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作成:2017/05/14
更新:2017/08/13

アンドゥリエン戦争 Andurien War



 自由世界同盟において、アンドゥリエン公国とキャサリン・ハンフリーズ女公は、マーリック家の支配に抵抗する分離独立派として知られています。
 ハンフリーズ女公にとってチャンスが訪れたのは、第四次継承権戦争の最中でした。
 独立を宣言したアンドゥリエンは、辺境のカノープス統一政体と同盟し、瀕死のカペラ大連邦国に攻め込んだのです。アンドゥリエン戦争の始まりです。
 10年に及ぶ戦いの様子を"Historical: Brush Wars"から抜粋して紹介します。






アンドゥリエン戦争の人物


キャサリン・ハンフリーズ
称号: アンドゥリエン女公、ザンザ女公
出身地: アンドゥリエン
年齢(3030年): 79歳(2951年生まれ、3041年死去)
 (誰かを暗殺するときでさえも)優雅で威厳のあるキャサリンは、2989年、伯母モーゲン・ハンフリーズから女公の地位を継いだ。彼女は、人生の半分以上をアンドゥリエンの統治に費やしており、モーゲンの孤立化政策とマーリック家に対する反抗を続けている。ヤノス・マーリックに対する反感(きわめて苦々しく個人的なもの)は、40年前からアンドゥリエン分離までに及び、時折、ヤノスの妻、アナ・スチュワートやヒルダ・ローバーの死のような個人的な悲劇の時に氷解するのみであった。キャサリンは、自身の課題を推し進めようとしていたのだが、レグルスのような野党国家のスキームに引き込まれるのを拒否した。彼女にとって、アンドゥリエンの利益とは、アンドゥリエンのみの利益だったのである。もし、他者の野心と合致するのなら、それはそれで良いと言うことにするが、もしそうでないなら面倒であり、レグルスが総帥の権力を簒奪するというのは、アンドゥリエンの利益ではなかった。

 二つの事柄が、キャサリンの課題と思考の中核だった……リャオ家の無力化と、アンドゥリエンを存続できる独立国家にすることである。第四次継承権戦争とその後の時期、カペラ大連邦国を粉砕する戦争に自由世界同盟を引き込めなかったことで、キャサリンは後者の道に押し出された。もし、総帥と各国がリャオの脅威を永遠に終わらせることができないくらいに臆病なのなら、それを自分でやるのだ。皮肉にも、それをやるために彼女は外部の同盟者を求めた――カノープス統一政体――セントレラが自分の目的のためにアンドゥリエンを利用すると知っていたにもかかわらずである。


トーマス・マーリック
称号: 司教(〜3030年)、防衛副長官(3030〜3035年)、アトレウス公爵(3036年〜)、総帥(3036年〜)
出身地: マーリック
年齢(3030年): 40歳(2990年生まれ)
 トーマス・マーリックは多くの点で、貴族の若い師弟が教会に人生を捧げていた中世への先祖返りである。本好きで科学の徒であるトーマスはコムスターに引き寄せられ――父親の歓迎の下――16歳で教団に入団した。特に医療科学と宇宙物理学に興味を持った彼は、教団内でこれらの研究を行い、探査局の隊員としても時間を過ごした。彼を後継者にするという父の決断はトーマスを驚かせ、3021年に取り決めがなされたが、秘密条項によって、彼は研究を続け、同盟の内輪もめから遠ざかった。そのあいだ、自由世界同盟の外交について説明を受け、外交と交渉について教育を受けたのだった。

 父が発作を起こした後にトーマスが摂政となったことは、多くを驚かせた――特に玉座への道を阻まれた兄弟やいとこたちを――だが、この40歳の司教がもし世間知らずであり操られやすかったのなら、彼らは即座に拒否したことだろう。トーマスはすぐさま同盟政府に自らの権威を打ちだし、コムスターにさえも独立した人間であることを明らかにしたのである。父と兄を殺した3035年の攻撃は、ヤノスを殺すのと同時にトーマスを排除するものというのがありそうで、ダンカンが上に立つ道を切り開いた。3036年の後半、トーマスが議会への姿を現したのは、一回目よりも衝撃的であり、爆発で肉体的・精神的に傷を負っていたものの、トーマスの着実なリーダーシップはアンドゥリエンを自由世界同盟に取り戻す上で重要なファクターとなった。


ダンカン・マーリック
称号: 将軍、マーリック市民軍最高司令官(3036年まで)、総帥(3035〜3036年)
出身地: マーリック
年齢(3030年): 44歳(2986年生まれ、3037年死去)
 ヤノスの甥(妹のシルビアの息子)であるダンカンは、叔父と同じ特徴(と欠点)を持っている。野心的で決断力のあるダンカンは、平気で一族のコネクションを使って、自身の技量と快活な魅力を増強し、マーリック国民軍指揮官の座にあがった。後継者の座が広く開かれているようだったので、ダンカンは総帥になる望みをほとんど隠さず、インタビューでいつの日か叔父の後を継ぐことになると何度か語っている。皮肉にも、この過大な熱意と決意により、ヤノスはダンカンを支配に対する脅威とみて、トーマスを秘密裏に指名したことは正しい道だったという思いを強くしたのだった。

 摂政に関してトーマスの兄であるダガン・マーリックと激しく舌戦を繰り広げたダンカンは、トーマスが現れて摂政になったことに愕然とした。それにもかかわらず、表向きは忠誠を示しながらも彼は時を待ち、その間、密かに権力を奪う計画を練り上げた。3055年6月、マーリックでの集会は、あまりにも誘惑であった。ダンカンは行く先に立ちはだかるものをすべて排除する機会をつかみ、同時にアンドゥリエンが首謀者だと非難して、戦争の炎を煽った。彼は望みを叶え、18ヶ月弱、総帥として統治を行ったが、現実は彼が夢見ていたものとはかけ離れていた。議会と所属国家は彼の計画に協力するのを拒否し、よって彼は単独で戦争の前線に旅だった。そんな感じで、彼はトーマスが姿を現したときにほとんどなにもすることが出来ず、栄光をつかむギャンブルにすべてを賭けた。残念ながら、ダンカンが初期のキャリアで得てきた栄光は大半が他人の成果を奪ってきたものであり、輝きを本当に必要としたときには悲惨なほどに――そして致命的に――なにも出来ないことに気がついたのだった。








フェーズ1: カペラ大連邦国侵攻 PHASE 1: THE INVASION OF THE CAPELLAN CONFEDERATION




3030年: 新しい戦争 3030: THE NEW WAR

 9月13日、アンドゥリエンが自由世界同盟より離脱してからわずか2日後に、アンドゥリエン公国は国境をジャンプして、カペラ大連合国の重要な目標を叩いた。最初の攻撃はほとんど巧妙さのないものだった……新しい戦争が始まったと気づくその前に、カペラの抵抗を打ち砕こうとしたのである。最初の侵攻波で4つの世界が目標となり、CCAFの反応が鈍いことに気づくと、年末にもう2つが追加された。

 これらの作戦において、キャサリン・ハンフリーズはアンドゥリエン防衛軍団の4個連隊(第1連隊、第3連隊、第4連隊、第6連隊。第5連隊は始めてネスターの駐屯任務から解放されて、自由世界同盟を半分渡った)と2個の傭兵部隊、カーソン反逆隊とトゥース・オブ・ユミルを使った。予備戦力は存在せず、1個部隊だけが首都を守るために残ったのだが、マーリックの反応が鈍い(そしてヤノスの発作で混乱が起きる)ことが明らかになると、この部隊さえも前線に出された。

 アンドゥリエンがカペラの意欲を破壊し、経済と軍隊を崩壊させることを意図していた一方で、カノープスの侵攻に対する寄与は単純なものだった……出来る限りの領土を奪い、確保するというものである。なので、カノープスはアンドゥリエンよりも広い前線を攻撃して、8つの世界を狙い、その多くに最小限の駐屯部隊しかいなかった。表面上は弱い敵と戦い、多くの世界でまともな抵抗はなかったのだが、カノープスの直面した任務のスケールは過小評価できるものではなかった。その戦略的な目標は、パッラーディオ=ホムステッド軸からリムワードのカペラ世界と、ホムステッド=ワードからアンチスピンワードの世界をすべてとは言わずともほとんどを奪い取ることであった。この地域のおよそ30個の世界である。


希望的観測

 カペラ大連邦国に対する表面的な条件は積み重ねられたように見えたが、ハンフリーズ女公とカノープス統一政体はいくつかの重要なポイントを無視していた。

 第一に、第四次継承権戦争におけるCCAFの実績はひどいものであった一方、カペラの戦略計画は指揮系統のトップにいた2名のダヴィオン工作員、ジャスティン・キング=アラードとアレクシー・マレンコフ(別名アレックス・マロリー)の存在によって損なわれていた。カペラの各部隊はよく戦ったが、たいていの場合において数で負けて、決定的な差をつけられたのである。アンドゥリエン=カノープス同盟にはその点でのアドバンテージはなかった。

 第二に、カペラ首相の病状がリャオの戦争遂行を阻害していたようで、これは第四次継承権戦争でタカシ・クリタがウルフ竜機兵団に取り憑かれたのとよく似ている。彼らが考慮しなかったのは、マクシミリアンがまともに正気を保てなかったので、首相の地位に就いたまま、摂政が日々の業務を管理していたということである。

 摂政を使っていることは、同盟軍の有利に働いたはずだが、この戦争に際して王家内で内輪もめがあったかは、議論の俎上に載せられるべきだろう。トマーノ・リャオはAFFSに捕らえられ、ニューアヴァロンで「ゲスト」となった一方、後継者と推定されていたキャンダスは恋人のジャスティン・アラードと共に大連邦国に逃亡した。真ん中の子供であるロマーノだけが唯一の後継者として残された。どの点から見ても、ロマーノは3030年後に首相となった(夫である優秀なツェン・シャンに助けられた)のだが、表面上は父親が3036年まで統治した。

 [この文章を書いたアンダーソンは、マックスの二番目の妻、エリザベス・ジョーダン=リャオが戦争中に謎の失踪を遂げたことについて触れていない。情報は不確かだが、SAFEはロマーノがやや軽率に彼女を処刑したと信じている。さらにアンダーソンは、マックスが正気を失っているのと同じく、ロマーノも劣らず狂気に陥っていたことにも触れていない。サギー暗殺カルトとの関係のように、ロマーノは3020年代から精神病質的な言動を示し始めており、3030年代には誇大妄想と被害妄想を付け加えた。だが、父とは違って職務をこなすことが可能であり、シャンと宮殿のスタッフはロマーノの精神問題を隠した。-トーマス]

 最後に、同盟軍はカペラ人の決意を過小評価していた。同盟軍はカペラを弱くて、崩壊して、簡単に餌食になると予想していた。実際には、彼らが見たのは、自国に起きたことを不名誉に思って恥じてはいたが、もう二度と同じことは繰り返さないと決意している者たちだった。もし戦後、同盟軍が即座に攻撃していたとしたら、大連邦国は即座につぶされ、民衆の脆弱な自我は期待を越えて打ち砕かれていたことだろう。だが、戦争が終わって11ヶ月経ったことで、狼狽と恐怖は憤懣と決意に変わったのである。

 アンドゥリエンとカノープスは、死ぬ直前の獲物にとどめを刺すことになると考えていた。実際のところ、獲物は追い詰められて、失うものがなく、底を打ち、イーグルは傍観し、自由世界同盟は引き裂かれた。

 ――JNアンダーソン著『第四次継承権戦争の分析』より、カリブディス出版、3063年



プリムス(9月) Primus (September)

