全体でさらなる重税が科された。軍に資源が注ぎ込まれ、国内の問題は長い間捨て置かれた。庶民が指導者の無関心に不平を言っているうちに、それらの問題は大きくなり、化膿していった。軍の一部としてスティーブンに強化されたマスキロフカは、大衆の不満を低い状態に保った。貴族たちの不満はそう容易く対処出来なかった。その大半が軍備増強の結果、破産の危機に瀕していたのである。2450年、スティーブンの死後、それは爆発し、〈苦難の時代〉としてカペラの歴史に刻まれている、悲惨な危機に突入した。

 スティーブン・リャオの治世に費やされた多額の軍費は、一部の高官が莫大な個人資産と権力を蓄えるのを可能とした。このうちで最も力を持ったのがメリク将軍、精鋭カペラ戦闘部隊1個連隊の指揮官である。天才的戦術家にして、カリスマを持ち合わせたメリクは、最高権力の座を奪う動きに出そうに見えた。スティーブンの息子、ダンカン・リャオ(首相就任時に若干17歳)は、メリクの部隊を半分にして増大する影響力を殺ごうとした。将軍と部下たちは反乱を持って応じ、首相の冬宮を占領し、ダンカンを人質に取った。

 次の七ヶ月間、メリクの軍事政権はダンカンの名の下に支配し、その一方、貴族院は対応を巡って紛糾した。議員の一部は、ダンカンを救出して、若き首相に貸しを作ることを支持した。他はメリク将軍に取り入ろうとした。権力闘争のコマとなり続けるよりも、ダンカン・リャオは自殺を図った。2452年のことである。

 ダンカンの姉妹ジャスミンは、メリクと貴族院を糾弾し、両者に対する行動に出た。メリクの戦闘部隊が最初のターゲットだった。首相と宣言して数時間以内に、ジャスミン・リャオは第2ヘキサ槍機兵団――後に赤色槍機兵隊として知られるようになる――に、冬宮の奪取とメリク兵の抹殺を命じた。この任務は果たされ、ジャスミンは軍部の粛正に着手した。残忍な清掃(粛正)と改革に2年が費やされ、首相の執務室はカペラ装甲軍の比類なき支配力を得た。ついにジャスミン・リャオは同様の絶対的な政治的権威を得るべく動いた。彼女が首相の権力に加えた最も遠大なものは、法令の権利(法的には、緊急時における首相の口語法と曖昧に定義されている)であった。ジャスミンと後継者たちはこの権利を徹底的に利用して、反対意見をやりこめてきた。ジャスミンの治世が終わるまでに、首相の座は最高権威となり、貴族院は首相の決断にゴム印を押すだけの地位に成り下がっていた。

 アーデン・バクスターの台頭からジャスミンの死までの60年間、カペラ大連邦国は、仲の悪い、違った形式の政府を持つ国家の集まりから、絶対的な専制君主に統治される星間帝国への長き旅路を終えた。この変化はカペラ独立国家の新しい時代の到来を告げた。かつてのこの国は、200年間のほとんどを、混乱、内部の激変、戦争、しばしの平和で過ごしてきた。カペラ帝国の創設とジャスミン・リャオ大統領の死の間、リャオ一族はカペラ国家に最長の安定した期間をもたらした。カペラの人々は、安定性を何より重視するようになり、それを与えてくれたリャオ家を崇拝した。この二点は、その後も争点となり、価値を持ち続け、初代星間連盟と後の動乱を通して国家を動かした。



平和の時代、戦争の時代 Era of Peace, Era of War

 2556年、カペラ大連邦国は星間連盟に加盟した。地球帝国との有利な貿易条約、地球帝国の有益な技術の利用、争いの的になっていたアンドゥリエン星系をカペラに譲るという自由世界同盟アルバート・マーリックの約束によって、勧誘されたのである。5年前に第三次アンドゥリエン戦争を戦い、敗北したテレンス・リャオ首相は、最後の条件を内心で最も高く評価していた。紛争で痛めつけられたカペラ大連邦国には、どうしても平和が必要だった。軍はぼろぼろになり、国庫は戦争と賠償金で使い果たされ、市民たちは戦争にうんざりしていた。星間連盟は砂漠のオアシスのように手招きし、大連邦国が抱いている多くの問題からの永続的な救済を約束した。アンドゥリエン本土の迅速な割譲は、平和の報酬の象徴であるように見えた。星間連盟条約への署名は、戦争で得ることがかなわなかった、切望した星系をもたらした。アンドゥリエンと周辺世界の所有は、カペラ領域を広げ、豊かにするだろう。これまでの戦争でそうできたことはほとんどなかった。(実のところ、残った11のアンドゥリエン星系は、自由世界同盟の支配を離れることがなかった。数年の官僚的な遅延と混乱の後、両陣営は静かに問題を悪化させた)

 だが、星間連盟合意書のインクが乾く前に、カペラ大連邦国とその他の加盟国は再統合戦争に巻き込まれたことに気付いたのである。この残忍な辺境征服は20年以上を要した。その間に、星間連盟の全国家が多少なりとも戦時経済に依存するようになった。何年にも及ぶアンドゥリエン争奪戦と、自由世界同盟への莫大な賠償を支払った後のカペラ経済は、他国の大半よりももろかった。戦争特需は、この紛争でカペラ装甲軍が担当した部分をまかなうことが出来るくらいに、経済を回復させた。だが、再統合戦争が終わると、歳入源の大部分が失われ、大打撃を受けた。

 2599年、子共のいないウルスラ・リャオの後を継いで、ノーマン・アリス首相が、長官によって選出され、財政危機(現代までカペラに残されている)のユニークな解決方法を考案した。アリスは大連邦国の全成人を、「強制組織」と呼ぶものの下で働かせた。このシステムは社会契約で普通は暗黙の了解になっている部分をはっきりとさせた――すなわち、市民権の特典と引き替えに、全カペラ人は国家にいくらかの奉仕をする義務を負うのだ。さらには、奉仕の性質を個人でなく国家が定めることで、カペラ市民の国家支配を強化した。

 強制組織は大連邦国を経済の崩壊から救ったが、重要な個人の自由を奪うという高い代償がついた。当初、多くの市民が抗議した。一部はあまりに声高だったので、カペラ政府が兵士を投入して対処した。だがカペラ人の大半は、小さな不平を並べただけで新たな命令に従ったのである。経済危機は彼らを、食べていけるのならどんな雇用でも感謝するようにしていた。そして国家の激動の歴史は、すでに安定の価値を教えていた。カペラ人の多くが、権威主義を好みがちな古代アジア文化との関係性を持っていることで、この新たな現実は受け入れられやすくなった。この窮屈な社会構造は、星間連盟の終焉後、大連邦国の役に立った。人類は300年に渡る実りのない覇権争いに突入した。