 この戦争における最初の軍事作戦は、トゥース・オブ・ユミル傭兵団の1個大隊が、農業世界プリムスに降下したことであった。抵抗はほとんどないことが予期され、トゥースは素早く大都市いくつかを占拠した。小規模な惑星市民軍は消えていったが、「ダヴィオンの背信」への抵抗の決意を固めて、地下抵抗運動が成長した。なぜダヴィオンかというと、プリムスの民衆が傭兵の上陸を恒星連邦の大連邦国侵攻の続きであると考えたからである。大都市ではすぐに違うとわかり、数ヶ月後には地方にも伝わった一方、惑星が解放された後でも一部の農家が「ダヴィオンの占領」について語ったのである。この抵抗運動は、軍事的にトゥースにはなにも影響を与えないもので、アンドゥリエンの戦争を妨害する上で、プリムスを通る補給物資の輸送を悩ませ(プリムスを占領する第一の理由は、補給の分配ハブ、食料の供給源として使うためだった)、侵略者への協力を選んだ農民たちを威圧するものであった。占領から数ヶ月後で、アンドゥリエン兵への攻撃は最小限(例外はたまの狙撃や強盗行為)だったが、協力者へのリンチは日常茶飯事となった。


プリ(9月) Prix (September)

 プリムス占領と同時に、トゥース・オブ・ユミルの2つめの大隊がプリを叩いた。隣のプリムスよりも工業が発達していたプリは、それにも関わらず占領への抵抗が激しいとは予想されておらず、この予測は正しいことが証明された。トゥースの上陸から数時間以内に、政府の代表団は条件について話し合うため、傭兵の指揮官と面会した。商業インフラが破壊されることへの恐怖が(とりわけCCAF兵に解放されることがなさそうなので)、今回の降伏を促し、一発も撃つことなくアンドゥリエン軍に支配権が渡されたのである。実際、プリの政府と企業体は、自発的に占領軍に協力し、惑星を侵略者のために大規模な再補給ハブに改造するのを助けた。だが、数年後、民衆はひどい目に遭うことになる……リャオがプリを奪還し、「裏切り者」への罰を与えたのだ。


グランドベース(9月〜継続) Grand Base (September-Ongoing)

 この侵攻において最初の重要な軍事作戦は、戦略のみならずシンボル的な意味を持つグランドベースへの攻撃であった。大連邦国で最大のメック工場群を持ち、大規模な訓練施設があり、デスコマンドの本拠地であるこの世界を奪うのは、CCAFの戦争遂行にとってボディブローになるはずだった。グランドベースは最初のアンドゥリエン侵攻計画にはなかったが、デスコマンドがカシル(あるいはニューアヴァロン。いずれにもエリートのリャオ軍が関与していた)で壊滅したとの噂があり、またAFFSに対する防衛を強化すべく駐屯部隊が移動してひとつの部隊のみ(フジタ家の1個)がこの戦略惑星を守っていた。それはハンフリーズ女公にとってまたとない誘惑であった。[これはやり過ぎであった。ベテルギウスを取るのに集中していたら、第6連隊を戦力に追加し、作戦に成功する可能性が大きかっただろう。そうはならず、二兎を追って一兎をも得なかったのである。-トーマス]

 アンドゥリエン第6防衛軍団(キャサリンの三番目の子供で、長女のミルドレッド・ハンフリーズが指揮する)は、9月29日、グランドベースにジャンプし、戦闘機と降下船がジャンプポイントですぐさまリャオの抵抗に遭遇した。最初のアンドゥリエン艦が星系内に入ると戦闘機による繰り返しの強襲を受け、噂によると、航宙艦すら必死なCCAF兵による銃撃を受けたようである。天底点での海戦はわずか3時間で終わり、CCAFの航空宇宙戦力は無力化されたが、天頂点の戦いは19時間にわたって荒れ狂い、再充電ステーションに対する熾烈な乗り込み戦でクライマックスに達し、アンドゥリエンの海兵たちはCCAF軍(アンドゥリエンが貴重なステーションを撃ちたがらないのを利用しようとした)を制圧した。

 戦いが長引いたことから、グランドベースに警告が届くのを妨げることはできず、一週間後に降下した第6防衛軍団は、降下地点に対する自殺的な防衛を予想していた。それがなかったことは恐怖を煽り、橋頭堡を確保した後で、第6防衛軍団は首都に進むことをためらった。10月12日、第6防衛軍団とフジタ家の間で接触があり、前線に沿って短く鋭い衝突が発生した。そのほとんどは、CCAF部隊による調査攻撃の一部であり、アンドゥリエンの決意をテストし、キルゾーンに引き込むために行われた。どちらも勝利せず、10月のあいだの交戦で、互いが少数のメックを失った。武家の居場所を特定するアンドゥリエンの調査は不調であったが、フジタ家は惑星市民軍と緊密に連携しているのが徐々に明らかとなった。絶対数において、リャオ軍は数的優位であったが、その大半は惑星中に散らばっており、大規模な移動を警告しようとするアンドゥリエンの降下船に監視されていた。その一方で、アンドゥリエンはバトルメックで3対1の有利であった。

 アンドゥリエンの計画は単純であった……フジタ家を撃破し、市民軍を倒すのである。それを念頭に、第6防衛軍団はメック工場に急ぐことなく、後方にかなりの脅威を与える武家兵士を釘付けにしようとした。2つの古参兵部隊によるこの鬼ごっこは、自由世界同盟の養成校でよく研究されることになる……ある部隊が捕まるのを望まず、活動する空間がほぼ無限にある場合、釘付けにするのは難しいのだ。フジタ家は侵略軍の一歩先を維持し、攻撃があれば消え去り、第6防衛軍団が間延びしたときは逆襲の一撃を放った。11月が12月に移り変わると、アンドゥリエン指揮官のあいだで不満が高まり、部隊を分割することが決定された。1/3をフジタ家を追うために残し、一方、2個大隊をアースワークスのメック工場とCCAFの訓練施設(デスコマンドのもの含む)に送り込むのである。両地点で抵抗が予想されたが、充分な訓練を積み、装備の良い部隊に対処できないものはなかった。

 アースワークスに対する作戦はうまくいった。市民軍部隊いくつかがアンドゥリエン防衛軍団の前進を止めようとし、即座かつ効率的にはねのけられた。第6アンドゥリエン防衛軍団が工場に動いたときにのみ重要なトラブルが発生した……塹壕に潜った装甲車両と歩兵が前進するアンドゥリエン軍と戦ったのである。それにも関わらず、外側の施設はわずか数日の戦闘で陥落したが、メック工場に近づくにつれて抵抗は頑強なものになっていったことから、3030年末までに工場群を奪い取るという目標は達成できそうになかった。

 CCAFの訓練場に入った第6防衛軍団のガンマ大隊は不気味な沈黙に遭遇した。CCAFの隊員はどこにもいなかった。作業場にテックの使う工具が散乱し、食事は半分食べた状態だった。まるである瞬間に住人たちが消え去ったかのように見えた(食べ物の状態から判断して数週間前のこととされた)。彼らが珍しく頑強な惑星市民軍となったのか? CCAFの新兵が惑星の連隊群を増強したのか? 人員がどこに行ったにせよ、アンドゥリエンは進み続けた……10000平方キロメートルに及ぶ施設の建物をすべてチェックする必要があったので、作戦は相当に遅々としたものとなったのだが。軽メックが飛び回ってCCAF兵士を探し出すのにはすぐ成功した(そして誰もいなかった)のだが、すべての建物をチェックするのには数週間がかかった。ガンマ大隊は元デスコマンドの施設(やはり人がいなかった)に本部を構えることとし、保安点検を行った。注意が必要なことはすぐに明らかとなった……最初に一人消えて、分隊が全体で消え始めた。あるケースでは戦闘の徴候があったが、大半の場合は兵士たちは単純に消えた。12月21日、本部内で一人の歩哨が消えると、第6防衛軍団内に噂が回り始めた。デスコマンドは本当に死んだのか?


ニューローランド(10月) New Roland (October)

 1個大隊の戦力で、戦闘経験を欠いていたにもかかわらず、クレイボーン奇襲部隊は16時間弱でニューローランドの駐屯部隊を蹂躙し、メック1機の損失(機械的な故障)で装甲・歩兵部隊を粉砕した。上陸してから2日後、パリ・フィッツェングラバー少佐はニューローランドの降伏を受け、公式に統一政体の一部であると宣言した。


アルトラとフロンド(11月/12月) Altorra and Fronde (November/December)

 デイム・ハンフリーズは、カペラが戦力を失っているのではないかと疑っていたが、遙かに小さいアンドゥリエンがカペラの残った部分に蹂躙されるのは避けたかった。そうしたことから、侵攻計画の重要な部分は、様々な世界を狙い、それから退却することで、リャオを疑い深くさせ続けることだった。開戦した段階で、この作戦に当てられた部隊は、傭兵のカーソン反逆隊だった。この部隊はFWLMが地球近くから撤退するときに解雇され、独立したアンドゥリエン公国との2年契約を引き受けた。最初の目標となったアルトラは、進撃路のコアワードにあったが、潜在的な目標であり、襲撃を行えばCCAF兵士を引きつけられるかもしれなかった。

 カーソン反逆隊はアルトラ上陸時にまったく抵抗に遭遇せず、降下地点を確保した後で少しの抵抗を受けた。短く、鋭い戦役で、簡単に惑星は降伏を余儀なくされ、政府は傭兵に対応を求めたが、傭兵はハンフリーズの命令に厳密に従い、目立つように振る舞う一方で損害と人命の損失を最小限のものとした。11月末、彼らは惑星を離れ、次のターゲット、フロンドを叩いて、同じように成功した。


ベテルギウス(12月〜継続) Betelgeuse (December-Ongoing)

 大連邦国で二番目に大きい軍需工業惑星であり、消費財の1/3を生産しているベテルギウスは、アンドゥリエン強襲における重要な目標だった。この世界を奪い取れば、リャオ経済と軍事に大打撃を与え、上手くいけばキャサリンの望んでいたノックアウトパンチになるだろう。ベテルギウス攻撃を任されたのは、アンドゥリエンで最高の部隊、第1防衛軍団であった。情報部が報告したところによると、敵は熟練した部隊である武家カマタの2個大隊であり、数に勝る第1防衛軍団にとっては簡単な相手になるだろう……もっとも、第1防衛軍団はアンドゥリエンの援軍が妨害されずに上陸するための足止め部隊でしかなかった。

 第1防衛軍団は12月2月、惑星から8時間のパイレーツポイントに到着した。カペラの軌道防衛はやる気がなく、すぐさま侵略者に片付けられた。耐熱コクーンに入って降下したメックは、カマタ家の航空防衛をくぐり抜け、装甲・歩兵輸送船のために降下地点を確保した。兵士の大半は首都ビダンより200キロメートル前後のところに上陸したが、目標設定ミスにより1個中隊がビダンからわずか十数キロメートルのところに上陸し、すぐさまカペラの郷土防衛軍兵士とカマタ家の戦士の攻撃を受けた。この中隊はわずか30分で殲滅された。

 アンドゥリエンのガリバルディ将軍はアヴィン・レイク市にアンドゥリエン軍の主力を集め、市民軍の偵察を簡単に撃退し、それから逆襲に着手して郷土防衛軍を混乱に陥れた。12月半ば、防衛軍団は重要な工業地区いくつかを含むアヴィン・レイク市周辺の広い地域を支配した。だが、軍の中心部はビダンにあり、ビダンを奪うにはカマタとの正面対決が必要とされ、ガリバルディ将軍はいささか気が進まなかった。決断は彼の手から奪われることになる……12月29日、カマタ大隊が安全なはずのアンドゥリエンの後方を叩いたのである。5日にわたる血塗られた小競り合いで、両陣営の技量と決意が示されたが、そこに明白な勝者はなかった。1月2日の夕暮れ、カマタは撤退し、ぼろぼろになった第1防衛軍団は傷をなめたのだった。


アンダーマックス(12月) Andarmax (December)

 キラービー、第四次継承権戦争の直前に元カル=ボーイング社のパイロットが起こした傭兵部隊は、3027年にライラの雇用を離れ、カノープス統一政体と3年間の契約任務を結んでいた。契約が終わる前に、統一政体がリャオ家との戦争を宣言すると、MAFは訓練生である統一政体市民軍と一緒に戦う追加契約をオファーした。経験のない市民軍に技量をテストする機会を与えるため、2つの部隊は"簡単な目標"であるアンダーマックスに赴いた。名目上カノープスの正規部隊の下に入っていたキラービーは、市民軍を素早く比較的流血のない勝利に導き、上陸してから一週間以内にアンダーマックスの支配権を得たのだった。


悪魔の血統

 アンドゥリエン公国が作られて以来、ハンフリーズ家がアンドゥリエンの社会を牛耳っていった。3030年代の初期、彼らの影響力は、アンドゥリエン、同盟内の政治、軍事、財界にまで広まった。キャサリン・ハンフリーズは、マーリックの権威と自由世界同盟の体制にあらがう怒りっぽい女公として有名だったが、子供たちといとこもまた同様に放蕩者だった。

 キャサリンの上の子供三人は、アンドゥリエン防衛軍団でのキャリアを切り開いた。長男で後継者のマイケル(2981年生まれ)はアンドゥリエンの社会界隈で享楽主義者としてよく知られているが、どうにか第3防衛軍団でのキャリアを維持し、装甲部隊の大佐として勤務している。デイム・ハンフリーズの次男、ジェームス(2984年生まれ)は第1防衛軍団の少佐としてメック大隊を指揮していた。兄よりカリスマに欠けるピーターはそれでもなお野心的だった。キャサリンの三番目の子供、ミルドレッド(2986年生まれ)は兄二人を恥じさせるものである……情熱的で熟達した彼女は、第6防衛軍団戦闘群の指揮官に昇進し、兄弟内での熾烈なライバル争いを生み出した。

 キャサリンの三男、コンラッド・ハンフリーズ(2990年生まれ)は、軍隊でのキャリアを避けて政治の世界に入った。彼は3026年、ザンザの議員になり、離脱までその職務を続けた。ローレンス(2994年生まれ)はキャサリンの子供たちの中で最も寡黙であり、学者の道を選んだ。自由世界技術研究所でプラズマ物理学の研究フェローであったローレンスは、母の離脱を否定し、マーリック家への支援を宣言した(もっともSAFEのしつこい監視が残ったのだが)。

 キャサリンの五番目で最年少の息子、リチャード(2998年生まれ)は政治、軍事、学問のキャリアにほとんど適性を示さなかった。彼は享楽主義的な人生を過ごし、ルックスと一族のコネを使って女性を誘惑した。唯一の結婚してない男子として、リチャードはカノープスとの結婚協定を結ぶのに選ばれたのだが、リチャードとエマ・セントレラはすぐさま互いを憎み合うことになり、結婚計画は停止された。[ダルマ・ハンフリーズとダナイ・セントレラが半姉妹なのではという宮廷のゴシップは収まることがなかった。-トーマス]

 キャサリンの末っ子、3001年に生まれたルイーズは未知数であった。可憐で快活な彼女は、イリアン・バトルメック・アンリミテッドのジークムント・ヒューズの愛人として知られていた。だが、SAFEは、ルイーズがやる気のない浪費家を装い、ヒューズとイリアン・テクノロジーズ社の者たちを狡猾に操っているのだと信じている。

 ロード・サミュエル・ハンフリーズ猊下(デルバトン男爵)は、キャサリンのいとこで、ギブソン・フェデレーテッド・バトルメックス社(FWDIの一部門)のトップである。公式には、反乱を起こしたアンドゥリエン公国より自由世界同盟を支持したのだが、ギブソン社は反乱軍に装備を供給しているという疑惑があり、3032年、FWLMがメック工場を連邦政府の支配下に置いた。もう一人の従姉妹、ヘレナ・ハンフリーズはキーニサンでソーシャル・ジャーナリスト[別名ゴシップ・コラムニスト。-トーマス]としての評価を確立しており、トリヴィッド・ショーの『ザ・ホーリー・ローラー』(優秀な惑星治安部隊の功績から名を取った)と『アフターダーク』(ギャンブラーの世界であるキーニサンの闇を暴く)を製作し、シンジケートを通して自由世界同盟の各地に配信している。





3031年: 戦火拡大 3031: ESCALATIONS


ヘキサリー(2月〜3月) Hexare (February-March)

 アルトラとフロンドへの襲撃が成功した後、カーソン反逆隊は混乱を巻き起こす任務のためさらに大連邦国の奥深くへの襲撃を実行した……カペラ主星と聖アイヴス協定の中間にあるヘキサリーである。先の襲撃と同じように、反逆隊は6日間の戦役で郷土防衛軍を追い散らし、惑星を手中に収めた。前の世界と違って、ヘキサリーは侵略者に降伏しようとはせず、冷静で挑戦的な非協力作戦を実施し、天帝がカーソン反逆隊を撃破する秘密計画を明らかにした暁には苦しむことになるだろうと明言した。カーソン反逆隊は一笑に付し、さらに2つの世界(ハステイングとカルメン)をヒットリストに載せ、補給と装備を徴発した。この遅れは、彼らの生命を代償にすることとなる。

 主星近くへの攻撃に怒ったロマーノ・リャオは、反逆隊を追跡、撃破するため、再建された共和区知事警護隊の両大隊をシーアンの営舎から派遣した。警護隊は反逆隊が上陸してからわずか11日後にヘキサリー星系のパイレーツポイントに到着し、上陸に成功した一方、反逆隊はいまだ再補給活動に従事していた。アンドゥリエン兵に奇襲をかけるという警護隊の望みは、反逆隊がCCAFの通信を傍受したことで失敗したが、傭兵たちはカペラ兵が攻撃を仕掛ける前に脱出する準備を完了することができなかった。再補給の監視に1個大隊を残し、反逆隊の主力はリャオと対決するために展開した。

 警護隊は想像力を見せることなく、反逆隊の戦線に正面強襲を仕掛けて、簡単に撃退された。数で劣っていたにもかかわらず、幅広い逆襲によって反逆隊はカペラ部隊を後退させ、都市から1キロメートル近く押してから、離脱した。CCAFによる二度目の強襲はもっと注意深いもので、アンドゥリエン戦線の弱点を特定するために一連の調査が行われた。調査は暴力的に追い払われたり、引き延ばされてから撃破されることもあったが、もっと多かったのは、発見した「弱点」につけ込むため戻ってくると(警護隊を驚かせたことに)すでに補強されていたというケースである。反逆隊の側面攻撃は警備隊のバランスを崩し続け、同時に偽装退却で警護隊をキリングゾーンに釣り出した。3月14日、反逆隊がCCAF部隊との接触を断つと、カペラの指揮官はまたなにか新しい策略であると考えた。反逆隊の降下船が軌道上に上がり始め、24キロメートル先からドライブ雲を見てようやく、この策略とは脱出であることに気づいたのである。


ハステイング(5月) Hustaing (May)

 カーソン反逆隊は、5月9日、ハステイングに到着し、地元民の一部から熱烈に歓迎された。彼らはカーソン反逆隊のことを、キャンダス・リャオが玉座を奪うために送り込んだ尖兵だと勘違いしたのである。傭兵の忠誠心が明らかになると、ハステイングの歓迎の空気は冷めていったが、地元CCAF郷土防衛軍の注意を引いたことに反逆隊は満足し、状況が悪化する前に次の目標へと向かっていった。


カルメン(9月) Carmen (September)

 3031年の三番目の襲撃目標を、カーソン反逆隊はカルメンに変更した。傭兵たちは地元の民衆から離れることなく、友好的な関係を樹立する道を選び、次にどこを攻撃するのかの情報をうっかり漏らした。カルメンにいるマスキロフカのセルはこれを欺瞞と推測した(正しかった)のだが、「国家の安全に重要な情報を無視した」と非難されるのを望んではいなかった。なので、9月23日、反逆隊がカルメンを出発すると、近くの半ダースの世界が最高警戒態勢に入った。そのあいだ、反逆隊は次の目標に向かった……警戒している世界の遙かに外であった。


ベテルギウス(継続) Betelgeuse (Ongoing)

 2月9日、トゥース・オブ・ユミル傭兵団が到着したことで、アンドゥリエン側が有利になり、アンドゥリエン軍はすぐにカマタ家を押し返し、食い止めるための戦役を開始した。プリとプリムスのサイドショーに関与した傭兵たち(ヘラー大佐指揮)は、カマタのメックを苦しめるという任務を喜んで実施した。4月前半までに、侵攻軍はベテルギウスの大部分を確保した(アルディス・ウェポンス社の工場含む)のだが、武家を無力化するという部分は泥沼にはまり込んだ。狂信的なカペラ兵は降伏を拒否し、追い詰められたときには最後の最後まで戦い、アンドゥリエン軍が移動する前に完全に撃破することを余儀なくさせたのである。トゥースの上陸にあわせて山野を素早く進撃するというのはすでに遠い記憶であり、アンドゥリエン侵略軍は占領する平方キロメートルをすべて戦わねばならなかった。ガリバルディ将軍はアンドゥリエンの最高司令部に、ベテルギウスを平定したいのなら、現状よりもかなり多くの人員が必要だと明言したが、援軍に使える兵士はないと返され、よって現状の兵力でそれを実行しないとならなかった。

 7月9日、武家ヒリツが到着すると、戦力の均衡は再び大きく変化した。第四次継承権戦争中にティグレスとカウィッチで事実上殲滅し、失われたプライドを取り戻すために1個大隊をかき集めたヒリツ家は、アンドゥリエンの後方に勇敢な戦闘降下を行った。1個大隊という大きな犠牲を支払ったのだが、この大胆な動きで侵略軍はショックを受け、計画を混乱させ、敵を追い散らす前にかなりの補給庫・弾薬庫が廃墟になった。このアンドゥリエンの「勝利」さえもリャオの計画に荷担したことがすぐに明らかとなった。ヒリツ小隊群が、手薄な後方に散らばり、かなりの混乱を引き起こした。ガリバルディ将軍はカマタ家を追っていた防衛軍団1個大隊を引き上げて、ヒリツ家に対する索敵殲滅作戦を実施した。この分遣隊を指揮するのは、女公の次男であるジェームズ・ハンフリーズ少佐であった。

 当初、ハンフリーズ少佐の計画は上手くいき、ヒリツの小部隊いくつかが捕まって撃破されたが、数週間が経つと、事態はほとんど進展せず、9月前半までにフラストレーションが募ることとなった。少佐の指揮中隊が武家の支隊に出くわすと、彼は逃がしてしまうことを恐れ、援軍を待たずして攻撃を仕掛けた。この衝突は短く熾烈なもので、両軍が深刻な損害を受けた。不幸なことに、少佐も被害者の一人だったのである。彼の行動不能となったメックが倒れた際に、コクピットが破壊されたのだった。

 ジェームズの死を女公にとがめられるのを恐れたガリバルディ将軍は部隊を引き上げさせた。女公の返答は10月後半に到着した。それはまったくもって彼が予想していたものではなかった。キャサリンは息子の死は無駄にならないと語った……ベテルギウスをアンドゥリエンに取り込むため、かなりの戦力がもたらされることになるだろう。疑問はひとつだった。援軍はいつ来るのか?