継承権戦争 The Succession Wars

 他の中心領域国家ほど、大きくも強くもないカペラ大連邦国は、継承権戦争の長き悪夢の中で、上手くいかなかった。ライラ共和国には経済的に見劣りし、恒星連邦、ドラコ連合の方が軍事的に強大で、隣の自由世界同盟に領土の広さで負けていた。敵たちが互いに戦っていなかったら、大連邦国は倒れていたかもしれない。カペラ国家を生きながらえさせたのは、支配王家に対する人民たちの献身だった。カペラ兵たちの狂信は、絶望的な劣勢を耐え抜かせ、勝つことすらあった。そして、第一次〜第三次継承権戦争の熾烈な本質は、同盟関係や、五大星間帝国間の単純な信頼すら事実上排除したのである。第四次継承権戦争だけが例外で、大連邦国の破滅を立証するところだった。

 第一次継承権戦争は当初うまくいき、大連邦国は消滅した地球帝国からいくつかの世界を奪い取った。その後、自由世界同盟の惑星ニューデロスで破滅的な戦役が始まった。迅速な勝利を熱望したバーバラ・リャオは、軍にアレス条約の無視を認可した――この決断は彼女を悩ませることとなる。カペラの最初の一撃でよろめいた自由世界同盟は素早く結集した。同盟の兵士たちは、あまりに多くの民間人を殺した敵を罰する決意をし、倍加した残忍さを持って攻撃した。カペラ海軍が被ったキャロウェイIV(自由世界同盟領)での惨敗は、カペラの幸運が終わりを告げる最初の兆しだった。2790年代の前半に、同盟はカペラの世界4つを奪った。その後、中心領域の他の場所で起きた事件が、両陣営にもっと容易な目標を探したほうがいいと悟らせた。

 カペラ装甲軍は、防備が薄い恒星連邦の惑星に視点を移した。ドラコ連合の圧力下で、カペラ国境の守備隊は弱体化していたのである。2801年までに、大連邦国は恒星連邦の世界5つを領土に増やした。軍の装備、一般歳入は、ともにかなり不十分であった。チェスタートンでのカペラ最後の戦役は、多大な人的資源、軍事用ハードウェアの損失を招いた。正確に計算すると、大連邦国はこの紛争で得たものより多くを失った――このパターンは三度の継承権戦争でくり返されることとなる。

 第三次継承権戦争が終わる2980年代までに、カペラ軍は崩壊の瀬戸際においやられた。やせ細る資源の念入りな管理(第二次継承権戦争以来、カペラ軍ドクトリンの基礎となっている教義)は、CCAFのメック、戦車、戦闘機を完動状態に保つのに不十分であると証明された。31世紀の初めに、消耗した継承国家が切望していた平和な中断期間が訪れまるでは、少数のエリート連隊と一握りの専門傭兵隊が、大連邦国と忘却の間に立ちふさがった全てであった。マクシミリアン・リャオ首相(2990年、最上位の座についた)は、この機会を利用し、粉砕された軍隊を出来うる限り再建しようとした。他の継承国家君主たちとと同じように、マクシミリアンは数十年もしないうちに、戦いが再燃すると決めてかかっていた。しかしながら、彼は、第四次継承権戦争と、その前の戦争との危険な違いを見通すことが出来なかったのである。

 第四次継承権戦争は、恒星連邦とライラ共和国の前例無き同盟に寄って立っていた。恒星連邦は多大な資源を与えられたと同時に、敵を忙しくさせておく同盟国を得たのである。従ってダヴィオン国王は恒星連邦兵の大部分を、好きな目標……カペラ大連邦国に対し、自由に用いることが出来た。3028年から3030年の間、カペラ大連邦国はこれまでの継承権戦争より多くの世界を失った(半数がダヴィオンの前に陥落していた)。怨敵に王国を分断されたマクシミリアン・リャオは正気を失い、その娘で情緒不安定なロマーノが、士気をくじかれた軍と国家の再建に取り組んだ。第四次戦争の終わりに聖アイヴス共和国が離脱したのは、大連邦国をさらに弱体化させ、その運勢を歴史上最低にまでした。3052年に、スン=ツーが台頭するまで、この辛抱強い王国は、深みからはい上がり始めることはなかった。



カペラ復興 Capellan Revival

 3052年はカペラ大連邦国のターニングポイントであったことが証明されることになるだろう。もっとも、当時、それに気付いた者たちは、この打ちのめされた国家の内外を問わず、ほとんどいなかったのであるが。この年、コムガードの勝利によって、氏族戦争の第一段階が終わり、氏族の技術的優位を縮める貴重な15年間が中心領域に与えられた。カペラの領土は氏族戦線から遠く離れていたが、ロマーノ・リャオでさえ、他の継承国家が陥落した際の危機を否定しなかった。また、彼女の息子スン=ツーも、遠くの戦場での技術向上から得られる利益を認識した。同年後半、ロマーノの後を継いで首相となったスン=ツーは、軍事情勢を効果的に利用出来る政治同盟を模索した。

 自由世界同盟との緩い同盟が、求めていたものだと彼は気付いた。自由世界同盟の総帥は、いまだ大きな力を持つ連邦=共和国に対する緩衝装置を望んでいた。自由世界同盟と大連邦国は、かつてちょっとした同盟国となっていた。ダヴィオン、シュタイナーの同盟条約に対抗するため、3022年、マーリック家、リャオ家、クリタ家が署名したカプテイン協約である。カプテイン協定は、第四次継承権戦争の間、ほとんど用をなさなかったが、前例は残された。スン=ツー・リャオとトーマス・マーリック総帥は、関係を復活させ、強化し、スン=ツーとマーリックの庶子イシスとの婚約でそれを強固なものとした。結婚は実現しなかったが、名目上マーリックの義理の息子であることを利用し、スン=ツーは必要とされていた軍事援助と有利な貿易協定をまんまとせしめた。この双方がカペラ装甲軍の強化に使われ、その一方でトーマス・マーリックにカペラの軍事的冒険を支援するようせがんだ。

 君臨した当初から、スン=ツーは、第四次継承権戦争で連邦=共和国相手に失ったすべての世界を取り戻そうと決意していた。大連邦国に同盟部隊の自由裁量権を与えるよう、トーマス・マーリックを説得出来たなら、自由世界同盟との同盟から、この目標を達成する人的資源が得られるかもしれない。だが、当初、マーリックは新たな同盟国に、それほど直接的な援助を与えるのを渋っていた。大連邦国を元の大きさに戻すという夢を実現させるため、スン=ツーはマーリックのためらいに勝たねばならなかった。

 3057年にチャンスがやってきた。マーリックの息子ジョシュアがニューアヴァロン科学大学で病死(白血病)したのである。少年が死んだ前後の時期に、スン=ツーは奇襲部隊によるNAIS襲撃を計画実行した。施設にいるジョシュア・マーリックが、トーマスの息子でなく偽物であるのを確かめるか、証拠をつかむつもりだった。首相は事実を知っていなかったが、推測は正しかった。ヴィクター・シュタイナー=ダヴィオン国家主席=国王は、少年の替え玉を立てていた。彼は、マーリックの後継者が失われたことで、拡大主義者のカペラ首相が同盟の新たな後継者となるのを恐れたのである。スン=ツーが二つの国家の軍隊を支配するか、それに近い状態となったら、氏族がドアの前で座り込んでいる間に、中心領域で戦争を始めるだろうとヴィクター国王は信じていた。

 スン=ツーが証拠をトーマス・マーリックに見せる準備をしていた時、運命が彼に味方した。SAFE(自由世界同盟諜報部)の工作員を通して、マーリックはすり替えの事実を知らされたのである。彼は応じた……連邦=共和国サーナ境界域への総攻撃(CCAFとの共同作戦)を持って。スン=ツーの領土奪還戦争が始まった。

 二ヶ月に渡るリャオ=マーリック攻勢で、カペラ軍とマーリック傭兵隊は13個の惑星を奪い、さらに多くを混乱に陥れた。3058年から3061年の間、スン=ツーは、軍隊、テロ、カペラ派市民運動(長年かけて作り上げたもの)で、30の惑星を奪い取った。領土奪還戦役の頂点は、聖アイヴス協定の再征服である。3061年、3062年のほとんどを費やして、ようやくカペラは勝利を収めた。戦争中、シン・シェン(Xin Sheng、新生)共和区と命名された聖アイヴス共和区は、戦争を乗り越えた。争いで引き裂かれた世界の再建と、大連邦国への統合にかかる費用は、次の数年間、カペラにのしかかり、スン=ツーが王国拡大の続行に取りかかる時間をほとんどなくさせた。だが、かつてのカペラ領土が国境外にある限り、休息はありそうにない。

 10年足らずで、カペラ大連邦国は意気消沈した国家の残りカスから、変化が早い中心領域の有望な勢力にまでなった。失われた領土の奪還に加えて、3058年、カペラ国は最高の栄誉に浴した。首相が新星間連盟第一君主――継承権戦争以来渇望していた継承国家指導者の座に選ばれたのである。第一君主の称号と地位は、その後、ドラコ連合のセオドア・クリタに移ったのだが、カペラ人民はいまだ計り知れない誇りを抱いている。これとその他の業績があることから、大連邦国は再び考慮に入れるべき勢力となり、人民はいくら感謝してもし過ぎることがないと考えているのである。






カペラの社会 Capellan Society

 表面上、カペラの社会はドラコ連合のものとよく似ている。両国は、他の何より、アジアの文化を志向している。連合は日本、大連邦国は中国である。両者は階級システムを取り入れ、激しい政治教化と強力な公安軍で市民たちを国家の厳しい管理下に置き、支配王家への熱狂的な忠誠心を促進している。しかし、これらの重要な類似点があるが、この二つの王国は部外者が思っているよりも大きな違いを持っている。平均的なカペラ人は、連合国や他の中心領域市民に似ているとの見解を拒絶するだろう。大連邦国を感化した古地球の中国のように、カペラ人民は自分たちが独特で、優れた社会を持つと考えているのだ。優越の感覚を何よりも表しているのは、新生(Xin Sheng)運動である。これはカペラの通念に対する古代中国文化の支配を大幅に強化した。



新生 Xin Sheng

 大ざっぱに訳すと「新たな誕生」となる、この全面的な社会・政治運動は、あらゆるレベルでカペラ社会を蘇らせた。スン=ツーが就任直後に始めた新生は、カペラ市民に、繁栄、ある程度の政治的自由、かなりの領土、力づけるような国家主義的プライドをもたらしたのである。第四次継承権戦争に続く暗い時代の後で、この復活はさらに奇跡的に見える。これは人が不屈の精神を持っているという感動的な証しかもしれない。だが、人類が生み出したものの例に漏れず、新生は暗い側面をも持っている。

 ある一つのレベルにおいて、新生とは、戦争と前指導者の狂気によってほぼ破壊された国家の、運命と希望を再建するものであった。企業家を奨励する経済改革で、かつて貧しかったカペラ惑星の生活水準は上昇した……主星シーアンのような裕福な惑星では、大胆さと幸運が莫大な富を築いた。政治的に、新生は惑星貴族を奨励し、各自が抱えていた諸問題の解決に相当の自治権を与えた。一部の世界では、初めて市民政府の選出が支配貴族によって許可された……他の星では、惑星の代表者(refrector)が人民のスポークスマンとなり、政治的決定に大きな役割を果たしている。マスキロフカはちょっとした異議を許す内部規定を持っている……といっても、スン=ツー首相の誇りを訴えるほぼ全国民的な大合唱の中で、反対意見を述べたがる者はわずかである。人民たちから氏族の征服者として称賛され、星間連盟第一君主であり、良き運命の導き手であるスン=ツーは、少数からの不平不満に怯える必要がほぼない。

 軍事的に、新生運動は、大連邦国中の新兵募集レベルを急上昇させた。問題山積のカペラ国家に仕える方法で、常に最も名誉があるとされてきた、軍への入隊は、3057年の勝利と、最近の対聖アイヴス戦で、さらなる評価を得たのである。カペラの一般兵士たちには高い敬意が払われず、若者の多くが軍士官学校への入学を熱烈に求めている。特に顕著なのが、中国系でないカペラ人が新兵募集に飛びつくことだ。新生の極めて漢民族的なアイデンティティは、非中国系のカペラ人を外部に残した。その多くが、厳しいものとなるかもしれない方法で、カペラへの忠誠を証明し、これを補おうとしているのである。

 漢文化――言語、芸術、風習、その他――は、カペラというタペストリーで常に最も輝ける糸でありつづけてきた。新生は中国にまつわるその他すべての文化的、社会的影響を向上させた――首相の言葉によると、古き中国の流儀と遺産を「全カペラ人の生得権」にしたのである。リャオの祖先の出自である文化と、カペラ人のアイデンティティを露骨に結びつけることで、スン=ツーは、中国文化、美徳の権化として、カペラ人民に対するリャオ王朝の心理的支配を強化した。ひとつの生活様式への傾倒は、民衆に安心感と結束の感覚を与える……彼らは自分たちが誰であるか、どのように生きるかを知っているのである。不幸なことに、この傾倒は「他者」を敵に変えてしまうリスクをはらむ。非中国系カペラ人に対する広範囲な差別は比較的少ないままだが、増えつつあるかもしれないのが、あちこちのうわさ、逸話で示唆されている。分離した聖アイヴスの再統合費用が高騰するなら、元市民に対する反発が出る可能性もある。



聖アイヴス紛争 The St. Ives Conflict

 聖アイヴス地方の再統合は、カペラ大衆の生活に影響する、新生の一要素である。これまでのところ、大連邦国の勝利と「失われた従兄弟」の再統一による喜びは、戦いとその後の再建に関する経済的な混乱を弱めている。数多の激しい戦闘で、カペラ軍の数個部隊が大打撃を受けた。部隊の再建が優先されたことは、他へ回される資源が減るのを意味した。元聖アイヴスの国境世界では、特に苛烈な戦闘が行われ、再建の費用は高いものとなった。比較的、被害の少なかった聖アイヴスの惑星は、かなりの納税負担を約束し、そしてスン=ツーは新たな富の一部を、人民たちにわずかなりとも分配するほどに抜け目無かった。しかしながら、これの実現までには数年がかかることだろう。ましてや一般大衆に小額が達するまでとなるとなおさらである。