グランドベース(継続〜4月) Grand Base (Ongoing-April)

 フジタ家に対する作戦はゆっくりと進んだ。リャオ兵士はアンドゥリエンと粘り強く戦い、相手を走り回らせた。メック部隊の大半は分散し、小隊か小規模な部隊で行動したが、あらかじめ決められたときは結集して第6防衛軍団の陣地に逆襲を仕掛けた。直接戦うのに向かない小規模な武家は、待ち伏せから攻撃するのを好み、アンドゥリエンにリャオの小部隊を追い詰めたと思わせたのだった。第6防衛軍団はすぐにこれらの戦術を警戒するようになり、2月までにフジタ家を殲滅する企ては放棄された。アンドゥリエン兵はCCAFのメックが容易に突破できない防衛境界線に後退した。彼らは戦術を切り替えて、メックの破壊から不正規歩兵作戦、破壊工作、狙撃に重点を置いた。

 アースワークスでは、工場の占拠が遅々として進まず、苦痛を伴った。一週間に及ぶ血塗られた戦闘の後、1月22日、工場の本部が占領され、10日後にメックの主力生産ラインがアンドゥリエンの手に落ちた。あまりにも長く苦闘した第6防衛軍団は疲れ果て、モンロー少佐はこれ以上の占拠を停止した。彼らには重要なことがあり、そのほかのことは後でだった。

 CCAF訓練施設の「ゴースト」は第6防衛軍団を蝕み続け、1月前半、殺人と失踪はエスカレートした。1月19日、ついに犯人が特定された。第6防衛軍団の本部近くに爆発物を設置しようとしたスニークスーツ着用者が2名撃ち倒され、かなりのCCAFの軍需装備を持っているのが発見されたのである。両名共にデスコマンドの記章を帯びており、それはハンフリーズ将軍の恐怖が事実であることを意味していた。

 もはや秘密裏に活動する必要がなくなったデスコマンドのグランドベース分遣隊(カシルでの作戦に配備されなかった年老いた士官と訓練中の新兵からなる)は、公然と活動を始めた。最初は単純にこれまで数週間行ってきた隠密戦術をエスカレートさせたものだったが、すぐに隠密性を捨てて火力を取り、第6防衛軍団のパトロールを重火器で待ち伏せした。2月11日、施設の外辺部で活動していたアンドゥリエンの軽小隊がデスコマンドのヴィンディケイターから砲撃を受けた。砲火を交わした後、リャオのメックは交戦をやめて逃げ出した。アンドゥリエンは追跡し、真後ろにまで迫って、血の臭いを感じた。だがそれは彼らの血だったのである……ヴィンディケイターはデスコマンドが仕掛けた罠の囮であり、アンドゥリエンの小隊はメック2機と塹壕に隠れた戦車1個中隊の伏撃に突っ込んだ。アンドゥリエンは誰一人生き残らなかった。

 この成功のニュースに支えられ、CCAFのアンドゥリエンに対する抵抗は頑強なものとなり、アースワークスにいた兵士たちは夜襲を受け、フジタ家がアンドゥリエンの陣地に一連の襲撃を仕掛けた。これが第6防衛軍団を撃破することはなかった一方、戦力と決意は削がれていった。アンドゥリエンへの通信文の中で、ハンフリーズ将軍が母に認めたところによると、グランドベースの状況は膠着しており、アンドゥリエンはCCAFを撃破するだけの戦力を欠いているが、リャオの側も同様に第6防衛軍団を追い出す人員と物資がないということだった。3月は彼女の間違いを、破滅的に、致命的に証明した。

 3月9日、ハンフリーズ将軍は宿舎で死んでいるところを発見された。彼女は至近距離から頭を撃ち抜かれていたが、護衛はドアの外におり、なにも聞いてはいなかった。副指揮官のスコット・クレスが直ちに第6防衛軍団の指揮をとったが、(3ヶ月の熾烈な戦闘ですでに低下していた)部隊の士気はぎりぎりのところにあった。アークワークスの工場を奪還する攻撃はクライマックスに達し、毎夜のアンドゥリエン境界線に対するロケット砲撃、陣地に対する強襲に次ぐ強襲が行われた。第6防衛軍団は耐えたが、弾薬の補給が枯渇し、マシンガン装備のメックに軽武装の市民軍が身を投げるという大虐殺が兵士の脳裏を離れなかった。クレスは訓練施設と工業地帯の両方を抑えるのは無理だと気づき、アースワークスに兵士を集中させた。

 だが、彼らがそうすると、フジタ家とデスコマンドの連合部隊が疲弊した第6防衛軍団を襲った。両陣営が深刻な損害を出し、アンドゥリエンはメックの数が多いことから、かろうじて成功し、3日におよぶ戦闘の後で両軍は再結集のために後退した。アンドゥリエンの各大隊が合流するには、かなりの損害なしには不可能に見え、補給車列への攻撃で補給状況が急速に悪化したことから、クレスはグランドベースは敗色濃厚と決断し、部下たちに撤退を命じて、一隻目の降下船は4月17日に軌道上へと上がった。[クレスが持ちこたえて、勝利できたかは、長い議論の種になっている。それは考えづらい。彼の行動は第6防衛軍団の大半を維持した一方で、故郷で相当な敵意を受ける羽目になった。後に判明したのは、アンドゥリエンはマスキロフカが補給への攻撃に関与していると疑っていたが、実はダヴィオンのMIIOが犯人だったのである。なぜなら、カペラ大連邦国のコアワード地方が新しい継承権国家のものになるより、リャオ軍がこの世界を支配することを望んだのである。-トーマス]




3032年: 逆襲 3032: COUNTERBLOWS


ベテルギウス(続行〜5月) Betelgeuse (Ongoing-May)

 ベテルギウスの戦役が三年目に入ると、キャサリンは侵攻ゾーンを拡大するのをやめて、ベテルギウスの抵抗軍を永遠に葬る決断を下した。追加の第3、第4防衛軍団が、第1防衛軍団とトゥース・オブ・ユミルに加わり、この戦争におけるアンドゥリエンで最大のタスクフォースを作り上げた。2月半ば、カペラの共和国知事警護隊が防衛側に加わってもなお、戦役に勝つのはアンドゥリエンであるように見えた。惑星が次から次へと陥落していたことから、勝利をつかみ、この戦争で最大の戦略的目標を達成するには、数週間の掃討作戦で充分と思われた。シグマ・メアとドローザンが失われたというニュースがあってなお、アンドゥリエンの戦意はほとんど損なわれなかった。特に、共和国知事警護隊が3月前半に粉砕されてからは(部隊はその後ロマーノ・リャオの命令で解散し、生き残りは他の部隊に組み込まれた)。

 それからビッグマックが到着した。

 第四次継承権戦争でAFFSに痛めつけられた傭兵マッカロン装甲機兵団はこの紛争が始まってから再建、再装備で長期間席を外していた。3031年の半ば、すぐにも任務を再開できるという自信を持つと、傭兵の指揮官たちは逆襲の計画を立てて、CCAFの雇用主に提出した。5月9日、全5個連隊がベテルギウスに降下した。アンドゥリエン兵士は彼らの到着をほとんど警戒していなかった――あるいは戦闘部隊として機能すると考えていなかった。そして、2週間以内にマッカロンは侵略者を追い出し、ベテルギウスを奪還したのだった。疲弊しておらず、装備良好で、戦意旺盛な5個連隊と直面したアンドゥリエン兵は、勝ち目がないと悟り、脱出する作戦を開始した。だが、ダメージなしにそれをすることはできず、特に第1防衛軍団は味方を逃がすためにしんがりとなり、深刻な損害を被ったのだった。5月23日までに、ベテルギウスに残ったアンドゥリエン兵はいなくなっていた。


ラティス(6月) Latice (June)

 カーソン反逆隊が6月半ばにラティスを攻撃したときには、アンドゥリエンの作戦のスケールは明らかになりつつあり、傭兵指揮官は「占領と陽動」任務を見合わせて、代わりに単純な補給襲撃をすると決めた。彼らが惑星上にいたのはわずかに36時間であり、巧みにルー=サン家を交わして、航宙艦に戻り、アンドゥリエン公国へと戻るアンドゥリエン部隊の奔流に加わった。


プリ(6月) Prix (June)

 ベテルギウスで痛めつけられた部隊の大半がアンドゥリエンに逃げ帰ったところ、第3防衛軍団は大連邦国との戦闘を再開する前に修理と再武装を望んでプリに後退した。グランドベースので作戦を支援するために作られた重要な備蓄物資をせめて守ろうとしたのである。すでに2個大隊が修理を済ませてアンドゥリエンに旅立っており、防衛軍団の1個大隊とその他の駐屯部隊兵士が惑星を守るために残された。

 だが、マッカロンは防衛軍団のスケジュールにあわせる気がなく、2個連隊が部隊をプリまで追い、修理作戦の半ばで残った大隊を捕まえた。傭兵は相当数の補給庫を素早く蹂躙し、それからアンドゥリエンの施設に向かった。大きな数的不利を被っていたにもかかわらず、アンドゥリエン兵士は全力の抵抗を行い、三週間近く持ちこたえた。三週間におよぶ血塗られた惨劇の中でまともに残ったアンドゥリエンのメックはなく、マッカロンは残った補給と装備を徴発した。傭兵は防衛軍団の勇気と決意に経緯を示し、マスキロフカが捕虜に拷問を加えようとすると、マーカス・バートン大佐が介入して戦争協定下で彼らの安全を保証し、コムスターを通して送還の手配をしたのだった。


プリムス(6月) Primus (June)

 プリの姉妹世界であるプリムスの補給庫はマッカロン装甲機兵団にとって垂涎の目標であり、別の2個連隊がプリと同時に攻撃を仕掛けた。最低限の駐屯部隊しかおらず、アンドゥリエンの正規軍部隊がいなかったが、プリムスはこの戦争におけるビッグマック最大の人命喪失が出たのである。第1マッカロン連隊、ナイトライダーズが降下する際、ユニオン級降下船の1隻にドライブ不調が発生した。それは再突入の時だった。操縦不能でスピンした降下船は分解して、60名以上の乗員と客員を全員殺した。プリムス占領自体は、それ以上の人命を喪失することなく達成されたのだった。




3034年: 死を告げる鐘 3034: DEATH KNELLS


アンダーマックス(8月) Andarmax (August)

 マクグロー・マローダーズ(カノープス・ハイランダーズ傭兵団第3大隊)、キラービー傭兵団、統一政体市民軍は、CCAFがすぐにもやってくることをよく知っていたが、8月9日、リャオの強襲部隊が星系内に姿を現すと、安心のため息をついた。この部隊は、カマクラ機兵連隊と、ロブ・レニゲードこと第5マッカロン連隊「だけ」で、ダイ=ダ=チ家がいなかったのである。この部隊を前にしたカノープス軍はわずかに(無益であっても)勝利の可能性があると考えた。

 CCAFは戦闘降下を行い素早くカノープス陣地を攻撃することで、すぐさま間違いに気づかせた。2日間にわたるカペラ人との接近戦で、2個傭兵部隊は逃げるのが最高の戦闘計画であることを確信したが、統一政体市民軍についていたMAFの傭兵連絡士官は拒否し、ロブ・レニゲードの行く手に立ちふさがるよう命令した。マローダーズは遵守した(そして数の多いマッカロンに叩きのめされた)が、キラービーは拒否した。契約上は無益な状況で不必要な損害を避ける権利があり、アンダーマックスはそれにあたるとしたのである。彼らは交戦をやめて、撤退の意思を送信し、CCAFは許可した。マクグロー・マローダーズは2日後に脱出し、かつての残骸となった一方、統一政体市民軍は大部分が消滅した。


ニューローランド(11月〜3035年2月) New Roland (November-February 3035)

 カペラの領土内で行われたアンドゥリエン戦争最後の戦闘は、ニューローランドで行われ、誉れ高きダイ=ダ=チ家とカマクラ軽機兵隊(アンダーマックスにロブ・レニゲードを残していった)がクレイボーン奇襲部隊、タスクフォース・デュオのぼろぼろになった残存戦力と戦った。CCAF兵士による残虐かつ破壊的な攻撃は、ほとんど効果的過ぎた――胸甲機兵隊の連携は崩壊し、第2機兵連隊と胸甲機兵の中核(エマ・セントレラ含む)の勇敢な後衛戦によってのみ、カノープス軍は脱出することが出来た。最後のカノープス人が惑星から追い出されるまでの三ヶ月で、事実上、戦争が終ったのだった。




3035年(1月〜6月): 実地研修 3035 (JANUARY-JUNE): OBJECT LESSONS

 2月19日、ニューローランドが平定されると、カペラ大連邦国は戦前の国境線の世界をすべて支配下に置いた。だが、それだけでロマーノ・リャオは満足せず、侵略者に教訓を与えるよう命令した。この攻撃は表面上懲罰襲撃ということになっていたが、アンドゥリエン公国に対する侵攻をCCAFが計画していたと広く疑われており、5月のスカボロー襲撃後、トーマス・マーリックがとあるほのめかしを行ってようやくそれは防がれた。もし、同盟領土に再び入ってくることがあったのなら(彼は反乱したアンドゥリエンを同盟の一部と見なしていた)、ひとつの地方国だけでなくFWLM全軍がCCAFをカペラ宙域から叩き出すことになると。