 さらには聖アイヴスの市民がいる。カペラの同胞に再会するのを喜んだのは一部で、多くは独立が失われたのを受け入れられなかった。後者にとって「新たな誕生」は、自由の死を意味していた。その期間が短かったことがさらなる嘆きをもたらした。大連合国の支配下での生活の展望は、厳格な国家管理、秘密警察の浸透と相まって、彼らを恐れさせた。また、30年前、彼らが愛しいキャンダス・リャオ女公に従ったことを、「狂ったリャオの一人」が許すとは思えなかった。彼らは何らかの反動があると信じているが、カペラ社会の制限は、逃げ出すのを事実上不可能としている。怯え、怒り、嘆く彼らの存在は、勝利の陶酔が消え去ったら、カペラ大衆の不安をかきたてるかもしれない。

 だが、さしあたり、聖アイヴスは比較的に落ち着いている。キャンダス女公とその一族は、聖アイヴス共和区(改名)の権力の座にあり続け、苦しむ多くの市民にとって、心の支えとなっている。女公は市民(現在は自由より平和を必要としている)のために、喜んで中央政府と共に働くことを伝えている。両者が誠実で、予期せぬ破局がないなら、聖アイヴスとその母体国家の統合は、両者の利益のために進められるはずである。



国家と個人 State and Individual

 独裁的な支配の歴史、分裂への極度の恐怖、強力な秘密警察軍によるリャオ家への忠誠強化の伝統を持つ、カペラ大連邦国はしばしば中心領域で最も抑圧的な国家として退けられる。実際のところ、カペラ国は市民に相当な力を行使するのだが、その市民たちが思いも寄らぬ個人の自由を頻繁に楽しんでいる。国家権力と個人の自由のバランスは、カペラ人にとって慎重を要するものであるが、個人の自由はこの外見上全体主義である社会に存在している。既存の社会秩序に反しない範囲で、ほとんどのカペラ一般市民は相当な行動・思想の自由を持っている。それを破ろうとする者はほとんどいない。何年にも渡る教化で、社会に対する態度が刷り込まれている。カペラのやり方を壊そうとする者たちの大半にとって、マスキロフカの恐ろしい神秘性は、強い抑止力となっている。



定められた哲学 Defining Philosophies

 カペラ人であることが何を意味するか、他の何よりもはっきりとさせるのが、三つの哲学……コルヴィン主義、サーナ勅令、ロリックス教義である。カペラ臣民は、5歳で小学校に入った初日から、何らかの形でこれらの教理を学習する。11年間の義務教育を通して、これらの定められた哲学は、リャオ王朝とカペラ国への忠誠の観点から、解釈され、補強される。

 人類宙域探検の初期に、アラナ・コルヴィン・ディヴォールによって考案されたコルヴィン主義は、最も中心的、かつ最古の教理で、カペラ社会の創設に寄与した。コルヴィンは、人類による宇宙への拡大と、民族・社会の起源につながりを持ち続けることのバランスが重要だと雄弁に記述している。孤立し、小さな集団に分裂のを避けるために、全人類はひとつのより大きな人道によってたつことを提案した。その中で各個人は、上位の大文明が求めるものに応える。さらに、彼女は、宇宙の広大さが、より大きな人道を定義し、異なった価値観を調和させる、中央政府を必要とさせると論じている。

 コルヴィンが教義を考え出したのは、カペラが存在するずっと前のことであったが、後の世代は、彼女が創設した二つの植民地――シリウスとエプシロン・エリダニ――に、特有のカペラ的な絆を見いだした。この二つの世界は後にカペラ宙域となる。この「カペラ・コネクション」は、コルヴィン主義を、フランコ・リャオにとって、生まれたばかりのカペラ大連邦国に個人的、国家的な忠誠心を吹き込む、完璧な媒介物とした。彼と後継者たちは、カペラ国とコルヴィンの大文明とを同一視し、カペラの首相を、何が人類にとってベストかを判断する中央政府だとみなした。何世代にも渡ってカペラの学童たちに教えられてきた、この解釈の下、首相の意志は人類の利益と同等になり、それに反対するのは人の未来を脅かすことだった。拡大解釈すれば、全カペラ人は首相の権威ある地位を共にしている……彼(彼女)が人類の利益の裁定者であるのなら、彼らは、全ての人類社会が間違いなく熱望するであろう大文明の具現化された存在である。この誇りと畏怖の混じり合ったもの(全てリャオ王朝の統治に主眼が置かれている)は、リャオ家の支配と人民の忠誠を著しく高めている。

 サーナ勅令(軍国主義であるサーナ至高国の創設理念)は、ジャスミン・リャオの時代に、公式なカペラの教理となった。あらゆる社会は必然的に、軍事、科学、政治のエリートを生み出し、このエリート階級こそが唯一統治能力を持つと、サーナ勅令では述べられている。この得難い能力で、支配エリートが、市民、文化、国家の生存に必要と考えるすべての行動が正当化される。サーナ勅令は、政治・軍事各指導者たちの権威に根拠を加える――あるいは最高権威たる首相が取り除く――のに加えて、広まっているカペラの階級制度を支える役目もまた果たしている。

 ロリックス教義は短命に終わったロリックス戦士団(2672年、ロリックス・カルヴァー少佐により創設)の中心となる哲学であり、それを武家が継承した。この教義はサーナ勅令を厳密に解釈し、軍のエリートの役割が、他の支配階級の上に立つことを強調している。ロリックス・カルヴァーの言明では、兵士――特に戦士の王であるメック戦士――が、国家と民を守る神聖に近い守護者であると述べられている。他者を守るために命を危険にさらすがために、戦士たちには最高の敬意を得る資格が与えられる。引き替えに、戦士たちは、守るべき市民たち、雇用する国家、国家の統治者(最高司令官)に対し、変わらぬ忠誠を誓う。元々のロリックス戦士団は25年で解散したが、その規範たる哲学は残った。ヒリツァ・ヒカル大佐は、これらの信条を使って、29世紀後半、有名なカペラ武家団、古代の騎士団に相当するエリート軍事部隊の構想を作り出した。

 公教育を通してこれらの倫理を叩き込むのに加え、大連邦国は哲学審査官、哲学調査法廷を通して、成人後の哲学の存在を保証している。この両者はマスキロフカ、カペラの秘密警察に通じている。



マスキロフカ The Maskirovka

 カーナス・リャオによって2396年に作られたマスキロフカは、デモイシス(カペラ帝国諜報収集軍)の残骸から立ち上げられた。主に軍事関連の諜報に携わるマスキロフカは、外国をスパイし、カペラ軍の戦力に対する偽情報を広めてきた。だが、カーナス首相はマスキロフカを、首相官邸の権力を増す多くの道具の一つとしても見ていた。当初は、国内よりも、軍の仕事に重点が置かれていたのだが、マスキロフカは常に内部の異議を追跡する手段として機能してきた。首相は二つの部門の力と重要性が事実上同じになるまで、国内監視部門を強化した。