 [カペラ人は大規模な攻撃を差し控えたが、ロマーノの決意はこの戦争の終わり近くには揺らぎ、小規模な襲撃を止めることは出来なかった。CCAFの作戦がFWLMの大軍によるカペラ大連邦国侵略の引き金になるという「悪夢のシナリオ」は、プリンスフィールド校やシーアン校でさえも大規模な机上演習が行われた。私が開催したものである。ほとんどすべてのケースにおいて、カペラ大連邦国は無様に死んでいった……例外はツカイードの軍事学校でSLDFが行ったものだった。フォヒト自身とイシスの友人がリャオ家役となり、3039年戦争でセオドア・クリタが使った起用したのと似た戦術を使ってカペラを守り抜くのにかろうじて成功したのだった。-トーマス]

 数十年後、サン=ツー・リャオは、ナイトライダーズによるスカボロー攻撃を「クラシック・マスキロフカ(古典的な偽装)」と表現することになる。真の目的を隠すための偽装攻撃だと言っているのか、諜報ミスで攻撃が台無しになったと言っているのかは不明である――どちらの解釈も可能である。これが示唆するところは、大連邦国のコアワード地方を襲撃していた第5防衛軍団がスカボローを基地として使っているとCCAFが信じていたということである。もしかしたら、2年前のスカボローへの襲撃で誤解が生じたのかもしれない。マーリック忠誠派の兵士たちがここを拠点にアンドゥリエン公国を襲撃しており、大規模な戦闘を避けることが出来たのは、いくらかの点で幸運だった。実際のところは、外交的なフォールアウトは相当なものであり、すべての目がスカボローに注がれ、他の場所で起きた事件は見過ごされた。

 5月16日、デスコマンドの一隊が、アンドゥリエンのジョジョケンにあるハンフリーズの宮殿を攻撃した。彼らがどのようにして惑星上に表れたかは特定できないが、この半中隊は全滅する前に相当な被害を生み出した。公式にデイム・ハンフリーズは危険に陥ることはなく、そのとき、別の場所にいたことになっているが、女公を殺すまでもう数メートルのところに迫ったとSAFEとマスキロフカの双方が信じている。

 5月17日、時をほぼ同じくして、マッカロン装甲機兵団のレオ・デーモンズ(第4連隊)がカノープスIVに降下した。惑星の防衛部隊――レイヴンサー・アイアンハンドとカノープス胸甲機兵隊――は、リャオ兵の大胆さに呆然となり、潰走しかかった。エマ・セントレラがニューローランドの災厄から帰還し、直々に反撃を率いてようやく、傭兵の攻撃を緩めることが出来た。上陸から2日後、レオ・デーモンズは降下船に戻った。彼らのメッセージは明白であった……こちらから戦争を仕掛けることができるのを忘れるな。

 外部の問題が解決されると、反乱軍は冒険によって弱体化し、ヤノス・マーリックは指揮に戻り、FWLMが行動する時間であった。他の者も同じく動くときであると感じたようだ。




3035年: 坩堝 3035: CRUCIBLE

 3035年3月、自由世界同盟におけるトーマス・マーリックの摂政は終わった。彼の父が職務への復帰を宣言したのである。衰弱し、歩くのに杖が必要だったが、すぐに決意が示された。アンドゥリエン=カノープスによるリャオ家侵攻が混乱に陥り、CCAFが惑星の大半を取り戻すと(最後の惑星は4月にカペラ兵の手に落ちた)、ヤノスはロマーノ・リャオ首相代行が機会を生かして、アンドゥリエンを奪還するかもしれないと懸念した。かような結末は到底看過しがたい。よって、トーマスの封じ込め政策が自由世界同盟にうまく効いているあいだに、分離主義者とリャオに対してより積極的なスタンスを取るべきだった。

 シーアンにいる同盟の外交官たちは、CCAFの自由世界領土侵攻(アンドゥリエン公国含む)は、FWLMの全戦力に遭遇することになると警告した。アンドゥリエンが失敗した仕事を完遂することになるかもしれないと言外にほのめかしたのである。首相代行は怒ったが、それにも関わらず、アンドゥリエン奪還の行く末を見守った。反抗の証として、マッカロン装甲機兵団の1個連隊がスカボローを襲撃し、カノープスIVを攻撃したが、他の場所では、リャオは戦前の国境で進撃を止めたのだった。FWLMが攻撃に移るべき時だった。

 ヤノスは上級指揮官たち――トーマス、ダガン、ダンカン含む――との会合を6月1日に持った。ハンフリーズ女公との非公式折衝から戻ったばかりの外交団のメンバーたちも参加した。戦争が失敗したにもかかわらず、キャサリンはヤノスに屈するのを拒否し、自由世界同盟に帰還するのを許さなかった。戦争が唯一の選択肢だった。

 計画について話し合い初めてから30分後、ナイトライダースがスカボローから退却したというニュースが届き、ダンカンがマーリック市民軍のトップとして詳細の説明を受けるために席を辞した。数分後、会議場に向かっていたそのとき、爆風が会合を襲った。生存者はなかった。ダンカンは爆発で怪我をしたにもかかわらず、自身の手でがれきをかきわけて、叔父と従兄弟のダガンの死体を引っ張り出すのを助けた。トーマスとそのほかの出席者は識別できなかったが、DNAの証拠は痕跡を特定するのに役だった。ダンカンがやけどの残るうちひしがれた表情でメディアに総帥の死を発表する痛ましいトリヴィッド映像が、近年の自由世界史で最も象徴的なもののひとつとなった。ヤノスの子供であるポールとクリステンが王座への欲求をほとんど示さないという状況において、ダンカンが第49代自由世界同盟総帥に推薦され、承認されたのは驚くに値しなかった。[コメンテーターの中で慈悲を持たない連中――全力で彼を応援していた一部含む――は、ダンカンが救援に参加したのは権力を争うライバルが死んだことを自分に納得させるためだと示唆している。-トーマス]

 爆発による傷を残したダンカンは、直々にこの件の調査を監督し、6月27日、爆発からわずかに4週間後、そして就任から9日後、アンドゥリエンが関与しているという明白な証拠があると発表した。総帥は外交の時間は終わったと宣言した……力尽くでアンドゥリエンを自由世界同盟に引き戻すのである。








フェーズ2: アンドゥリエン奪還 PHASE 2: THE RECAPTURE OF ANDURIEN (3035-3040)




3035年: 襲撃の年 3035: THE YEAR OF RAIDS


シエラ(11月) Sierra (November)

 おそらくはLICの工作員にそそのかされて、コンパス座連邦は自由世界同盟への襲撃を再開することを選んだ。トリニティワールドが襲撃の矢面に立ち、そのうち最も重要なのはシエラに対するものだった。地元民からは部外者と考えられていたのだが、第5オリエント軽機兵隊は侵略者が不名誉な戦術を採用したにもかかわらず勇敢に戦った。クレイボーンIIへのお返しの襲撃で軍事施設のいくつか(それに小王の宮殿)が倒壊し、コンパス座人は攻撃を減らすことを確信した。その一方で、第5オリエントとシエラ人の関係は確かなものとなったのだった。




3036年: ハンマーブロウ 3036: HAMMERBLOWS


シローIII(5月) Shiro III (May)

 すでに二度の「勝利」を得ていたダンカンは、シローIII侵攻に大きな希望を持っていたが、それまでの2度の戦役と違って、戦いで鍛え上げられた兵士たちに直面するだろうことを知っていた。3個連隊が強襲を任された――アトレウス軽機兵隊、第1マーリック国民軍、第1オリエント装甲機兵隊――それぞれに装甲・歩兵部隊が同行した。理論的には、敵の戦力を大きく凌駕していた。第1、第5アンドゥリエン防衛軍団は、リャオ家に対する5年間の戦争で痛めつけられていたのである。だが、両諸兵科連合連隊は、公式には古参兵、一般兵にリストされていた一方で、戦役後の報告では古参兵、エリートであることが示唆されていた。

 熱意のありすぎたアトレウス軽機兵隊と随伴の装甲・歩兵連隊は、小規模な敵部隊に素早く簡単に勝てると信じて、第5防衛軍団を包囲するため移動した。彼らはすぐにそのような気の迷いを捨て去った……実戦で鍛えられたアンドゥリエン兵は激しく逆襲を行い、アトレウス軽機兵隊の進撃を混乱に陥れ、補給庫と指揮本部を炎に陥れた。4対1の有利にもかかわらず、アトレウス軽機兵隊は手強いアンドゥリエン兵に撃破されたが、せっかちでないマーリック市民軍とオリエント装甲機兵隊が近づいてくると、第5防衛軍団は離脱し、降下船に退却して、ザンザIIIへと向かっていった。

 ミナ市に陣取る第1アンドゥリエン防衛軍団は、第5防衛軍団よりもよい状態にあり、おそらく5個メック中隊を配備していたが、性急さに欠ける敵と戦う彼らにはマーリック兵を痛めつけるチャンスはほとんどなかった。彼らはまたシローIIIに対する作戦計画の中心目標となっており、戦闘計画は3035年の襲撃で改良されアップデートされていた。これを相殺するのが防衛陣地とあらかじめ設置された砲弾の弾幕である。いかなる攻撃部隊も大きな損害を出すことになるであろう。第1アンドゥリエン防衛軍団に対する攻勢の第一段階は、一連の調査攻撃であり、これは手早く撃退された。一週間以上、似たパターンが繰り返され、最初にオリエント装甲機兵隊が、次にマーリック市民軍がミナ市に対する作戦を実施した。数日間、3度か4度の襲撃が行われた。防衛軍団はわずかな損害を被った一方、警戒態勢で居続けることを強いられたが、アトレウス軽機兵隊に支援されたFWLMの2個連隊は延々と圧力をかけることができた。もし、このパターンが長引けば、疲労によってアンドゥリエンは崩壊して、忠誠派が蹂躙できただろうが、退却しようとしても比較的疲労のない2個連隊に遭遇するに終わった。絶望的な手段が求められた。

 6月7日、上陸から2週間後、第1アンドゥリエン防衛軍団のアルファ臨時大隊はオリエントの陣地に強襲を仕掛けて、ミナ市から押し出した。同時に、ベータ大隊はマーリック国民軍と交戦し、攻撃の速度と猛烈さによって指揮本部を危機に陥れた。戦闘が荒れ狂うなか、戦っているのがアンドゥリエンのメック戦力のみであることに気づいたFWLM兵士はいなかった……装甲・歩兵部隊は敵が夢中になっている隙に輸送船に乗り込んだのである。突如として通常型の歩兵輸送船が打ち上げられたのは、防衛軍団にとっては離脱と撤退の合図であり、最初の数分間、逃げるのを妨げられることはなかった。だが、最初の兵士たちが降下船に乗り込むと、オリエント機兵連隊とマーリック国民軍は(さらにアトレウス軽機兵隊の一部さえも)しんがりをいたぶった。40分におよぶ交戦で、アンドゥリエンのメック1個中隊以上が撃墜されたが、兵士たちの大半はライアソンへと脱したのだった。


カーサ(12月) Cursa (December)

 12月4日に始まった、3036年最後の侵攻、カーサの「解放」はインゴミッシュやレイダと同じくらい容易なものになると予期された。実際、守備部隊兵士たちとの衝突は成功に終わり、自由世界同盟の2個部隊――新兵の第25マーリック国民軍とエリートの第1自由世界防衛軍――は、なにも起きないであろう占領に備えた。