 カーナス・リャオの改革の中には「哲学審査官」というものがあった。彼らは、義務教育で教えられるコルヴィン主義(と後にサーナ勅令)を通して、首相への忠誠心を促進する責務を負った、政府の役人である。名目上、マスキロフカから独立しているのだが、審査官たちはこの機関から資金を受け取り、マスキロフカの上官に問題を報告する。「大食いカルヴィン」として知られるカルヴィン・リャオ首相は、審査官の権威を大幅に拡大した。政治的に疑わしい全階級の市民を調査する権限を与えたのである。こういった魔女狩りの場として、カルヴィンは「哲学調査法廷」――首相にとって都合が悪い者を公に辱め、破滅させる舞台を設置した。カルヴィンよりまともな後継者、ミカ・リャオは審査官の権力を元通りにし、法廷にいくらかの誠実さを加えようとしたが、明らかにこの有用な支配の道具を排除しようとは考えなかった。どちらも今日まで活動し続け、単に存在が知られていることが、潜在的なトラブルメーカーたちの大半を、おとなしくさせる役に立っている。

 軍事面では、いくつかの大失敗があったにもかかわらず、マスキロフカは幾度も真価を発揮してきた。2456年、大連邦国がバトルメックを入手したのは、マスキロフカの大手柄、ほぼ間違いなく最高の成果である。その最大の失敗は、第四次継承権でのことだった。マスキロフカの工作員が、ニューアヴァロン科学大学で開発された三重強化筋繊維(トリプル・ストレングス・マイアマー)に関する情報を、不正確なものと知らずに調査したのである。彼らの推薦に基づき、マクシミリアン・リャオ首相は武家イマーラのバトルメックに、盗んだ技術を装備するよう命令した。当時シーアンにいたイマーラ家は、予期されるダヴィオンの強襲から首都を守る責務を負っていた。それがやってきたとき、ダヴィオンは罠を発動させた。マイアマーは致命的な欠陥を持った罠であった。動けなくなったイマーラのメックとパイロットは、AFFSの強襲チームがスパイマスターを首相の宮殿から救出し、逃げるのを見ているしかできなかった。後には破壊が残された。3057年のリャオ=マーリック攻勢で汚名返上するまで、イマーラはこの打撃から名誉を回復出来なかった。

 国内的には、マスキロフカはドラコ連合のISFと同じくらい至る所にいる存在であってきた。ISFと違って、マスクがキングメーカー役になることは一切なかった。そのメンバーとリーダーシップは、(特に現職の)首相に固い忠誠を誓う。10年の治世で、スン=ツーは何回かマスキロフカの予算を増やした――一度目はカオス境界域での潜入工作員、テロ活動への支出のため。つい最近のものは、新たに獲得した領土でのマスクの責務増大に伴うものである。資金を提供され、新たな名声を享受するマスキロフカは、その相当な能力のすべてを持ってしてスン=ツーに仕えている。審査官、CCAF政治士官から、緑衣の軍諜報部員、大衆に潜む顔無き大勢の情報提供者まで、マスキロフカは大連邦国国境の枠を超え、あらゆるところで目を光らせ、耳をそばだてている。哲学調査法廷は、カルヴィンの時代ほど頻繁ではないが、運営され続けている。彼らは、無実ならそもそも疑いを持たれるわけがないという理論で、無罪より多く有罪の判決を下している。「正しくない見解」を持つとわかった市民は、社会的地位の喪失から、多額の罰金、財産没収、懲役まで、刑罰に直面するのである。



個人の自由 Personal Freedom: A Delicate Balance

 カペラ国家への奉仕、支配層への服従という、国の隅々にまで行き渡った道徳は、マスキロフカによる不気味な影とあわせ、一見して大連邦国を、首相の鋼鉄の手に握られた厳しく抑圧された社会としている。しかしながら、実際には、カペラ市民の多数が大きな自由を楽しんでいる。市民がどれだけ自分の生活を管理できるかは、首相のきまぐれによらず、市民が住む惑星、星系の統治貴族による。

 近隣国に比べると相対的に小国なのだが、カペラ大連邦国はかなりの広さの宇宙を領土としている。単一の支配者、中央政府が支配を広げるのは不可能である。他の中心領域国家と同じように、まず第一にシーアンの首相と政府が、国家の支配権、政策に関与する。それぞれのカペラ星系は、首相の名において、各下位貴族が統治する。彼らは概して適切に領地を運営している。現地の統治者は平和の維持を期待される……どのようにそれを達成するかは、貴族の仕事である。地域、星系、惑星の政府は、企業の自由活動地域から、古代アジア「竹のカーテン」を思いおこさせる統制の厳しい政府まで、多岐にわたる。アレス、カペラは、これらふたつの両極端の一例である。ほとんどの世界はこの中間に落ち着く。

 アレス(31世紀前半の厳しい貿易規制を免除された商業自由港)は、企業家たちのメッカとして発達し、それにふさわしい政治的自由度を持っている。首相の英知、リャオ家の統治権に対し、公然と異を唱える市民はいないが、惑星評議会での討論は活発で、しばしば冒涜的な飛び入り自由の討論場と化し、各都市や企業から選ばれた代表者たちが、異例な率直さで演説する。貿易規定と労働基準は、ビジネスに向いた環境を促進するために緩いものである。惑星の支配者、レディ・ジャスミン・ダンバーは、緩い行政管理を続けている。アレスが繁栄し続ける限り、現地の政治指導者は彼らが望むように運営を続けるだろう。義務づけられているのは、政治、経済のレポートをレディ・ジャスミンに送ることのみである。アレスのマスキロフカ工作員は、地元の習慣に精通し、率直な意見と潜在的な反逆の境界線をよく理解している。

 同じくらい経済的利益に縛られている惑星カペラは、アレスとは昼と夜くらい異なっている。ここには二つの巨大産業がある――カペラ共和区銀行とセレス金属である。前者は、元CEOキャンダス・リャオの亡命後、忠誠篤い小男爵の支配下にあり、スン=ツー・リャオ首相の財源のままとなっている……と言っても彼が直々に運営はしていない。

 セレス金属のトップは、カペラ星系の支配者、ベニート・リヴォリ公爵である。鋼鉄の意志を持った父、キングストンに、現代の企業男爵として育てられたリヴォリ公爵は、事実上の専制君主として、企業と世界を運営している。一箇所の自由が、他所の不満に変わると信じている公爵は、自由な思想の示威行為のほとんどを潰している。小規模なベンチャービジネスから、地方の芸術祭まで、すべてが公序良俗委員会に審査される。委員を構成するのは、セレス金属の上級役員5名、公爵家の2名である。カペラ大連邦国の法律では、「企業経営者の代理人」が、カペラ市民の生命・自由を法的手続きなしに奪うのを、明確に禁じているのだが、リヴォリ公爵は、自身がカペラの法であり、よって秩序と安定を保つために彼が望むような裁決を下してもよいと、主張し続けている。