 侵攻の1ヶ月後、爆発が第1自由世界防衛軍の指揮本部を吹き飛ばし、完全にFWLMの不意を打った。第1自由世界防衛軍はこの攻撃で、事実上、首を切り落とされ、その後起きることに準備をすることが出来なかった……アンドゥリエン軍による陣地への全面強襲である。攻撃を行ったのは、惑星守備部隊ではなく、第4アンドゥリエン防衛軍団の分隊であった。侵略者たちが上陸したときに惑星上にいたが隠れていたのである。

 マーリック派の両部隊は痛撃を受けた――第25マーリック国民軍は大隊規模の戦力にまで撃ち減らされ、アルフレッド・グラへダ少佐が指揮を引き継いでようやく蹂躙を逃れることが出来た。グラへダ少佐はアンドゥリエンに対して3ヶ月の戦役を行い、FWLMの指揮系統がよその事件で混乱している間、手に入る限りの資源のみで戦い、3037年5月、ついに第4アンドゥリエン防衛軍団を惑星から追いやった(アンドゥリエンに撤退した)のだった。アンドゥリエン軍に手ひどくやられたという屈辱は、第1自由世界防衛軍の中にしばらく残り、この後の戦闘行動に表れることとなる。第25マーリック国民軍はこの戦役で戦闘不能となり、オリエントに撤退した。


トーマスの再登場 THOMAS’ RE-APPEARANCE

 3036年12月5日、トーマス・マーリックが議会の前に再び姿を現した。18ヶ月前に受けた負傷の不安をいくらか残していたトーマスは、それにも関わらず、議場で力強く存在感を表し、議会に受け入れられた直後、どう脱出して回復したかを説明した。彼が明らかにした情報の中には、コムスターはアンドゥリエンが父親を爆殺した犯人と信じていないというものがあり、犯人の名前を語ることこそなかったものの、ダンカンに責任があると広く疑われた。弾劾と告発が提案された。

 トーマスの登場は、各所で懐疑を引き起こした。どのように彼が爆破を生き残ったが疑われた一方、彼の救助とリハビリの話を受け入れても果たして彼はまだ人間なのかが問われた――自由世界同盟ならではの懸念だった。生物工学とその人間性を奪う効果の問題は多くに懸念を引き起こし、国民を安心させるためトーマスは完全な医学的スキャンを実行し、DNAと生体識別のテストで彼が本人であることが確認された。このテストによって、彼がトーマスかだけではなく、重傷を負ってもサイボーグ化や臓器交換が行われていないことが確実となった。不幸なことに「バイオ総帥」の噂は長年にわたって同盟中に蔓延したのだった。

 トーマスが生きており、議会で熱烈に歓迎されたというニュースは、モシロのダンカンのところにまで届いた。ダンカンに残された政治生命は短く、高慢な態度は議員たちの反感を買っていた。ダンカンは議会が従兄弟のバックについて、彼を総帥の座から引きずり下ろそうとしていると疑った。トーマスはダンカンが暗殺の共謀者であるという証拠を持っていなかったにせよ[私がやったが、それを明らかにする必要はない。-トーマス]、議会は獲物を探す犬の群れのように食らいつき、数としつこさでダンカンを引きずり下ろした。ダンカンは総帥にふさわしい存在であると、素早く、決定的に証明するしかなくなった。彼は戦争に勝つ必要があり、見事に勝たねばならなかった。兵士たちが平凡なターゲットを狙うことはもうなかった。狙ったのは、アンドゥリエンに次ぐと反乱軍が考える世界……ザンザIII、ハンフリー一族の領地である。


ザンザIII(フェーズ1、3037年2月) Xanthe III (Phase 1, February 3037)

 これまでの作戦とは違い、ダンカンは直々にザンザ侵攻を率い、第10、第15マーリック国民軍、ヘッドハンターズ傭兵部隊と一緒に降下を果たし、第3アンドゥリエン防衛軍団(と思われていた部隊)に立ち向かった。だが、彼らが知らなかったのは、シローIIIから退却した第5防衛軍団のかなりの部分が惑星上にいたことである(忠誠派の情報によると、コンキスタにいることになっていた)。侵攻軍は数の面で上回っていたが、アンドゥリエンは故郷を守るという有利があり、数年にわたる戦闘経験があった。

 最初の上陸は上手くいき、2個国民軍部隊は共に活動した一方、傭兵は外周部を襲撃し、地元の市民軍を撃破した。だが、調査攻撃と偵察飛行によって第3防衛軍団の正確な居場所を特定することは出来ず、作戦が遅々として進まないことに懸念したダンカンは指揮官たちをたきつけた。ダンカン総帥は第3防衛軍の本部があると噂されていたバルザン山脈の麓、エスタン市に兵を差し向け、ここで惑星をかけた決定的な戦いが起きることを予想した。

 ダンカンはアンドゥリエンの戦術に詳しいという自信があったので、アンドゥリエンのメックによる左翼への調査攻撃を捨て置いた。それをエスタン市からFWLMを引き離す絶望的な試みと考えて、ヘッドハンターズ(高く評価していなかった)に追わせる一方で、FWLM兵を都市に向けた。調査攻撃への対処はすぐに鬼ごっこに変わり、大陸の半分をかけて追いかけ回した。

 予想されていたように、エスタン市は、対車両・対装甲砲座と長大な塹壕システムなどの防衛陣に取り囲まれていた。忠誠派2個連隊は防衛部隊を惑星外から孤立化させる仕事に取りかかり、報告されていたアンドゥリエンのメック2個大隊を包囲した。マーリックの砲弾が降り注ぎ、航空機がアンドゥリエン防衛軍団に正確な攻撃を仕掛けた。だが、アンドゥリエン軍は牙にかかるのを拒否し、だいたいは塹壕に立て籠もって、上空を偵察するため小隊が散発的に姿を現すだけだった。もし、素早く決定的な勝利を望むのなら、兵士たちは反乱軍を追い込まねばならないことにダンカンは気づいていた。ゆっくりと通りから通りに都市を進むよう彼は両連隊に命令を下した。

 当初の抵抗は軽いものだったが、都市の奥深くまで進むと、対装甲歩兵、戦車、重メック相当数からの激しい砲火を受けることになった。だが、進捗は満足がいくものであり、ダンカンの期待は高まった。2日間の戦闘後、忠誠派は都市の中心から1キロメートルにまで迫り、そこではアンドゥリエン大隊が待ち構えているように見えた。最後の1キロメートルを進むのにもう5日間かかり、最後の数日には都市を望む山肌からアンドゥリエン砲兵による砲撃を受けた。前進を維持するため、ダンカンはオリオンに乗って直々に砲兵陣地への攻撃を率いた。この結果は自由世界同盟近代史のターニングポイントとなった。

 薄い守りを軽く蹂躙することを予想していたダンカンの分遣隊は、第5防衛軍団の2個大隊に遭遇した。2月4日、49代自由世界同盟総帥はバルザン連山の雪の中で死亡した。メックから脱出したところを撃ち倒されたのである。

 ダンカンを片付けた第5防衛軍団はそれからマーリック市民軍の後方に突撃を仕掛け、このときまで戦力温存していた第3防衛軍団は激しい逆襲を行った。一般兵の第15国民軍は圧力下で崩壊し、ひとつの連携した部隊というより中隊、小隊ごとに戦闘したが、第10国民軍は力強く戦った。指揮官であるサミュエル・ガリバルディはFWLMタスクフォースの指揮をとり、部隊をまとめようとした。アンドゥリエン2個連隊に挟まれた彼は部隊がすぐにも地に伏すことを知っており、よって重メックを第3防衛軍団の大隊と遭遇する戦線のポイントに集中させ、敵戦線を破り、軽中隊をアンドゥリエンの後方に侵入させた。高速マシンに本部と備蓄を脅かされた防衛軍団は、敵の包囲を緩めた。忠誠派は包囲を突破し、エスタン市の工業地帯に防衛陣地を築いた。第10国民軍のメックの1/3が必死の離脱で失われ、援軍がやってくる前にさらに多くが撃墜された。第10国民軍のうち生きて都市を出たのは半数以下だったが、メックの多数は防衛軍団に完全な形で鹵獲された。皮肉にも、馬鹿にされたヘッドハンターズだけが無事に残り、次の数週間でFWLM防衛の砦となった。


トーマスの戦役 THOMAS’ CAMPAIGN

 ダンカンが死ぬ前の時点ですでに、トーマスは政治力を振るっていた。コムスターによって同盟内での出来事について聞き逃していなかった彼は、もしかしたらどの代議員よりも事情通であったかもしれず、議会に自由世界同盟の指導者とみなされたトーマスは何度か議員たちと議論を行った。彼はダンカンと議会のあいだの摩擦(さらには議員と父ヤノスの間の摩擦)がアンドゥリエン奪還に問題をもたらしていると指摘した。彼は解決法を提案した……同盟成立法令に補遺を作り、権力を集中させることで、総帥の戦争遂行を容易なものとし、同じく、この一世紀にわたって同盟の軍事指導者たちを苦しめてきた祖国防衛法令を廃案とするのである。

 同盟内の不安定と離脱の余波におびえる、小国の代議士の多くは再び責任を放り出して、連邦政府に負担を押しつけようとした。レグルスとオリエントは、国内緊急法令下で特権的地位は剥奪されたとして、反対に動いたが、どちらも独立した小国の波にあらがうことができなかった。オリエントのハラス公爵は負けるであろう苦しい政治闘争を避けて、この提案に黙って同意し、そうすることで総帥との関係を維持した。レグルスはこの補遺に反対したが、勝つ望みはなかった。


ザンザIII(フェーズ2、3月〜5月) Xanthe III (Phase 2, March-May)

 2月8日にダンカンの死を知ると、トーマスは即座に軍部の指揮をとり(議会が彼を総帥と認めたのは11日だったが)、ザンザの状況を救うために動いた。第1オリエント機兵連隊(シローIII戦役後回復中だったが、年後半のコンキスタ強襲に備えていた)に、大規模な援軍が展開されるまで残ったマーリック国民軍を支援するよう命令が下された。2月14日、第1オリエント機兵連隊はバルザンの丘陵地帯に軌道上から地表への降下を行い、第10国民軍の支援に動き、よって崩壊した第15国民軍はオリエントまで惑星脱出することが可能になった。残った第10国民軍は1個大隊以下であり、第1オリエント機兵連隊がいてもなお、その時点で戦力で劣っており、アンドゥリエン防衛軍団の両連隊を押し返すには不十分だった。彼らに出来るのは、援軍が来るまで敵を防ぐことだけだった。

 不幸なことに、最初にザンザIIIに到着したのは、アンドゥリエンが雇っているトゥース・オブ・ユミル傭兵団だった。ベテルギウスの戦闘で血まみれになった彼らは、それにもかかわらず、FWLMに深刻な脅威をもたらした。幸運にも鉄衛団が3月29日に到着してアンドゥリエン軍は検討のためにいったん立ち止まり、5月2日、第5マーリック国民軍と第12アトリアン竜機兵団が上陸して忠誠派の側に決定的な優位を与えた。5月5日、アンドゥリエン軍はエスタン市から離脱してバルザン山に戦闘退却し、第1オリエント機兵連隊と第5国民軍に追撃される一方、鉄衛団と第12アトリアン竜機兵団がエスタン市を占領した。当初、反乱軍は秩序正しく退却したが、忠誠派が激しく押しまくると、アンドゥリエンは離脱を早くするために補給の多くを放棄し、猛攻に唯一耐えられたのはニューバーストゥでの血塗られた最後の抵抗だけだった。月末までにアンドゥリエン防衛軍団両連隊はザンザIIIを出発し(第3はサドゥルニへ、第5はコンキスタへ)、その一方、ぼろぼろになったトゥース・オブ・ユミルは、契約を満了し、雇用延長の誘いを新大佐が拒否して、アウトリーチに向かった(傭兵隊長のヘラー大佐はアンドゥリエンの後衛となって死亡し、スーザン・シャッドウェルが後を継いだ)。