民主主義のささやき Whispers of Democracy

 独裁者に支配されるカペラ人でさえも、カペラ帝国初期の数十年に立ち返ると、ちょっとした民主主義を楽しんでいた。その長く忘れ去られた民主主義の感覚は、惑星代表者部局と、カペラ階級制度の選出された指導者の中に見られる。

 カルヴィン・リャオの暴政に応じて作られた代表者部局は、地位を濫用する貴族の権力をチェックするために存在する。カペラの各世界はその代表者を選び、その者は大衆の代表として、その地の君主に仕える。カペラ大連邦国の下、代表者は犯罪を犯した市民の弁護人となり、被告人の言い分を申し立てるために、シーアンの長官と個人的に面会することができる。代表者の多くは惑星市民軍の指揮官でもあり、従って「面倒な」民間人に対する攻撃命令に抗うことができる。最後に、代表者はディエム(数星系を担当する管理者)に訴えて、専制的な惑星貴族を抑え込むことができる。申し立てに価値が見いだされたら、ディエムは下位貴族のやりすぎを是正するために手が打つことができる。

 各階級の成人は、等しくその階級の指導者を選出する。カペラ社会の重要部分である階級制度は、ドラコ連合のものよりはるかに流動的である。各人は他階級者と好きに結婚してよく、また階級指導者の許可があれば、階級を替えることすら可能だ。このシステムは、貴族以下の全階層を包括し、市民を仕事別の7種類に分割する。管理者と官僚はひとつの階級をなし、科学者と技術者がもうひとつ、三番目が様々な専門職、医学者が四番目、芸術家とエンターテイナーが五番目で、一般の労働者が六番目である。従者と呼ばれる契約労働者が最下級階級である。新たに征服した世界の原住民、襲撃で捕らえられた捕虜、市民権を失った(持っていない)カペラ人などの契約労働者は、理論上、強制労役を終えることができる。だが、実際にこうなることは少ない。戦時捕虜は、この見るに耐えない現実の例外である……彼らの労役は5年続き、その後、貴族以下の市民権を申請出来る。従者となった理由にかかわらず、その子どもは能力にみあった階級に加わることができ、他のカペラ人のように完全な市民権を得ることができる。






3067アップデート

3063年:亥年 3063: YEAR OF THE PIG

 亥年はカペラ統一を目指した暴力的闘争が終わりを見た年となった。カーリー・リャオとサギー工作員による、神経ガスを使ったブラック・メイの攻撃以前から、大連邦国の強情な従兄弟にはまともな逃げ道がなかった。それでも3062年の聖アイヴス陥落は、この紛争の集結を布告したのである。幾度かの永続的な交戦停止の試みがあった後、コムスターの名誉戦司教アナスタシウス・フォヒトが、6月に最終的な休戦協定をとりまとめた。

 カペラ装甲軍と聖アイヴス共和区(元協定)は、不承不承、市民たちのために武器を置いた。こわばった手と冷めた心で、二つのカペラ国家は合併し、再び一つの国となった。正規軍にとって、これは、戦争していた6個連隊の統合を意味していた。統合の進捗は遅々としたもので、カペラ軍の迅速な再建を妨げた。

 この年が終わるまで、連邦=共和国内で戦争が一段と激しくなっていた時期に、CCAFはいまだ、古き対立関係や、聖アイヴス士官のちょっとした抵抗と戦っていた(彼らは古い記章、階級章を使い続けた)。常の通り、一度与えられたカペラの忠誠心はなかなか死なないのである。


聖アイヴス共和区 The St.Ives Commonality

 制服や階級章より重要なのは、聖アイヴス軍が、戦闘教義の変更に対して激しい抵抗を見せていたことである。伝統的にSIMC(聖アイヴス軍)は、通常の大連邦国部隊よりも、重量のある部隊を展開し、強力な兵站支援をつける。指揮官たちは、CCAFの士官よりも大きな自主性を与えられている。SIMCの士官たちを驚かせたことに、カペラ装甲軍は大改革の押しつけをやめ、またこの年が終わるまでに、タロン・ザーン上将が聖アイヴスの教義を歴史あるカペラ連隊に取り入れるため、大勢のSIMC士官たちに援助の要請を行った。


自由カペラ Free Capella

 亥年の終わりまで、自由カペラの部隊はあらゆる機会をつかんで武装レジスタンス活動を続けた。これらのうち最も理性的だったのはブラックウィンド槍機兵隊である。彼らはキャンダス・リャオの帰還命令に抗ったが、わざわざ問題を起こすことはなかった。正反対なのがボロディン・ヴィンディケイターズで、どんなときでも戦いを選ぶと決めていた。幸いにも、シュタイナー=ダヴィオン内戦がいっそうの激しさを増すと、自由カペラの注意は自身の背後に向いた。



3064年:子年 3064: YEAR OF THE RAT

 子年はいつも大いなる野心に彩られる。幸いにも、苦労が最高に報われる年でもある。

 3064年、CCAFと全隊員(協定出身で、最も扱いにくい部類の士官たちは除く)は違いを棚上げし、互いの向上の妨げとなっていたものから離れることに注視し、相互に有益な取り決めを押し進めた。この変化の大半はキャンダス・リャオ女公の功績によるものである。彼女は自ら実例を示して、民衆に対する役割を果たした。市民名誉連隊群に、新型バトルメック、エンペラーを贈ったことは――重要な部隊の機嫌を取っただけと一部から批判されたが――後の首相の命令と合致した。この命令とは、ヴィクトリアのシェンリー造兵廠で生産される三分の一を、聖アイヴス共和区に駐留する部隊へ直接搬送せよというものである。届け先には、第3カノープス隊のような招待部隊が含まれていた一方で、聖アイヴス・イュニチェリ隊、アレイシャ跨乗機兵隊にも多大な利益がもたらされた。


プロジェクト・フェニックス Project Phoenix

 ジオヴァンニ・エストレージャ・デ・ラ・サングレのプロジェクト・フェニックス(フェニックス計画)がカペラ大連邦国に持ち込まれたのは、3063年のことであるが、大いなる進展を果たしたのは、3064年である。旧型のバトルメックを最新型に再設計するという彼の計画は、CCAFが必要としていたその時にもたらされた。フェニックスホーク、マローダー、ワスプ、アーチャーはすべて現役に復帰した。各機のステルス型は、装甲軍の新部隊であるイン・チャン(シャドウ小隊)に投入する準備がなされた。

 好意を示す表現として、また新生紛争による最後の傷を癒す意味で、聖アイヴス共和区内の工場にいくつかの契約(もしくは共同契約)が与えられた。それどころか実際には、GM自慢のマローダーを得るために、リャオ首相がハイルドコーの製品と物々交換した時に、これらの契約は批判を浴びることになった。皮肉なねじれで、「新たなカペラの体制」による大連邦国最大の輸出物は、聖アイヴスの軍需物資となった。今や、大連邦国は連邦=共和国により多くの兵器を売却し、それを使って彼らは内戦で自らを切り裂いているのである。


星間連盟評議会と三国同盟 The Star League Conference and Trinity Alliance

 もちろんのこと、大いなる野心が現れる場は、三年に一度の星間連盟評議会をおいて他にない。3064年、マーリックの世界で持たれた一つの決議は、特に大連邦国とその軍隊にとって長期的な結果をもたらした。三国同盟の同盟国が、星間連盟加盟国家となったのである。この幸運な国は、多くを驚かせたことに、タウラス連合であった。

 長年緊密な関係にあったカノープス統一政体より、連合を選んだことで、前者(カノープス)は三国同盟を脅かし、またエマ・セントレラ総統は、第3カノープス機兵連隊を除いて、全部隊を大連邦国宙域から引き上げさせた。この動きは連合にさらなる負担をかけた。カオス境界域を狙う大連邦国/同盟への軍事的支援が増大したのだが、その中でタウラス人は気概を証明して見せた。不平を言わず、責務の新たな感覚を持って、追加の負担を背負ったのである。疲れ果てたカペラ部隊は、休息・修理のために撤退でき、新たな攻勢に備えた。驚くべきことに、翌年にそれは行われなかった。


3065年:丑年 3065: YEAR OF THE OX

 丑年はCCAFにとって忍耐の年となった。正規の軍事行動は、すべて縮小されるか、棚上げとされた。チコノフはその例外で、そうすると最高司令部が決めたのではなかった。

 自由共和国革命軍(大連邦国とは緩い協力関係にあるのみ)は、休眠期間と二年の準備期間からたちまち復活した。彼らによる当地の秘密組織「自由チコノフ運動」は、新生紛争の終結後、再潜伏していた。今、連邦=共和国が内戦で傷ついたのに伴い、彼らは再び外国の支配に対して立ち上がった。彼らによる妨害は、ヴィクター軍をチコノフから追い出すのを助け、ライラ同盟に再結集のため戻らせた。

 スン=ツー・リャオ首相は、チコノフの状況、統一政体の支援を欠くこと、カオス境界域で抵抗が続いていることを鑑みて、拡張主義的な計画を撤回した。その代わりに選んだのが長期に及ぶゲームである。首相は、従兄弟でキャンダス女公の息子カイ・アラード=リャオに、大連邦国を離れヴィクター国王を捜索する許可を出した。首相が穏健路線に変更したちょうどその時に、ナオミ・セントレラと第3カノープス機兵連隊は統一政体に呼び戻され、大連邦国に対する全てのカノープスの支援が打ちきられた。


3066年:寅年 3066: YEAR OF THE TIGER

 寅年と共にやってきたのは、性急な活動に遮られた、落ち着かない非難の時期であった。CCAFは定数に近づき、今やSIMCの力もまた得ていた。新型ステルスメックのプロトタイプが工場から登場し、プロジェクトフェニックスは輝かしい成果を見た。統一政体は連隊群を連れて戻ってきた。その後、ナオミ・セントレラも戻った。もし、タイミングの悪い決断がなかったら、3066年はカペラ軍と同盟軍にとって静かな勝利で終わっていたかもしれない。


カオス境界域 The Chaos March

 一つ目の難題は、カオス境界域への再侵攻である。タウラス連合は、自軍に戦闘の機会がほとんどない中で、戦力の多くを投入していたのだが、7月、あまりに長期の絶え間ない戦いが本拠から代価を取っていたことに気付いた。政治的混乱によって、数個連隊が本拠に戻らねばならなくなった。

 用心深いカノープス軍が帰還したのに伴い、CCAFは新たな解決策を模索する事となった。だが、リトルリチャード装甲旅団が自らの意志でカオス境界域国境にジャンプし、ジェノアを占領しようとすると、決定権はカペラの戦略家たちの手から離れてしまったのである。傭兵の第12ヴェガ特戦隊がジェノアの援助に駆けつけた。送り込んだのは、連邦=共和国カペラ境界域のジョージ・ハセク公爵である。ジェノア、アルボリスと続く一連の戦闘で、特戦隊はリトルリチャード旅団を叩きのめした。特戦隊の存在と、回収品による地元市民軍創設に伴い、ジェノアとアルボリスは、連邦=共和国による息が詰まるような支配に戻ったのである。


消え失せた装備 Lost Assets

 旅団がジェノアでもがいていたそのころ、CCAFはプロジェクト・フェニックスを押し進め、ステルス仕様フェニックスホークの第一次生産分を発表する予定になっていた。不幸にも、新たな戦争の化身たちのパレードに突き進んでいたことが、マスキロフカの保安網に穴を作り出した。11月、新型フェニックスホークの1個小隊分が、マッカロン装甲機兵隊に送られる途中で消え去ったのである。

 良い雰囲気で一年を終えると決意した戦略家たちは、CCAFの新造戦艦〈イルサ・ヒョン〉を3067年1月までに完成させようとした。このような傲慢は罰せられた。反応炉に火が入るのが早すぎて、船は大規模な動作不良を引き起こし、アレス造船所の重要部分と共に自爆しかけたのである。戦艦を救ったのは追加の安全装置であった。だが、少なくとももう1年、造船所での作業が必要になった。

 その後の調査で、両事件は自由カペラのジエ・ファン軍団に結びついた。長年に渡って沈黙していたこの軍団は、特殊作戦チームを作り上げ、フェニックスを盗みだし、〈イルサ・ヒョン〉に対する破壊工作を行ったように見える。この二つの工作事件が、大連邦国に対する新たな全面的な活動だった場合に備え、マスキロフカの新リソースは自由カペラに向けられている。


3067年:卯年 3067: YEAR OF THE RABBIT

 用心深い賭けが、早くも卯年に実りをもたらした。チコノフがリャオ家の手に戻ったのである。3066年、ヴィクター・シュタイナー=ダヴィオンのニューアヴァロン強襲を援助すべく送り込まれた武家ダイダチは、同行を拒否され、その代わり、中立的な守備隊としてチコノフに残った。


チコノフ Tikonov

 3月、ヴァレクサCMM分隊、第10ライラ正規隊分隊の撃破によって、自由共和国革命軍の一斉武装蜂起が、再度、チコノフを紛争に投げ込んだ。ダイダチ家は当初の進撃を打破したが、第32アークトゥルス防衛軍が援助に駆けつけた時、戦いが勃発した。最終的に後退させられたが、彼らのエネルギーはアークトゥルス防衛軍を分断し、革命軍最後の攻撃で敗北させたのである。

 8月9日、スン=ツー・リャオの誕生日(卯年の3031年生まれ)までに、シュタイナー=ダヴィオン内戦は終結し、カペラ大連邦国はチコノフの領有権問題に決着をつけていた。一部の部隊(ほぼ間違いなくジョージ・ハセク公爵に促された部隊)が、ダイダチ家を追い出そうとしたが、国家の正式な認可による支援なしで、彼らは武家の前にすぐさま破れ、この世界をカペラ守備隊の手に残したのである。