 忠誠派は状況を整理するために一時停止し、連携した戦略を練り上げるべく年末まですべての攻勢作戦を止めるように呼びかけた。そうすれば戦争は成功裏に終わるだろう。第50代総帥として認められたトーマスは、すぐに勝とうとはしなかった。彼は出来るだけ効率的な勝利を求め、最後のチャンスとしてその後のトレードマークとなる外交をしようとした。




アンドゥリエンとその後のすべて ANDURIEN AND EVERYTHING AFTER

 第8オルロフ擲弾兵隊がルルガータンを征服すると共に、トーマスはアンドゥリエン再征服を完了するための計画を前に進めた。これまでのところ、戦役は本質的に総帥の計画した通りに進んでおり、民間被害は最小限のものであった。粘り強く守ってはいるものの、アンドゥリエンの兵士たちはいつも惑星外に後退する先を持っており、無意味な最期を迎えるのは妨げられていた。だが、惑星アンドゥリエンからは後退する場所などなかった……ここがこの戦役で最後の戦いになるのだ。そして、歴史上、敵の本拠地を強襲するときには、1インチ進むたびに勇敢な(自殺的でないにせよ)防衛に直面するものであった。残ったアンドゥリエンの兵士たち、そして高い確率で集団となった市民軍が待っているはずだった。このような狂信的な防衛部隊への強襲は、両陣営に甚大な被害をもたらすであろう……特に準備と訓練が不十分な民間志願兵がいたときには。これこそトーマスがなんとしても避けたいことであった。

 4月後半と5月に、自由世界同盟の交渉人たちはアンドゥリエンの交渉人と会合を持ち、ジュネーブにおいてコムスターが中立の仲裁人として活動した。当初、どちらの側も妥協を望まず、問題は対処不能であるように見えた……アンドゥリエンはマーリックの宗主権も装甲部隊の解散も受け入れず、自由世界同盟はキャサリン・ハンフリーズと共謀者が自由になることも、賠償金の支払いを逃れることも許さなかった。だが、両陣営はリャオ家の賠償請求を却下し、この合意の一点が交渉の焦点となった。

 同盟政府の代表は、アンドゥリエンが同盟の支配権を拒否している限りは、窮地を自分で救う必要があるが、同盟に再加入すれば連邦が外敵脅威に対する安全装置となることを明確とした(同時にアンドゥリエン公爵のカペラ侵攻は否定される)。再加入の前提条件は、アンドゥリエン防衛軍団を解体し、連邦の軍隊を代わりに据えることであり、キャサリンと支援者たちが連邦の法廷に身を任せることであった。交渉が5月の第二週目に入ると、この最後のポイントが難題であると判明した。アンドゥリエンは軍部を解体するという不名誉には耐えられるかもしれないが、指導者たちの身柄を引き渡すのは拒否したのである。両者は行き詰まったことを認識した。政府の交渉人はそれから、アンドゥリエンの周辺に敷いた経済制裁と海上封鎖について詳しく述べた。コムスターの中立降下船、航宙艦による人道支援は(検査の後で)許された。アンドゥリエンの外交官は、彼らが領地と認める地域への侵略には激しく抵抗すると明らかにした。

 5月19日、首位者ウォータリーは問題解決を仲介する最後の会談に出席した。彼女は失敗したが、生まれたばかりのコムガードがアンドゥリエンのHPG施設を守るだけでなく、ジョジョケン(惑星首都)の主要医療施設を守り、民間人のための安全地帯を作ることを明らかにした。コムガード軍(メック含む)は武装しており、攻撃を仕掛けてきたり、脅威を与えてきた者たちには自由に行動することとなる。誰が正しく間違っているかはどうでもいいと首位者ウォータリーは明言した……新たに武装したコムスターは自分たちと保護下にある者たちを守るために動くのだ。この点を明確にするかのように、彼女は両代表団をコムガードの軍事演習に招待し、それまで知られていなかった軍隊を考慮に入れざるをえないことを明白にした。


アンドゥリエン(3039年6月〜3040年1月) Andurien (June 3039-January 3040)

 最後の抵抗拠点であるアンドゥリエン公国への作戦は6月10日に始まった。トーマスはこれが長引く血塗られた戦いになるのを予想し、終戦の交渉に失敗したことから、それに応じた計画を行った。彼の準備は、大規模な侵攻軍と、同じくかなりの予備を必要とした。第一波は連邦軍(第1マーリック国民軍、第1自由世界防衛軍、第11アトリアン竜機兵団)と地方軍(第1レグルス軽機兵隊、第1、第2オリエント機兵連隊)の混成軍となり、同数の予備戦力が必要に応じて投入される。それはこの数世紀でFWLMが行った最大の軍事作戦であり、上回るのは31世紀前半のAFFSによるチコノフ侵攻のみであった。以降、アンドゥリエン争奪戦よりも多くの兵士が参加するのは、12年後のコムスターによるツカイードの戦いということになる。

 FWLMと対するは、5個アンドゥリエン防衛軍団諸兵科連合部隊の生き残りであり、そのすべてが中心となる大陸アルタイに集まっていた。大半が10年におよぶ戦争で痛めつけられていた(最初はCCAFに、次はFWLMに)が、いずれも戦争から教訓を学び、古参兵、エリートの質があると判断された。加えて、各部隊はハンフリーズ訓練校の卒業生、志願兵、現役復帰した退役兵でいくらか再建されていた。


最初の流血 FIRST BLOOD

 最初のFWLMによるアンドゥリエン侵入は、最小限の抵抗に遭遇した。天頂・天底のジャンプポイントに置かれていた形ばかりの防衛隊は、存在意義を果たした後に素早く降伏した――彼らはFWLMの強襲が始まったことを知らせる「トリップワイヤー」となったのである。だが、トーマスはキャサリンがジャンプポイントを守りなしにしておくと信ずるほど馬鹿ではなく、3個強襲部隊(第1レグルス軽機兵隊、第2オリエント機兵連隊、自由世界防衛軍)をパイレーツポイントを通して星系に送り込んだ。トリップワイヤー部隊が報告した戦力は実際の半分以下だったが、アンドゥリエンはしばらくその事実に気がつかなかった。

 天頂点の再充填ステーションと両ジャンプポイントの貨物移送施設を占領した後、マーリック兵は星系内を前進し始めた。慎重な移動は通常の10日間から2週間に延長され、そのあいだ、アンドゥリエン防衛軍団は、FWLMの宇宙優勢に挑戦するため、腕の立つ気圏戦闘機と攻撃降下船を集結させた。

 6月25日、2個艦隊はアンドゥリエンから10時間のところ、外の月ベティックを艦隊が通過したところで衝突した。アンドゥリエン防衛軍団は月の重力をスリングショットとして活用し、忠誠派の側面に切り込んだ。戦闘機の群れは怒れる羽虫のように突入し、輸送機の周囲に群がって、ミサイルと機銃で掃射した。幸運にも、FWLMはこのような攻撃に対する準備をしており、戦闘機と戦闘降下船の大半を直掩として配備した。防衛軍団は6隻の攻撃降下船と約50機の戦闘機を失い、生存者たちは再結集のため月の裏に引き返した。だが、その途中にショッキングなニュースが届いた。同盟軍がすでに上陸していたというのである。


上陸 The Landings

 防衛軍団の注意が同盟艦隊の主力に向けられていたため、非通常の降下地点を通ってアンドゥリエンに接近した兵士たちは妨害されることもなく、存在を警告されることもなかった。素早く、しかし密かに移動したメック輸送船は、艦隊戦が行われていたそのときに軌道に滑り込み、耐熱コクーンで積み荷を解き放った。アンドゥリエンは侵入者の存在に気づいたが、妨害するためにできたことはほとんどなかった。

 最初に上陸したのは自由世界防衛軍で、ジョジョケンの北およそ1000キロメートルのところにタッチダウンし、アルタイ大陸の北海岸、ハランの軍事宇宙港に「雪崩式」降下を実施した。宇宙港の内外に降り立った自由世界防衛軍は激しい抵抗に遭遇したが、30分後に勝利が確実であることが判明すると、ここを守っていた市民軍指揮官は降伏した。第1レグルス軽機兵隊、第2オリエント機兵連隊の上陸は、同じような挑戦的な反抗に遭遇しながら、輸送ハブや行政地区を確保することで橋頭堡を広げることに成功した。1日以内に、3個の主力部隊と随伴の装甲部隊、歩兵部隊は、忠誠派の陣地を確保し、アンドゥリエン北部のかなりの地域に影響力を拡大させた。

 同盟軍が足場を確保している間に、アンドゥリエン防衛軍団は手をこまねくことはなく、忠誠派陣地の弱点を探し当てるため、一連の偵察飛行、空襲、地上探査を実施した。航空戦はすぐに自由世界同盟戦闘機の数に飲まれたが、トーマス側がドッグファイトや航空基地の空爆で航空優勢を得るまでに数週間を要した。だが、航空優勢を失ったにもかかわらず、アンドゥリエンの航空戦力はこの戦役のあいだ、航空支援から外れた敵の小部隊を撃破し、ジョジョケン争奪戦の間でさえも、一部の戦闘機が道路を(あるケースでは凍った湖を)滑走路代わりに使って戦いに加わったのだった。

 キャサリン女公は、戦力不足でハランの橋頭堡を撃破出来そうにないことに気がついた……少なくとも惑星上の防衛部隊をすべて持ってこない限りは。女公はそのようなことを望んではいなかった。だが、同盟の兵士たちにアンドゥリエンを占領する上で大きな代償を支払わせることはできた。アンドゥリエン軍は、アトレウスのタイムテーブルにあわせることなく、いつでも好きなときに好きな場所で戦うのである。


ダーネル橋・トリ=ヴィッド・キャスト

 アンドゥリエンのFWLM本部で説明を受けたところです。重大な事件が、バローダの北、約60キロメートルのところで発生しました。報告によると、第1マーリック国民軍、第1大隊のベータ中隊が、戦略的に重要なダーネル橋でセンサー・ドローンを配置する任務についていました。この任務を終えたちょうどそのときに、第1アンドゥリエン防衛軍団の分隊が奇襲を仕掛けました。防衛軍団はこの偵察中隊と交戦し、ただちに圧倒しました。メック戦士のうち、4名だけが生き残り、イジェクトしました。その後、彼らの身になにが起きたかは、センサーに捉えられており、FWLMの本部に中継されました。視聴者の方々は、これらの写真を不快に思われるかもしれません。

[写真1: メックが爆発する。射出座席が火を噴いている]

[写真2: パラシュートが落下する]

[写真3: 群衆が落ちたパラシュートを取り囲む]

[写真4: 複数の人物が殴られているように見える]

[写真5: 人々が橋に向かう]

[写真6: 死体が橋の下に吊り下げられる]

[写真7: アンドゥリエン兵士が到着し、群衆を追い散らす]

 アンドゥリエンの代表は、当初、自由世界同盟の兵士たちは殺されてないと否定しましたが、キャサリン女公は後にこの事件に関する声明を出し、アンドゥリエン防衛軍団が相当数を逮捕して、裁判にかけたとしています。しかし、女公は管轄権がないとして自由世界同盟の司直への犯人引き渡しを拒否しました。自由世界同盟の指揮官たちは、この非道にアンドゥリエン兵士たちが関わってないことを保証しましたが、加害者の引き渡しを要求し続けています。

 イリアン・メディア・インターステラーのイヴォ・グリーンバーグがアンドゥリエンからお届けしました。



血の8月 Bloody August

 上陸の最初の6週間、襲撃と逆襲撃が行われ、アンドゥリエン防衛部隊は敵の数が多いときはどこかに消えていくのだった。自由世界同盟は勢力範囲を相当に拡大した。8月の第2週、カランの町(おおざっぱにハランとジョジョケンの中間)でかなりの戦闘が行われ、この戦役における最初の大規模な交戦となった。キャメロン=ジョーンズ男爵のレグルス軽機兵隊は、この戦争で大きな作戦行動に出て、カランのすく西にいた第3防衛軍団に奇襲をかけて、即座に強襲に着手した。