 名人芸的な交渉術でリャオはウルフ竜機兵団からのアプローチを受け、ちょっとした譲歩で、エリート傭兵隊の1個連隊がチコノフ防衛に加えられた。


運勢の変化 CHANGES OF FORTUNE

 3063年8月のCCAFフィールドマニュアル刊行時から、カペラ装甲軍の構成、配備、組織にほとんど変化はない。混成部隊の拡大は実行されたところで確実な成果を示し続けている。大連邦国は、ステルスアーマーや三重強化型人工筋肉といった最新鋭の軍事システムを開発し、これに頼っている。だが、ふたつの分野で注目すべき点がある。CCAFの前線連隊に広がるイン・チャン部隊と、傭兵隊の編成の一部変化である。


シャドウ小隊とプロジェクトフェニックス Shadow Lances And Project Phoenix

 イン・チャン(CCAFシャドウ小隊)は、ステルスアーマー装備のバトルメックのみで構成され、現在、TO&Eに組み入れ中である。この部隊の要請は特別な許可によってのみ受け入れられ、実戦で力を証明した前線部隊、司令部に優先的に与えられる。

 プロジェクトフェニックスの再設計メックが実戦配備に入ったのに伴い、デスコマンドと武家のいくつかは、ステルス中隊を展開し始めている。このような部隊の前線連隊での拡大は、来年に期待されている。


海軍 Naval Assets

 大連邦国は以下の戦艦を配備している。インパヴィド級〈シャイザン〉〈チェジアン〉〈アンキ〉、フェン・ホアン級〈エリアス・ジュン〉〈フランコ・マーテル〉〈アレイシャ・クリス〉〈サンダーマン・リース〉。フェン・ホアン級〈イルサ・ヒョン〉は、3067年半ばに完成する予定であったが、工作によって船は破壊されかけ、いつ修理が終わるかは不明である。















カペラ大連邦国 Capellan Confederation 3075


指導者: サン=ツー・リャオ
政府: 独裁制(中国風封建主義スタイル)
首都、主星: ジジン・チェン、シーアン
主要言語: 中国語(マンダリン、公用語)、中国語(広東語)、ロシア語、英語、ヒンズー語
主要宗教: 仏教、ヒンズー教
居住星系: 150
創世年: 2336年
通貨: 元(ユアン)



ウルスラ・リャオ Ursula Liao
称号/階級: カペラ大連邦国首相、2571〜2599年
生年: 2551年
没年: 2599年

 鷹の一族に産まれた珍しい鳩であるウルスラ・リャオは、自国を生まればかりの星間連盟に加入させて、すぐに政治的手腕を振るい大連邦国に数多の利益をもたらした。彼女は星間連盟防衛軍に兵士を貸し出したものの、再統合戦争で辺境国家と戦うという圧力に抵抗した。カペラ市民全員の生活を向上させる努力は、国中で後援した教育とインフラの改善という形で実を結んだ。現在、ウルスラは大連邦国の歴史上最も重要な首相の一人として記憶されている。


紅色槍機兵隊 Red Lancers

 カペラ機兵連隊はカペラ国の守護者を自称しており、ブレイク派の長期に渡る猛攻の間、全4個連隊が模範的な功績を重ねてきた。いまだカペラの調達チェーンの頂点にいる彼らは、大連邦国の敵に対する不動の防波堤であり続けている。長年、カペラ主星シーアンの守護者であった紅色槍機兵隊は、繰り返される攻撃の中で勇敢かつ粘り強く主星を防衛し、ナオミ・セントレラがカノープスに戻ったときには同盟国の統一政体を支援し続けた。


第3マッカロン装甲機兵団 Third McCarron’s Armored Cavalry

 大連邦国とつきあいの長い元傭兵部隊であったマッカロン装甲機兵団は、いまやCCAFの正規部隊であり、カペラの武器庫で最も強力な部隊のひとつである。ビッグマック5個連隊は本拠地のメンケから大連邦国内外を飛び回る。

 第3連隊、愛称ワイルドワンは大連邦国の敵に対する金床である。ビックマックの他連隊は、華々しく、機動性があって、腕利きの戦士たちを揃えているかもしれないが、バークムとニューシルティスの防衛部隊が気づいたように、「マッカロンの暴漢たち」とも呼ばれるこの連隊の頑固な決意にかなう部隊はないのである。


武家イマーラ Warrior House Imarra

 武家はカペラ軍の中で独自かつエリートのニッチを占めており、武家最高師範か首相その人にのみ応じる。

 最初の武家であるイマーラ家は、この50年間、主星シーアンの主力駐屯部隊になってきた。戦闘経験を欠いているのだが、彼らは恐れられる戦力のままである。


セレス金属 Ceres Metals
本社所在地: カペラ
社長/CEO: エヴァドネ・リボリ女公爵
設立日: 2415年5月12日

 セレス金属は継承権を生き延びた中心領域の大手コングロマリットとの評判を享受している。600年以上前に創立されたCMは、主力事業のバトルメックから個人兵器部門のクラウドバスター、セレスモーターズの個人車両に至るまでほとんどすべてのセグメントに手を広げる多様な法人である。創業当時からカペラを本拠地にしているのだが、CMは中心領域のリムワードと(噂によると)近い辺境にまで広がっている。


ヘレスポント工業 Hellespont Industrials
本社所在地: シーアン
社長/CEO: イアナ・モーガン男爵
設立日: 2792年7月17日

 その絶頂期に、ヘレスポント社はカペラでアースワークスに次ぐ二番目の軍需物資供給業者であったが、継承権戦争はこの製造会社にも工場にも優しくはなかった。第三次継承権戦争の終わりに、分散した数多の資産をシーアンの大規模施設に集約せざるを得なかった彼らは、大連邦国で最大の通常戦闘車両供給業者となった。だがそれはすぐに変わった。ヘルムメモリーコアの再発見によって星間連盟の技術知識を使えるようになり、評判の悪かったバトルメック、レイヴンが成功を迎えたのである。


ラッシュプール=オウェンズ有限会社 Rashpur-Owens Inc.
本社所在地: カペラ
社長/CEO: リリー・ドー卿
設立日: 2698年1月2日

 継承権戦争の間、ラッシュプール=オウェンズ社の軌道造船所は、惑星カペラの夜空に輝く陰と陽のシンボルと見なされていた。良い面では、この造船所は(長年にわたり)大連邦国で唯一の艦船製造施設であり、カペラの誇りと決意のシンボルであった。悪い面では、この造船所はあまりに古く、老朽化し、故障しやすかったことから、彼らが毎年生産するわずかな船は外国で建造された船体を買うよりもコストが高くなったのである。多額を支払って生産を続けていることから、事情を知る市民たちはこの造船所を「市民の松葉杖」と呼んでいる。




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