 数で相当に負けていたのだが、第3防衛軍団は粘り強く抵抗し、レグルス軽機兵隊を決意によって驚かせた。最初、不意を打たれてかなりの損害を被った第3防衛軍団は、最初の数時間で少しずつ後退し、レグルス軽機兵隊を自らが選んだ戦地に引きずり込み、浮き足立っているようなふりをした。突然の逆襲によって、レグルス軽機兵隊は守勢に回った。後退する余裕がなかったことから――町と川の間に挟まれる形となる――レグルス軽機兵隊は数の有利に頼って嵐を乗り切るしか選択肢がなくなった。

 夜のとばりが降りた後も衝突は続き、砲火と爆発が戦場を照らしたが、疲労によって作戦のテンポは著しく低下した。レグルス軽機兵隊の大佐は、第3防衛軍団が闇に隠れて離脱し、退却することを恐れて、ホバー戦車に反乱軍の側面を打って、非常線を張るように命じた。その攻撃は弱々しいもので、第3防衛軍団の大々的な攻勢にかなう望みはなかったが、メックの襲撃と組み合わされることで、レグルス軽機兵隊との接触を維持した。夜明けが近づくと、第3防衛軍団は最後の離脱を試み、スピードを生かしてレグルス軽機兵隊の本体を振り切り、装甲部隊の非常線を押し通った。進撃路を西に移した彼らは、スピードを使って逃走を試み、支援のために移動した第11アトリアン竜機兵団の野営地に突っ込んだ。2個連隊に挟まれた第3防衛軍団は全滅し、最後のメックはカランの戦いが始まってから22時間後に撃墜された。死者の中には、ハンフリーズ女公の長男であるマイケルがいた。

 カランでの騒ぎとほぼ時を同じくして、第1防衛軍団の分隊がアンドゥリエン第二の都市、バローダを出て、第1マーリック市民軍の1個中隊(バローダ侵攻に先駆けて偵察活動中だった)を罠にかけて殲滅した。中隊のメックはすべて破壊されたが、4名の操縦手が捕虜となり、ダーネル橋事件の後、自由世界同盟は注意を向けることとなった。最終的に第1防衛軍団は、第1、第2オリエント機兵連隊からの圧力を受けながら、都市へと撤退していった。

 すでに怒っていた第1自由世界防衛軍は、ダーネル橋の映像を見てさらに怒りを募らせ、次の2週間の戦闘で自制心を見せることはなかった。8月19日、彼らが橋から約30キロメートル西の地点で旧敵たる第4防衛軍団に遭遇すると、結果として起きたのは反則なしの戦いであった。4日に及ぶ長距離戦闘で互いに殴り合った。カーサでの戦いと違って、どちらの部隊も離脱しようとはせず、第1自由世界防衛軍はカーサでの残虐行為の復讐を求め、防衛軍団は第1自由世界防衛軍の戦闘能力を奪って、トーマスから精鋭部隊を取り上げるのを望んでいた。多くの点で、両者共に成功したと言える……第4防衛軍団は事実上消滅した一方、第1自由世界防衛軍はあまりにも多くのメックと人員を失い、一時的に前線から後退したのだ。第4防衛軍団の殲滅は、それでも忠誠派にとっての勝利であり、第1自由世界防衛軍はジョジョケン強襲の終盤に加わることが出来たのだった。


次の段階 The Next Step

 第1自由世界防衛軍が大損害を受け、戦役のペースが上がらなかったことから、トーマスは9月の前半、相当数の予備の投入を決心した。第8オルロフ擲弾兵隊がラーガタンから到着し、(サドゥルニで擲弾兵隊のやり方を見ていた)アトリアン竜機兵団が抗議したにもかかわらず、前線に送られた。その一方、第3自由世界防衛軍は、シェンでウルフ竜機兵団2個連隊の脅威を受けて逃げ出したイメージを払拭して自信を取り戻そうとした。FWLMが反乱軍の主要都市への締め付けを強めると、両部隊は一ヶ月も経たないうちに熾烈な戦闘に巻き込まれ、追加の3個が加わった……スチュアート竜機兵団の祖国防衛軍、第10マーリック国民軍(ザンザでの大敗の後で再建)、傭兵のオルウェイズ・フェイスフルである。レグルス軽機兵隊、オルロフ擲弾兵隊、第1オリエント機兵連隊は、第3防衛軍団の作戦基地であるキンダを包囲した。同盟の哨兵線を突破するのが無益であると気づいた第3防衛軍団は、この都市に退却したのである。第3防衛軍団を引き寄せようとしても失敗したことから、忠誠派は通りから通りの規則正しい掃討戦を実施し、これは三週間続いた。あらためて、反乱軍は敗北に高い代価を要求した。強襲した兵士たちは約60機のメックを失い、反乱軍に残されたのは45機だった。

 その一方、第3自由世界防衛軍、第1マーリック国民軍、オルウェイズ・フェイスフルは、バローダ郊外で第6防衛軍団の残存戦力と殴り合った。これがこの戦争で最も重要な交戦になると気づくことはなかったのである。


二都物語: バローダとジョジョケン A Tale of Two Cities: Baroda and Jojoken

 11月6日、第1マーリック国民軍第2大隊の1個中隊がバローダでの調査中、敵に閉じ込められた。退路を断たれた彼らは勇敢に戦ったが、国民軍の指揮官は単独では脱出できないことに気づいており、いくらかでも第6防衛軍団の気を反らせればいいと一連の襲撃を認可した。第3自由世界防衛軍とオルロフ擲弾兵隊がこの作戦に加わり、11月9日、この中隊は第3自由世界防衛軍の1個大隊に合流、脱出した。だが、この時点までに、アンドゥリエンの陣地は強化され、第1防衛軍団が崩壊した第6防衛軍団に加わった。戦闘と呼べるものではなかったが、この市街地での消耗戦で、両軍の戦力がすり減らされた。この戦役が始まる時点では諸兵科連合部隊だったオルウェイズ・フェイスフルは、歩兵・装甲戦力をほとんど失っていた。戦いを迅速に終わらせるために、トーマスはレグルス軽機兵隊を投入したが、すさまじい戦力差があったにもかかわらず、アンドゥリエン防衛軍団は降伏を拒否した。

 FWLMはバローダにさらなる戦力を投入可能だったが、トーマスはもう充分であり、兵士を追加しても損害と付随被害を増やすだけだと判断した。代わりに、遅延戦術を使うようになっていたハンフリーズ女公を混乱させる決断を下した。アンドゥリエン軍の多くがバローダにいた一方で、マーリック総帥は第1、第2オリエント機兵連隊にジョジョケン攻略を命じ、第11アトリアン竜機兵団を支援につけた。

 10月2日、バローダで激しい戦闘が行われていたそのとき、第2オリエント機兵連隊がジョジョケン北部郊外の軍事施設を攻撃し、アンドゥリエン・エアロスペースの工場に突進した。市内の有名な植物園を通過した彼らは、都市の深くに入り、第5防衛軍団と遭遇して、事態は熾烈で血塗られた市街戦へと悪化した。フエンテス大佐のメックがインフェルノ弾頭に撃たれて爆発した後、炎の嵐が第2オリエント機兵連隊を襲い、崩壊の危機を生み出した。それにも関わらず、第2オリエント機兵連隊は持ちこたえ、かけられた圧力は大きく低下した……騎兵隊が到着したのである。

 注意深く敵陣地の位置を確認した後、第1オリエント機兵連隊はジョジョケンを包囲し、危険なアムール川を渡河して、南から都市に入った。偵察部隊に案内された第1オリエント機兵連隊は、大規模な抵抗拠点を避けて、第5防衛軍団の後方にぶつかった。第5防衛軍団はメック小隊規模にまで粉砕された。分散した残存戦力を掃討するのには数日を要したが、その日の終わりには重要な民間・軍事拠点は占領された。第1オリエント機兵連隊によるハンフリーズ宮殿占領は、階段で喜ぶアーカイブ映像でよく知られているが、それはジョジョケン攻略戦のクライマックスではなかったのである。

 残った軍事部隊に対処するのに加えて、キャサリン・ハンフリーズに関する小さな問題が残った。FWLMが宮殿を占領した時、女公爵はそこにおらず、居場所はわからなかった。12月19日、彼女が捕らえられたのは、ほとんど偶然であった。アムール川に隣り合う郊外において、第11アトレウス竜機兵団が最後の抵抗拠点を撃破すべく警察活動をしていたときにことは起きた。

 第11アトレウス竜機兵団が反乱区域を非常線で遮断するのに成功し、システマチックに拠点を掃討していた時に、奇妙な光景が彼らを出迎えた……年を取った白髪の女性が、我こそはアンドゥリエンの女公爵であると伝えたのだ。後に説明したところによると、彼女は宮殿を脱して、都市脱出のチャンスを伺いながら、隠れていたとのことだった。戦闘が続いていたことから、脱出はほとんど不可能であり、ハンフリーズ女公は第11アトレウス竜機兵団に包囲されていることに気がついた。脱出の望みが絶たれると、彼女に残された行動は、降伏して、市民たちがこれ以上被害を受けないようにすることだけだったのである。アンドゥリエンのメディアすべてで、彼女は市民たちに抵抗をやめて武器を置くように呼びかけた。バローダのように大規模な紛争(この時点で第1自由世界同盟防衛軍も参加していた)は迅速に終了したが、最後の組織的な抵抗が終わるまでには2週間を要した。


占領 THE OCCUPATION

 FWLMが最大限の努力を払ったにもかかわらず、破壊活動とゲリラ攻撃は数年にわたって続き、自由世界同盟の医療・人道支援への攻撃を受けて、3040年5月、十数名の工作員たちが植物園で処刑された(植物園は後に殉教者の壁と呼ばれるようになった)。テロ活動の結果、同盟軍は要塞化された施設を建設した。公式には同盟管理棟(あるいは占領本部)と呼ばれたが、アンドゥリエン現地人は「ダークタワー」と呼んでいた。

 キャサリン・ハンフリーズは反逆罪で告発され、最後まで反抗的な態度を貫いた。幸運なのは裁判の日がやってこなかったことだろう……3月19日、89歳の女公は激しい心臓発作で死亡したのである。公的には、五番目の息子である道楽者のリチャードが後を継いだが、自由世界同盟はハンフリーズによるアンドゥリエンの宗主権停止を宣言し、連邦政府はこの国を管轄するため知事を任命した。この摂政政治は、3048年、リチャードが一線から身を退くまで続いた。娘のダルマがハンフリーズのアンドゥリエン支配を再開した。[ハンフリー一族はカノープスに関わりすぎたとしてリチャードを隠遁に追い込んだが、それが彼の野心を抑えることはなかった。カオス境界域のスーク共和区がその短い生涯の中でそれを実証した。-トーマス]。実利的で決断力に富んだ若きダルマは、模範的な同盟市民に思われたが、近ごろ祖母に似ているところを表すようになり、アンドゥリエンの居場所を再構築しようと決断している。

 長い間、勇敢に戦い続けてきたアンドゥリエン防衛軍団は解散し、残った装備は新しい連邦部隊、自由世界軍団の中核として使われた。不正行為は行っていないと判断されたアンドゥリエン兵士の大半は紛争後に退役したが、少数がFWLMに雇用され、その他は傭兵部隊に加わった。3040年に制定された連邦法では、惑星防衛以上の軍隊をアンドゥリエンが創設するのは禁止しているが、後に出された軍事要綱はこの点を議論の余地ありとしている。

 トーマスは、アンドゥリエンを崩壊させ、自由世界同盟、カペラ大連邦国、カノープス統一政体に手ひどい効果をもたらした共謀者たちの大規模な裁判を考えた。だが、キャサリンが死ぬと、法律の条文に固執し、共謀者を追求するという欲求は霧散した。その代わり、総帥は生き残った軍事・政治指導者たちに恩赦を出し(これは相当に和解の助けとなった)、アンドゥリエンそのものを救った。一部は裁判にかけられ、投獄された(少数が処刑された)が、これは分離に対する罪ではなく、ダーネル橋事件など残虐行為に関わった罪に対してだった。




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